【受賞】約束のクローバー ~僕が自ら歩く理由~

朱村びすりん

文字の大きさ
上 下
68 / 78
第五章

助けてくれたのは

しおりを挟む
 けれども、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。どうにかして水中から脱出しないと、息が保たなくなる……!

 水の底に両手も伸ばしても、全く届かなかった。側面の岩石を掴みたいのに、今の体勢じゃそれも無理だ。どうしようもない。
 僕の腰を掴むユナの手が震えている。持ち上げようとしてくれているみたいだけど、見た目よりも川の流れが強いせいかビクともしないんだ。

 ああ……本当に、まずい。苦しいのを通り越して気持ち悪くなってきた。

 僕の名を叫ぶユナの声と、途切れることのない犬の鳴き声が耳までかすかに伝ってくる。
 全身が強張り、徐々に力が抜けてきた。目が勝手に閉じてしまい、もはや何もすることができなくなってしまった。
 
 ウソって言ってくれよ。こんなところで終わるのか? 手術もリハビリも、あれだけ頑張ったのに。これからもっともっと歩けるようになれるはずだったのに。こんな中途半端に終わったら、何もかも無駄になるじゃないか。
 人生の最後って、こんなにあっさりしたものなのかよ。逆に笑える……。

 意識の奥底で僕が嘆いていると──突如、太い腕に両脇を掴まれた感覚がした。とても強い力で僕の全身をしっかりと引っ張るんだ。
 身体がゆっくりと、確実に、水面側に上がっていく。

 なんだ、どうなってるんだ……?

 僕が混乱しているうちに、あっという間に水上へと脱することができた。
 水を少し飲み込んだせいで、吐きそうになるほどむせてしまう。それから、酸素を一気に体内に取り入れようと深く深く呼吸をした。
 上半身がビショビショになっていたけれど、もうそんなのどうでもいい。

 助かったんだ……。

 呼吸が安定したあと、倒れ込んだまま周囲を見回してみる。すると、すぐ目の前にユナが泣きそうな顔でこちらを見つめる姿があった。

「コウ君、大丈夫!?」
「あ、ああ」
「顔、怪我してるよ……!」
「マジで?」

 そういえば溺れたとき、右頬辺りに固いものがぶつかったよな。そっと顔に触れてみると、血が手に付着した。

 いや、僕のことはいい。
 ユナの服も濡れているじゃないか。それを目にして、とても申し訳ない気持ちになった。

「ごめん、ユナ……助けてくれたのか?」
「うん……でも私だけの力じゃ無理だった。あいつが、助けてくれたの」

 眉を八の字にしながら、ユナは川の流れていく方向を見やった。それにつられるように、僕もユナの視線の先を確認する。

 すると少し距離を置いた場所にあいつが──関がいたんだ。
 ……まさか、そういうことなのか?
 信じられなくて、僕は目を見張る。

 関は犬と一緒に畔で川の方を見渡していた。何かを探しているような素振りだ。
 しばらくしないうちに「あった」と呟き、前屈みになりながら川の間にある岩に手を伸ばした。何かを掴み取ると、ゆっくりとこちらに戻ってくる。

 でも、決していい雰囲気とは言えない。
 関はものすごい形相で睨みつけてくるんだ。僕の目の前に立つと、握り拳を勢いよく掲げた。
 僕は咄嗟に、身構える。
 でも関はパッと手を広げると、あるものを差し出してきた。

「これだろ? 川に落としたもの」

 僕の目の前には、たった今川に落としてしまったはずの猫とクローバーのお守りがあった。

 ──なんだこの状況。まさか、こいつが拾ってくれたのか?

 戸惑いながらも、僕は力を入れて上体を起こし、関からお守りを受け取った。
 何がなんだか分からないけれど、ちゃんと言うべきことは言わないとな……。

「あの、ありがとう」

 ぎこちなく、僕は関に向かって頭を下げた。

 だけど関は、機嫌が悪そうに舌打ちをする。眉間にしわを寄せ、怒りを込めた口調になった。

「バカ野郎、おめぇ死にてぇのかよ!」

 耳が痛くなるほどの大声だった。関の犬も怯むくらいの迫力。

 僕は唖然としてしまい、何も答えられなかった。
 普段ならすぐさま言い返すユナでさえも、目を見開いて固まっている。
 それでも関の勢いは止まらない。

「だから調子に乗るなって言ったんだよ! お前、たしか退院したばかりなんだろ? なんで子供だけで外出してんだよっ。しかもこんな川辺まで来るなんて。危険な真似しやがって、身の程を知れ!!」

