【受賞】約束のクローバー ~僕が自ら歩く理由~

朱村びすりん

文字の大きさ
上 下
28 / 78
第三章

僕は、手術を受ける

しおりを挟む
「コウキ君」

 病室に看護師さんがやってきた。
 ついに、そのときがきた──僕は瞬時にそう察する。心臓が、ドクンドクンと唸り声を上げ始めた。

「具合はどう?」
「大丈夫」
「そろそろ時間だから出発するよ。いい?」
「うん、いつでもオッケー」

 できるだけ普段通りに受け答えしようとしたんだけれど、声が低くなってしまった。背中から、ジワッと冷や汗が滲み出る。

「では、お父様とお母様もご一緒にどうぞ。貴重品はお持ちください」
「は、はい」

 父さんが固くなりながら頷いた。もう、見るに堪えないほどガッチガチになってるし。
 心配するなよ……父さん。

「今日はここには戻ってきません。準備がよければ行きましょう」
「大丈夫です。お願いします」

 母さんは落ち着いた様子で返事をしたけど、表情がいつもより強張っていた。

 他の看護師さんたちも部屋にバタバタとやって来て、ベッドの周りを囲んだ。
 その場の空気がガラッと変わる。
 ……さすがに、緊張してきたな。

「コウキ君、手術室に何か持っていきたいものはある?」

 部屋を出る前、看護師さんはそんなことを訊いてきた。
 持っていきたいもの、だって?
 考えるまでもない。僕は頷きながら即答した。

「これ」

 猫とクローバーのお守りを手に取り、看護師さんにサッと見せる。

「これを持っていきたい。友だちからもらったんだ」
「可愛い猫ちゃんと綺麗なクローバーだね。ひとつ葉なんて珍しい」
「うん。なんか、ひとつ葉には『困難に打ち勝つ』っていう花言葉があるんだって。手術が成功するように、願いがこもったお守りだってその友だちに言われたんだ」
「とっても素敵だね。そのお友だちは、コウキ君のことすごく大事に想ってくれているんだね」

 看護師さんにそう言われ、僕の胸が高まる。

 ──そうだよ。ユナは、僕にとっても大事な友だちだ。

「いいよ。大切なお守り、持っていこう。なくさないようポケットにしっかり入れておいてね」
「分かった。ありがとう、看護師さん」

 ユナとの大切な約束をポケットにしまい、僕は意を決した。
 
 ベッドのストッパーが外され、僕は横になったままで運ばれていく。キャスターが小さくキュルキュルと廊下に響き渡った。

 ナースステーションを通りかかったとき、他の看護師さんたちがみんな顔を覗かせて「コウキ君、行ってらっしゃい」「頑張ってきてね!」などと、一斉に声をかけてくれた。
  
 ……どうしてだろう。この時点で、泣きそうになった。昨晩までは手術なんて大したことないって、思ってたはずだろ? それなのに、直前になって怖くなってしまうなんて。

 見送ってくれる看護師さんたちに、今の心情がバレないよう必死になって笑顔を向けて見せる。

「行ってきます!」

 わざとらしいほどの元気な声が、病棟の廊下に響き渡った。

 ──それから、エレベーターへと乗りこんだ。ベッドで寝転がりながらエレベーターに乗るなんて、なんだかすごく変な感じ。
 父さんと母さんはずっと僕の顔を見つめ「大丈夫だからな」「コウキ、しっかりね!」と声をかけ続けてくれた。

 そして、あっという間に手術室がある階へと到着する。
 降りてすぐに大きな自動扉があった。それがゆっくりと開かれると──その先には、たくさんの人たちが僕のことを待ち構えていた。中には、脳神経外科医の井原先生の姿もあったんだ。

