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第四章
大怪我
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教室まで送り届けてもらい、岩野先生とそこで別れた。
広々とした室内に入ると、今日もリョウと担任の先生しかいなかった。
やっぱり少人数は寂しいな。
でも、リョウはそうでもないみたいだ。
「よう、コウキ。待ってたぜ! リハビリお疲れ」
僕に手を振るリョウは、これでもかというほどの笑みを浮かべてる。
今は中休みの真っ只中。あと五分で二時間目が始まる。僕は休む間もなく授業の準備をした。
「ガチでコウキがいてくれると助かるぜ。先生と二人っきりだと、真面目に授業を聞かないとならないだろ?」
頬杖をつき、リョウはそんなことを漏らす。僕は思わず笑ってしまう。
とてもリョウらしい発言。これも彼の個性だ。嫌いじゃないよ。
だけど、教卓の前に座っていた高橋先生にもしっかりと話し声は届いている。
「リョウ君~? コウキ君がいてもいなくても、お勉強は真面目にやりましょうね~」
すっごく優しい口調なんだけど、声がとても低い。それはもう、怒りの込められたようなトーンで。先生の眉間にしわも寄っちゃってる。
ピリピリとした空気が漂った。
リョウは気にした様子もなく「しゃーせぇん」と、軽い返事をする。
リョウって地元の学校でもこんな感じなんだろうなぁ。思ったことを素直に口にする性格で、先生にも気を遣わないところが大胆ですごいなって思う。
僕たちがそんなやりとりをしていると、教室に副担任の先生がやってきた。
「高橋先生、少々よろしいですか?」
「はい、どうされました?」
「来月転入してくる児童のことで確認事項があるのですが──」
先生たちは資料か何かを眺めながら、廊下で話し始めた。
「ラッキー。話が長引けば授業が短縮するかもな!」
リョウはニヤニヤしながら僕のことを見つめてきた。
そうだねー、と適当に賛同しつつ、僕はひとまず教科書とノートを机に並べる。
「リハビリは、どうだったよ?」
「今日もずっと体力作りをしたよ。太ももの筋肉をもう少しつけたいなって。思ったよりも早く回復してきてるって先生に言われた」
「おお! 順調なんだな?」
「そう思いたいな。退院するまでに、杖なしで歩けるようになるのが今の目標だから」
「杖なしで、か……」
束の間、リョウの表情が神妙になった。僕から目を逸らさず、静かな口調で続けるんだ。
「コウキはすげぇよな」
「何が?」
「俺なんかよりも何倍も歩ける。俺は手術を受けてリハビリをやって、ほんのちょっと歩けるようになっただけだし」
「ううん、それってすごいことだよ。リョウも分かってると思うけど、麻痺の強さって人それぞれじゃん。リョウが一歩でも多く自分の足で前に進めるようになったのは、相当努力してきた甲斐あってだろ? 真面目にリハビリやストレッチに取り組んでるリョウは偉いよ」
僕がそう言うと、リョウはまた顔を綻ばせるんだ。
「なんか、照れるぜ……。俺って偉いのか?」
「もちろんだよ! リョウを見て、僕も刺激をもらってるんだ」
僕が素直な気持ちを伝えると、リョウは大きく頷いた。チラッと廊下に視線を向けると、今度は小声になる。
「よーし。それじゃあ、お前に俺のカッコいいところを見せてやろう」
「え?」
リョウは突然、車椅子を後ろに移動させた。両手を机に乗せて、震えながらもつかまり立ちをし始める。
「リョウ、何してるの? 危ないよ、杖も持ってきてないのに」
「大丈夫だ。ほら、見てみろ、コウキ。俺は、伝い歩きができるようになったんだぜ!」
目を輝かせながら、彼は一歩ずつ机の周りを移動した。
僕は思わず息を呑む。
出会ったあの日、リョウの左足は踵がかなり浮いていた。今もまだ固さは残っているみたいで、膝が曲がり、足を引きずる形になってる。
けれど、たしかにリョウは自分自身の力で歩いている。机に手をつけ、ものすごくゆっくりではあるものの、横歩きができていたんだ。
確実に彼の身体は変わった。
僕は目を見開き、感嘆する。
「すごい! 伝い歩き、めちゃくちゃ上手じゃないか!」
「へへへ、そうだろ?」
嬉しそうに、リョウがこちらを振り返った。
次の瞬間──
「うわっ!」
それは、まばたきをするよりも一瞬の出来事だった。
リョウの身体が、急に傾いていった。
何が起きたのか理解する前に、どん、と鈍い音が教室中に響き渡る。
……今の今までそこに立っていたはずのリョウが、いない。反射的に下の方に目線を落とすと──なぜか、床の上でうつ伏せになって倒れ込む彼の姿があった。
「リョウ……?」
なんで? どうしてリョウは床に倒れているんだ? たった今、上手に伝い歩きをしていたじゃないか。
どうすればいい? 僕はどうすればいいんだ……!?
車椅子に座ったまま、僕は立ち上がることもできない。倒れる彼をただ呆然と眺めるしかなかった。頭がついていかず、僕の思考は完全に停止してしまう。
「リョウ君……!?」
廊下で話していた先生たちが異変に気づいたのだろう、焦った様子で教室内に入ってきた。うつ伏せのリョウのそばへ駆け寄り、副担任の先生が彼の肩を軽く叩く。
「リョウ君、大丈夫ですか!?」
何度も声をかけ、肩を揺さぶる──すると、リョウの顔がピクリと動いた。
「いてて……ああ、くそ。転んじまったよ」
彼は大きく息を吐き、声を震わせていた。
そんなリョウの顔を見て、僕は目を丸くする。
「リョウ……! そ、それ」
彼の頭から流れる真っ赤な液体。待って、嘘だろ? 血が、出てるぞ……?
どうしてこんなことになったんだ!
頭の中が真っ白になり、僕の心臓が低く唸る。
だけど、リョウはヘラヘラしながらこっちを見上げるんだ。
「ははは。なんだよ、コウキ。泣きそうな面しやがって」
「だ、だって、リョウ! 大変だよ、血が……血が出てるよ……!」
「えっ、マジか?」
「頭から血が流れてるんだってば!」
思わず声を荒げてしまう。
おもむろに、リョウは自分の額に触れた。彼の手には真っ赤な液体がベッタリとこびりついてしまう。
「うわー。ガチのやつじゃん……」
呆れたような声を出し、リョウは眉をひそめる。
な、なんで? どうしてそんなに冷静なの……? 頭に大怪我をしているのに、なんでそんな平気なふりしてるんだよ!
見ているこっちがクラクラしてきた。
「傷口が大きいですね……。ごめんね、リョウ君。先生たちが外で話し込んでいたばっかりに」
「いや、別に。大したことねぇし」
「でも、形成外科の先生に診てもらいましょう」
高橋先生は院内用の携帯電話を取り出し、形成外科に電話をかけた。
その間にも、リョウは「大袈裟だよ」なんて言いながら笑っている。
何が、大袈裟なんだよ……? リョウの服にまで、血が滲んでいるんだぞ? 床もあちこち真っ赤に染まっているのに!
汗のように垂れるリョウの赤黒い血は、僕の胸をギュッと締めつけた。
──その後リョウは、副担任の先生に形成外科へ連れられた。
僕はというと、二時間目の授業に全く集中できずずっと上の空。鉄のようなツンとした匂いが、しばらく鼻の奥から離れてくれない。
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・・・・・・・・・・・
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その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
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