【受賞】約束のクローバー ~僕が自ら歩く理由~

朱村びすりん

文字の大きさ
上 下
53 / 78
第四章

違和感

しおりを挟む



 夜になった。
 リョウがいなくなってから初めての就寝時間を迎える。これまで彼が使っていたベッドは空っぽだ。呼べばすぐに返事をくれたリョウは、もうここにはいない。

 すでに十時を回っている。
 いい加減、寝ないとな……。あれこれ考えたって、余計虚しくなるだけだ。泣かないと決めたんだから。
 瞼をギュッと閉ざす。無心で、何も考えず、身体を休ませよう。

 今夜も、君とチャコに会えるかな。こういうときこそ、彼女たちに慰めてもらいたい。

 視界は真っ暗なのに、僕の意識ははっきりしすぎだ。
 なんにも音が鳴らない病院内は、静寂だけを響かせてなんだか落ち着かない。
 寝なきゃ……寝るんだ……。眠れば、会える。今夜は彼女たちが、会いに来てくれるはず……。

 僕は一人、夢の中へと落ちていった。

 ──気づくと僕は、見知らぬ川のほとりにいた。綺麗な夕陽が水面をオレンジに輝かせ、美しさを放っていた。カモの親子なんかもいて、まったりしたひとときが流れる。

 どこだろう、ここは。見たことがあるような、ないような。

 石造の段差があって、僕はそこに座りこんだ。
 このとき、ふと、何か違和感を覚えた。
 足もとに目線を落とすと、すぐにしっくりしない訳を知った。
 なぜか僕は、右脚に装具をつけていたんだ。

 これが現実の世界ならおかしいことなんて何もない。でも、夢の中では自分の足だけで歩けるはずだろ? どうして、装具なんか履いているんだろう。杖も持っていないのに。 
 ぐっと手を伸ばし、僕は装具を外そうと固定テープに触れた。
 
 そのときだ。

『何してるの?』

 背後から、話しかけられた。彼女の声だ。ちょっとだけ驚いたような口調だった。
 僕が返事をする前に、彼女は隣に座る。それから、サッと手を握ってきたんだ。

『装具は外さないで』
『えっ、どうして?』
『これからも必要になるから』

 彼女の手が、僅かに震えている。
 どうしたんだろう。声もどことなく暗い。

 僕が首を傾げていると、川辺の向こう側からひとつの影が現れた。こちらを見やっていて、四本脚で立っている。前脚で丁寧に顔を洗ってから、スタスタとこちらに向かって歩いてきた。

『チャコ』

 僕が呼びかけると、チャコの耳が反応するように動いた。いつものように喉をゴロゴロと鳴らして、僕の足にすり寄ってくるんだ。

『相変わらず、チャコは可愛いな』

 優しくチャコを抱き上げると、高い声で『ミャオ』と鳴き声を漏らした。
 ふわふわな毛が腕全体に伝わってきて、ものすごく癒される。

『ねえ、コウ君』 
『うん?』
『目標に向かって頑張ってること、私は知ってるよ。でもね、もしかしたら全部は叶わないかもしれないの』
『え……どういうこと?』
『現実はね、夢の中ここみたいに簡単じゃないから』

 彼女の声は少し沈んだトーンだった。どうして突然、そんなことを言うんだろう。

『コウ君自身が一番理解してるとは思う。生まれつき足が不自由なのは、どれだけ努力しても完全に治ることはないの』
『それは──』

 そんなこと、知ってるよ。
 あれだけ大変な手術をしても、リハビリをこなしても、麻痺がなくなるわけじゃないって。
 これは、僕の身体の一部だから。

 けれど頑張っていけば、今よりももっと歩ける可能性はあるんだ。だから日々努力している。
 彼女は今更、何の話をしているんだろう?

『もちろん理解してる。だからって、僕は嘆いたりしないよ』
『うん。コウ君は前向きだもんね。だけど……きっと、過信しないで』

 彼女の声は、あまりにも低かった。
 なんだ。一体、どうしたんだよ?

