128 / 205
第八章 それぞれの想い
128,恩師の悩み
しおりを挟む◆
その日、珍しくジャスティン先生はスタジオの事務室に一人籠っていて、朝の挨拶にすら来てくれなかった。
気になった俺は、小休憩の間にジャスティン先生を訪ねてみる。
「先生」
「……」
ノックをしても反応がないし、俺がドアを開けて声を掛けてみても返事もない。
何やら先生はパソコンと睨み合いをしている。今のジャスティン先生の耳には、俺の声がなかなか届いてくれないようだ。
「ジャスティン先生!」
少しだけ大きい声を出すと、先生はハッとしたようにやっとこちらを振り向いた。
「ああ、ヒルスか……。何か用かい?」
疲れた目をしている先生の声は、いつにもなく元気がない。
「大丈夫ですか? 練習場に顔も出してくれないから……」
「ごめんよ。今後どうするか悩んでいてね」
「今後って?」
「ダンススクールのことだよ」
無理やり笑顔を作る先生の顔は、瞳の奥で思い詰めた色を浮かべている。
この時俺は、叔父のジェイクが話していたことをふと思い出した。
「もしかして、生徒が増えすぎている件ですか」
「そうなんだよ、よく分かったね?」
「はい。叔父から話は聞きました」
パソコンをそっと閉じてから、ジャスティン先生は俺の方を向いて真剣に話し始める。
「反響が凄いんだよ」
「えっ?」
「レイとロイだよ。レイは以前のロンドン大会でナンバーワンを勝ち取っただろう。それにロイはアメリカ主催の世界大会で結果を残した。二人が活躍した時期からスクールに入会したいという問い合わせが物凄く増えてね」
ジャスティン先生は腕を組みながら小さく唸る。この件に関しては、先生にとっても嬉しい悲鳴には違いない。
「新しいインストラクターも数名雇ったんだ。だけど練習場所が足りなくて、困り果てているんだよ。正直、入会希望者の受け入れを一時ストップしているほどなんだ」
今までずっと世話になってきた先生が困っている。
俺は一度よく考えてみた。ジャスティン先生は何かと俺たちに良くしてくれている。心から信頼している人だし、インストラクターとして働くことが出来たのも先生のおかげだ。そんなジャスティン先生がこれほど悩んでいるのなら、どうにか解消してあげたい。
俺は真剣な眼差しを先生に向けてゆっくり口を開いた。
「先生。もしよかったら……俺たちの土地を使いませんか」
俺の提案に、ジャスティン先生は目を見開く。
「土地って。まさか、君たちの家があったあの場所のことかい?」
「そうです。俺たちは今後、あそこに家を建て直して生活することはないと思います。ずっと放置しているのもよくないと叔父にも言われました。だけど、どうすればいいのかずっと答えが出ません」
俺の話を真剣に聞いてくれるジャスティン先生の目の奥は、少しばかり潤っているように見える。
「だけど、ジャスティン先生が困っているなら俺は協力したいと思います。俺たちの土地を、よければ使ってくれませんか」
「……そんな。いいのかい」
「ジャスティン先生だからいいんです。きっとレイだって先生の為なら快諾してくれるはずですよ」
先生はしばらく口を閉じ、何かを想うように遠くを見つめていた。
いつまでも跡地を放置したまま何もせず雑草を生え散らかしてしまうよりも、こうして信頼している人に活用してもらうのが一番のはずだ。きっと天国にいる父と母も許してくれるだろう。
「ありがとう、ヒルス。レイにも許可を貰ったら早速契約をさせてもらっていいかな」
「契約?」
「地代の件やどれくらいの期間使わせて貰うかなど色々と決めないといけないからね」
「いえ、先生。お金なんて要らないし、スクールを建てるならいつまででも貸しますよ」
軽い気持ちで俺が言うと、ジャスティン先生は首を大袈裟に振るんだ。
「何を言うんだよ、ヒルス! 君たちの大切な場所を使わせてもらうんだ。こういうことはしっかりしておかないと」
先生の目は真剣だった。
本当に俺はいいのに。ジャスティン先生はしっかりしているな……。
俺が呑気に思っていると、事務室のドアからノック音が響き渡った。反射的に、ジャスティン先生と俺の目はドアの方に向けられる。
そこから姿を現したのは──レイだった。
彼女の姿を目にした瞬間、俺はたちまち胸が熱くなる。昨晩のことを思い出してしまう。
すぐさま俺はジャスティン先生の方に目線を戻す。
朝からレイとは気まずいんだ。と言うよりも、俺が意識しすぎてしまって彼女を見ただけで身体が火照り、目も合わせられずにいるだけであって。話をするなんて以ての外。
今日レイは一日個人練習で、俺がダンスの指導に入ることはない。助かった、と内心思ってしまう。
結果的にレイを避けているようになっているのは事実。俺は自分の悪い癖をどうにかしたかった。
決してレイのことが嫌いになったわけではなく、むしろ大好きだからこそ、俺は彼女の前でどういう振る舞いをしていいのか分からなくなったんだ。
俺があれこれ考え込んでいるのをよそに、レイは事務室の中へ何食わぬ顔で入ってきた。
「ジャスティン先生、大丈夫ですか? 一度も練習場に来てくれないなんて珍しいですね」
レイは少しばかり心配そうな声をしていた。それでもジャスティン先生は、レイの顔を見るなりぱっと表情を明るくするんだ。
「レイ、ちょうどいいところに来てくれたね! 実は相談があるんだよ」
