【完結】炎の戦史 ~氷の少女と失われた記憶~

朱村びすりん

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第三章

20,軽んじてはいけない生命

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 苦しい。

 リュウキの熱は上がる一方であった。
 北北西の山道は険しい。急な斜面が多く、ところどころ狭い道もあってなかなか進みづらい。足がふらつき、歩く速度がどんどん落ちてしまう。
 じんわり汗を流すそんなリュウキに、ヤエは心配の眼差しを向けた。

「リュウキ様」
「うん……何?」
「疲れた顔をしていますね、少し休みますか?」

 ヤエは涼しい顔をしていて、まだ息も上がっていない。
 昼前だというのに、こんなにも疲労感があるなんて。リュウキは不甲斐なく思う。

「いや、大丈夫だよ。陽が高く昇るまでは休まず進もう」

 空元気を見せるが、そんな強がりにヤエは納得した顔はしない。

「休憩を挟みながらの方が効率がいいですよ。そこに大きな岩があります。あちらに腰かけて、水でも飲みましょう」

 リュウキが返事をする前に、ヤエはそそくさと岩石の方に行ってしまった。 

 なぜ自分がこれほどまでに息が上がってしまうのか、原因はなんとなく、というよりも、確実にリュウキは分かっていた。

 ──つい先ほどの話である。
 リュウキは結局、化け物になってしまった村人たちを殺すことはしなかった。
 ヤオ村を焼き払うのではなく「封鎖」する目的で炎の力を使った。
 村全体を炎で囲い込むことで、村人たちが外へ出られないようにしたのである。今も尚、リュウキの炎は燃え続けているのだ。

 リュウキの選んだ方法を目の当たりにしたシュウは、なんとも呆れた顔をしていた。

「化け物どもを永久に閉じ込めるおつもりですか」
「そういうわけじゃないよ。一時的に籠ってもらうだけだ」
「それならいつまで? 村の食糧が底尽きれば、化け物どもは飢え死にしましょう」

 そう言われたリュウキは、首を大袈裟に振る。

「僕は諦めたりしないと言った。村人たちの壊れた精神が治るまで、この炎は消さない」
「何を仰いますか。そんなことをしていたら、あなたの体力が削られていくばかりですよ」

 燃え続ける炎は、たしかに熱を帯びているのだが、建物や周辺に生える木々へ燃え移ることはない。リュウキが潜在的に炎の温度をも操っているからだ。

 真っ赤な炎の向こうで、村人たちは狼狽えながら足止めを食らっていた。
 彼らの目は正気を失っていて、直視するだけで背筋が凍る。精神崩壊を起こすと、人間があれほどまで狂気に満ちた顔になるなんて。

「失礼なことを申し上げますが、あなたの判断には同意いたしかねます。よって村人たちの精神をどう戻すのかは、ご自身で解決法を見つけてください」
「別に君の手助けがなくてもどうにかなるさ」

 これはただのリュウキの強がりだ。根拠のない自信と、その自尊心で後に戻れない状況になったと言ってもいい。

(閉じ込めてごめんね)

 炎の壁に囲まれ、呻き続ける村人たちに向かってリュウキは眉を潜めた。

 結局シュウはリュウキの考えに納得、というよりも妥協したような様子で首肯していた。
 立ち去る前にリュウキにこう忠告もして。

「村の様子を昨夜わたしも見て回りました。家畜や食糧の数をざっと算しても、ってひと月。そんな短期間で解決策を見つけられるとは到底思えません。化け物が飢え死にして全滅するのなら、わたしはむしろ口出しはいたしません」

 シュウの口調は冷たいままだった。


 ──彼が立ち去った後、リュウキとヤエは北北西の山に向かっていた。

 リュウキが常時ヤオ村の炎を燃え上がらせているので、体力だけでなく集中力も削られていくのだ。
 ヤエの隣に座り込み、少しひんやりする岩の上でリュウキは深く息を吐く。
 すると、ヤエがリュウキにさっと水の入った瓢箪を差し出した。

「どうぞ」
「ありがとう」

 リュウキの気のせいだろうか、ヤエの口調が昨日よりも少しだけ柔らかい気がした。表情は相変わらず冷たいが、目は優しい色をしている。

「……少し、見直しました」
「え?」
「リュウキ様のような方がたくさんいれば、この世も少しは平和になるかもしれませんね」

 その言葉を聞き、リュウキはじんわり胸の奥が熱くなる。水を一口流し込んでから頬を緩ました。

「それは、どういう意味? もしかして、僕に惚れたってことかな」
「……そうやってふざけたことばかり言う人だと思っていましたが。しっかり芯の通った方だというのは先ほどの件で分かりました」

 リュウキが冗談を口にするも、ヤエの表情は真剣だった。
 彼女の声も、どことなく明るい。

「化け物になってしまった人たちを見捨てずに、リュウキ様は生命を優先させました。たしかにあのシュウという方の仰ることも分かりますが、真っ先に殺してしまうのが解決策だとは私も思いません」
「ああ、ヤエも共感してくれるんだね。あんなに意気込んで言ったけど、本当は僕も不安なんだ」
「えっ」
「僕は幻草について深く知っているわけでもない。化け物になってしまった人たちをどう助けられるか、その答えを掴めないかもしれない。そう思うと、実は僕も怖い」

 瓢箪の蓋を閉めると、リュウキは少し遠目を眺めた。

 木の葉の間から微かに照らす太陽の光はあたたかみを帯びていて、見ているだけで癒される。

「一緒に考えていきましょうよ」

 ヤエはリュウキの目をまっすぐ見つめながら、はっきりとそう言い放つ。

「私もリュウキ様と同じ気持ちです。人が死ぬ姿はもう二度と見たくないんです」
「……ヤエも、辛い過去があったと話していたね」

 束の間ヤエは胸に手を当てて目を閉じる。
 優しい風が、二人の間を静かに通り過ぎた。

 乱世の時代に生きる人の生命と言うのは、軽い。軽すぎて、無慈悲だ。弱い民の生命はとくにひどい扱いをされる。
 ゴミのように扱われる生命が当たり前でない世にしなければ、いつまでもこの地は乱れたままであろう。
 リュウキの心は決してその想いを忘れることはない。
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