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第五章
助けてくれたのは
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けれども、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。どうにかして水中から脱出しないと、息が保たなくなる……!
水の底に両手も伸ばしても、全く届かなかった。側面の岩石を掴みたいのに、今の体勢じゃそれも無理だ。どうしようもない。
僕の腰を掴むユナの手が震えている。持ち上げようとしてくれているみたいだけど、見た目よりも川の流れが強いせいかビクともしないんだ。
ああ……本当に、まずい。苦しいのを通り越して気持ち悪くなってきた。
僕の名を叫ぶユナの声と、途切れることのない犬の鳴き声が耳までかすかに伝ってくる。
全身が強張り、徐々に力が抜けてきた。目が勝手に閉じてしまい、もはや何もすることができなくなってしまった。
ウソって言ってくれよ。こんなところで終わるのか? 手術もリハビリも、あれだけ頑張ったのに。これからもっともっと歩けるようになれるはずだったのに。こんな中途半端に終わったら、何もかも無駄になるじゃないか。
人生の最後って、こんなにあっさりしたものなのかよ。逆に笑える……。
意識の奥底で僕が嘆いていると──突如、太い腕に両脇を掴まれた感覚がした。とても強い力で僕の全身をしっかりと引っ張るんだ。
身体がゆっくりと、確実に、水面側に上がっていく。
なんだ、どうなってるんだ……?
僕が混乱しているうちに、あっという間に水上へと脱することができた。
水を少し飲み込んだせいで、吐きそうになるほどむせてしまう。それから、酸素を一気に体内に取り入れようと深く深く呼吸をした。
上半身がビショビショになっていたけれど、もうそんなのどうでもいい。
助かったんだ……。
呼吸が安定したあと、倒れ込んだまま周囲を見回してみる。すると、すぐ目の前にユナが泣きそうな顔でこちらを見つめる姿があった。
「コウ君、大丈夫!?」
「あ、ああ」
「顔、怪我してるよ……!」
「マジで?」
そういえば溺れたとき、右頬辺りに固いものがぶつかったよな。そっと顔に触れてみると、血が手に付着した。
いや、僕のことはいい。
ユナの服も濡れているじゃないか。それを目にして、とても申し訳ない気持ちになった。
「ごめん、ユナ……助けてくれたのか?」
「うん……でも私だけの力じゃ無理だった。あいつが、助けてくれたの」
眉を八の字にしながら、ユナは川の流れていく方向を見やった。それにつられるように、僕もユナの視線の先を確認する。
すると少し距離を置いた場所にあいつが──関がいたんだ。
……まさか、そういうことなのか?
信じられなくて、僕は目を見張る。
関は犬と一緒に畔で川の方を見渡していた。何かを探しているような素振りだ。
しばらくしないうちに「あった」と呟き、前屈みになりながら川の間にある岩に手を伸ばした。何かを掴み取ると、ゆっくりとこちらに戻ってくる。
でも、決していい雰囲気とは言えない。
関はものすごい形相で睨みつけてくるんだ。僕の目の前に立つと、握り拳を勢いよく掲げた。
僕は咄嗟に、身構える。
でも関はパッと手を広げると、あるものを差し出してきた。
「これだろ? 川に落としたもの」
僕の目の前には、たった今川に落としてしまったはずの猫とクローバーのお守りがあった。
──なんだこの状況。まさか、こいつが拾ってくれたのか?
戸惑いながらも、僕は力を入れて上体を起こし、関からお守りを受け取った。
何がなんだか分からないけれど、ちゃんと言うべきことは言わないとな……。
「あの、ありがとう」
ぎこちなく、僕は関に向かって頭を下げた。
だけど関は、機嫌が悪そうに舌打ちをする。眉間にしわを寄せ、怒りを込めた口調になった。
「バカ野郎、おめぇ死にてぇのかよ!」
耳が痛くなるほどの大声だった。関の犬も怯むくらいの迫力。
僕は唖然としてしまい、何も答えられなかった。
普段ならすぐさま言い返すユナでさえも、目を見開いて固まっている。
それでも関の勢いは止まらない。
「だから調子に乗るなって言ったんだよ! お前、たしか退院したばかりなんだろ? なんで子供だけで外出してんだよっ。しかもこんな川辺まで来るなんて。危険な真似しやがって、身の程を知れ!!」
ほぼ息継ぎなしで、関は顔を真っ赤にした。
口調はとんでもなく乱暴だ。だけど──彼の言うことは正しい。
僕たちが二人だけで出かけるのは、とても無謀だったんだ。
「お前ら、さっさと親と連絡取れよ」
「……いや、僕たち、スマホを持ってないんだ」
「はぁ? 連絡手段もないのにノコノコこんなところまで歩いてきやがったのか」
大きなため息を吐き、関はズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。それをサッとユナに手渡す。
でも、ユナはキョトンとしたまま。
「え……何?」
「何、じゃねえよ。てめえらの親に今すぐ電話しろ。こいつ、溺れたんだぞ? 顔に怪我もしてんだぞ! 病院に連れていかなきゃならねぇだろうが」
「わ、分かったわよ……」
ユナは慌てたように、関のスマートフォンを使って僕たちの家に電話をかけた。
僕が呆然とする中、関の犬がこちらに近づいてきて、突然顔面をペロペロと舐めてきた。
くすぐったい……。水でビショビショだった顔周りが、いい感じに拭われていく。その代わり、よだれがとんでもないことになってるけれど。
僕がのんきに考えていると、この光景を見た関が焦った様子で止めに入る。
「おい、待て! こいつ、ほっぺに怪我してんだ。あんまり舐めるなよ?」
犬はすぐに僕から離れると、今度は関の頬を舐めはじめた。彼は見たこともないほど嬉しそうな表情を浮かべる。
僕はそんな彼の顔をじっと見つめた。
──まさか、僕たちのことが心配になって、わざわざ引き返しにきたのか?
クラスの寄せ書きに雑な文字で書かれていた「がんばれ」と言うメッセージも、ちゃんと関自身の言葉だったのか……?
分からない。分からないけれど──愛犬と戯れる関の姿は、今まで僕が見てきた彼とはまるで違う。
僕を助けてくれたのだって事実だ。
目が滲み、どうにかして声を絞り出した。
「ごめんな。ありがとう……本当に、ありがとう」
僕の気持ちを受け取った関は、肩をすくめた。
「もう、これからは調子乗るんじゃねぇぞ」
──その日、僕は初めて関の本心を聞いた。だからと言って、今までされてきたことは許せない。
だけど、彼との関係が変わる大きなきっかけとなったのには間違いなかった。
水の底に両手も伸ばしても、全く届かなかった。側面の岩石を掴みたいのに、今の体勢じゃそれも無理だ。どうしようもない。
僕の腰を掴むユナの手が震えている。持ち上げようとしてくれているみたいだけど、見た目よりも川の流れが強いせいかビクともしないんだ。
ああ……本当に、まずい。苦しいのを通り越して気持ち悪くなってきた。
僕の名を叫ぶユナの声と、途切れることのない犬の鳴き声が耳までかすかに伝ってくる。
全身が強張り、徐々に力が抜けてきた。目が勝手に閉じてしまい、もはや何もすることができなくなってしまった。
ウソって言ってくれよ。こんなところで終わるのか? 手術もリハビリも、あれだけ頑張ったのに。これからもっともっと歩けるようになれるはずだったのに。こんな中途半端に終わったら、何もかも無駄になるじゃないか。
人生の最後って、こんなにあっさりしたものなのかよ。逆に笑える……。
意識の奥底で僕が嘆いていると──突如、太い腕に両脇を掴まれた感覚がした。とても強い力で僕の全身をしっかりと引っ張るんだ。
身体がゆっくりと、確実に、水面側に上がっていく。
なんだ、どうなってるんだ……?
僕が混乱しているうちに、あっという間に水上へと脱することができた。
水を少し飲み込んだせいで、吐きそうになるほどむせてしまう。それから、酸素を一気に体内に取り入れようと深く深く呼吸をした。
上半身がビショビショになっていたけれど、もうそんなのどうでもいい。
助かったんだ……。
呼吸が安定したあと、倒れ込んだまま周囲を見回してみる。すると、すぐ目の前にユナが泣きそうな顔でこちらを見つめる姿があった。
「コウ君、大丈夫!?」
「あ、ああ」
「顔、怪我してるよ……!」
「マジで?」
そういえば溺れたとき、右頬辺りに固いものがぶつかったよな。そっと顔に触れてみると、血が手に付着した。
いや、僕のことはいい。
ユナの服も濡れているじゃないか。それを目にして、とても申し訳ない気持ちになった。
「ごめん、ユナ……助けてくれたのか?」
「うん……でも私だけの力じゃ無理だった。あいつが、助けてくれたの」
眉を八の字にしながら、ユナは川の流れていく方向を見やった。それにつられるように、僕もユナの視線の先を確認する。
すると少し距離を置いた場所にあいつが──関がいたんだ。
……まさか、そういうことなのか?
