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第四章

29,リュウキの生死

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 絶望だ。
 リュウキが崖から落下してしまった。一体どのくらいの高さがあるのだろうか。もしかすると、助からないかもしれない。
 ひどく呼吸が乱れていたリュウキは、辛そうな顔をしていた。ヤオ村の炎を燃やし続けているせいで、力が上手く出せなかったはずだ。それなのにも関わらず、必死に自分を守ろうとしてくれた。

「リュウキ様……」

 ヤエは悲しみの声で彼の名を呼ぶ。たとえ返事が来なくても。絞るような声で叫ぶしかなかったのだ。

「リュウキ様──!」

 大声に刺激されたのだろうか、巨大蜘蛛は突然二本の前足で荒々しくヤエの身体を持ち上げた。糸に縛りつけられたままのヤエは、一切抵抗することができない。

 蜘蛛の顔を見た瞬間、ヤエは吐き気がするほど悪寒が走る。こちらをじっと見つめ、口から大量の唾液を垂れ流していた。

(……食べられる!)

  ヤエの顔面よりも数倍も大きな口が迫りよってくる。

 もうだめだ、食われてしまう!

 絶命の危殆きたいに瀕した、正にその時であった。

「──ヤエ!」

 どこからか、焦ったような叫び声が聞こえてきた。覚えのあるものだ。しかし、それはリュウキのものではない。

 周囲を見回したのと同時に、ヤエの全身に巻きついていた糸が一瞬にして解れていった。そのまま巨大蜘蛛から解放され、ヤエは地の上に落ちていく。すかさず受け身を取って着地した。
 その矢先、背後から鈍い衝撃音が響き渡る。

「何……?」

 状況を把握しようと、ヤエはおそるおそる蜘蛛の方に振り返る。
 そこには──八本の脚をバラバラにされた巨大蜘蛛が。胴体までもが八つ裂きにされ、すでに息絶えた化け物の惨たらしい姿があるではないか。

「どういうことっ?」

 一人混乱の文字を浮かべ、目を見開いていると、ヤエのすぐ隣に白い影がスッと現れた。

「大丈夫か、ヤエ」

 低くありながらも、どこか優しい声。その正体は──

「ナナシ様っ?」

 目の前に現れたのは、無表情でヤエを見つめるナナシだったのだ。

「怪我はないか?」
「あ……はい。大丈夫です。あの、化け物はナナシ様が?」
「ああ。片付けておいたぞ」

 平然と答えるナナシを前にして、ヤエは言葉を失う。 

 彼は見たところ、武器などは所持していないようである。傷なども一切見当たらない。
 どうやって彼があの巨大蜘蛛を一瞬のうちに切り刻んだのか、ヤエは不思議で仕方がなかった。

「なぜ? どうしてここにいらっしゃるのですか?」

 ヤエの質問に対して、ナナシは小さく首を横に振る。

「……ヤエが襲われていたから助けたまでだ。それよりも今は、リュウキを捜しに行かないとな」

 その言葉にハッとする。
 ヤエは急ぎ足で崖の方へ駆けていき、ゆっくりと下に目線を落とす。

 ……思わず、足がすくんだ。
 崖からは下の様子が全く見えない。計り知れない高さなのだと、この時改めて実感した。

 ヤエの胸の奥が一気に冷たくなる。

「ここは三合付近だ。普通の人間なら即死だろうな」

 静かにそう語るナナシの声は、どこか冷めていた。
 ヤエは息が詰まる想いになる。

「そんな、リュウキ様……!」

 彼は、自分を助けようとして化け物に殺されてしまったということなのか。

(私のせい……私のせいで。リュウキ様が……)

 ヤエの身体が勝手に震え始める。
 そんなヤエの肩にそっと手を置き、ナナシは言うのだ。

「兎に角、一度下まで行ってリュウキを探そう」
「……はい」

 自分でも驚くほど、声が低くなってしまった。

(私がこんな山道を一人で散策しなければ……)
 
 悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。

 軽率な自分の行動に嫌気が差した。お飾りでしかない剣は、まだまだ使いこなせていない。氷の力だって自分の意思で出せるわけもなく。化け物の野鳥を一度仕留めたくらいで、調子に乗っていたのかもしれない。それよりも強暴な化け物などいくらでもいるのに。立派な鎧を身に纏っているだけの、兵士もどきのこの格好が馬鹿馬鹿しく思える。

 その場から動けないヤエを見て、ナナシは怪訝そうに顔を覗き込んできた。

「ヤエ」
「……はい」
「今は余計なことを考えている場合じゃないぞ?」
「……すみません」

 力なくヤエが答えると、ナナシは呆れたように嘆息した。

「急ごう」

 ナナシは少し強めの力でヤエの右手を引いた。
 ごつくてそれでいて冷たい指先。しかし逞しい大きな手に握られると、ヤエの心は僅かな安心感に包まれる。

 ナナシの言う通り。落ち込んでいる場合ではない。自分を必死に助けようとしてくれたリュウキを見つけ出さなくてはならないのだ。

 息絶えた巨大蜘蛛を横目に、ヤエはナナシと共にその場を後にする。

 ──どうか無事でいて。心の中で願いながら
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