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第五章
45,黒い雲
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山頂に着いた時には既に陽が傾き始めていた。野宿をしなくてはならないだろう。
それよりも、ヤエには気がかりなことがあった。
「リュウキ様、これは……」
次に下るべき道の先を目にして、ヤエは息を呑む。
本当に、季節がまるっきり違う。
これまでに登ってきた山道は、梅の花が咲き誇る美しい空間が続いていた。時折冷たい風は吹くが、気温は快適だったと言えよう。
しかし、目の前の下り道を見ると、完全に別世界なのである。
雪が降り積もり、そこから流れる空気は冷気そのもの。後ろを振り向けば春、前を向けば真冬。山頂に立つと、正にそういった異常気象と呼べる事態となっている。
この光景に、リュウキは固くなっていた。
「聞いた通りだね。北北西の山は、この先だけ冬のような寒さが年中続いているんだ」
リュウキは静かに、東の方角を指差した。釣られるようにヤエの視線は、その方向に移る。
「あれはっ?」
不気味な真っ黒なものが目に入る。山の半分ほどの面積を覆うように、巨大な黒い雲が浮かんでいるではないか。太陽の光を決して通さないように、居座り続けているようだ。
「もう一つ村で聞いたんだけど──あの巨大な雲は、一年中片側の山を囲んでいて、消えることはないらしい。雪を降らせて陽の光も遮断させているから、向こう側だけが冬のような寒さになってしまうんだって」
「なんとも不思議な光景ですね」
ヤエが呆気に取られていると、下りの方面から冷たい風が強く吹き荒れた。寒さに弱いヤエは、震え、そしてあの恐怖が僅かにして甦る。
また凍ってしまわないかという、不安が襲った。
「ヤエ」
リュウキはそっとヤエの手を握ってくる。青色の火を灯し、ヤエの身体をあたためてくれた。
「今夜は山頂で野宿しよう。明日の朝、山を下る。もしもあの寒冷地を一日で下りきれなかったら、ヤエの身体が危ないかもしれない。明日一気に下ろう」
「そうですね……」
リュウキの優しい炎は癒しそのもの。しかしそれよりもヤエは、自分の指先を包んでくれる大きな手のぬくもりに、安らぎを感じていた。
だが、不安は常にまとわりついてくるのだ。
意識の奥底には、氷の中で苦しみに悶えている記憶が僅かにでもある。再び氷になってしまったら、次は耐えられるだろうか。身体が、もう二度と氷になりたくないと、拒否していた。
「ヤエ? 大丈夫?」
「えっ、あ……はい」
無意識のうちに、眉間に皺を寄せていた。
「不安にならないで。僕がいるんだから。必ずヤエと一緒にシュキ城まで行く。何があってもね」
「心強いです」
にこやかに優しい視線を送ってくれる彼に、ヤエも微笑みを返したかった。
だが、出来ない。上手く笑うことが難しくなってしまっている。その原因ははっきりしていないが、失われた記憶の中でも暗い過去は残っている。
『好きでもない相手との結婚』。
この記憶が誠のものならば、ヤエは自分が笑えない理由はそこにあるのだと断言する。
「今日の夕飯は、朱鷺からもらった魚の干物だよ」
大きな荷物から器を取り出し、夕食の支度を始めるリュウキはいつもの調子で笑った。そんな彼を眺めながら、ヤエは切ない気持ちになる。
「村に着いたら……」
まだ彼に何もしてあげられていない。
ヤエは静かに言葉を紡ぐ。
「次の村に着いたら、またあたたかいご飯を食べましょうね」
ヤエが俯き加減になっていると、リュウキは明るい声で言うのだ。
「ヤエの手料理も食べたいな」
「えっ」
「食べ損なっているだろう? 今度、僕の為に作ってくれるよね」
──僕の為に。
余計な一言は、ヤエにとっては煩わしいはずだった。
それなのになぜだろう。今は素直にその言葉を受け止める自分がいる。
ヤエは小さく頷いた。
「分かりました。機会があれば、お作りしますね」
「ああ、楽しみにしているよ!」
自分は面白味のない人間で、どちらかというと冷たいし後ろ向きだ。それとは対照的に、リュウキはいつも明るく、前向きである。彼の言う台詞に苛つくことはあるものの、なぜか少しずつそれがヤエにとって心地よいものになっていた。
春を感じる場所で暖をとり、ヤエはその晩ゆっくりと休むことができた。
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