上 下
28 / 46

トキの変化

しおりを挟む
 ***
 


 風にのって、雨のにおいがした。
 メグムは、盃から顔を上げる。
 窓の外、しとしと、雨が降っている。
 時計に目をやれば、草木も眠る丑三つ時。いや、時間は関係ない。雨は、龍が気まぐれに降らせるもの。
 それにしても。
 じっとりとして、何と辛気臭いことか。それもまた、龍の心持ち次第だというが……。
 
 メグムは腰を上げた。晩酌の一式を携えて、思いあたる場所に向かう。
 龍宮で一番高い露台。雨に打たれながら、トキが一人、佇んでいた。

「仲直りは、できなかったみたいだね」
「謝ろうとして、…………たん、…………れた」
「うん?」
「謝ろうとして、声をかけた途端、逃げられた」

 それで、落ち込んでいるらしい。

「自覚があるのか、知らないが。考え事なんかをしている時、気配をピリピリさせていることがあるよ。私でさえ、声をかけるのをためらうほど、殺気立ってる。ただでさえ、君は顔が怖いんだから、気をつけないと」
「顔は生まれつきだ」

 プイと顔をそらせたトキは、大きなため息をついた。
 メグムはそれを小さく笑ってから、盃に酒を注いで、トキに渡す。

「昼間にも言ったけど、君が怒るのも分からなくはない。誰だって、初恋の思い出は、いじられたくないものだしね」

 メグムが言った瞬間。
 トキは派手に酒を吹き出した。あご先からしたたる雫を、乱暴に手でぬぐって、こちらをにらみつけたかと思えば、空の盃を差し出す。
 メグムはそこへ、なみなみと酒を注いでやった。
 それをぐいっと飲み干して、トキはポツリとこぼす。

「今となっては、あれを初恋と呼ぶのかもしれないが、あの時は、恋だなんて自覚はなかった」
「そうか」

 うなずきながらも、メグムはトキの変化を見逃さなかった。以前のトキなら、あんなふうに、自ら、理子の話を語ることなどなかっただろう。
 いや、そもそもトキが誰かとケンカして、あんなに落ち込むことなどあっただろうか。
 一族随一の力の持ち主で、次期龍王の筆頭でありながら、龍王の座には興味がないように見えた。それどころか、いつも、どこかつまらなそうだったのに。

「単刀直入に聞こう。君は、龍姫のことをどう思う?」
「別に、嫌いじゃない」

 
 メグムは内心で笑う。彼のその言い方は、まぁまぁ好きだという意味だ。
 相変わらず素直ではない。しかし、明らかにトキは変わった。



  ***
しおりを挟む

処理中です...