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第八章 それぞれの想い
144,世界的アーティスト
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俺はその話を聞いて、一気にテンションが上がった。レイの肩を両手で掴み、喜びを爆発させる。
「凄いなレイ。レイのダンスが、あのモラレスに認められたんだろう!」
思わず声が大きくなってしまう。
レイは笑顔で、小さく首を縦に振ってくれる。だけどその口調だけは──なぜだろう、どこか不安そうなんだ。
「私もその話を聞いて凄く嬉しかったの」
「もちろん受けるだろう?」
「うーん……」
レイは何かを思うように、少しだけ目線を下に向ける。
「ちょっと、不安もあるかな」
「不安?」
「モラレスのバックダンサーとして活動するようになったら、きっと今よりも有名になっちゃう。名前が知られるのは嫌じゃないけど、やっぱり少しだけ怖いな。何か変なことにならないかなって」
「変なこと……」
彼女の話を聞いて、俺はハッとした。
「よく有名人がちょっとしたことで、メディアに晒されたりしてるでしょ? 私は……別に隠し事なんて何もないけど、やっぱりネタにされやすいのかなって……」
はっきりと話しているわけではないが、彼女の心配事は俺にも理解出来る。
──レイは元孤児なんだ。
普通に生活しているように見えても、彼女の人生は数えきれないほどの複雑な事情がある。
レイ自身が知らなくとも、生みの親に捨てられた過去はたしかに彼女の身に起きた現実そのもの。
折角新しい家庭に迎えられて幸せな日々を過ごしていたのに、その大切な毎日はあの大火事によって突然奪われてしまった。その運命は辛く、とても悲しく惨いもの。
そして義理の兄である俺とこのような関係になったのも、全く後ろめたいわけではないが、マスコミにはきっとおいしいネタにされてしまうのだろう。
全ての事情は、晒されたりしても何のダメージもない。だけど敢えて知られようとは思わない。これはレイと俺の問題なのだから。
不安そうな顔をするレイの体をそっと抱き寄せ、俺は静かに口を開いた。
「レイは、迷っているんだな」
「……うん。もし何かあったら、嫌な思いもするかもしれないから」
「そうだな……」
俺は今すぐにここで答えを求めようとは思わない。これは彼女自身が決めるべきことだから。
本当はレイにチャンスを逃してほしくない。だけど不安を抱えたまま話を進めても、きっと後悔してしまう。
俺は何も言わずに、長い時間を使ってレイをしっかり抱き締めた。
◆
後日。俺とレイは休日にスタジオに訪れた。
事務室を訪れると、そこにはジャスティン先生と──もう一人、独特な空気を醸す人物が待ち構えていた。
その男、身長がとにかくデカい。俺の頭二つ分くらいは大きいだろうか。ピチピチのワイシャツからは若干胸毛が盛れていて、腕の筋肉やチラッと服の間から顔を覗かせているバキバキの腹筋が目のやり場に困らせる程だ。
この人は……。
見覚えがある。
「レイ、ヒルス。紹介するよ。この方はかの有名な世界的アーティスト、モラレスさんだ!」
ジャスティン先生が放った一言に、俺は言葉を失う。
まさか。本物なのか?
モラレスはこの上ないほどの大きな笑みを浮かべて、レイを見るなり小走りで彼女の方に駆け寄ってきた。そして大胆にも飛びつくように大きな身体でレイに抱きつく。
「ああ、この子がレイちゃんね! 会いたかったわ。動画で見るよりも何百倍も可愛いお嬢さんね!」
モラレスは見た目に似合わず、声は少し高めで喋りかたが女性らしい。いや、仕草もなんとなくそれっぽい。
俺は瞬時に判断した。この人は、そういうタイプの人なんだ、と。
呆気に取られて目を見張るレイを眺めながら、モラレスはキラキラした声で言うんだ。
「それでレイちゃん。いつからアタシの専属ダンサーになってくれるのかしら?」
「あ、あの……」
モラレスの眼力は、この上ないほどに強い。
横目で見ている俺でもさえも圧倒されてしまう。
「モラレスさん、焦らないで。契約するのは彼女が十八歳になってからだよ」
「そうなのー? もう、早く一緒に踊りたいわあ! レイちゃんはあとどれくらいで十八になるのかしら?」
「ええと……あと、半年しないくらいで……」
レイが珍しく吃ってしまっている。だが、そんな彼女の返事にモラレスは更に顔を輝かせた。
「いやーん。楽しみだわ! ねえねえ、アタシのSNSで新しいダンサーが来ますって報告してもいい?」
「え、あの……」
「一緒に写真撮ってもいいかしら? ほら、笑って。はい。チーズ」
「……」
勢いが凄すぎる。
俺もレイも今日は断る気で来たんだ。それなのに、完全にタイミングを逃してしまっている。
だけど彼女が困っているのを見ると、放っておくことは出来ない。
モラレスに圧倒されながらも、俺はどうにか口を開いた。
「あの、モラレスさん。ちょっといいですか」
「ん~? 君は誰?」
俺の前に立つと、モラレスは顔をまじまじと眺めてくる。眼力もオーラも、そしてこの大きな身体もとんでもない迫力だ。
「ああ、もしかして! ジャスティンから聞いてるわ。レイちゃんのお兄さんよね。やだぁ、すっごいイケメンじゃないの。好きになっちゃいそう!」
