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第二章 特別な花
55,体調不良
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──さて、仕事中は余計なことは考えないようにしなければ。俺はその日、生徒たちにいつも以上の熱い指導をする。
数時間のレッスンが終わるとそそくさと帰り支度を済ませ、すぐさまスタジオを出ようとした。
「ヒルス、お疲れ様」
「ああフレア。お疲れ。また明日な」
今日はフレアとも帰り際に立ち話などしない。気まずいから無理だ。それに、大事なホームワークもあるんだ。逃げるように、俺はさっさと家路についた。
帰宅後、俺は家で一人夕食を黙々と食べながら考えた。レイをスクールに復帰させる作戦を。
話し合いだけじゃ戻ってきてくれない。言葉がダメなら身体で説得するしかないか?
わざとレイの視界に入るところで俺が踊ってアピールするか。実家に帰ったとき、ガーデンで一日中踊ってみるのもいいな。
それか、ダンスイベントに誘ってみるのもどうだ。今度知り合いのダンサーが出るイベントもあるしな……。会場が湧いてるのを見ればレイだって踊りたくなるかもしれない。
あれこれ考えてみるものの、心の底では「こんなことでレイがやる気になるならとっくにダンススクールへ戻っているはずだ」と、虚しいながらもそう思ってしまう。
食事中も、後片付けのときも、シャワーを浴びるときも、ひたすら頭を巡らせた。
だが、ちっともいいアイディアが思いつかない。夜が更けても、俺はソファに腰かけながらああでもないこうでもない、と頭を働かせる。
時間も忘れて考え込んでいくうちに、俺は毛布もかけずにそのままソファで眠ってしまっていた。
◆
翌朝。
ふと目を覚ますと、真冬の部屋の中は震えるほど冷たくなっていた。
力を入れて上体を起こそうとすると──自分の身体に、とんでもないほどの違和感を覚える。異常な寒気と頭痛。そして顔の周辺が熱くてたまらない。咳と鼻水まで出てきてしまう。
これは……。
やらかしてしまった。熱を測ってみると三十八度以上もあるではないか。基本的に風邪症状がある状態ではダンススタジオへ行くことはできない。
俺は悔しくてもう一度立ち上がろうとする。しかし、目の前がふらっとしてしまい、まともに歩けないんだ。
最悪だ。今日もレッスンがあるのに。
体調不良を理由に仕事を休んだことなど、これまでに一度足りともない。午後から出勤なのでそれまでに熱が下がらないか、という考えが過る。が、スタジオのみんなに風邪を移してしまったらそれこそ大変だ。
少し間を置いてから、泣く泣くジャスティン先生に連絡を入れる。
携帯電話を手に取ってコールすると、先生はすぐに出てくれた。
『ハイ、ヒルス。朝早くにどうしたんだい』
「……先生、おはようございます」
『おや。声が枯れているけど、大丈夫?』
「熱が出てしまいました。頭がクラクラして寒気も酷いんです」
『君が体調崩すなんて珍しいね。いいよ、ゆっくり休んでよ!』
「すみません。今日もレッスンがあるのに……」
『心配しないで。代わりのイントラをつけるからさ。元気になったらまた連絡してよ!』
「はい、ありがとうございます」
心身ともに弱り気味の今の俺にとって、ジャスティン先生の優しさが身に染みる。
突発的に休んでしまい、悪いことをしたな……。
通話を終え、天井をぼんやり眺めた。
喉が異様にカラカラだ。飲み物は水くらいしかない。紅茶を淹れる気力すらないな。それよりも、汗が止まらないからスポーツドリンクが欲しい。
しんとした部屋で、俺の吐息だけが響き渡る。
一人暮らしをしてから、初めて熱を出した。どうしようもない寂しさが俺の心を襲ってくる。
こんなとき一番に思い浮かべるのは──やはりレイの顔なんだ。
時刻を確認すると、まだ七時前だった。レイは起きているかな、と思いつつも俺はまたもや携帯電話を手に取り、ぼんやりする頭でゆっくりとメッセージを打ち込む。
《レイ、起きてるか》
十分ほど返信が来なかったが、その後すぐに着信があった。レイからの電話で、俺は苦しいながらも心だけは躍る。
『ヒルス、おはよう』
「レイ……すまん、こんな朝に」
『あれ、声どうしたの?』
「……ちょっとな」
『もしかして、体調崩しちゃったの』
「そうだ。よく分かったな?」
こちらが説明しなくとも、難なく状況を把握してくれるレイが、大袈裟かもしれないが女神に思えた。それほど今の俺は弱りきっている。
『一人なのに大変だよね。私、今日は用事もないし看病しに行くよ?』
「いいのか」
『ヒルスのためだよ、気にしないで。食べたいものとか、買うものがあったらメッセージで送って』
「ああ、分かった」
『今から支度するから……二時間くらい待ってもらうことになるけど平気?』
「いいよ、焦らなくて」
『でも心配だからなるべく急ぐね』
「ありがとう、レイ。……気をつけておいで」
心身ともに辛くても、彼女との通話を終えると俺の心は物凄く安らいだ。
『ヒルスのためだよ』
そんななにげない彼女の一言が、頭の中でリピートする。無意識のうちに頬が緩んだ。
彼女が来てくれるまで、もう一眠りしよう。
数時間のレッスンが終わるとそそくさと帰り支度を済ませ、すぐさまスタジオを出ようとした。
「ヒルス、お疲れ様」
「ああフレア。お疲れ。また明日な」
今日はフレアとも帰り際に立ち話などしない。気まずいから無理だ。それに、大事なホームワークもあるんだ。逃げるように、俺はさっさと家路についた。
帰宅後、俺は家で一人夕食を黙々と食べながら考えた。レイをスクールに復帰させる作戦を。
話し合いだけじゃ戻ってきてくれない。言葉がダメなら身体で説得するしかないか?
