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第三章
僕は、手術を受ける
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「コウキ君」
病室に看護師さんがやってきた。
ついに、そのときがきた──僕は瞬時にそう察する。心臓が、ドクンドクンと唸り声を上げ始めた。
「具合はどう?」
「大丈夫」
「そろそろ時間だから出発するよ。いい?」
「うん、いつでもオッケー」
できるだけ普段通りに受け答えしようとしたんだけれど、声が低くなってしまった。背中から、ジワッと冷や汗が滲み出る。
「では、お父様とお母様もご一緒にどうぞ。貴重品はお持ちください」
「は、はい」
父さんが固くなりながら頷いた。もう、見るに堪えないほどガッチガチになってるし。
心配するなよ……父さん。
「今日はここには戻ってきません。準備がよければ行きましょう」
「大丈夫です。お願いします」
母さんは落ち着いた様子で返事をしたけど、表情がいつもより強張っていた。
他の看護師さんたちも部屋にバタバタとやって来て、ベッドの周りを囲んだ。
その場の空気がガラッと変わる。
……さすがに、緊張してきたな。
「コウキ君、手術室に何か持っていきたいものはある?」
部屋を出る前、看護師さんはそんなことを訊いてきた。
持っていきたいもの、だって?
考えるまでもない。僕は頷きながら即答した。
「これ」
猫とクローバーのお守りを手に取り、看護師さんにサッと見せる。
「これを持っていきたい。友だちからもらったんだ」
「可愛い猫ちゃんと綺麗なクローバーだね。ひとつ葉なんて珍しい」
「うん。なんか、ひとつ葉には『困難に打ち勝つ』っていう花言葉があるんだって。手術が成功するように、願いがこもったお守りだってその友だちに言われたんだ」
「とっても素敵だね。そのお友だちは、コウキ君のことすごく大事に想ってくれているんだね」
看護師さんにそう言われ、僕の胸が高まる。
──そうだよ。ユナは、僕にとっても大事な友だちだ。
「いいよ。大切なお守り、持っていこう。なくさないようポケットにしっかり入れておいてね」
「分かった。ありがとう、看護師さん」
ユナとの大切な約束をポケットにしまい、僕は意を決した。
ベッドのストッパーが外され、僕は横になったままで運ばれていく。キャスターが小さくキュルキュルと廊下に響き渡った。
ナースステーションを通りかかったとき、他の看護師さんたちがみんな顔を覗かせて「コウキ君、行ってらっしゃい」「頑張ってきてね!」などと、一斉に声をかけてくれた。
……どうしてだろう。この時点で、泣きそうになった。昨晩までは手術なんて大したことないって、思ってたはずだろ? それなのに、直前になって怖くなってしまうなんて。
見送ってくれる看護師さんたちに、今の心情がバレないよう必死になって笑顔を向けて見せる。
「行ってきます!」
わざとらしいほどの元気な声が、病棟の廊下に響き渡った。
──それから、エレベーターへと乗りこんだ。ベッドで寝転がりながらエレベーターに乗るなんて、なんだかすごく変な感じ。
父さんと母さんはずっと僕の顔を見つめ「大丈夫だからな」「コウキ、しっかりね!」と声をかけ続けてくれた。
そして、あっという間に手術室がある階へと到着する。
降りてすぐに大きな自動扉があった。それがゆっくりと開かれると──その先には、たくさんの人たちが僕のことを待ち構えていた。中には、脳神経外科医の井原先生の姿もあったんだ。
「コウキ君、おはよう。どう? 緊張してる?」
「あ、うん……。いや、全然」
思わずたどたどしい返事になってしまう。
先生はそんな僕に対してふっと微笑んだ。初めて会ったときの冷めた眼差しなんて、今はどこにもない。
「寝てる間に手術は終わるからね。体感的には五秒くらいだよ。あっという間だ」
「五秒? 本当にそれくらい一瞬だったら嬉しいな」
「本当だよ」
井原先生は眼鏡を光らせ、優しい口調でそう話すんだ。それから父さんと母さんの方を向き、軽く頭を下げる。
「では、この先はコウキ君のみの入室となります。ご両親は手術が終わるまでラウンジでお待ちください」