『ミャオ……』

 僕が戸惑っていると、チャコが腕の中で弱々しい鳴き声を上げた。そんなチャコの頭をそっと撫でてあげる。

『なあ、チャコ。彼女に言ってあげて。僕は大丈夫だって』
『ミャオ……』
『自分の身体のことは自分が一番よく分かってるし、過信もしないよ』

 僕がチャコに向かって語りかけると、左手を舐めてくれた。ザラザラした感触がする気がする。
 不思議だな。今日のチャコは、現実的だ。

 でもこのとき、僕はふとあることに気がついた。

『なあ、チャコ』
『ミャオ』
『どうして、喋らないの?』

 夢の中で会うときは、チャコはお喋り猫になっていたはず。可愛らしくて高い声で、いつも応援の言葉をかけてくれた。
 それなのに、今日は普通の猫のようにしか鳴かない。

 おかしい。この世界では、なんでもありのはずじゃないのか……?

 唖然としたまま僕がチャコを眺めていると──彼女の握る手がかすかに強まった。柔らかくて優しいぬくもりが、僕に癒やしをくれる。

『ごめんね、コウ君』
『えっ?』
『変なこと言っちゃって……』
『いや、別に大丈夫だよ』
『うん。でも──この世界でコウ君と会えるのは最後だから、ちゃんと伝えたかったの』
『えっ。最後って?』

 聞き捨てならないひとことに、僕は目を見開いた。
 それでも切ない声で、彼女の話は綴られていく。

『入院してから今までで、コウ君はとっても強くなったよね。心も身体も立派になった。大事な友だちのことも、笑顔で見送れた』
『ああ……そうだね』
『手術も検査もリハビリも、全部全部頑張ってきた。だからもう、私とチャコちゃんがここに来る必要はなくなったの』
『……なんだって?』

 思いがけない言葉に、僕は息を呑んだ。
 必要ないって? どうしてそんなこと言うんだよ……?
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

普通の女子高生だと思っていたら、魔王の孫娘でした

桜井吏南
ファンタジー
 え、冴えないお父さんが異世界の英雄だったの?  私、村瀬 星歌。娘思いで優しいお父さんと二人暮らし。 お父さんのことがが大好きだけどファザコンだと思われたくないから、ほどよい距離を保っている元気いっぱいのどこにでもいるごく普通の高校一年生。  仲良しの双子の幼馴染みに育ての親でもある担任教師。平凡でも楽しい毎日が当たり前のように続くとばかり思っていたのに、ある日蛙男に襲われてしまい危機一髪の所で頼りないお父さんに助けられる。  そして明かされたお父さんの秘密。  え、お父さんが異世界を救った英雄で、今は亡きお母さんが魔王の娘なの?  だから魔王の孫娘である私を魔王復活の器にするため、異世界から魔族が私の命を狙いにやって来た。    私のヒーローは傷だらけのお父さんともう一人の英雄でチートの担任。  心の支えになってくれたのは幼馴染みの双子だった。 そして私の秘められし力とは?    始まりの章は、現代ファンタジー  聖女となって冤罪をはらしますは、異世界ファンタジー  完結まで毎日更新中。  表紙はきりりん様にスキマで取引させてもらいました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

娘を返せ〜誘拐された娘を取り返すため、父は異世界に渡る

ほりとくち
ファンタジー
突然現れた魔法陣が、あの日娘を連れ去った。 異世界に誘拐されてしまったらしい娘を取り戻すため、父は自ら異世界へ渡ることを決意する。 一体誰が、何の目的で娘を連れ去ったのか。 娘とともに再び日本へ戻ることはできるのか。 そもそも父は、異世界へ足を運ぶことができるのか。 異世界召喚の秘密を知る謎多き少年。 娘を失ったショックで、精神が幼児化してしまった妻。 そして父にまったく懐かず、娘と母にだけ甘えるペットの黒猫。 3人と1匹の冒険が、今始まる。 ※小説家になろうでも投稿しています ※フォロー・感想・いいね等頂けると歓喜します!  よろしくお願いします!

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

処理中です...