わざとレイの視界に入るところで俺が踊ってアピールするか。実家に帰ったとき、ガーデンで一日中踊ってみるのもいいな。
それか、ダンスイベントに誘ってみるのもどうだ。今度知り合いのダンサーが出るイベントもあるしな……。会場が湧いてるのを見ればレイだって踊りたくなるかもしれない。
あれこれ考えてみるものの、心の底では「こんなことでレイがやる気になるならとっくにダンススクールへ戻っているはずだ」と、虚しいながらもそう思ってしまう。
食事中も、後片付けのときも、シャワーを浴びるときも、ひたすら頭を巡らせた。
だが、ちっともいいアイディアが思いつかない。夜が更けても、俺はソファに腰かけながらああでもないこうでもない、と頭を働かせる。
時間も忘れて考え込んでいくうちに、俺は毛布もかけずにそのままソファで眠ってしまっていた。
◆
翌朝。
ふと目を覚ますと、真冬の部屋の中は震えるほど冷たくなっていた。
力を入れて上体を起こそうとすると──自分の身体に、とんでもないほどの違和感を覚える。異常な寒気と頭痛。そして顔の周辺が熱くてたまらない。咳と鼻水まで出てきてしまう。
これは……。
やらかしてしまった。熱を測ってみると三十八度以上もあるではないか。基本的に風邪症状がある状態ではダンススタジオへ行くことはできない。
俺は悔しくてもう一度立ち上がろうとする。しかし、目の前がふらっとしてしまい、まともに歩けないんだ。
最悪だ。今日もレッスンがあるのに。
体調不良を理由に仕事を休んだことなど、これまでに一度足りともない。午後から出勤なのでそれまでに熱が下がらないか、という考えが過る。が、スタジオのみんなに風邪を移してしまったらそれこそ大変だ。
少し間を置いてから、泣く泣くジャスティン先生に連絡を入れる。
携帯電話を手に取ってコールすると、先生はすぐに出てくれた。
『ハイ、ヒルス。朝早くにどうしたんだい』
「……先生、おはようございます」
『おや。声が枯れているけど、大丈夫?』
「熱が出てしまいました。頭がクラクラして寒気も酷いんです」
『君が体調崩すなんて珍しいね。いいよ、ゆっくり休んでよ!』
「すみません。今日もレッスンがあるのに……」
『心配しないで。代わりのイントラをつけるからさ。元気になったらまた連絡してよ!』
「はい、ありがとうございます」
心身ともに弱り気味の今の俺にとって、ジャスティン先生の優しさが身に染みる。
突発的に休んでしまい、悪いことをしたな……。
通話を終え、天井をぼんやり眺めた。
喉が異様にカラカラだ。飲み物は水くらいしかない。紅茶を淹れる気力すらないな。それよりも、汗が止まらないからスポーツドリンクが欲しい。
しんとした部屋で、俺の吐息だけが響き渡る。
一人暮らしをしてから、初めて熱を出した。どうしようもない寂しさが俺の心を襲ってくる。
こんなとき一番に思い浮かべるのは──やはりレイの顔なんだ。
時刻を確認すると、まだ七時前だった。レイは起きているかな、と思いつつも俺はまたもや携帯電話を手に取り、ぼんやりする頭でゆっくりとメッセージを打ち込む。
《レイ、起きてるか》
十分ほど返信が来なかったが、その後すぐに着信があった。レイからの電話で、俺は苦しいながらも心だけは躍る。
『ヒルス、おはよう』
「レイ……すまん、こんな朝に」
『あれ、声どうしたの?』
「……ちょっとな」
『もしかして、体調崩しちゃったの』
「そうだ。よく分かったな?」
こちらが説明しなくとも、難なく状況を把握してくれるレイが、大袈裟かもしれないが女神に思えた。それほど今の俺は弱りきっている。
『一人なのに大変だよね。私、今日は用事もないし看病しに行くよ?』
「いいのか」
『ヒルスのためだよ、気にしないで。食べたいものとか、買うものがあったらメッセージで送って』
「ああ、分かった」
『今から支度するから……二時間くらい待ってもらうことになるけど平気?』
「いいよ、焦らなくて」
『でも心配だからなるべく急ぐね』
「ありがとう、レイ。……気をつけておいで」
心身ともに辛くても、彼女との通話を終えると俺の心は物凄く安らいだ。
『ヒルスのためだよ』
そんななにげない彼女の一言が、頭の中でリピートする。無意識のうちに頬が緩んだ。
彼女が来てくれるまで、もう一眠りしよう。
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