「はい」
「先生方、どうか息子をよろしくお願いします」
母さんは深く深く頭を下げた。その隣で父さんは今にも泣きそうな顔になっている。
「コウキ、お前ならきっと大丈夫だからな!」
父さんってば。そんな不安な声出さなくでくれよ。
僕は笑顔を崩さずに、大きく頷いてみせた。
「コウキ、行ってらっしゃい!」
母さんは最後まで笑顔だった。どことなく不安も交じっているような瞳の色をしていたけど。
泣きたい気持ちをグッとこらえて、僕は目いっぱい二人に手を振った。
母さんたちのいる場所に隔てて設置されているドアは、静かに閉まっていった──
たった一枚の鉄の板が、僕の不安と緊張を更に強くする。
でも、大丈夫……。
手術をしてくれる井原先生や看護師さんたち、他の先生たちはこんなにも頼もしい顔をしている。僕は先生たちのことを信じたい。
リハビリもきっと頑張るから。全部が終わったら、自分の力であちこち歩いて探検をするんだ。
誰に聞かれるわけでもない心の声。まるで自分を慰めるかのように、頭の中で言葉を連ね続けた。
やがて──
「はい、到着しましたよ」
穏やかな雰囲気が一変。手術室のドアが開かれ、中へ入ると、突然別世界に連れられたような感覚になった。
初めての手術室。そこには、たくさんの機械や器具が揃えられていた。大きなライトが頭上にあり、無機質な雰囲気に僕は固唾を呑みこむ。
思っていたよりも冷たくて、綺麗で、怖い場所だと思った。
「ここで今から手術をしますからね。まずは確認を取ります。君のフルネームを教えてくれるかな?」
「丘島コウキです」
看護師さんから生年月日なども訊かれ、術前の最終確認がスムーズに行われていく。
いよいよだ。いよいよ、始まる。鼓動が早くなってどうしようもない。静かな室内に、僕のうるさい心臓音が反響してしまいそうだった。
いや、もうビビっている場合じゃないだろ。頑張る。頑張るんだぞ──
手術台の上に移動し、全ての準備が整うと、横になる僕の周りを色んな人が囲み出した。みんながみんな優しい顔をしているけれど、僕の緊張はとっくに限界を超えていた。
全身の筋肉が硬直してる。震えも止まらない。胸が、今にも壊れてしまいそうだ。
「深呼吸して、コウキ君。力を抜こう」
井原先生が、優しく声をかけてくれる。
「今からお薬を投与しますからね」
麻酔科の先生が、僕にマスクを装着させた。
ほどなくして、アイスクリームの香りがふわっと鼻の中を通過していく。
「数秒で眠くなるからね。あとは、先生たちに任せて。さあ、頑張ろう」
遠くの方で、井原先生の優しい声が聞こえた気がした。
いい匂いがするなぁと思った瞬間。目の前がぼんやりして、瞼が勝手に閉ざされた。何も聞こえないし、甘い香りもしなくなったし、何も感じない。緊張を忘れ、意識もどこかへ飛んでいった。
……あれ? 今まで、ばっちり目が覚めていたはずなんだけどな……? 麻酔の力って、すごいや……。
あっという間に、深い深い眠りの世界へと連れられていく。
──その日、僕は六時間半にも及ぶ大手術を受けたんだ──
病室に看護師さんがやってきた。
ついに、そのときがきた──僕は瞬時にそう察する。心臓が、ドクンドクンと唸り声を上げ始めた。
「具合はどう?」
「大丈夫」
「そろそろ時間だから出発するよ。いい?」
「うん、いつでもオッケー」
できるだけ普段通りに受け答えしようとしたんだけれど、声が低くなってしまった。背中から、ジワッと冷や汗が滲み出る。
「では、お父様とお母様もご一緒にどうぞ。貴重品はお持ちください」
「は、はい」
父さんが固くなりながら頷いた。もう、見るに堪えないほどガッチガチになってるし。
心配するなよ……父さん。
「今日はここには戻ってきません。準備がよければ行きましょう」
「大丈夫です。お願いします」
母さんは落ち着いた様子で返事をしたけど、表情がいつもより強張っていた。
他の看護師さんたちも部屋にバタバタとやって来て、ベッドの周りを囲んだ。
その場の空気がガラッと変わる。
……さすがに、緊張してきたな。
「コウキ君、手術室に何か持っていきたいものはある?」
部屋を出る前、看護師さんはそんなことを訊いてきた。
持っていきたいもの、だって?
