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第四章
29・僕たちの思い出①
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深呼吸してから、サヤカはまっすぐ僕の目を見た。
「ショウくん。やっぱりやめよう。これ以上の話は……」
「やめるって? なんでだよ? サヤカまで僕に隠し事か」
「私だって迷ってる。でも、言わない方がいいのかもって思うの。昨日の朝、ショウくんのお母さんと駅でたまたま会って……止められたから」
「え……?」
「嘘ついてごめんね。本当は私、小学生の頃からショウくんのお母さんを知ってる。お母さんも私を知ってるし」
──ああ、やっぱり。
サヤカが認めてくれたおかげで、僕の中に居座り続けていた疑念はなくなった。なぜか、全然すっきりしないけれど。
「学校行く途中に、お母さんに呼び止められたの。『松谷サヤカちゃんですか?』って。すぐにショウくんのお母さんだってわかったよ。お母さん、すごく心配してた。ショウくんのこと。私といるといつか記憶を取り戻して、死んじゃうんじゃないかって。……私はその話をされたとき、最初は受け入れられなかったの。奇病について知ってたのに、ショウくんのそばにいたかったから、私は現実から目を逸らしてたんだよ」
サヤカは歯を食いしばり、身体を震わせた。
「でも、それは間違いだったんだって思い知らされた」
「どういうことだ?」
「だって……ショウくん。昨日、倒れたんでしょ? 一晩入院したって、お母さんから聞いたよ……」
サヤカの話に、僕は目を見開いた。
──もしかして、僕が倒れたあとに母が「急用」でいなくなったのは、サヤカと話をするためだったのか。
まさか。彼女に知らせていたなんて。
どうにか言葉を探し出し、僕は震えながら答えた。
「いや、たしかに昨日は頭痛がして……ちょっとだけ病院に世話になった。でも、サヤカのせいじゃない」
「激しい頭痛がしたんだよね。気を失うくらいの強い痛みが。きっと私との過去を、ショウくんが無意識のうちに思い出そうとしてるの。だから脳が萎縮して──」
「サヤカ、落ち着いて」
「落ち着けるわけない。私、ショウくんには死んでほしくないの」
「僕は死なないよ」
「そんなのわからない。望みだけじゃ、生きていけないんだよ!」
サヤカの息は、だんだん上がっていく。目に涙を浮かべ、いまにもこぼれ落ちそうだ。
ダメだ。そんな顔しないでくれ。
僕の身体は、勝手に彼女のそばに寄っていった。
それから、サヤカの全身を抱き寄せた──
膝の上にいるろこがビックリしたように小さな声で「みゃ」と鳴くが、どく気はないらしい。僕はろこを潰さないように、優しく抱き締める。
「ショウ……くん……?」
「大丈夫だよ、サヤカ。僕は奇病なんて、怖くない。それよりも大切なことを忘れてしまっている方が怖いんだ」
「……そんなの、嘘」
「どうか、教えてくれないかな。サヤカと僕の思い出を。思い出せないかもしれないけど、知りたいんだ」
彼女はおもむろに、僕の身を抱き返した。
「それが、ショウくんの答えなの……?」
「そうだよ」
束の間の沈黙。室内には、ろこがゴロゴロと喉を鳴らす音だけが小さく響いた。
やがて、サヤカは落ち着いた声でこう言った。
「思い出してくれなくて、いいからね」
そう言って、彼女は『僕たちの思い出』をゆっくりと語りだした──
◆
僕とサヤカは、北小学校で出会った。一年生から同じクラスになって、家が近かったこともあり、家族ぐるみですぐに仲良くなったようだ。登下校は毎日一緒で、サヤカの姉──四歳年上のアサカと三人でよく通学路を共にしていたそうだ。
アサカは面倒見がいい女の子で、実の妹のサヤカだけでなく、僕のこともよく気にかけてくれていたという。アサカは、僕の姉のコハルとも仲がよかったらしい。二人は学年も同じで、打ち解けるのに時間はかからなかった。
僕はその話を聞いて、違和感を覚える。
