【完結】サルビアの育てかた

朱村びすりん

文字の大きさ
上 下
83 / 205
第四章 あの子と共に

83,悲鳴

しおりを挟む
 家が近づくにつれ、いつもは閑静な住宅街の中が妙に騒がしくなってきたの。町と町の間で響き渡るのは、複数の消防のサイレンの音だった。
 
「凄い音だね……どこかで火事かな? 救急車の音もするね」
 
 私が呟く声がかき消されそうになるほど、町に響く警報音がうるさく鳴り続ける。

 最初は全然意識していなかったけれど──何となく、私たちが帰る方角へ消防車も向かっていることに気がついた。隣町の方からも緊急車両が出動しているようで、ヒルスは何度か道を譲ったの。

 おかしい。何だろう……この得体の知れない嫌な予感は。
 
「家の方向で何かあったのかな……?」
 
 家に近づけば近づくほど、サイレンの音が大きくなっていく。どうしても違和感が拭えない。
 
「いや、まさかな」
 
 ヒルスは低い声で独り言のようにそう漏らす。
 不安になってしまう。私はじっと彼を見つめた。
 
「ねえ、ヒルス」
「ん?」
 
 彼の両手はハンドルを握りながら微かに震えている。
 
「違うよね」
「何が?」
「違うって、言ってよ」
「だから、何が……?」
 
 抽象的な会話で、お互いに何を言いたいのか分からない。
 ううん。分からないんじゃなくて、言いたくなかっただけ。

 不安を乗せたまま走る車は、やがて私たちの家のすぐ近くまで辿り着いた。次の角を曲がれば、帰るべき場所がある。
 なぜだろう。そこには多くの野次馬のような人々が集まっていて、更には消防車や救急車が何台も停まっていた。消防隊が何十人もいて、忙しなくあちこち動き回っている。

 どうしてみんな、私たちの家がある方を見て不安そうな顔をしているの? 何をそんなに慌てているの……?

 異様な光景を目の当たりにして、全身が硬直していく。
 ヒルスは震えながらゆっくりと車から降りていった。
 吐きそうなくらい動悸がした。私はケーキの箱を持って彼を追って外に出る。ヒルスの隣に並ぶと、その震える手をギュッと握り締めた。
 するとヒルスは、瞳の奥を怯えた色に染めながらも私の顔をじっと見つめて小さく頷くの。
 きっとこれは、ただのボヤ騒ぎか何かだよ。心配することなんてない。すぐそこの角を曲がって家が無事だというのを確認して、安心すればいいだけの話。
 そう言い聞かせてみるのに、身体は正直だった。全身から汗が流れ出てきて、どうしても止められない。
 ヒルスは私の冷たい右手を握り返してから、ゆっくりと歩みを進めた。

 大丈夫。大丈夫だから。何も、怖いことなんてないよ……。

 無表情と無言のまま野次馬たちの間をかき分け、私たちは息を乱しながら前へとゆっくり進んでいく。

 ──そして私たちは見てしまった。直視できないほど眩しく、真っ赤に燃え上がる炎を。夜空をもくもくと漂う不気味な黒い煙を。
 その発生源は他のどこからでもなく、私たちが帰るべき場所からだった。

 目の前で起きている状況が全然認識できない。
 衝撃のあまり、私は手に持っていた白い箱を落としてしまう。グシャッとケーキが崩れる音が聞こえた気がした──

 消防士たちが懸命に消火活動をしているというのに、私たちの家は全く鎮火する気配がない。炎に包まれ、至るところが黒く焼け焦げていく。物凄い音を立てて今にも崩れそうになっていた。
 
「お父さん、お母さん……!」
 
 私は思わず震えた声で叫んだ。炎の燃える音と、野次馬が騒ぐ声と、消防士たちの慌ただしい叫び声で、私の悲鳴なんてかき消されてしまう。

 だけど。だけど、だけど……叫ばずにはいられないの。

 私はヒルスの手をバッと離し、燃え盛る炎に向かって走り出した。
 
「お父さん、お母さん!」
 
 何度も何度も父と母を呼び、無我夢中になって燃え盛る炎へと駆けていく。
 熱さなんて関係ない。もしも二人があの中にいたら。そう考えると、いてもたってもいられなくなった。
 
「あっ……お嬢さん! ここは危険だから近づかないで!」
 
 けれど私の邪魔をするように、その先にいた消防士に行く手を阻まれてしまう。それでももがき続け、燃え崩れていく家に向かって私はひたすら叫び続けた。
 
「お父さんお母さん、どこにいるの? お父さん、お母さん!!」
「……この家の方ですか……」
「ねえ、お父さんとお母さんはどこにいるの⁉ 教えて。教えてよ!」
「今はまだ何も分からない状態なんです」
「お父さんたちは、避難したの⁉ まだ家の中にいるなんてことはないでしょう? 助けて。お父さんとお母さんを助けてよ……!」
 
 まともに会話なんてできなかった。私を遮る消防士の腕を払いのけようと暴れ回る。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】炎の戦史 ~氷の少女と失われた記憶~

朱村びすりん
ファンタジー
 ~あらすじ~  炎の力を使える青年、リ・リュウキは記憶を失っていた。  見知らぬ山を歩いていると、人ひとり分ほどの大きな氷を発見する。その中には──なんと少女が悲しそうな顔をして凍りついていたのだ。  美しい少女に、リュウキは心を奪われそうになる。  炎の力をリュウキが放出し、氷の封印が解かれると、驚くことに彼女はまだ生きていた。  謎の少女は、どういうわけか、ハクという化け物の白虎と共生していた。  なぜ氷になっていたのかリュウキが問うと、彼女も記憶がなく分からないのだという。しかし名は覚えていて、彼女はソン・ヤエと名乗った。そして唯一、闇の記憶だけは残っており、彼女は好きでもない男に毎夜乱暴されたことによって負った心の傷が刻まれているのだという。  記憶の一部が失われている共通点があるとして、リュウキはヤエたちと共に過去を取り戻すため行動を共にしようと申し出る。  最初は戸惑っていたようだが、ヤエは渋々承諾。それから一行は山を下るために歩き始めた。  だがこの時である。突然、ハクの姿がなくなってしまったのだ。大切な友の姿が見当たらず、ヤエが取り乱していると──二人の前に謎の男が現れた。  男はどういうわけか何かの事情を知っているようで、二人にこう言い残す。 「ハクに会いたいのならば、満月の夜までに西国最西端にある『シュキ城』へ向かえ」 「記憶を取り戻すためには、意識の奥底に現れる『幻想世界』で真実を見つけ出せ」  男の言葉に半信半疑だったリュウキとヤエだが、二人にはなんの手がかりもない。  言われたとおり、シュキ城を目指すことにした。  しかし西の最西端は、化け物を生み出すとされる『幻草』が大量に栽培される土地でもあった……。  化け物や山賊が各地を荒らし、北・東・西の三ヶ国が争っている乱世の時代。  この世に平和は訪れるのだろうか。  二人は過去の記憶を取り戻すことができるのだろうか。  特異能力を持つ彼らの戦いと愛情の物語を描いた、古代中国風ファンタジー。 ★2023年1月5日エブリスタ様の「東洋風ファンタジー」特集に掲載されました。ありがとうございます(人´∀`)♪ ☆special thanks☆ 表紙イラスト・ベアしゅう様 77話挿絵・テン様

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...