 ほぼ息継ぎなしで、関は顔を真っ赤にした。
 口調はとんでもなく乱暴だ。だけど──彼の言うことは正しい。
 僕たちが二人だけで出かけるのは、とても無謀だったんだ。

「お前ら、さっさと親と連絡取れよ」
「……いや、僕たち、スマホを持ってないんだ」
「はぁ? 連絡手段もないのにノコノコこんなところまで歩いてきやがったのか」

 大きなため息を吐き、関はズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。それをサッとユナに手渡す。
 でも、ユナはキョトンとしたまま。

「え……何?」
「何、じゃねえよ。てめえらの親に今すぐ電話しろ。こいつ、溺れたんだぞ? 顔に怪我もしてんだぞ! 病院に連れていかなきゃならねぇだろうが」
「わ、分かったわよ……」

 ユナは慌てたように、関のスマートフォンを使って僕たちの家に電話をかけた。

 僕が呆然とする中、関の犬がこちらに近づいてきて、突然顔面をペロペロと舐めてきた。
 くすぐったい……。水でビショビショだった顔周りが、いい感じに拭われていく。その代わり、よだれがとんでもないことになってるけれど。
 僕がのんきに考えていると、この光景を見た関が焦った様子で止めに入る。

「おい、待て! こいつ、ほっぺに怪我してんだ。あんまり舐めるなよ?」

 犬はすぐに僕から離れると、今度は関の頬を舐めはじめた。彼は見たこともないほど嬉しそうな表情を浮かべる。
 僕はそんな彼の顔をじっと見つめた。

 ──まさか、僕たちのことが心配になって、わざわざ引き返しにきたのか?
 クラスの寄せ書きに雑な文字で書かれていた「がんばれ」と言うメッセージも、ちゃんと関自身の言葉だったのか……?

 分からない。分からないけれど──愛犬と戯れる関の姿は、今まで僕が見てきた彼とはまるで違う。
 僕を助けてくれたのだって事実だ。
 目が滲み、どうにかして声を絞り出した。

「ごめんな。ありがとう……本当に、ありがとう」

 僕の気持ちを受け取った関は、肩をすくめた。

「もう、これからは調子乗るんじゃねぇぞ」

 ──その日、僕は初めて関の本心を聞いた。だからと言って、今までされてきたことは許せない。
 だけど、彼との関係が変わる大きなきっかけとなったのには間違いなかった。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

普通の女子高生だと思っていたら、魔王の孫娘でした

桜井吏南
ファンタジー
 え、冴えないお父さんが異世界の英雄だったの?  私、村瀬 星歌。娘思いで優しいお父さんと二人暮らし。 お父さんのことがが大好きだけどファザコンだと思われたくないから、ほどよい距離を保っている元気いっぱいのどこにでもいるごく普通の高校一年生。  仲良しの双子の幼馴染みに育ての親でもある担任教師。平凡でも楽しい毎日が当たり前のように続くとばかり思っていたのに、ある日蛙男に襲われてしまい危機一髪の所で頼りないお父さんに助けられる。  そして明かされたお父さんの秘密。  え、お父さんが異世界を救った英雄で、今は亡きお母さんが魔王の娘なの?  だから魔王の孫娘である私を魔王復活の器にするため、異世界から魔族が私の命を狙いにやって来た。    私のヒーローは傷だらけのお父さんともう一人の英雄でチートの担任。  心の支えになってくれたのは幼馴染みの双子だった。 そして私の秘められし力とは?    始まりの章は、現代ファンタジー  聖女となって冤罪をはらしますは、異世界ファンタジー  完結まで毎日更新中。  表紙はきりりん様にスキマで取引させてもらいました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

娘を返せ〜誘拐された娘を取り返すため、父は異世界に渡る

ほりとくち
ファンタジー
突然現れた魔法陣が、あの日娘を連れ去った。 異世界に誘拐されてしまったらしい娘を取り戻すため、父は自ら異世界へ渡ることを決意する。 一体誰が、何の目的で娘を連れ去ったのか。 娘とともに再び日本へ戻ることはできるのか。 そもそも父は、異世界へ足を運ぶことができるのか。 異世界召喚の秘密を知る謎多き少年。 娘を失ったショックで、精神が幼児化してしまった妻。 そして父にまったく懐かず、娘と母にだけ甘えるペットの黒猫。 3人と1匹の冒険が、今始まる。 ※小説家になろうでも投稿しています ※フォロー・感想・いいね等頂けると歓喜します!  よろしくお願いします!

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

処理中です...