「僕の姉とアサカは、仲がよかったのか?」
「うん」
「……コハルの奴。アサカのことを訊いたら『知らない』なんて言ったんだぞ」
「それは」
僕の話に、サヤカは複雑そうな表情を浮かべた。
「コハルお姉さんも、ショウくんを守ろうとしてたんだよ」
「守ろうとしてた? まさか、奇病から……?」
「そう。もしコハルお姉さんが私のお姉ちゃんのこと知ってるって正直に認めたら、ショウくんは絶対問い詰めるでしょ?」
「それは──」
たしかに。そうだな……。
「コハルお姉さん、心苦しかったと思う。あれだけ仲良しだったのに、アサカお姉ちゃんの存在を否定しなきゃいけなかったんだから」
「あれだけって。二人はどれだけ仲良かったんだ?」
「私の目から見たら、一番の友だち。親友っていう関係に見えた」
「そんなに……?」
「アサカお姉ちゃんね、いつもコハルお姉さんの話してたよ。同じクラスになった年は大喜びして報告してきたし、よく家にコハルお姉さんを呼んでたし」
「……そうなのか」
「それに」
サヤカは遠くを見ながら、懐かしむような声でこう語った。
「アサカお姉ちゃんは、コハルお姉さんに憧れてクラリネットをはじめたんだよ」
「……え?」
僕の心臓がドキッと音を立てた。
「コハルに憧れて?」
「コハルお姉さんって小学生のときからクラリネットを続けてるでしょ? アサカお姉ちゃんはいつもコハルお姉さんを応援してたよ。演奏会も聴きに行ったみたい。それで、自分もクラリネットをはじめたくなったんだろうね。コハルお姉さんがクラリネットを吹き始めて半年後に、アサカお姉ちゃんもやり出したの。中学生になったら吹奏楽部に入って、二人してクラリネット奏者になってさ。ホント、仲良しだよね!」
サヤカは嬉しそうに語り紡ぐが、その瞳の奥はどこか切ない。
全然、知らなかった。コハルにそんな相手がいたなんて──
いや、それとも、僕が思い出せないだけなんじゃないか。
姉の親友でもあり、サヤカの姉であり、僕を幼い頃から知っている松谷アサカ。
彼女のことを、もっと知りたい。思い出せなくてもいいから、知りたいと強く思った。
「ショウくん。やっぱりやめよう。これ以上の話は……」
「やめるって? なんでだよ? サヤカまで僕に隠し事か」
「私だって迷ってる。でも、言わない方がいいのかもって思うの。昨日の朝、ショウくんのお母さんと駅でたまたま会って……止められたから」
「え……?」
「嘘ついてごめんね。本当は私、小学生の頃からショウくんのお母さんを知ってる。お母さんも私を知ってるし」
──ああ、やっぱり。
サヤカが認めてくれたおかげで、僕の中に居座り続けていた疑念はなくなった。なぜか、全然すっきりしないけれど。
「学校行く途中に、お母さんに呼び止められたの。『松谷サヤカちゃんですか?』って。すぐにショウくんのお母さんだってわかったよ。お母さん、すごく心配してた。ショウくんのこと。私といるといつか記憶を取り戻して、死んじゃうんじゃないかって。……私はその話をされたとき、最初は受け入れられなかったの。奇病について知ってたのに、ショウくんのそばにいたかったから、私は現実から目を逸らしてたんだよ」
サヤカは歯を食いしばり、身体を震わせた。
「でも、それは間違いだったんだって思い知らされた」
「どういうことだ?」
「だって……ショウくん。昨日、倒れたんでしょ? 一晩入院したって、お母さんから聞いたよ……」
サヤカの話に、僕は目を見開いた。
──もしかして、僕が倒れたあとに母が「急用」でいなくなったのは、サヤカと話をするためだったのか。
まさか。彼女に知らせていたなんて。
どうにか言葉を探し出し、僕は震えながら答えた。
「いや、たしかに昨日は頭痛がして……ちょっとだけ病院に世話になった。でも、サヤカのせいじゃない」
「激しい頭痛がしたんだよね。気を失うくらいの強い痛みが。きっと私との過去を、ショウくんが無意識のうちに思い出そうとしてるの。だから脳が萎縮して──」
「サヤカ、落ち着いて」
