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第一章
3・松谷サヤカという少女
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高校生活一日目が無事に終わった。
早速、今朝のことを彼女に謝らなければ。『本当は君のことを覚えてないんだ』『君は誰なの?』
うん。正直にそう言おう。
「ショウくん」
ホームルームが終わってすぐ、先に声をかけてきたのはサヤカの方だった。
「連絡先、教えてくれない?」
「えっ」
「せっかく同じ高校に入って同じクラスになれたんだもの。これからも仲良くしたいな」
サヤカはスマートフォンを片手に「お願い」と、笑顔を向けてきた。彼女の綺麗な瞳が、僕の顔をじっと捉え続ける。
僕の胸が、ドキッと音を立てた。サヤカに見つめられるほど、鼓動が早くなっていく。
待て待て。連絡先を交換してる場合じゃないんだよ。さっきの発言を撤回しないといけないんだぞ……。
内心、僕が慌てふためいているなどと知る由もなく、彼女はサッとスマートフォンをこちらに向けてきた。画面には、連絡先コードが表示されている。
「これ、読み込んで」
「あ……はい」
言われるがまま僕はサヤカの連絡先を読み取り、アプリの中に登録した。「松谷サヤカ」と表示される彼女のホーム画面。アイコンは可愛らしい茶色い猫だった。
マツタニ……松谷サヤカ。
やっぱり、こんな名前の子、記憶にはないな。
「ありがと。これからもよろしくね。若宮ショウジくん!」
僕のメッセージアプリのホーム画面を見ながら、サヤカは声を弾ませた。
なんだよ、改まった呼びかたをして……。
というか、なにちゃっかりと連絡先を交換しているんだ僕は。こんなことしてる場合じゃないって言っただろ。
出会ってまだ数時間しか経っていないのに、完全に彼女のペースにのまれている気がする。
そんな僕の懸念に気づきもせず、サヤカは荷物を持って笑顔で手を振った。
「それじゃあ私、帰るね」
「あ、あの」
「ん? なに?」
言え。いまこそ。「君、誰?」たったひとこと言うだけでいいんだよ。
「いや……なんでも。またな」
「うん! また明日」
満足げに、サヤカは教室を後にした。他のクラスメイトたちも続々と外へ出て行く。
僕は鞄を持ったまま机の前で茫然と立ち尽くしていた。
バカか、僕は。なにやってるんだ。
あの子が誰なのか、結局わからなかった。言い出せなかった。僕と似たような瞳の色といい、白鳥先生の件といい、彼女の「勘違い」で片づけられるような話じゃないのに。
いや……焦るな。まだ初日だろ。明日にでもタイミングを見計らって、正直に話すんだ。ちょっとずつ探りも入れて、チャンスがあればなにか思い出せるかもしれないし。
完全に謝る機会を逃しているというのに、僕は頭の中でごちゃごちゃ考えるばかり。
だけど……サヤカと連絡先を交換できたのは、ちょっと嬉しい。
「……帰ろ」
浮かれている自分に言い聞かせるように、僕はひとりごちる。
鞄を肩にかけ、教室から出ようとすると。
「おーい、ショウジ!」
威勢のいい、バリトン声が響いた。教室のドアの向こうで顔を覗かせたのは、小五からの友人、ユウトだった。
ユウトはネクタイを緩め、ブレザーのボタンを全て外した状態だ。高校生活初日だというのに、制服を見事に着崩しているじゃないか。地毛が濃茶ということもあり、パッと見た感じ不良に見えなくもない。
でもユウトはすごくいい奴で気さくで、どんなことに対してもポジティブだ。明るい性格のユウトに、僕はいつも励まされている。
「一緒に帰ろうぜ!」
「そうだな」
家が近い僕たちは、自然と帰路を共にする。
教室を出たタイミングで、何やらユウトはニヤニヤしながら肩を組んでくるんだ。
「で、誰なんだ?」
「……誰って?」
「おいおい、とぼけんなよ! 可愛い女の子と連絡先交換してたよなぁ!」
うわ、マジか。サヤカとのやり取りを見られてたのかよ。
「ショウジ。お前、隅に置けない奴だな。入学早々、女の子とイチャイチャしやがって」
「はあ? そんなんじゃない。彼女は──」
と、言いかけたところで次の言葉が出てこない。
うん? これはどう説明したらいいものか。
彼女の話によれば、おそらく北小の同級生だ。でも、僕は彼女のことを一切覚えていない。
この状況で「小学校からの知り合いなんだ」と説明するのは違和感がある。
僕が考え込んでいると、ユウトが怪訝な顔をした。
「どうしたんだよ? まさか、俺に言えないような関係なのか!?」
「いや。そういうわけじゃない」
じゃあどういうわけなんだよ! と、ユウトはまくし立ててくる。
僕は考えた。サヤカの件を、ユウトに相談してみてもいいんじゃないかと。
小五で僕が引っ越したとき、転校先で一番最初に友だちになってくれたユウト。いつの間にか一緒にいるのが当たり前になっていて、なにかあればいつだって気軽に相談し合える。僕が進路で悩んでいるときも「悩みすぎるな」「俺と同じ高校を目指そうぜ」と言ってくれて、ずいぶんと気持ちが楽になったものだ。
僕が転校後に友人になった中で、入院した経験があるのを知っているのは、ユウトだけ。なんでも話せる相手なんだ。
いざというときは真面目に相談に乗ってくれる彼になら、話してもいい。それに、一人で彼女に対してモヤモヤし続けているのは堪えられないと思う。
ユウトの目をじっと見つめ、僕は事の説明をはじめた。
ホームルームが始まる前にサヤカが「久しぶり」と声をかけてきたこと。なぜか僕の小学校の頃のあだ名を知っていたこと。入院中お世話になった白鳥先生の名前を口にしていたこと。僕の瞳は紫色、そして彼女は海色の目をしていること。共通点があるのに、「松谷サヤカ」なんて知り合いは僕の記憶の中にはないこと。
相槌を打ちながら話を聞いていたユウトは、神妙な面持ちになった。
下駄箱でそれぞれ上履きからローファーに履き替える。昇降口を出て、あたたかい風に当たりながら校門から抜け出した。
「ユウトは、松谷サヤカっていう子、知らないよな?」
「うーん。知らねぇな」
やっぱり。
サヤカは北小出身である可能性がさらに上がった。ほぼ確定と言ってもいい。
一歩前進したように思えるが、出身校以外の情報はない。
僕の隣で、ユウトはううんと低く唸った。
「なんかそのサヤカって子、怪しくね?」
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