考えるまでもない。僕は頷きながら即答した。
「これ」
猫とクローバーのお守りを手に取り、看護師さんにサッと見せる。
「これを持っていきたい。友だちからもらったんだ」
「可愛い猫ちゃんと綺麗なクローバーだね。ひとつ葉なんて珍しい」
「うん。なんか、ひとつ葉には『困難に打ち勝つ』っていう花言葉があるんだって。手術が成功するように、願いがこもったお守りだってその友だちに言われたんだ」
「とっても素敵だね。そのお友だちは、コウキ君のことすごく大事に想ってくれているんだね」
看護師さんにそう言われ、僕の胸が高まる。
──そうだよ。ユナは、僕にとっても大事な友だちだ。
「いいよ。大切なお守り、持っていこう。なくさないようポケットにしっかり入れておいてね」
「分かった。ありがとう、看護師さん」
ユナとの大切な約束をポケットにしまい、僕は意を決した。
ベッドのストッパーが外され、僕は横になったままで運ばれていく。キャスターが小さくキュルキュルと廊下に響き渡った。
ナースステーションを通りかかったとき、他の看護師さんたちがみんな顔を覗かせて「コウキ君、行ってらっしゃい」「頑張ってきてね!」などと、一斉に声をかけてくれた。
……どうしてだろう。この時点で、泣きそうになった。昨晩までは手術なんて大したことないって、思ってたはずだろ? それなのに、直前になって怖くなってしまうなんて。
見送ってくれる看護師さんたちに、今の心情がバレないよう必死になって笑顔を向けて見せる。
「行ってきます!」
わざとらしいほどの元気な声が、病棟の廊下に響き渡った。
──それから、エレベーターへと乗りこんだ。ベッドで寝転がりながらエレベーターに乗るなんて、なんだかすごく変な感じ。
父さんと母さんはずっと僕の顔を見つめ「大丈夫だからな」「コウキ、しっかりね!」と声をかけ続けてくれた。
そして、あっという間に手術室がある階へと到着する。
降りてすぐに大きな自動扉があった。それがゆっくりと開かれると──その先には、たくさんの人たちが僕のことを待ち構えていた。中には、脳神経外科医の井原先生の姿もあったんだ。
「コウキ君、おはよう。どう? 緊張してる?」
「あ、うん……。いや、全然」
思わずたどたどしい返事になってしまう。
先生はそんな僕に対してふっと微笑んだ。初めて会ったときの冷めた眼差しなんて、今はどこにもない。
「寝てる間に手術は終わるからね。体感的には五秒くらいだよ。あっという間だ」
「五秒? 本当にそれくらい一瞬だったら嬉しいな」
「本当だよ」
井原先生は眼鏡を光らせ、優しい口調でそう話すんだ。それから父さんと母さんの方を向き、軽く頭を下げる。
「では、この先はコウキ君のみの入室となります。ご両親は手術が終わるまでラウンジでお待ちください」
「はい」
「先生方、どうか息子をよろしくお願いします」
母さんは深く深く頭を下げた。その隣で父さんは今にも泣きそうな顔になっている。
「コウキ、お前ならきっと大丈夫だからな!」
父さんってば。そんな不安な声出さなくでくれよ。
僕は笑顔を崩さずに、大きく頷いてみせた。
「コウキ、行ってらっしゃい!」
母さんは最後まで笑顔だった。どことなく不安も交じっているような瞳の色をしていたけど。
泣きたい気持ちをグッとこらえて、僕は目いっぱい二人に手を振った。
母さんたちのいる場所に隔てて設置されているドアは、静かに閉まっていった──
たった一枚の鉄の板が、僕の不安と緊張を更に強くする。
でも、大丈夫……。
手術をしてくれる井原先生や看護師さんたち、他の先生たちはこんなにも頼もしい顔をしている。僕は先生たちのことを信じたい。
リハビリもきっと頑張るから。全部が終わったら、自分の力であちこち歩いて探検をするんだ。
誰に聞かれるわけでもない心の声。まるで自分を慰めるかのように、頭の中で言葉を連ね続けた。
やがて──
「はい、到着しましたよ」
穏やかな雰囲気が一変。手術室のドアが開かれ、中へ入ると、突然別世界に連れられたような感覚になった。
初めての手術室。そこには、たくさんの機械や器具が揃えられていた。大きなライトが頭上にあり、無機質な雰囲気に僕は固唾を呑みこむ。
思っていたよりも冷たくて、綺麗で、怖い場所だと思った。
「ここで今から手術をしますからね。まずは確認を取ります。君のフルネームを教えてくれるかな?」
「丘島コウキです」
看護師さんから生年月日なども訊かれ、術前の最終確認がスムーズに行われていく。
いよいよだ。いよいよ、始まる。鼓動が早くなってどうしようもない。静かな室内に、僕のうるさい心臓音が反響してしまいそうだった。
いや、もうビビっている場合じゃないだろ。頑張る。頑張るんだぞ──
手術台の上に移動し、全ての準備が整うと、横になる僕の周りを色んな人が囲み出した。みんながみんな優しい顔をしているけれど、僕の緊張はとっくに限界を超えていた。
全身の筋肉が硬直してる。震えも止まらない。胸が、今にも壊れてしまいそうだ。
「深呼吸して、コウキ君。力を抜こう」
井原先生が、優しく声をかけてくれる。
「今からお薬を投与しますからね」
麻酔科の先生が、僕にマスクを装着させた。
ほどなくして、アイスクリームの香りがふわっと鼻の中を通過していく。
「数秒で眠くなるからね。あとは、先生たちに任せて。さあ、頑張ろう」
遠くの方で、井原先生の優しい声が聞こえた気がした。
いい匂いがするなぁと思った瞬間。目の前がぼんやりして、瞼が勝手に閉ざされた。何も聞こえないし、甘い香りもしなくなったし、何も感じない。緊張を忘れ、意識もどこかへ飛んでいった。
……あれ? 今まで、ばっちり目が覚めていたはずなんだけどな……? 麻酔の力って、すごいや……。
あっという間に、深い深い眠りの世界へと連れられていく。
──その日、僕は六時間半にも及ぶ大手術を受けたんだ──
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