【完結】サルビアの育てかた

朱村びすりん

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第二章 特別な花

60,亡き家族を想う気持ち

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 次の休日。ヒルスはいつものように家に泊まりにきた。

 私は仕事で忙しい母の代わりに、朝から掃除や洗濯などの家事をこなしていく。ガーデンに咲く『サルビア』に水やりをするのも大事な仕事。
 私が花たちのお世話をする横で、ヒルスも一緒に水やりを手伝ってくれた。
 始めはお互い花の世話に夢中だったから無言でいたけれど、以前母から聞いた話を思い出し、私は口を開いた。
  
「ねえ、ヒルス知ってる? 『サルビア』はね、本当はこの寒い時期には咲かない花なんだよ」
「そうなのか?」
「うん。それなのに、お母さんが育てる『サルビア』は季節に関係なくいつも咲いてる。不思議だよね。だから私、お母さんに訊いてみたんだよ。どうしてこの家の『サルビア』たちは年中咲き続けているのか。そしたらお母さんってば、愛情込めて育てているからよ、なんて言うの。全然答えになってないよね」
「いや、母さんらしいな。『サルビア』の花言葉は【家族愛】だから間違っていないのかもな」
「へぇ、そうなんだ? 花言葉なんて、よく知ってるね」
「前に母さんから教えてもらったんだ」
「……だから、お母さんは『サルビア』を大切にしているんだね」
「えっ?」
「このお花、天国で暮らすもう一人の家族のために育てているんでしょう?」
「……レイ」
「この前、お母さんとお父さんに聞いたよ。私が生まれるずっと前に、お母さんたちにはもう一人子供がいたってこと。──ヒルスの、妹だよね」
「そうだな。俺がまだ二歳前のことだったから、覚えてはいないけど」

 ──ねえ、ヒルス。私、彼女のお墓参りに行ってみたい。グリマルディ家の大切な家族のお墓参りに。お父さんとお母さんの大切な娘で、ヒルスの妹ってことは……私のお姉ちゃん、だよね?
 そんな風に訊いてみたの。そしたらヒルスは、またいつものように穏やかな顔で頷いてくれた。

「この前のお礼、それでいいのか?」
「うん、連れていって」

 家事を一通り終えてから、私たちは出かける準備をした。ヒルスは『サルビア』の花束を大切に抱え、バイクを用意する。
 彼の運転するバイクに跨がり、彼女のお墓を目指した。

 亡き家族のお墓は、家からそう遠くない場所にあった。森林公園の裏側に到着すると、そこに霊園があり幻想的な空間が広がっていた。
 入り口から奥へ奥へと道が果てしないほどに繋がっていき、柳の木々が並び佇む。その両奥サイドには、たくさんの墓石が静かに並んでいた。
 先日の雪で、まだ白い世界が広がっている。雪化粧をした木々を太陽の光が美しく輝かせていて、本当に心地の良い場所なの。

「この先にあるんだ。おいで」

 幻想的に光る木々の間をかき分け、ヒルスはさりげなく私の手を引いてくれた。大きな手に包まれて、私の胸の奥がぐんと熱くなってしまう。何も言わずに自分の気持ちを隠しながら、けれども彼の手をしっかり握り返して道を進んで行った。

 お墓に到着する前、一組の老夫婦が前方から歩いてきた。杖をついて歩くお爺さんを片手で支えながら、お婆さんは優しい笑みを浮かべている。二人の手には色とりどりの花束が握られていたんだけど、私たちの横を通りすぎる手前でお婆さんの手から一輪落ちてしまう。二人とも気づく様子がなかった。

「落ちましたよ」
 ヒルスは一輪の黄色い花を拾い、お婆さんにそっと手渡す。

「おや、ありがとうねぇ」

 皺が刻まれた優しい笑顔で、二人はゆっくりと頭を下げる。

「お墓参りに来たのかい?」
「はい。……家族の墓参りです」
「そうかい。わたしらも、天に召された子供の墓参りに来てねぇ。もう半世紀も前に事故で亡くなったけど未だに毎年来ているんだよ」
「……そうなんですね」

 お婆さんのその言葉に、私は複雑な気持ちになってしまう。

「ばあさん、そんな重い話をしたらこの人たちを困らせちまうよ」
「でもねぇ、おじいさん。大切な人を想う気持ちは、誰にでも共通してありますから」

 お婆さんは頬に笑いの皺を刻む。そして、ゆったりとした口調でこんなことを問いかけてきた。

「居なくなった家族がもし生きていたら、と考えたことがあるかい?」
「えっ」

 この質問に、私の胸がドクンと音を立てた。

 ──もしも、もう一人の家族が、生きていたら。父と母の娘が元気に生きていたら。きっと私はここにはいない。別の家庭に引き取られていたのかもしれないし、今も孤児として生きていたのかもしれない。父と母と、そしてヒルスとも、出会っていなかったかもしれないよね。
 悲しい出来事が過去にあったから、私は今ここにいられるのだと思う。でもそれって……天国にいる彼女にとっては、辛いことなのかも。血の繋がらない私が、グリマルディ家の娘として生活しているなんて……。

 そんなことを考えてしまった。

「わたしらは何度だってあるよ。あの子が生きていたら今頃どういう風に育って、どんな生活をしていただろうってね」
「……はい」

 声が勝手に暗くなってしまった。

「でもね、どんなに想っていても、一度天国にいってしまった人はこっちに戻ってくることはないからねぇ。今ある幸せを大切にしなさいね。だけど決して、居なくなった家族のことも忘れずに」
「……そうですね」

 ヒルスはお婆さんの話に静かに頷いた。
 そんな彼の手を私はしっかり握り締める。放さないように、離れないように、何かをたしかめるように。

「お嬢さんも今の幸せに感謝して、家族の分まで生きるんだよ」
「はい、ありがとう……お婆さん」

 私は穏やかな表情を保って頷いた。

 それから老夫婦は、二人並んで再び歩きだす。私は彼と一緒にしばらく黙って、その後ろ姿を見送った。

 今ある幸せを大切に、か。私なんかがこの幸せを噛み締めてもいいのかな。

「……レイ」

 私があれこれ考えていると、ヒルスが心配そうに顔を覗いてきた。ハッと我に返って彼を見上げると、ヒルスがいつもの優しい声で私を促した。

「行こうか」
「うん、そうだね……」

 彼はもう一度私の手を引いて歩みを進める。このとき、自分の指先が先程よりも冷たくなっているような気がした。
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