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序章

軽度脳性麻痺の僕

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「お前、邪魔なんだよ」

 休み時間。教室のすぐ目の前にあるトイレへ向かう途中、突然後ろから押された。
 僕はバランスを崩し、そのまま前方へと倒れてしまう。
 持っていた杖が手からすべり落ちていく。変な転びかたをして思いっきり膝を打ってしまった。

「いたた……」

 脚が強張る。うつ伏せのまま身動きが取れなくなった。

「ちょっと押されたくらいで転ぶなんて、ダセェ奴!」

 押してきた奴は、笑いながら足を踏みつけてきた。
 僕を支えてくれるプラスチック製の『装具』が、ギリギリと鈍い音を立てる。

 やめてくれよ……。装具が壊れたら困るんだけど。

「ちょっと関! またコウ君を苛めてるの!? 何考えてるのよ!」

 背後から女子の怒声が聞こえてきた。たちまち言い合いが始まってしまう。

「なんだよ、お前。女のクセして背が高いからって、生意気だな」
「はぁ!? 関係なくない? 関って本当に嫌な奴だよね! コウ君にいつも意地悪してるし、最低っ」
「うるせぇ! こいつの杖、邪魔なんだよ。ノロノロ歩きやがって。イライラすんだ!」
「コウ君は足が少し不自由なんだから仕方ないでしょ? どうしてあんたはいつもそうなの!」

 廊下に響く、二人の怒号。

 まずいな。また、大ごとになりそうだ……。

 関が言い争いをしているうちに、僕は両手をついて立ち上がろうとした。杖を手に持ち、左足から踏みしめる。
 でも、なかなか上手く力が入らなかった。

「先生ー、また関がコウキ君を苛めてましたー」

 そのとき、もう一人別のクラスメイトの声がした。横目で確認すると、担任の先生が目を丸くしながら僕たちの所へ駆けつけてきた。

「丘島さん、大丈夫ですか!?」

 先生は焦ったように手を差し伸べた。
 支えられながら杖をつき、僕はどうにか立ち上がる。

「怪我はありませんか?」
「はい、大丈夫です」

 力なく、とりあえず頷いてみせた。

 先生は次に、僕を押し倒してきた奴──五年一組僕と同じクラスの関の方を振り返る。

「関さん、またあなたですか! どうしていつもこんなことをするのです? 丘島さんの身体のことは知っているでしょう?」
「うるせー……」

 関はふて腐れながら先生にもよくない態度を取る。

 いつものことなんだ。関はやたらと意地悪をする奴で、とくに僕のような弱い立場の相手に目をつける。
 反省する様子もない関を見て、僕は呆れ返った。
 関わりたくもないし、マジで嫌い。なのにどういうわけかいつも突っかかってくる。

「コウ君。大丈夫……?」

 今の今まで関に怒りをぶつけていた彼女が──ユナが、心配そうな眼差しで僕の顔を覗き込む。
 ユナは保育園のときからの友だちで、家が向かい同士だ。何かといつも僕を助けてくれる。
 人と関わるのが苦手な僕が、心を開いている数少ない友だち。 

 心配させたくなかった。僕は彼女に対して大きく頷く。

「平気だよ。ありがと」

 僕の答えに、ユナは複雑な表情を浮かべた。

 ──そんな顔するな。

 だって、仕方ないんだよ。生まれつきこうなんだから。僕は軽度の『脳性麻痺』で、とくに右側の足が不自由だ。
 力はあんまり入らないし、筋肉が変に緊張してしまって固くなる。
 だから『ロフストランド杖』で身体を支えながらじゃないと歩けないし、足にL字型の『装具』をつけて足首を固定しないと踵が浮いてしまう・・・・・・・・。できるだけつま先を引きずらないようにしてるけど、なかなかできないんだよな。

 ほとんどの人たちからは僕の事情を理解してもらってる。みんな優しく接してくれる。
 とくにユナは特別だ。
 けれど、中には関みたいにバカにしてくる輩がいるんだ。
 僕だってムカつくし、悔しいし、嫌な気持ちになるよ。
 だけど、どうしようもないじゃないか。
 僕はみんなとは違うから──

 誰かの支えや助けがないと、生きていけない。僕のことを奇妙な目で見る人たちがいる。
 周りなんか関係ないっていつも自分に言い聞かせてきた。自分は自分だから。個性のひとつだって、思い込もうとした。
 でもいくらそんな風に考えたって、悔しい想いはなくならない。

 みんなと同じように自由に歩きたい。走りたい。ジャンプしてみたい。
 そんなちっぽけな願いすら、十歳になった今でも叶うことはない。

 でも、悲観したりしないんだ。
 僕を助けてくれる友だちがいるし、支えてくれる家族がいるから。
 もし僕が普通の人生を歩んでいたら、出会わなかった人たちがいる。

 だからこそ、前を向いて生きていきたい──
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