「コウキ君、おはよう。どう? 緊張してる?」
「あ、うん……。いや、全然」

 思わずたどたどしい返事になってしまう。
 先生はそんな僕に対してふっと微笑んだ。初めて会ったときの冷めた眼差しなんて、今はどこにもない。

「寝てる間に手術は終わるからね。体感的には五秒くらいだよ。あっという間だ」
「五秒? 本当にそれくらい一瞬だったら嬉しいな」
「本当だよ」

 井原先生は眼鏡を光らせ、優しい口調でそう話すんだ。それから父さんと母さんの方を向き、軽く頭を下げる。

「では、この先はコウキ君のみの入室となります。ご両親は手術が終わるまでラウンジでお待ちください」
「はい」
「先生方、どうか息子をよろしくお願いします」

 母さんは深く深く頭を下げた。その隣で父さんは今にも泣きそうな顔になっている。

「コウキ、お前ならきっと大丈夫だからな!」

 父さんってば。そんな不安な声出さなくでくれよ。
 僕は笑顔を崩さずに、大きく頷いてみせた。

「コウキ、行ってらっしゃい!」

 母さんは最後まで笑顔だった。どことなく不安も交じっているような瞳の色をしていたけど。
 泣きたい気持ちをグッとこらえて、僕は目いっぱい二人に手を振った。

 母さんたちのいる場所に隔てて設置されているドアは、静かに閉まっていった──

 たった一枚の鉄の板が、僕の不安と緊張を更に強くする。
 でも、大丈夫……。
 手術をしてくれる井原先生や看護師さんたち、他の先生たちはこんなにも頼もしい顔をしている。僕は先生たちのことを信じたい。
 リハビリもきっと頑張るから。全部が終わったら、自分の力であちこち歩いて探検をするんだ。
 誰に聞かれるわけでもない心の声。まるで自分を慰めるかのように、頭の中で言葉を連ね続けた。

 やがて──

「はい、到着しましたよ」
 
 穏やかな雰囲気が一変。手術室のドアが開かれ、中へ入ると、突然別世界に連れられたような感覚になった。 
 初めての手術室。そこには、たくさんの機械や器具が揃えられていた。大きなライトが頭上にあり、無機質な雰囲気に僕は固唾を呑みこむ。
 思っていたよりも冷たくて、綺麗で、怖い場所だと思った。

「ここで今から手術をしますからね。まずは確認を取ります。君のフルネームを教えてくれるかな?」
「丘島コウキです」 

 看護師さんから生年月日なども訊かれ、術前の最終確認がスムーズに行われていく。

 いよいよだ。いよいよ、始まる。鼓動が早くなってどうしようもない。静かな室内に、僕のうるさい心臓音が反響してしまいそうだった。 

 いや、もうビビっている場合じゃないだろ。頑張る。頑張るんだぞ──

 手術台の上に移動し、全ての準備が整うと、横になる僕の周りを色んな人が囲み出した。みんながみんな優しい顔をしているけれど、僕の緊張はとっくに限界を超えていた。
 全身の筋肉が硬直してる。震えも止まらない。胸が、今にも壊れてしまいそうだ。

「深呼吸して、コウキ君。力を抜こう」

 井原先生が、優しく声をかけてくれる。

「今からお薬を投与しますからね」

 麻酔科の先生が、僕にマスクを装着させた。
 ほどなくして、アイスクリームの香りがふわっと鼻の中を通過していく。

「数秒で眠くなるからね。あとは、先生たちに任せて。さあ、頑張ろう」

 遠くの方で、井原先生の優しい声が聞こえた気がした。
 いい匂いがするなぁと思った瞬間。目の前がぼんやりして、瞼が勝手に閉ざされた。何も聞こえないし、甘い香りもしなくなったし、何も感じない。緊張を忘れ、意識もどこかへ飛んでいった。

 ……あれ? 今まで、ばっちり目が覚めていたはずなんだけどな……? 麻酔の力って、すごいや……。
 
 あっという間に、深い深い眠りの世界へと連れられていく。


 ──その日、僕は六時間半にも及ぶ大手術を受けたんだ──
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

処理中です...