信じられなくて、僕は目を見張る。
関は犬と一緒に畔で川の方を見渡していた。何かを探しているような素振りだ。
しばらくしないうちに「あった」と呟き、前屈みになりながら川の間にある岩に手を伸ばした。何かを掴み取ると、ゆっくりとこちらに戻ってくる。
でも、決していい雰囲気とは言えない。
関はものすごい形相で睨みつけてくるんだ。僕の目の前に立つと、握り拳を勢いよく掲げた。
僕は咄嗟に、身構える。
でも関はパッと手を広げると、あるものを差し出してきた。
「これだろ? 川に落としたもの」
僕の目の前には、たった今川に落としてしまったはずの猫とクローバーのお守りがあった。
──なんだこの状況。まさか、こいつが拾ってくれたのか?
戸惑いながらも、僕は力を入れて上体を起こし、関からお守りを受け取った。
何がなんだか分からないけれど、ちゃんと言うべきことは言わないとな……。
「あの、ありがとう」
ぎこちなく、僕は関に向かって頭を下げた。
だけど関は、機嫌が悪そうに舌打ちをする。眉間にしわを寄せ、怒りを込めた口調になった。
「バカ野郎、おめぇ死にてぇのかよ!」
耳が痛くなるほどの大声だった。関の犬も怯むくらいの迫力。
僕は唖然としてしまい、何も答えられなかった。
普段ならすぐさま言い返すユナでさえも、目を見開いて固まっている。
それでも関の勢いは止まらない。
「だから調子に乗るなって言ったんだよ! お前、たしか退院したばかりなんだろ? なんで子供だけで外出してんだよっ。しかもこんな川辺まで来るなんて。危険な真似しやがって、身の程を知れ!!」
ほぼ息継ぎなしで、関は顔を真っ赤にした。
口調はとんでもなく乱暴だ。だけど──彼の言うことは正しい。
僕たちが二人だけで出かけるのは、とても無謀だったんだ。
「お前ら、さっさと親と連絡取れよ」
「……いや、僕たち、スマホを持ってないんだ」
「はぁ? 連絡手段もないのにノコノコこんなところまで歩いてきやがったのか」
大きなため息を吐き、関はズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。それをサッとユナに手渡す。
でも、ユナはキョトンとしたまま。
「え……何?」
「何、じゃねえよ。てめえらの親に今すぐ電話しろ。こいつ、溺れたんだぞ? 顔に怪我もしてんだぞ! 病院に連れていかなきゃならねぇだろうが」
「わ、分かったわよ……」
ユナは慌てたように、関のスマートフォンを使って僕たちの家に電話をかけた。
僕が呆然とする中、関の犬がこちらに近づいてきて、突然顔面をペロペロと舐めてきた。
くすぐったい……。水でビショビショだった顔周りが、いい感じに拭われていく。その代わり、よだれがとんでもないことになってるけれど。
僕がのんきに考えていると、この光景を見た関が焦った様子で止めに入る。
「おい、待て! こいつ、ほっぺに怪我してんだ。あんまり舐めるなよ?」
犬はすぐに僕から離れると、今度は関の頬を舐めはじめた。彼は見たこともないほど嬉しそうな表情を浮かべる。
僕はそんな彼の顔をじっと見つめた。
──まさか、僕たちのことが心配になって、わざわざ引き返しにきたのか?
クラスの寄せ書きに雑な文字で書かれていた「がんばれ」と言うメッセージも、ちゃんと関自身の言葉だったのか……?
分からない。分からないけれど──愛犬と戯れる関の姿は、今まで僕が見てきた彼とはまるで違う。
僕を助けてくれたのだって事実だ。
目が滲み、どうにかして声を絞り出した。
「ごめんな。ありがとう……本当に、ありがとう」
僕の気持ちを受け取った関は、肩をすくめた。
「もう、これからは調子乗るんじゃねぇぞ」
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