「落ち着けるわけない。私、ショウくんには死んでほしくないの」
「僕は死なないよ」
「そんなのわからない。望みだけじゃ、生きていけないんだよ!」
サヤカの息は、だんだん上がっていく。目に涙を浮かべ、いまにもこぼれ落ちそうだ。
ダメだ。そんな顔しないでくれ。
僕の身体は、勝手に彼女のそばに寄っていった。
それから、サヤカの全身を抱き寄せた──
膝の上にいるろこがビックリしたように小さな声で「みゃ」と鳴くが、どく気はないらしい。僕はろこを潰さないように、優しく抱き締める。
「ショウ……くん……?」
「大丈夫だよ、サヤカ。僕は奇病なんて、怖くない。それよりも大切なことを忘れてしまっている方が怖いんだ」
「……そんなの、嘘」
「どうか、教えてくれないかな。サヤカと僕の思い出を。思い出せないかもしれないけど、知りたいんだ」
彼女はおもむろに、僕の身を抱き返した。
「それが、ショウくんの答えなの……?」
「そうだよ」
束の間の沈黙。室内には、ろこがゴロゴロと喉を鳴らす音だけが小さく響いた。
やがて、サヤカは落ち着いた声でこう言った。
「思い出してくれなくて、いいからね」
そう言って、彼女は『僕たちの思い出』をゆっくりと語りだした──
◆
僕とサヤカは、北小学校で出会った。一年生から同じクラスになって、家が近かったこともあり、家族ぐるみですぐに仲良くなったようだ。登下校は毎日一緒で、サヤカの姉──四歳年上のアサカと三人でよく通学路を共にしていたそうだ。
アサカは面倒見がいい女の子で、実の妹のサヤカだけでなく、僕のこともよく気にかけてくれていたという。アサカは、僕の姉のコハルとも仲がよかったらしい。二人は学年も同じで、打ち解けるのに時間はかからなかった。
僕はその話を聞いて、違和感を覚える。
「僕の姉とアサカは、仲がよかったのか?」
「うん」
「……コハルの奴。アサカのことを訊いたら『知らない』なんて言ったんだぞ」
「それは」
僕の話に、サヤカは複雑そうな表情を浮かべた。
「コハルお姉さんも、ショウくんを守ろうとしてたんだよ」
「守ろうとしてた? まさか、奇病から……?」
「そう。もしコハルお姉さんが私のお姉ちゃんのこと知ってるって正直に認めたら、ショウくんは絶対問い詰めるでしょ?」
「それは──」
たしかに。そうだな……。
「コハルお姉さん、心苦しかったと思う。あれだけ仲良しだったのに、アサカお姉ちゃんの存在を否定しなきゃいけなかったんだから」
「あれだけって。二人はどれだけ仲良かったんだ?」
「私の目から見たら、一番の友だち。親友っていう関係に見えた」
「そんなに……?」
「アサカお姉ちゃんね、いつもコハルお姉さんの話してたよ。同じクラスになった年は大喜びして報告してきたし、よく家にコハルお姉さんを呼んでたし」
「……そうなのか」
「それに」
サヤカは遠くを見ながら、懐かしむような声でこう語った。
「アサカお姉ちゃんは、コハルお姉さんに憧れてクラリネットをはじめたんだよ」
「……え?」
僕の心臓がドキッと音を立てた。
「コハルに憧れて?」
「コハルお姉さんって小学生のときからクラリネットを続けてるでしょ? アサカお姉ちゃんはいつもコハルお姉さんを応援してたよ。演奏会も聴きに行ったみたい。それで、自分もクラリネットをはじめたくなったんだろうね。コハルお姉さんがクラリネットを吹き始めて半年後に、アサカお姉ちゃんもやり出したの。中学生になったら吹奏楽部に入って、二人してクラリネット奏者になってさ。ホント、仲良しだよね!」
サヤカは嬉しそうに語り紡ぐが、その瞳の奥はどこか切ない。
全然、知らなかった。コハルにそんな相手がいたなんて──
いや、それとも、僕が思い出せないだけなんじゃないか。
姉の親友でもあり、サヤカの姉であり、僕を幼い頃から知っている松谷アサカ。
彼女のことを、もっと知りたい。思い出せなくてもいいから、知りたいと強く思った。
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