【完結】サルビアの育てかた

朱村びすりん

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第八章 それぞれの想い

136,愛情を伝えて

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 彼女との甘いキスは、胸の高鳴りだけではなく、安らぎや幸福を与えてくれる。今までに経験したことのないような、燃えるような熱さが俺の心を大きく包み込んでいく。
 今日この時に、真実を彼女に打ち明けたことを俺は決して後悔していない。むしろ、これで良かったとさえ思っている。

 だけどひとつだけ。レイに知らせていない過去がある。それは、生みの親に彼女が酷い仕打ちをされていたことだ。鎖骨下のあの火傷痕は一生消えないだろう。だけど、レイにはこれ以上傷ついてほしくない。
 だから俺はこれまでもこれからも、彼女の過去について誰にも話すつもりはない。心の奥底に潜むトラウマによって、レイが再び悪夢を見ないように。
 彼女の笑顔を守れるのは、他の誰でもなくこの俺だけだ。

 溢れて止まらない想いを伝えた後、レイは俺の顔を見て突然くすくすと笑い始める。
 彼女を求め続ける唇の欲を止め、俺はレイに訊ねた。

「……何が面白いんだ?」
「ううん。何でもない」

 そう言いながらも、レイは肩を震わせ笑い続けている。

「何でもないわけない。そんなに笑ってどうしたんだ」
「そうだよね。気になるよね。でもこんなこと、ヒルスに言っていいのかなあ」

 レイの言葉の意味が理解できず、俺は首を捻った。
 そんな俺に対し、レイはこの上ないほど頬を緩めている。

「あのさ、ヒルス。キスするの、初めてじゃないよね」
「……えっ?」

 レイにそんなことを言わた瞬間、俺の心臓は跳び跳ねそうになる。
 彼女は、嬉しそうな口調で続ける。

「一回目は、私が寝ている時にキス、したよね」
「……嘘だろ」

 まさか。

 レイがロンドン大会で優勝したあの夜のことか。横で眠る彼女に、俺が勝手にキスをしてしまったことを言ってるのに違いない。

 顔から火が出そうになる。まるで全身が真っ赤に染まるようだ。

「あの日? レイ、起きていたのか」
「起きてたというか、起きちゃったの。あんなに何回もキスされたら、普通起きるよ」
「……ごめん。俺、最低だったよな」
「他の人だったら許さないよ。だけどヒルスだから嫌じゃなかったの」

 レイはそう言ってくれるが……いくら何でも、好きな相手が寝ている隙に唇を奪うなんて最低野郎がすることだ。レイが許してくれても、俺はあの日の自分の行動に今でも後悔している。

 俺の声はありえないほど暗くなってしまう。

「あの時は、どうかしてた。もう二度としないから……」
「うーん。それならさ、弱いお酒も無理して飲まないでね?」
「えっ」
「スタジオのみんなでパブへ飲みに行った日だよ。あの時のヒルス、すごく酔ってたでしょ。覚えてないみたいだけど……ヒルスったら、私にキスしてきたんだよ」
「な、何だってっ?」

 思わず声が裏返ってしまう。全く記憶にない。酔った勢いで、レイにキスをしてしまっただと?
 更なる最低最悪な行動に、俺は自分のことをぶっ飛ばしたくなるほど嫌気がさした。

 それでもレイは、笑顔を絶やさず柔らかい声で言うんだ。

「本当は絶対にだめなんだよ。だけどね、ヒルスだから許せるの」
「……レイ」
「でもやっぱり、今日のキスが一番好きだな。ヒルスからの愛情がたくさん感じられるの」

 そんな風に言われると、正直な俺の体は強い力でレイを抱き締めずにはいられない。言葉すらも素直になるんだ。

「だったら、これからは毎日レイに愛情を伝えるよ」

 こくりと頷くレイの頬にそっと触れ、俺はもう一度彼女の唇に優しく愛を伝えた。

 今まで彼女が隣にいてくれる時間は俺にとっては最高のひとときだった。だけど遂に想いを伝えられたことで、今日は目に映る町の背景さえもキラキラ輝いて見えたんだ。
 この愛おしい手を、俺はずっと離したくない。守っていきたい。歳を重ねるごとに、レイの存在は俺の中でかけがえのないものになっていくから。



 フラットへ戻り、腹を空かせた俺たちはレイが作ってくれた愛情たっぷりのハンバーグステーキを一緒に食べる。
 冷めたハンバーグステーキをもう一度あたためると少しばかり固くなってしまっていたが、それでも最高に幸せな味だ。そばには、愛くるしい笑顔を向けるレイがいてくれる。どうしようもなく最高の時間だ。

 ──夕食を済ませたあと、俺はひとつ気になっていたことをレイに訊いてみた。

「なあ、レイ」
「何?」
「どうしてレイは知っていたんだ? 本当のことを……。俺の態度から察したのか」

 俺が何となしに問うと、急にレイの笑顔が消え去った。
 重く深刻な顔で口をゆっくりと開くんだ。

「……ずっと前に、ある人から聞いたんだ」
「ある人?」

 なぜか言いづらそうに、それでいて、悲しいような表情を浮かべてレイはゆっくりと話し続ける。

「──あれは、私が十二歳の時かな。私たちが血の繋がらない家族だったことも、私が元々孤児院で暮らす親なしだったことも。スクールの、あの人から聞かされたの」

 レイの声はとても沈んでいた。
 彼女から聞かされた話は、あまりに衝撃的で許し難く。何よりもその事実を知らなかった俺は、自分が鈍感なことにとても悔やんでしまう事態になる。

 ──まさかレイが、ダンススクールで酷い嫌がらせを受けていたなんて、俺はこの時まで全く知らなかったんだ。
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