冗談なのか本気なのか分からないが、モラレスはテンション高くそう言うと、俺にも抱きついてくる。驚き、全身がビクビクしたが、なぜか嫌だという拒否反応が出ない自分にもびっくりだ。
「ねえねえ、よかったら今から三人で一緒に踊らない?」
「えっ」
「ジャスティン、動画撮ってよ。記念に!」
「うんいいよ」とジャスティン先生はモラレスからスマートフォンを受け取ると、スタジオの一番広い練習場まで移動する。
「じゃ、アタシの最近発表した曲流して! レイちゃん、ヒルス君、アドリブで踊れる?」
「は、はい」
勢いに流され、俺とレイは世界的アーティストと急遽ダンスをすることになってしまった。
(どうして俺まで……)
これでは契約を断るタイミングを完全に掴めない。
焦った俺は、ダンスで気を紛らわすしかなく、アクロバット技を次々に繰り出してしまった。バク転から始まり、バク宙、側宙、コークスクリューを難なく決め込む。
その隣でレイは、カポエラの足技とヒップホップダンスをミックスさせた独特なアドリブを繰り出していた。
「最高よ! レイちゃん、ヒルス君! もっと……もっとちょうだい! 魅せるのよ!」
興奮したモラレスは俺とレイの向かい側でロックダンスをしながら、顔を真っ赤に染めていた。
戸惑いつつも、俺はこの時よく分からない不思議な感覚になっていた。
モラレスのダンスは力強くて迫力がある。それでいて艶っぽいオーラが放たれていて、俺はそんなダンスにとんでもないほど魅了され、そして惹きつけられていった。
──ダンスが終わったあと、モラレスは更にとんでないことを言い始めるんだ。
「ヒルス君、あなたのダンスも最高ね! アタシとっても興奮しちゃったわ」
「はあ……それはどうも」
「決めたわ。あなたにもアタシのバックダンサーとして踊ってもらうことにする!」
俺たちは口を開けたまま何も言えずに顔を見合わせた。
汗が額から滲み出て止まらない。深い吐息と共に、それは床へ静かに滴り落ちていった。
この時に俺たちがちゃんと断っていれば、あんなことにはならなかったのかもしれない。
だけどこれはモラレスが悪いわけでもなく、断りきれなかった俺たちのせいでもない。残酷な運命に逆らえず、決して逃げ切れない未来に、ただただ黙って立ち向かっていくしかなかったんだ。
「凄いなレイ。レイのダンスが、あのモラレスに認められたんだろう!」
思わず声が大きくなってしまう。
レイは笑顔で、小さく首を縦に振ってくれる。だけどその口調だけは──なぜだろう、どこか不安そうなんだ。
「私もその話を聞いて凄く嬉しかったの」
「もちろん受けるだろう?」
「うーん……」
レイは何かを思うように、少しだけ目線を下に向ける。
「ちょっと、不安もあるかな」
「不安?」
「モラレスのバックダンサーとして活動するようになったら、きっと今よりも有名になっちゃう。名前が知られるのは嫌じゃないけど、やっぱり少しだけ怖いな。何か変なことにならないかなって」
「変なこと……」
彼女の話を聞いて、俺はハッとした。
「よく有名人がちょっとしたことで、メディアに晒されたりしてるでしょ? 私は……別に隠し事なんて何もないけど、やっぱりネタにされやすいのかなって……」
はっきりと話しているわけではないが、彼女の心配事は俺にも理解出来る。
──レイは元孤児なんだ。
普通に生活しているように見えても、彼女の人生は数えきれないほどの複雑な事情がある。
レイ自身が知らなくとも、生みの親に捨てられた過去はたしかに彼女の身に起きた現実そのもの。
折角新しい家庭に迎えられて幸せな日々を過ごしていたのに、その大切な毎日はあの大火事によって突然奪われてしまった。その運命は辛く、とても悲しく惨いもの。
そして義理の兄である俺とこのような関係になったのも、全く後ろめたいわけではないが、マスコミにはきっとおいしいネタにされてしまうのだろう。
全ての事情は、晒されたりしても何のダメージもない。だけど敢えて知られようとは思わない。これはレイと俺の問題なのだから。
不安そうな顔をするレイの体をそっと抱き寄せ、俺は静かに口を開いた。
「レイは、迷っているんだな」
「……うん。もし何かあったら、嫌な思いもするかもしれないから」
「そうだな……」
俺は今すぐにここで答えを求めようとは思わない。これは彼女自身が決めるべきことだから。
本当はレイにチャンスを逃してほしくない。だけど不安を抱えたまま話を進めても、きっと後悔してしまう。
俺は何も言わずに、長い時間を使ってレイをしっかり抱き締めた。
◆
後日。俺とレイは休日にスタジオに訪れた。
事務室を訪れると、そこにはジャスティン先生と──もう一人、独特な空気を醸す人物が待ち構えていた。
その男、身長がとにかくデカい。俺の頭二つ分くらいは大きいだろうか。ピチピチのワイシャツからは若干胸毛が盛れていて、腕の筋肉やチラッと服の間から顔を覗かせているバキバキの腹筋が目のやり場に困らせる程だ。
この人は……。
見覚えがある。
「レイ、ヒルス。紹介するよ。この方はかの有名な世界的アーティスト、モラレスさんだ!」
ジャスティン先生が放った一言に、俺は言葉を失う。
まさか。本物なのか?
