【受賞】約束のクローバー ~僕が自ら歩く理由~

朱村びすりん

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第一章

恐怖の「ボトックス注射」

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 放課後。

「いってぇ! 無理だよ、無理、イヤだ、やめろ!」

 冷房が効いた処置室に、僕の情けない叫び声が響き渡る。
 ふくらはぎに激痛が走り、僕はたまらず歯を食いしばった。全身が硬直し、目の前がぼやける。頬がビショビショに濡れて、鼻水だって止まらない。

「はい、一本目のボトックス注射が終わりましたよ。あと三本頑張りましょうね」
「絶対に無理! これで終わり。終わらせてくれ」
「なに言ってるの。もう五年生なんだから、我慢できるでしょう? はい、深呼吸ね~」

 ニコニコしながら、看護師さんはうつぶせの僕を押さえつける。

 マジ、ムリ。もう逃げたい。

 だけど僕がどれだけ嫌がっても、注射を打たない限り地獄の時間が終わることはないんだ。
 目をギュッと閉じて、太い針がぶっ刺されるのを待つ。
 さん、に、い……

「痛ぇ!!」

 くっそ、想像していたよりも早かった!
 予防注射より何百倍も痛い針が、ふくらはぎの筋肉に刺さる。しかも一瞬では終わらない。五分、一〇分、一時間、ニジカン、サンジカン……。
 いや、ウソ。実際は五秒くらい。あまりの激痛に、途方もないほど長く感じるだけだった。

「丘島くん、よく頑張りました。右脚はこれで終わりですよ。では、次は左脚に打ちましょうね」

 容赦ない。看護師さんこの人、なんで笑ってるんだよ?
 ああ、早く……終われ、終わってくれ。これが終わったらガスティのアイスを食べに行くんだ。
 早く終わ──

「痛ぇー!!」

 おい、勘弁しろよ! こっちが覚悟する前に刺すなんてひどすぎるだろ!
 いや、そもそも僕の覚悟を待っていたら、いつまで経っても先に進めないのは分かってはいる。
 だけど、もう……辛すぎるんだよ。



 三ヶ月に一度の、地獄の時間が終わった。
 両脚には痛みがまだ残っている。

 注射を打ち終えた僕は、母さんにガスティ・レストランに連れてきてもらっていた。どこにでもある普通のファミレス。僕はここのキッズアイスがとにかく好きだ。

 時刻は午後四時。平日のこの時間帯は、いつもお客さんが少ない。幼稚園帰りらしき親子や、パソコンと睨めっこしているサラリーマン風の人、学校終わりの高校生くらいしかいなかった。

 他のお客さんたちに紛れ、僕と母さんは窓側の席に座った。

「コウキ、今日もよく頑張ったわねー。キッズアイス頼む?」

 母さんはオーダー用のパネルを操作しながら陽気に訊いてくる。

 人の気も知らないでニコニコしやがって……。

 僕は肩をすくめた。

「アイスがいい。これのためにボトックスを耐えてるようなもんだし」
「そうよね……。あなた、予防注射は一切泣かないのにボトックスだけはギャン泣きだものね。今日も待合室まで騒がしい声が聞こえてきたわよ!」

 元気なことは結構だけどねウフフ、と付け加えながら、母さんはキッズアイスをタッチしてからパネルを元の位置に戻した。

 僕は水をがぶ飲みしてから愚痴をこぼす。

「あのさぁ、母さんは打ったことないから僕の気持ちが分からないかもしれないけど、マジでヤバいんだよあの痛さは。あの注射、嫌い」
「まあ、そんなこと言わないで? 少しでもコウキが歩きやすくなるようにするためのものだから」
「ううん。たしかに打った後しばらくは足が柔らかくなった感じはするよ。とくに足首とかね。動きやすくなるのもたしかだ。だけど……」

 さっきの痛みを思い出し、僕は思わず顔をしかめる。

「あんな痛い思いをして、効果が数ヶ月しか保たないなんてひどい! 五歳から五年間、ずーっと耐えてるけどさ。許されるならやりたくないよ!」

 いつもこうやって、僕は母さんに抗議している。無駄だって思っても、やりたくないものはやりたくない。

 さっき病院で打ってきたのは「ボトックス注射」だ。
 僕はとくに足の麻痺が強いから、筋肉に注射を打つと薬の効果で一時的に柔らかくなる。踵が浮きづらくなって多少は歩きやすくなるんだ。
 それに、この注射を打たないと足がどんどん固くなってしまう……。

 でも、最近思う。小さい頃と比べて、薬の効果が薄れている気がしてならないと。
 他にいい方法はないのかな、と悶々としている。

 ──ひと通り僕が抗議という名の愚痴を終えると、母さんは黙りこくってしまった。どことなく苦い顔をして、何かを考え込むように遠くの方を見やっている。

 ……ん? おかしいな。いつもの母さんなら「コウキは頑張り屋さんで偉いわよねぇ!」とか煽てて適当に流すくせに。
 なんとなく違和感がある。どうしたのかと尋ねようとした、そのときだった。

「あっ、来たわよ」

 母さんがこちらに視線を戻し、僕の後ろの方を指差した。
 振り向くと、そこには猫型のロボットがいた。体部分にプレートを載せ、僕のキッズアイスを運んできてくれたようだ。すぐ手の届くところにあるが、僕は自分で取ることはできない。

 母さんがサッと席を立って猫のロボットからアイスを受け取る。それから、僕の目の前に並べてくれた。
 猫のロボットは顔部分に「ありがとうございました」のメッセージを表示してから、ゆっくりと厨房へ戻っていく。
 最近からガスティ・レストランに導入された配膳ロボットらしい。あの猫の顔が最高に可愛いんだよな。

「はい、どうぞ」

 僕が猫のロボットに見惚れていると、母さんは席に座ってスプーンを手渡してくれた。

「よく、味わって食べなさい。痛い注射、今まで本当に頑張ってきたんだから」

 今まで? これからも我慢しないとならないんだろ?

 そう返そうと思ったが、今は目の前にある一時的な幸せを噛み締めるのが優先だ。
 渦を巻いた真っ白なアイスクリームをスプーンですくいあげ、ゆっくり口の中へと運んだ。冷たくてほのかに甘いクリームが舌の上で溶け、口いっぱいに幸せが染みこんでいく。
 ああ、うまい。どうしてガスティのキッズアイスはこんなにうまいんだろう。
 とくに汗ばむ今の季節、最高のひとときを与えてくれる食べ物だ。恐怖のボトックス注射の痛みなんか忘れられるほどに。
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