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◆  ◆

 下を向くのが好きになった。そうすれば、他人の顏なんて見ないで済むのだから。

 無意味な授業が今日も始まる。数学の時間だ。
 アンは机の中から、教科書を取り出した。すると表紙には――
『キモイ』
『死ね』
『消えろ』
 などと――汚い字でそのようなことがたくさん書かれていた。
(なぁにコレ)
 そう思うだけだ。
 教科書を開くと、今度は中に潰れたカエルの死体がはさんであった。どろどろした内臓が紙面いっぱいに染み込んでいる。
(なぁにコレ)
 ただ、そう思うだけ。こうしていれば気が楽になることをアンはいつしか知ったのだ。
 何事もなかったかのようにアンが教科書を眺めていると、突然机が倒された。

「……城所!!」

 大杉の化け物みたいな大声が教室中に響き渡った。それでもアンは何も反応せずに、ずっとうつむいている。

「お前、最近あたしの嫌がらせを無視してるようだけど、どういうつもりなのよ! もっと苦しめ、つまらない奴ね! このクズ! お前はあたしたちのオモチャなのよっ?」
「…………」
「何か答えなさいよ!!」
「…………」

 アンは一言も喋りはしなかった。本当に自分が大杉たちのオモチャならば、こいつと喋る必要はない。そう思ったから。
「ねぇ、みんな。こいつ、オモチャのクセして無反応だよ。どうする?」
「もっと色んなことしてやろうぜ」
「上履きで頭叩いてみるか?」
「それじゃつまんない。――そうだ、イス投げてやるとか」
「いいねぇ、それ! みんなイス持って! こいつにぶつけてやろ」
 大杉中心になって、こんな会話は繰り広げられる。いつもと全く同じ。何も変わらない。
 みんな子供なのだ。集団で一人の人をイジメるなんて、みんなの心が弱い証。アンはそう思うだけで、絶対に口にすることができない。

 ――できるわけがない。

「……せぇー、の!」
 複数の声と共に、誰かのイスがアンの所に投げられた。
 少し――驚いた。上半身に激痛を感じたが、アンは無視した。
「ちっ、まるで抜け殻だな」
「もういいわ、こんな奴。シカトしましょ」
 ――そして、大杉たちはアンで遊ぶのをやめた。少しだけ、安心した。

 イジメが終わるのを待ち構えていたかのように、この直後、教室のドアが開かれる。先生が入ってきた。
「……みなさん、授業始めませんか。数学の時間ですよ……」
 先生が呼びかけても、みんなは喋ったりバカ笑いしている。着席しているのはアンだけのようだった。
「席に着いてください。あなたたち、受験生という自覚がないのですか」
“受験”という言葉と全く無縁な彼らは、突然目つきを変えて先生の方に向いた。
「うっせぇババア」
「あたしたち高校なんて行く気ないもん」
「ていうか先生、屋上でも行って飛び降りてくださいよ? そしたら授業なくなりますよね」
 言いたい放題であった。先生は悲痛な表情を浮かべている。
 ――そんな顏をすると逆にみんなは調子に乗るんだと、アンは冷静に思った。
「先公、もう出てっていいよ」
 追い出すように、クラス中が先生に物を投げ飛ばしはじめた。
 ――ああ酷い。感情を見せるからこうなるんだ。全て、アンには分かる。
「ほら、サオリ。あんたも先公に当ててやりなよ。カッター貸してあげるから」
 大杉の言う言葉を聞き、アンは振り返ってその【瞬間】を目撃してしまった――。
 刃が出されたまま、カッターはサオリの手の平から飛ばされたのだ。

(危ない!)

 アンは目を見開いた。サオリが投げた物は宙を舞い、標的に向かっていく。そして――
「…………ああッ!!」
 カッターの刃は先生の首筋をかすり、黒板にぶつかって床に落ちた。
 先生は相当驚いたらしく、口をぽっかり開けたまま固まっていた。そんな様子を見ていたクラスのみんなは爆笑した。
「……大丈夫ですか!」
 笑いが飛び交う中、アンは先生の元に駆け寄った。
「大丈夫……ちょっと、皮膚が切れただけかな。城所さん、あなたはみんなとは違うんですね。先生……保険室へ行ってきます。今日も授業はできそうにないですね」
 そう言って先生は逃げるように教室を出ていった。
 アンは決してあの先生が可哀想とは思わない。大人のくせに――先生のくせに、生徒に負けているなんて情けない。

 だがひとつだけ、信じがたいことがある。

「アハハハハ……」

 凶器を投げつけた張本人、サオリがクラスメートと共に笑っていた。声を上げて、まるで悪魔のように。

 あの子は本当に、変わってしまったようだ。大杉たちと一緒になって、平気でイジメをするようになった。悪いことをしてもあんな風に笑えるようにもなった。もう、サオリはサオリでなくなってしまったのだ。
 あんな子と、前まで親友だと思っていた自分自身までもが信じられなくなる。
「おいみんな。授業もなくなったことだしよ、学校抜け出してカラオケでも行こうぜ」
「いいわねぇ。行く人、手あげて!」
 と大杉が言うと、アン以外のクラスメート全員が一斉に挙手をした。
 下らないことを考えるものだと、アンは密かに思う。
「そうと決まればさっそく」
 こうしてクラスメートはみんな教室からいなくなってしまったアン一人だけが残される。

 隣の教室からは、生徒たちの騒々しい声が響いている。きっと他のクラスも授業をしていないのだ。
(……私、どうしてこんな所にいるの?)
 分からなかった。
 もう昼過ぎだというのに、今日は一限も授業を受けられていない。馬鹿みたいだ。こんな荒れた地に毎日毎日通っていて、高校へ行けるのだろうか。
 先生たちだって、いつも泣いてるだけでどこかへ逃げてしまう。
「今日も授業はできそうにないですね」と言って、ごまかしてはならないのに――。

 そして、この学校にはアンが信頼できる親友は消えた。もうサオリのことは忘れてしまいたい。
 だがもう一人――ヨウコの顏は、いつまでも頭の中から離れてくれそうになかった。あの子は優等生ワルだ。ヨウコが問題を起こし、大杉に目をつけられた。アンはそれを親友として救ったのに、彼女は自らアンの側を離れていってしまった。今では校内で会っても目も合わせずまるで無視。そんな彼女の態度に、アンは怒りどころか憎しみを覚えていた。

(もう消えてしまいたい)

 本気で思う。
 この荒れた地にいなければ、どんなに楽だろうと……。

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