モラレスはこの上ないほどの大きな笑みを浮かべて、レイを見るなり小走りで彼女の方に駆け寄ってきた。そして大胆にも飛びつくように大きな身体でレイに抱きつく。
「ああ、この子がレイちゃんね! 会いたかったわ。動画で見るよりも何百倍も可愛いお嬢さんね!」
モラレスは見た目に似合わず、声は少し高めで喋りかたが女性らしい。いや、仕草もなんとなくそれっぽい。
俺は瞬時に判断した。この人は、そういうタイプの人なんだ、と。
呆気に取られて目を見張るレイを眺めながら、モラレスはキラキラした声で言うんだ。
「それでレイちゃん。いつからアタシの専属ダンサーになってくれるのかしら?」
「あ、あの……」
モラレスの眼力は、この上ないほどに強い。
横目で見ている俺でもさえも圧倒されてしまう。
「モラレスさん、焦らないで。契約するのは彼女が十八歳になってからだよ」
「そうなのー? もう、早く一緒に踊りたいわあ! レイちゃんはあとどれくらいで十八になるのかしら?」
「ええと……あと、半年しないくらいで……」
レイが珍しく吃ってしまっている。だが、そんな彼女の返事にモラレスは更に顔を輝かせた。
「いやーん。楽しみだわ! ねえねえ、アタシのSNSで新しいダンサーが来ますって報告してもいい?」
「え、あの……」
「一緒に写真撮ってもいいかしら? ほら、笑って。はい。チーズ」
「……」
勢いが凄すぎる。
俺もレイも今日は断る気で来たんだ。それなのに、完全にタイミングを逃してしまっている。
だけど彼女が困っているのを見ると、放っておくことは出来ない。
モラレスに圧倒されながらも、俺はどうにか口を開いた。
「あの、モラレスさん。ちょっといいですか」
「ん~? 君は誰?」
俺の前に立つと、モラレスは顔をまじまじと眺めてくる。眼力もオーラも、そしてこの大きな身体もとんでもない迫力だ。
「ああ、もしかして! ジャスティンから聞いてるわ。レイちゃんのお兄さんよね。やだぁ、すっごいイケメンじゃないの。好きになっちゃいそう!」
冗談なのか本気なのか分からないが、モラレスはテンション高くそう言うと、俺にも抱きついてくる。驚き、全身がビクビクしたが、なぜか嫌だという拒否反応が出ない自分にもびっくりだ。
「ねえねえ、よかったら今から三人で一緒に踊らない?」
「えっ」
「ジャスティン、動画撮ってよ。記念に!」
「うんいいよ」とジャスティン先生はモラレスからスマートフォンを受け取ると、スタジオの一番広い練習場まで移動する。
「じゃ、アタシの最近発表した曲流して! レイちゃん、ヒルス君、アドリブで踊れる?」
「は、はい」
勢いに流され、俺とレイは世界的アーティストと急遽ダンスをすることになってしまった。
(どうして俺まで……)
これでは契約を断るタイミングを完全に掴めない。
焦った俺は、ダンスで気を紛らわすしかなく、アクロバット技を次々に繰り出してしまった。バク転から始まり、バク宙、側宙、コークスクリューを難なく決め込む。
その隣でレイは、カポエラの足技とヒップホップダンスをミックスさせた独特なアドリブを繰り出していた。
「最高よ! レイちゃん、ヒルス君! もっと……もっとちょうだい! 魅せるのよ!」
興奮したモラレスは俺とレイの向かい側でロックダンスをしながら、顔を真っ赤に染めていた。
戸惑いつつも、俺はこの時よく分からない不思議な感覚になっていた。
モラレスのダンスは力強くて迫力がある。それでいて艶っぽいオーラが放たれていて、俺はそんなダンスにとんでもないほど魅了され、そして惹きつけられていった。
──ダンスが終わったあと、モラレスは更にとんでないことを言い始めるんだ。
「ヒルス君、あなたのダンスも最高ね! アタシとっても興奮しちゃったわ」
「はあ……それはどうも」
「決めたわ。あなたにもアタシのバックダンサーとして踊ってもらうことにする!」
俺たちは口を開けたまま何も言えずに顔を見合わせた。
汗が額から滲み出て止まらない。深い吐息と共に、それは床へ静かに滴り落ちていった。
この時に俺たちがちゃんと断っていれば、あんなことにはならなかったのかもしれない。
だけどこれはモラレスが悪いわけでもなく、断りきれなかった俺たちのせいでもない。残酷な運命に逆らえず、決して逃げ切れない未来に、ただただ黙って立ち向かっていくしかなかったんだ。
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