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第四章
34・葛藤
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コハルは明らかに動揺している。
手を震わせながら無言で料理を続けた。皿の上にパスタを盛り付けてテーブルに運び、重い動作でフォークを僕に手渡したところでやっと口を開く。
「あたしにも……責任があるのよね」
「責任って?」
「サヤカちゃんだけを責めるなんてできない」
「なんの話だ?」
「……サヤカちゃんを東高に呼んだのは、あたしなの」
「は?」
また、わけのわからない話が飛んできた。
「どういうことだよ」
「……あのね、あたし、あんたにはアサカのこと知らないって言ったけど、嘘ついてた。本当は友だちなの。大事な、一番の友だち」
コハルは心苦しそうに顔をしかめた。
「その繋がりで、サヤカちゃんともよく色んな話をしたわ。連絡先も、引っ越す前から知ってるのよね」
「なんだって」
「だから、あたしたちが引っ越してからもずっと、サヤカちゃんとは繋がってたの」
「そうだったのか……?」
「離れてると疎遠になっていくのよね。連絡を取らなくなった時期もあったわよ。でも、サヤカちゃんが中学三年生になったとき、また頻繁に連絡を取るようになってさ。受験の相談をされて。ショウジがどこの高校を受けるか聞かれたから、東高校に進学するつもりみたいって伝えたの。そしたらサヤカちゃん、『私も東高校を受験してみます』って張り切っちゃってさ」
「そんな。全然知らなかったぞ……。なんでサヤカはわざわざ東高を?」
「わからないの? あんたってホントに鈍いわよね」
厳しい目つきになると、コハルはいきなり僕を指さしてきた。
「あんたと同じ高校に通いたかったからに決まってるでしょうが」
「は? なんで……?」
首を傾げる僕に対し、コハルは小さくため息を吐く。
「後悔したくなかったんだと思う」
「後悔って。なんの後悔だ?」
「……サヤカちゃん、言ってたの。『ショウくんに思い出を忘れられたまま、終わらせたくなかった』って」
「僕に思い出を忘れられたまま……? サヤカは最初から知ってたのか。僕がなにも覚えてないこと」
「……そうよ」
しんみりとした口調になり、コハルは涙目になった。
ミートソースのいい香りが部屋に充満する。けれど、僕もコハルもなかなか食事に手を付けられなかった。
「わざわざ一人暮らししてまで僕と同じ高校に入るなんて……なんなんだよ、サヤカは」
入学式当日、キラキラした眼差しで僕に声を掛けてきたサヤカ。勝手に僕が進学する先を聞き出して。僕の許可なく教えるコハルも大概だぞ。
でも──別に嫌な気がしない自分自身にも驚きだ。
それに、最初からサヤカは僕に忘れられていたことを知ってたなんて。
「サヤカはなんで、僕に『久しぶり』なんて言ってきたんだろう」
「それは──」
コハルは眉を八の字にし、静かに言った。
「あたしの想像だけど、サヤカちゃんは受け入れられなかったんだと思うよ。幼なじみに、自分の存在を忘れられるなんて、かなりショックなことでしょう? だから『久しぶり』って声をかけた。もしかすると、ショウジが自分を覚えてくれてるんじゃないかって僅かな希望を持ってさ。でも、ショウジはサヤカちゃんとの過去をいまでも思い出せない。もしあんたが記憶を取り戻したら死ぬかもしれない。あの子は、ずっと葛藤してる。ショウジと再会してからも、親睦を深めてからも、そしていまも。ずっとずっと。思い出してほしいのに、思い出してほしくないって、迷っているの」
これまでにないほど、コハルの目は真剣だった。
──僕は途端に、確信してしまった。サヤカもコハルも、事実だけを話している。これまでのような嘘や誤魔化しなんて一切口にしていないんだ。
僕は、過去を思い出したら死ぬ。
サヤカとの思い出も、アサカとの過去も、そして事故当時のことも。僕が記憶を取り戻せば、脳が萎縮し、死に至る。奇病によって、殺されるんだ。
「なあ、コハル。僕が記憶を取り戻したらすぐ死んじゃうのか……?」
