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第九章 悪夢の再来

162,彼女を守る方法

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 彼女はどんなに心が傷ついていたとしても、仕事中は気持ちを切り換えていた。

 今日はダンススタジオでPV用の写真撮影があり、レイは朝早くから気合いを入れているようだった。

(ダンス以外の仕事もあるから、結構大変だよな……)

 遠目でレイを見守りながら、俺はつくづく思う。

 ライブやイベントの時は存分に踊れるが、それ以外にこうした写真撮影やインタビューなんかの仕事が入ると一日中踊れないこともある。ダンスをメインに仕事がしたい俺にとって性に合わないと思うが、レイはむしろどんな仕事も楽しそうにこなしているんだ。
 俺はそんな彼女を、心から尊敬している。

「レイちゃん、お疲れ様。素敵な写真がたくさん撮れたわね。今日はこれで終わりだから帰ってもいいわよ」
「ありがとうございます、モラレスさん。少し時間があるので、スタジオで踊ってから帰ります」

 レイは爽やかな笑顔で言うんだ。
 そんな彼女に俺は優しく声を掛ける。

「今日は朝から早かっただろう。少し休んだ方がいいんじゃないのか?」
「ううん、踊りたいの。気分転換に。好きな曲で、好きなだけね。……そうすれば、色んなことを忘れていられるから」

 彼女のその言葉に俺はハッとした。その通りだ。目を細めながら、俺はレイの頭をそっと撫でる。

「そうだな、それがいいな。俺の仕事が終わったら一緒に帰ろうか」
「うん、待ってる」

 愛くるしい笑顔を彼女から向けられ、こんな時でさえ俺は胸がキュッとなってしまう。レイは俺を逐一ドキドキさせる魔法を唱えているに違いない。

 俺が密かに頬を赤らめている中、レイはジャスティン先生に「練習場お借りします」
 そう言ってその場を後にして行った。

 ──レイは昼間は平気な顔をしているが、夜になると再び魘されるようになってしまった。酷い時は朝方まで眠れないこともしばしばある。
 俺もレイも、心身共に相当な疲れが溜まっていた。

 この事態をどう解決すれば良いものか。まさか彼女の【トラウマ】が再び現れるなんて思いもしなかった。
 彼女が真夜中に怖い夢を見たら、俺はどうにか心を落ち着かせてあげようと必死だ。だけど、それは一時の難を回避する為だけの方法で、根本的な解決にはならない。

 レイは怯えている。またいつ、あの悪魔が自分の前に来るのか分からない。怖くて恐くて仕方がないんだ。

「──ヒルス。大丈夫かい?」
「……えっ?」

 俺がぼんやりしていると、いつの間にかジャスティン先生が心配そうな顔をしてこちらを見つめていた。

「あっ、先生。すみません。何ですか」
「ちょっと心配でね。近頃君もレイも凄く疲れた顔をしているから。仕事が原因じゃないことくらい、僕にも分かるよ」
「……先生」

 すると、すぐ横で着替えをしていたモラレスさんも、 俺の方を向いて腰に手を当てながら言うんだ。

「深刻なことが起きているのよね? 話してくれないかしら。見てて物凄く心配なのよ。アタシたちに出来ることがあれば何でもするから」
「……はい」

 もはや俺たちの事情は誰もが知っている。レイの過去も、生みの親が彼女の前に現れた話も全て。

 事情が知れ渡った時、ジャスティン先生やモラレスさん、スタジオ仲間や生徒たちがレイを心配してくれ、そして応援の声までも向けてくれたんだ。
 俺とレイは本当に良き仲間に恵まれている。

 もう隠す必要なんて何もない。それにこの問題は、二人だけでは背負いきれないほど深刻だ。
 何か大きな事件が起こる前に。信用している人たちには話さなければいけない。

「実は、レイは生みの親と名乗る女と会ってから、毎晩のように魘されるようになってしまったんです」

 俺が重い口を開くと、ジャスティン先生もモラレスさんも真剣に話を聞いてくれた。

 もう二度と悪魔がレイの前には現れないと確信するまで、彼女はトラウマを克服することなど出来ないだろう。きっとあの悪魔は、いつかまたレイの前に姿を現す。

 もしもその時レイが一人の時だったら。またお金をまきあげられたら。はたまた、それ以上に最悪な事態が起きてしまったら。

 とにかく不安に思っていることを、俺は二人に助けを求めるように話をしたんだ。

「そうなのね……。ごめんね、レイちゃんがこんなことになったのはアタシの責任だわ」
「どうしてモラレスさんが謝るんです?」
「その日のライブ後、レイちゃんを一人にしないよう気をつけるべきだったわ。送迎の専属ドライバーはちゃんといるのよ。でもたしかその日は──ドライバーがなかなかライブ会場に来られなくてね。レイちゃんは疲れているから先にホテルに戻ると言って。それで、先に帰らせちゃったの。あの時、せめて他のスタッフも一緒にレイちゃんと先に帰らせるべきだったわ」

 モラレスは見たこともないような落ち込んだ顔をして、声すらも少し低くなってしまっている。
 そんなモラレスの隣で、今度はジャスティン先生が声を暗くして話し始めるんだ。

「いや、元はと言えば僕の生徒がマスコミにあんな重大事項を漏らさなければよかったんだ。ごめんね、ヒルス……僕がちゃんと事情を把握していれば防げたかもしれないのに」
「いや……」

 一気に場の雰囲気が暗くなってしまう。

 隣の部屋から、モラレスさんの軽快な音楽が流れるのが微かに聞こえてくる。レイが楽しそうに踊る姿が目に浮かんだ。それなのに、この場にいた俺たちの空間だけは嘘みたいに静まり返っている。

 俺は言葉に詰まらせた。なぜ二人共頭を下げているのか。困惑してしまう。

 今更どうでもいいんだ。あの時、こうしていればよかったなんて考えたところで事態は何も変わらない。それよりも今は、これからどう対処していけばいいかをしっかり話し合いをしたかった。
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