【完結】僕は君を思い出すことができない

朱村びすりん

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第四章

31・サヤカの事情

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 サヤカは僕の顔をじっと見つめてきた。彼女の海色の目は、出会った頃よりも濃い水色に変化している気がする。

「ショウくんの、言う通りだね」
「なにが?」
「死んじゃったら全部『無』になる。意識も、記憶も、思い出も。なにもかもなくなっちゃうんだよね」

 ひとつひとつの単語を強調するように、彼女はそう言った。
 彼女の言葉の意図が汲み取れない。僕がなにげなく返したことに、サヤカはなにか深い意味を感じているのだろうか。
 サヤカは、体を丸めるろこの頭をそっと撫でる。

「だからもう、これ以上はなにも話したくない」
「……え?」

 思いがけない話に、僕は言葉に詰まる。

「どうしたんだよ、サヤカ。まだ、全部教えてくれてないだろ?」
「……うん」
「さっき言ってたよな? 約束がどうのって。なんの約束なんだ?」
「……それは、私たち三人が交わした約束のことだよ。言ったでしょう? 約束を思い出すべきか。ショウくんの命を優先にすべきなのかって。そんなの、考えなくてもわかる。私、ショウくんには生きてほしい。だからもう、思い出を話すのはやめる」
「まさか、うちの母親に言われたからか? 僕とサヤカがいたら、いつか僕が記憶を取り戻して奇病のせいで死ぬかもしれないからって。母親から僕に関わるなって言われたんだろ!」

 思わず大きな声を出してしまった。驚いたろこは目をぱっちりと開けて、イカ耳になって僕を見ている。
 ごめん、ろこ。僕はしばらく冷静になれそうにない。

 これまでの母とのやり取りを思い返す。母は、サヤカの話になるとたびたび不機嫌になっていた。彼女のことを知っているのに「知らない」ととぼけていた。
 奇病が原因で、失った記憶を取り戻すと脳が萎縮して、死に至るかもしれない──それを心配した母が、サヤカに「ショウジと関わらないで」と忠告をした。たぶんそれは、朝に駅で僕が二人を見かけたタイミングだろう。
 サヤカは頷きもしなかったが、気まずそうな顔を見ればわかる。僕の予想は合っている。

「うちの母親の話なら気にしなくていいからな。僕は答えを出した。奇病なんて怖くない。こんなに僕はピンピンしてるんだ。大丈夫だよ」
「違う……ショウくんが思ってる以上に、奇病は厄介なの。それに、私は『答え』を出してなかったんだよ。中途半端な考えのまま、ショウくんと再会したのがいけなかった。高校も一緒じゃなければよかったのに。家も、遠いままの方がよかったんだよ。わがままな私が悪いの。奇病のことをよく理解してなかった私が……」
「……? なに言ってんだよ、サヤカ?」

 僕が顔を覗き込んでも、サヤカは目を合わせてくれない。眉を落とし、目にたまる悲しみの雫を必死に抑えている。

「だったら、ひとつだけ教えてくれ」
「……なに?」
「アサカは、いま、どうしてる? いつ頃帰ってくるんだ」

 サヤカが話してくれないのなら、僕自身でどうにかするしかない。面倒見が良くて優しいアサカなら、全部教えてくれるかも。会って、話がしたい。
 安易に、僕はそう考えていた──でも、それは大きな間違いだったんだ。

 ゆっくりと首を横に振ると、サヤカは切ない表情を浮かべる。

「アサカお姉ちゃんには、会えないよ」
「なんで? 帰ってこないのか?」
「帰ってこないよ。この家には、私だけ……ううん、私とろこだけしか住んでないもの」

 サヤカが、家族と暮らしていない?
 また想像もしてなかったことを返された。

「ショウくん、気づかない? この家、狭いでしょう? 生活部屋はここだけだよ。あとはダイニングキッチンがあるだけ。部屋にも、私とろこのものしか置いてない」

 そう言われ、僕は室内を見回した。
 言われてみれば。
 部屋には若い女の子が好きそうな可愛い小物ばかりだし、部屋の隅にキャットタワーやろこ用のトイレや爪研ぎ場、フードボールがあるのに、他の家族が使いそうなものは一切ない。
 最初にサヤカの家に上がったときは緊張のせいで室内をしっかり見る余裕なんてなかった。だから、部屋数なんて全く把握してなかった。まさか、生活部屋がこの一室だけなんて。
 思えば外観はずいぶんとこじんまりとした印象はあったが。

「なんでサヤカは一人暮らしをしてるんだ?」
「えっと……。東高に通うためだよ」
「東高に?」
「うん。ほら、私が前住んでたところってS県なの。北小の近くで。ショウくんならわかるよね? そこから東高に通うには、都内を通ってK県まで行かなきゃいけない。電車でも一時間半以上かかるから、私だけこっちに引っ越してきたの」

 サヤカは早口になってそう説明したが、なんだか腑に落ちない。
 北小はS県にあって、サヤカの実家はその近くにあるのだろう。そこから東高に通うとしたらたしかに通学が大変だ。
 だけど、東高校は偏差値五十ほどで、どこにでもある普通の学校。なにかの部活の強豪校でそこに入部するためというならわかるが、サヤカは部活にも入ってない。彼女がわざわざ家族と離れて暮らしてまで東高に通う意味がわからなかった。
 僕が、そのわけを彼女に問いかけようとしたとき──

「……うっ……」

 まただ。また、あの頭痛が襲ってきた。
 耳の奥の方で、高い音も鳴っている。
 薬の効果がもう切れたってのか……?

 いま僕が頭痛に苦しんでいるところをサヤカに見られるのはまずい。どうにか、平静を装うんだ。
 口を噤み、目をギュッと閉じ、僕は痛みにじっと堪えた。
 早く、治まれ。治まれ……。
 僕が必死に心の中で叫んでいる、その折だ。

 ──ショウくん──

 頭の中に「なにか」がよぎった。幻聴なのだろうが、この「なにか」は頭痛と共に聞こえてくる。

 ──会いに、来ないでね──
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