「ハッキリ言って、わからないわ。奇病は謎が多い病気なの。人によって症状が違うし、余命期間もバラバラ。でもね、奇病によって余命宣告されたら九九パーセントの確率で亡くなるっていう研究データもあるみたい」
「九九パーセント……」
その数値を思い浮かべ、頭がクラクラした。これがドラマや小説の世界なら、残りの一パーセントの可能性を信じて、主人公が無茶をするかもしれない。大切な人との大切な思い出を取り返すために、行動に移すのかもしれない。そして、奇跡が起こるのかもしれない。
けれど、僕はどこにでもいる普通の高校生だ。現実はそう甘くないってこともわかっている。死んでしまってはなにもかも「無」になって終わりだ。一パーセントの奇跡が起きるなんて、到底あり得ないんだ。
だから僕は、このまま全てを忘れたまま生きていこう。以前コハルが言っていたように、高校で出会ってからのサヤカとの思い出を新たに作っていけばいいんだ。
なぜ自分があんなにも必死に、サヤカたちのことを思い出そうとしていたのかよくわからない。なにか、「大切なもの」を探っていたような気がして──
いや。やめよう。それも思い出してはいけない。
「コハルはさ、アサカの親友なんだろ?」
僕が何げなく問いかけると、コハルはゆっくりと頷いた。また、泣きそうな顔をしている。
「コハルがクラリネットを続ける理由もわかった。アサカと思い出がつまってるからだよな」
「……そうね。その通り」
コハルは目を細め、消え入るような声で答えた。
二人が一緒にクラリネットを演奏している記憶は、残念ながら僕にはない。けれど、想像はできる。二人並んで楽しそうにクラを演奏する姿が。あたたかい木のぬくもりを感じられる音色で、爽快な曲を奏でているんだ。
「いつか二人で演奏してるのを聴いてみたいな。アサカもクラを続けてるのか?」
そうあってほしいという願いも込めた質問だった。だが、コハルは僕の問いかけに対し、首を大きく横に振った。
「ううん。アサカはもう、クラを吹けないよ」
「吹けない? どういうことだ?」
「だって、アサカは──」
事故の日に、死んじゃったから。
手を震わせながら無言で料理を続けた。皿の上にパスタを盛り付けてテーブルに運び、重い動作でフォークを僕に手渡したところでやっと口を開く。
「あたしにも……責任があるのよね」
「責任って?」
「サヤカちゃんだけを責めるなんてできない」
「なんの話だ?」
「……サヤカちゃんを東高に呼んだのは、あたしなの」
「は?」
また、わけのわからない話が飛んできた。
「どういうことだよ」
「……あのね、あたし、あんたにはアサカのこと知らないって言ったけど、嘘ついてた。本当は友だちなの。大事な、一番の友だち」
コハルは心苦しそうに顔をしかめた。
「その繋がりで、サヤカちゃんともよく色んな話をしたわ。連絡先も、引っ越す前から知ってるのよね」
「なんだって」
「だから、あたしたちが引っ越してからもずっと、サヤカちゃんとは繋がってたの」
「そうだったのか……?」
「離れてると疎遠になっていくのよね。連絡を取らなくなった時期もあったわよ。でも、サヤカちゃんが中学三年生になったとき、また頻繁に連絡を取るようになってさ。受験の相談をされて。ショウジがどこの高校を受けるか聞かれたから、東高校に進学するつもりみたいって伝えたの。そしたらサヤカちゃん、『私も東高校を受験してみます』って張り切っちゃってさ」
「そんな。全然知らなかったぞ……。なんでサヤカはわざわざ東高を?」
「わからないの? あんたってホントに鈍いわよね」
厳しい目つきになると、コハルはいきなり僕を指さしてきた。
「あんたと同じ高校に通いたかったからに決まってるでしょうが」
「は? なんで……?」
首を傾げる僕に対し、コハルは小さくため息を吐く。
「後悔したくなかったんだと思う」
「後悔って。なんの後悔だ?」
「……サヤカちゃん、言ってたの。『ショウくんに思い出を忘れられたまま、終わらせたくなかった』って」
「僕に思い出を忘れられたまま……? サヤカは最初から知ってたのか。僕がなにも覚えてないこと」
「……そうよ」
しんみりとした口調になり、コハルは涙目になった。
ミートソースのいい香りが部屋に充満する。けれど、僕もコハルもなかなか食事に手を付けられなかった。
「わざわざ一人暮らししてまで僕と同じ高校に入るなんて……なんなんだよ、サヤカは」
入学式当日、キラキラした眼差しで僕に声を掛けてきたサヤカ。勝手に僕が進学する先を聞き出して。僕の許可なく教えるコハルも大概だぞ。
でも──別に嫌な気がしない自分自身にも驚きだ。
それに、最初からサヤカは僕に忘れられていたことを知ってたなんて。
「サヤカはなんで、僕に『久しぶり』なんて言ってきたんだろう」
「それは──」
コハルは眉を八の字にし、静かに言った。
「あたしの想像だけど、サヤカちゃんは受け入れられなかったんだと思うよ。幼なじみに、自分の存在を忘れられるなんて、かなりショックなことでしょう? だから『久しぶり』って声をかけた。もしかすると、ショウジが自分を覚えてくれてるんじゃないかって僅かな希望を持ってさ。でも、ショウジはサヤカちゃんとの過去をいまでも思い出せない。もしあんたが記憶を取り戻したら死ぬかもしれない。あの子は、ずっと葛藤してる。ショウジと再会してからも、親睦を深めてからも、そしていまも。ずっとずっと。思い出してほしいのに、思い出してほしくないって、迷っているの」
これまでにないほど、コハルの目は真剣だった。
──僕は途端に、確信してしまった。サヤカもコハルも、事実だけを話している。これまでのような嘘や誤魔化しなんて一切口にしていないんだ。
僕は、過去を思い出したら死ぬ。
サヤカとの思い出も、アサカとの過去も、そして事故当時のことも。僕が記憶を取り戻せば、脳が萎縮し、死に至る。奇病によって、殺されるんだ。
「なあ、コハル。僕が記憶を取り戻したらすぐ死んじゃうのか……?」
「ハッキリ言って、わからないわ。奇病は謎が多い病気なの。人によって症状が違うし、余命期間もバラバラ。でもね、奇病によって余命宣告されたら九九パーセントの確率で亡くなるっていう研究データもあるみたい」
「九九パーセント……」
その数値を思い浮かべ、頭がクラクラした。これがドラマや小説の世界なら、残りの一パーセントの可能性を信じて、主人公が無茶をするかもしれない。大切な人との大切な思い出を取り返すために、行動に移すのかもしれない。そして、奇跡が起こるのかもしれない。
けれど、僕はどこにでもいる普通の高校生だ。現実はそう甘くないってこともわかっている。死んでしまってはなにもかも「無」になって終わりだ。一パーセントの奇跡が起きるなんて、到底あり得ないんだ。
だから僕は、このまま全てを忘れたまま生きていこう。以前コハルが言っていたように、高校で出会ってからのサヤカとの思い出を新たに作っていけばいいんだ。
なぜ自分があんなにも必死に、サヤカたちのことを思い出そうとしていたのかよくわからない。なにか、「大切なもの」を探っていたような気がして──
いや。やめよう。それも思い出してはいけない。
「コハルはさ、アサカの親友なんだろ?」
僕が何げなく問いかけると、コハルはゆっくりと頷いた。また、泣きそうな顔をしている。
「コハルがクラリネットを続ける理由もわかった。アサカと思い出がつまってるからだよな」
「……そうね。その通り」
コハルは目を細め、消え入るような声で答えた。
二人が一緒にクラリネットを演奏している記憶は、残念ながら僕にはない。けれど、想像はできる。二人並んで楽しそうにクラを演奏する姿が。あたたかい木のぬくもりを感じられる音色で、爽快な曲を奏でているんだ。
「いつか二人で演奏してるのを聴いてみたいな。アサカもクラを続けてるのか?」
そうあってほしいという願いも込めた質問だった。だが、コハルは僕の問いかけに対し、首を大きく横に振った。
「ううん。アサカはもう、クラを吹けないよ」
「吹けない? どういうことだ?」
「だって、アサカは──」
事故の日に、死んじゃったから。
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