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第十章 元孤児の想い

189,世界で一番大好きな人

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 お預かりしている一件のメッセージを再生します、という機械音が流れる。録音されていたのは、ひどく怯えたような声で助けを求めるレイからのメッセージだった。

『ヒルス……。怖いの』

 電話の向こうで、レイの表情が浮かんでくる。

(レイ、泣いているのか。どうしたんだ)

 俺の問いかけに答えるかのように、ボイスメッセージは続けられた。

『インターホンが鳴り止まないの』

 言葉を詰まらせ、レイの息が荒くなっていくのが分かる。次に流れるメッセージを聞いて、俺の心臓が一瞬でも止まりそうになってしまうんだ。

『今、あの女が……悪魔がいる』

 耳を疑いたくなるほど、動悸がした。

(悪魔がいる? どういうことだ!?)

 彼女の怯えたような声は、電話の中から止まることなく流れてくるんだ。

『何度も何度も、呼び鈴を鳴らしてくる。怖いよ……どうすればいいの。たしかにドアの向こう側に、あの悪魔がいるの……!』

 嘘だと思いたかった。言葉の意味が一瞬分からなくなってしまう。

 あの女がどうして? なぜ、部屋の番号を知られているんだ?

 こんな悪趣味なジョークで、レイが驚かせようとしているのではないかと俺は思い込もうとした。
 だけど、だけど。本当に最悪な事態が起きてしまったら。恐ろしい方向に考えれば考えるほど、呼吸が乱れていく。
 大きく震える手で何とかレイの番号を開き、通話ボタンをタップした。
 コールは鳴るが、何度呼び出しても出る気配がない。

《レイどこだ》
《返事をしてくれ》
《俺は今、家にいる》
《変な冗談は止めてくれ》
《怒ってないから仲直りしよう》

 呼びかけも虚しく、メッセージを送信しても全く返信が来ない。
 気が動転していた俺は、もう一件ボイスメッセージが残っていることに今更気がつく。最後のメッセージは長い時間録音されていたんだ。
 聞いてみると、レイの声は更に震えていた。

『ヒルス……ごめんね。やっぱり怒ってるよね。私、決めたよ。あの悪魔と決別してくる。何度か呼び鈴を鳴らしてからあの人、いつの間にか部屋の前からいなくなったみたい。でもまだきっと近くにいる。それに、またいつここに来るか分からない。このまま逃げていたって、何度も追いかけられるって分かってるの……。でもね、あの女は私を求めているわけじゃない。ただ、お金が欲しいだけ。だったらお金をたくさん渡して、もう私たちに近づかないように交渉してみる。私はいつも守られているから、今度は私がヒルスを守る番だね。だから、安心して──』

 そのメッセージを聞いた瞬間、俺の全身に嫌な汗が滲み出る。身体が動かない。状況を判断するのにはとても時間がかかる事態だ。

(安心してって、レイは何を言っているんだ。今度はレイが俺を守る、だと? どうして俺がレイに守られなくちゃならない? 俺は、レイのヒーローだぞ)

 たった一人であの悪魔に会いに行くだなんて、危険極まりないにもほどがある。
 見るからに狂気に満ちたあの女は、何をするか分からないんだ。金を無心するだけではないかもしれない。

 もしもレイの身に何かあったら……

 考えると俺は今にも発狂してしまいそうになる。
 でも、だからこそ。ここでじっとしているわけにはいかない。
 硬直していた身体を無理矢理動かそうとした。
 約束したんだ。スーパーヒーローとして、何かあればレイの所に必ず駆けつけると。

 無心で玄関のドアを開け、エレベーターに駆け込む。一階一階降っていくこの乗り物は、どうしてこんなにも遅く感じてしまうのだろう。

『ヒルス。あんなに酷いこと言っちゃったけどね、私の家族はあなたと、天国にいるお父さんとお母さんだよ。もう悲観したりしない。ヒルスはいつの日か言ってくれたよね。私たちには固い絆があるって。あの言葉を思い出すと、気持ちが楽になるの。……ヒルス、私のお兄ちゃんになってくれてありがとう。私を大切にしてくれて、愛してくれて幸せだったよ。私の人生は、あなたとの思い出でいっぱい。ヒルスがずっとそばにいてくれたから、私は今までたくさんの幸せをもらったよ。どんなに辛いことがあっても、二人で乗り越えられた。たとえ何があっても前を向いて生きてこられた。あなたは私のたった一人の家族で、誰よりも大切な人。世界で一番大好き』

 ──そこでメッセージは終わりを告げた。

 彼女の声はか細く、時折言葉に詰まっていてまるで何かを示唆するような話しかただ。
 こんなレイの言葉など、今の俺には全く響かない。なぜ改まった言いかたをするのか。なぜ彼女は俺に感謝の言葉を向けるのか?
 理解出来ない。受け入れられない。俺のそばから離れるような真似だけは絶対に許さない!
 俺たちはこれまでもこれからも、一緒に生きていくんだ。二人で幸せになると決めた。こんなところで諦めてたまるか!

 エレベーターから降りると、俺は駆け足でエントランスを抜けて行く。目指す場所は、きっとその時点で決まっていた。
 
『フラットの目の前にある公園に、あの悪魔が立ってたんだよ』

 暗い声で、先程彼女が言っていた言葉を思い出す。目的地が正しいのか定かではない。でも俺の直感は、きっと間違っていないだろう。

 ──ヒルス、助けて。

 レイの、そんな叫び声が聞こえた気がした。俺の意識の奥底に、直接声を届けに来ている感覚がしたんだ。
 全速力で走り抜け、息が上がるほどに夢中で夜道を駆けていく。

 ただ単に、彼女とのなにげない日常を失いたくないだけだ。他愛のない話をしながら美味しいご飯を食べて笑い合いたい。あたたかいベッドで二人で寄り添い、新しい朝を迎える。たったそれだけの日々が幸せだ。
 守るから。絶対に守ってみせるから。
 その一心で、俺は夜の道を駆けていき、公園を目指した──
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