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第四章
36・アサカが守ったもの
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──そこで、ハッとした。ソファで横になっていた僕は、飛び起きた勢いで床に転げ落ちてしまった。でも、痛みなんか感じない。
「そうだ……コハルの家に泊まったんだっけ」
心臓がドクドクと音を立てている。壁にかけられたデジタル時計に目をやると、深夜二時を回っていた。
僕はぬくっと起き上がる。すぐ横のベッドで、コハルが小さく寝息を立てていた。
僕はコハルを起こさないよう静かに通学鞄を手に取り、ペットボトルの水を取り出してゴクゴクと喉に流し込む。寝汗で失われた水分が体に吸収され、喉も潤され、生き返った気分だ。
「……延命治療、か」
たったいま見た夢の内容が気になる。夢というより、過去にあった出来事を眠りながら思い出していたと言った方が正しいかな。
延命治療って、一体なんだろう。僕は延命治療を受けたのか? 事故に遭ったから? それとも奇病を患ったから?
どうして白鳥先生が事故のことを話してくれなかったのかもよくわからない。
考えながらもう一度水を飲み、ペットボトルを鞄にしまう。
このとき、ふと棚にあるコハルのクラリネットケースが目に入った。
『アサカは、事故に遭った日に死んじゃった』
さっき、コハルはそう話していた。
松谷アサカ 享年十四。
彼女は軽トラックに衝突され、その衝撃による内臓破裂で亡くなった。病院に運ばれたときにはすでに息を引き取っていたという。
僕とサヤカはランドセルが衝撃を吸収してくれたおかげで死には至らなかった。
だけど──僕たちが助かった理由はそれだけじゃない。
アサカが、僕たち二人をかばってくれたおかげでもあるのだという。
軽トラックにぶつかる寸前、アサカは僕とサヤカの前に立ち塞がったのだそうだ。自らの危険を顧みず僕らを守るように、咄嗟に前へ出ていたようだったと、何人もの事故目撃者が語っていたのだ。
『アサカはあんたたち二人のこと、小さい頃からお世話しててさ。あたしなんかよりショウジのこと見てたと思うよ。優しいんだよ、アサカは。優しすぎるの。自分の命を犠牲にしてまで、あんたとサヤカちゃんを守ったんだから……』
コハルは、大粒の涙を流しながらそう語った。思い出すだけでも辛いはずだ。親友の死を語るなんて、もっと辛いはずだ。
それ以上話さなくてもいいと言って、僕は耳を逸らした。
先ほどの話を思い出すと、胸の奥が苦しくなる。コハルの寝顔を見ると、さらに心の奥が締めつけられた。
コハルは、大切な人を失ったからこそ、その痛みがわかるんだ。
だが僕はどうだ? 命の恩人の顔すら、思い出せない。
正直なところ、僕が心を痛めているのは、アサカが死んだからじゃない。アサカが亡くなったことによって悲しむ人たち──彼女の親友のコハルや、妹のサヤカ──の気持ちを考え、居たたまれなくなるからだ。
なんて無慈悲なのだろう。
初恋の相手を思い出せないなんて。命の恩人を思い出せないなんて。幼なじみを思い出せないなんて。大切な人までも、思い出せないなんて。
万が一僕が過去を思い出してしまったら、アサカが救ってくれたこの命が消えてしまうかもしれない。そうなってしまったら、命を犠牲にしてまで守ってくれたアサカに申し訳ない。あの世で顔向けできない。
ようやく、サヤカの葛藤がわかった。僕に思い出してほしいけれど、思い出してほしくないという気持ち。
僕も、彼女と同じだ。
君たちとの思い出を思い出したい。けれどそれは、決して許されることじゃないんだ。
「そうだ……コハルの家に泊まったんだっけ」
心臓がドクドクと音を立てている。壁にかけられたデジタル時計に目をやると、深夜二時を回っていた。
僕はぬくっと起き上がる。すぐ横のベッドで、コハルが小さく寝息を立てていた。
僕はコハルを起こさないよう静かに通学鞄を手に取り、ペットボトルの水を取り出してゴクゴクと喉に流し込む。寝汗で失われた水分が体に吸収され、喉も潤され、生き返った気分だ。
「……延命治療、か」
たったいま見た夢の内容が気になる。夢というより、過去にあった出来事を眠りながら思い出していたと言った方が正しいかな。
延命治療って、一体なんだろう。僕は延命治療を受けたのか? 事故に遭ったから? それとも奇病を患ったから?
どうして白鳥先生が事故のことを話してくれなかったのかもよくわからない。
考えながらもう一度水を飲み、ペットボトルを鞄にしまう。
このとき、ふと棚にあるコハルのクラリネットケースが目に入った。
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さっき、コハルはそう話していた。
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僕とサヤカはランドセルが衝撃を吸収してくれたおかげで死には至らなかった。
だけど──僕たちが助かった理由はそれだけじゃない。
アサカが、僕たち二人をかばってくれたおかげでもあるのだという。
軽トラックにぶつかる寸前、アサカは僕とサヤカの前に立ち塞がったのだそうだ。自らの危険を顧みず僕らを守るように、咄嗟に前へ出ていたようだったと、何人もの事故目撃者が語っていたのだ。
『アサカはあんたたち二人のこと、小さい頃からお世話しててさ。あたしなんかよりショウジのこと見てたと思うよ。優しいんだよ、アサカは。優しすぎるの。自分の命を犠牲にしてまで、あんたとサヤカちゃんを守ったんだから……』
コハルは、大粒の涙を流しながらそう語った。思い出すだけでも辛いはずだ。親友の死を語るなんて、もっと辛いはずだ。
それ以上話さなくてもいいと言って、僕は耳を逸らした。
先ほどの話を思い出すと、胸の奥が苦しくなる。コハルの寝顔を見ると、さらに心の奥が締めつけられた。
コハルは、大切な人を失ったからこそ、その痛みがわかるんだ。
だが僕はどうだ? 命の恩人の顔すら、思い出せない。
正直なところ、僕が心を痛めているのは、アサカが死んだからじゃない。アサカが亡くなったことによって悲しむ人たち──彼女の親友のコハルや、妹のサヤカ──の気持ちを考え、居たたまれなくなるからだ。
なんて無慈悲なのだろう。
初恋の相手を思い出せないなんて。命の恩人を思い出せないなんて。幼なじみを思い出せないなんて。大切な人までも、思い出せないなんて。
万が一僕が過去を思い出してしまったら、アサカが救ってくれたこの命が消えてしまうかもしれない。そうなってしまったら、命を犠牲にしてまで守ってくれたアサカに申し訳ない。あの世で顔向けできない。
ようやく、サヤカの葛藤がわかった。僕に思い出してほしいけれど、思い出してほしくないという気持ち。
僕も、彼女と同じだ。
君たちとの思い出を思い出したい。けれどそれは、決して許されることじゃないんだ。
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