「相談? 私にですか?」
ジャスティン先生は先程とは打って変わって目をキラキラさせるんだ。
─携帯新スクール建設の話を先生から聞かされたレイは驚いたような顔をし、それでいて口角をこの上ないほど緩めていた。聞くまでもなくレイはすぐに建設の件に合意してくれて、むしろ嬉しそうに話をするんだ。
「凄いですね! 先生のダンススクールがそこまで人気になるなんて」
「レイのおかげでもあるんだよ」
「えっ、どうしてですか?」
「君がロンドン大会で結果を出してくれただろう。あの時のダンスを見て、スクールに入会したいと言う新入生も実際にいるんだよ」
そう言われたレイは、目を細める。そして、ふと俺の方に顔を向けるんだ。
「あの日の大会は、ヒルスの為に頑張ったんです。だから、彼のおかげでもありますね」
「ははは。その通りだね! 本当に僕は、君たち二人には感謝しなきゃいけないよ」
横目でレイが微笑んでいるのが分かる。でも俺は、まだまだ恥ずかしさがあって、彼女と目も合わせることも出来なかったんだ。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】炎の戦史 ~氷の少女と失われた記憶~
朱村びすりん
ファンタジー
~あらすじ~
炎の力を使える青年、リ・リュウキは記憶を失っていた。
見知らぬ山を歩いていると、人ひとり分ほどの大きな氷を発見する。その中には──なんと少女が悲しそうな顔をして凍りついていたのだ。
美しい少女に、リュウキは心を奪われそうになる。
炎の力をリュウキが放出し、氷の封印が解かれると、驚くことに彼女はまだ生きていた。
謎の少女は、どういうわけか、ハクという化け物の白虎と共生していた。
なぜ氷になっていたのかリュウキが問うと、彼女も記憶がなく分からないのだという。しかし名は覚えていて、彼女はソン・ヤエと名乗った。そして唯一、闇の記憶だけは残っており、彼女は好きでもない男に毎夜乱暴されたことによって負った心の傷が刻まれているのだという。
記憶の一部が失われている共通点があるとして、リュウキはヤエたちと共に過去を取り戻すため行動を共にしようと申し出る。
最初は戸惑っていたようだが、ヤエは渋々承諾。それから一行は山を下るために歩き始めた。
だがこの時である。突然、ハクの姿がなくなってしまったのだ。大切な友の姿が見当たらず、ヤエが取り乱していると──二人の前に謎の男が現れた。
男はどういうわけか何かの事情を知っているようで、二人にこう言い残す。
「ハクに会いたいのならば、満月の夜までに西国最西端にある『シュキ城』へ向かえ」
「記憶を取り戻すためには、意識の奥底に現れる『幻想世界』で真実を見つけ出せ」
男の言葉に半信半疑だったリュウキとヤエだが、二人にはなんの手がかりもない。
言われたとおり、シュキ城を目指すことにした。
しかし西の最西端は、化け物を生み出すとされる『幻草』が大量に栽培される土地でもあった……。
化け物や山賊が各地を荒らし、北・東・西の三ヶ国が争っている乱世の時代。
この世に平和は訪れるのだろうか。
二人は過去の記憶を取り戻すことができるのだろうか。
特異能力を持つ彼らの戦いと愛情の物語を描いた、古代中国風ファンタジー。
★2023年1月5日エブリスタ様の「東洋風ファンタジー」特集に掲載されました。ありがとうございます(人´∀`)♪
☆special thanks☆
表紙イラスト・ベアしゅう様
77話挿絵・テン様
マンドラゴラの王様
ミドリ
キャラ文芸
覇気のない若者、秋野美空(23)は、人付き合いが苦手。
再婚した母が出ていった実家(ど田舎)でひとり暮らしをしていた。
そんなある日、裏山を散策中に見慣れぬ植物を踏んづけてしまい、葉をめくるとそこにあったのは人間の頭。驚いた美空だったが、どうやらそれが人間ではなく根っこで出来た植物だと気付き、観察日記をつけることに。
日々成長していく植物は、やがてエキゾチックな若い男性に育っていく。無垢な子供の様な彼を庇護しようと、日々奮闘する美空。
とうとう地面から解放された彼と共に暮らし始めた美空に、事件が次々と襲いかかる。
何故彼はこの場所に生えてきたのか。
何故美空はこの場所から離れたくないのか。
この地に古くから伝わる伝承と、海外から尋ねてきた怪しげな祈祷師ウドさんと関わることで、次第に全ての謎が解き明かされていく。
完結済作品です。
気弱だった美空が段々と成長していく姿を是非応援していただければと思います。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

婚約破棄はまだですか?─豊穣をもたらす伝説の公爵令嬢に転生したけど、王太子がなかなか婚約破棄してこない
nanahi
恋愛
火事のあと、私は王太子の婚約者:シンシア・ウォーレンに転生した。王国に豊穣をもたらすという伝説の黒髪黒眼の公爵令嬢だ。王太子は婚約者の私がいながら、男爵令嬢ケリーを愛していた。「王太子から婚約破棄されるパターンね」…私はつらい前世から解放された喜びから、破棄を進んで受け入れようと自由に振る舞っていた。ところが王太子はなかなか破棄を告げてこなくて…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる