1 / 10
だまされ、寝盗られ、婚約破棄
しおりを挟む
扉が開いた瞬間。
グレース・アーキンドーは、婚約者から、だまされたことに気がついた。
案内されたのは、華やかなパーティー会場。
また、一人、ゴージャスなドレスの夫人が、こちらを見て、眉をひそめた。
場違いな娘だと、思っているのだろう。
彼女だけじゃない。他にも不審者を見るような眼差しに、ヒソヒソ話、笑い声。
グレースは国内屈指の大商店、アーキンドー商会の娘である。美術品や舶来品なども取り扱っているため、貴族にも顧客が多く、交流は深い。それでも、やはり、ここでは場違いとしか言いようがなかった。
グレースだって、気づかないわけがない。
周りはみんな、流行りのドレスに身を包んだ女性と、燕尾服の男性ばかり。そんな中、グレースは、高見えのお手頃ワンピースで、ここへ来てしまったのだ。
……そう。婚約者にだまされて。
彼からは『ちょっとした身内での食事会』だと、聞かされていた。そのうえ『両親から、君に大事な話があるそうだ』なんて言われては、来ない訳にはいかなかった。
しかし、実際は大々的なパーティーで、招待客もかなりの大人数。中には、アーキンドー商会を贔屓にしてくれている侯爵夫人や、伯爵令嬢の顔もある。
婚約者は、いまだ姿を見せず、グレースは放ったらかしの見世物状態。これに、先に声を上げたのは、マーキス・ゴーラクインだった。グレースの護衛兼、荷物持ちとして一緒に来ていた青年である。
「お嬢様、帰りましょう。これは、いくら何でもひどすぎます」
マーキスが、目をつり上げて言う。
「お嬢様をはずかしめようとしているとしか、思えません」
そうだとしても。
グレースは「だめよ」と、首を振る。
確かに、これは予想外の展開。でも婚約者と話をつけるため、今夜はここへ来たのだ。その目的だけでも果たさなくては。
グレースが、見世物状態をひたすら我慢すること三十分。扉が開いたと同時。
「グレース・アーキンドー!」
自分の名前が響き渡って、グレースはびっくりした。
そこにいたのは、婚約者のアフォード・オーバッカ。ようやく姿を見せたかと思ったら、一体、何ごとなのか。
アフォードは、ゆるくうねった前髪をサラリと、かき上げた。それから体をくねらせ、後ろ体重で、グレースの顔にビシッと人さし指を向ける。
「君には、もう、うんざりだ! つまり、今日、ここで君との婚約を破棄する!」
大広間が、一瞬だけ静まり返って、またすぐにざわざわとし始める。
「お嬢様」
マーキスが心配そうに、こちらを見た。
「大丈夫」
グレースは、笑顔を作る。
アフォードとは幼なじみで、毎日のように遊んでいた。けれど、それも昔の話。もう随分と前から、婚約者という肩書きはお飾りになっていた。
「僕は、真実の愛に目覚めたんだ! さあ、こちらへおいで。マイスイート!」
アフォードに促され、ドアの向こうから、新たな人物が現れる。まばゆいばかりの金髪、縦ロールに、淡いピンクのドレスを着た人物。その顔を、グレースはとてもよく知っていた。
「彼女こそが、僕の運命の相手! 彼女と一緒ならば、どんな困難をも乗り越えられよう!」
そう言って、アフォードは、側にいた彼女の肩をぐいっと引き寄せる。大きく開いた胸元には、宝石を散りばめたハートのペンダントがキラキラと輝いていた。自分が主役だと言わんばかりに。
ネトリーン・ザマーナイワ。
グレースの友人だった。
しかし。目が合うと、ネトリーンの唇は美しく弧を描いた。にっこりと笑ったのだ。勝ち誇るように。
「グレース。君の家とは、長い付き合いがあるからと、勝手におじい様が君を婚約者にしてしまったが、そもそも、僕は伯爵家の御曹司で、君は商人の娘だ。つまり、商人ごときの娘が、この僕の結婚相手に、ふさわしいはずがない!」
グレースは、ため息をついた。
昔は、気が弱くて、泣き虫で、こんなことを言う人間じゃなかった。
いつからだろう。
アフォードが、家に遊びに来なくなったのは。ここを訪れても、用事があると断られ、そのうち居留守を使われるようになって、顔すら見れなくなった。
でも、こうなってしまった原因は、グレースにもあった。
アフォードの金遣いや勉強のこと、色々と口出ししすぎてしまった。疎ましそうにしているのは分かっていたけど、全部、彼のためだと思っていた。そこはグレースも反省している。
「まったく、身のほど知らずだったな! グレースよ!」
そうねと、グレースも同意する。
「この縁組、正直なところ、私の父も『伯爵』の称号に目がくらんだのよ」
父は、一人娘のグレースを何とか上流階級へ嫁がせ、伯爵夫人にしたかった。それで、アフォードの祖父に、この縁談をねじ込んだのだ。
「所詮は、財産目当てか! 欲深い親子め!」
「聞き捨てなりません。お嬢様だけでなく、旦那様まで、侮辱するのですか?」
マーキスが、グレースの前に出たのを、腕を掴んでぐいっと引き戻す。
「何だ、貴様は。下男ごときが、この僕に楯突こうというのか? 言っておくがな、僕は、事実を言ったまでだ! 伯爵家と商家では、まるっきり、格が違うんだからな! まったく、庶民は下僕のしつけもなってないな、グレース!」
アフォードの高笑いが響く中、グレースは、今にも飛び掛かりそうなマーキスの腕を掴んでいた。
「私は大丈夫。だから、あなたもこらえて」
実を言うと、今夜、グレースの方も、婚約の解消を申し出るはずだった。内々の食事会だというから、そこで、穏便に済ませるつもりだったのだ。
ただ、ここへ来るまで、少し迷ってもいた。最後の最後まで残っていた迷いの一欠片は、きれいさっぱり、こっぱみじん、吹き飛んでいた。
グレースは小さく深呼吸して、顔を上げる。
そして。
「カバンを」
マーキスから、アフォードを地獄へ落とすであろう黒革のカバンを受け取った。
グレース・アーキンドーは、婚約者から、だまされたことに気がついた。
案内されたのは、華やかなパーティー会場。
また、一人、ゴージャスなドレスの夫人が、こちらを見て、眉をひそめた。
場違いな娘だと、思っているのだろう。
彼女だけじゃない。他にも不審者を見るような眼差しに、ヒソヒソ話、笑い声。
グレースは国内屈指の大商店、アーキンドー商会の娘である。美術品や舶来品なども取り扱っているため、貴族にも顧客が多く、交流は深い。それでも、やはり、ここでは場違いとしか言いようがなかった。
グレースだって、気づかないわけがない。
周りはみんな、流行りのドレスに身を包んだ女性と、燕尾服の男性ばかり。そんな中、グレースは、高見えのお手頃ワンピースで、ここへ来てしまったのだ。
……そう。婚約者にだまされて。
彼からは『ちょっとした身内での食事会』だと、聞かされていた。そのうえ『両親から、君に大事な話があるそうだ』なんて言われては、来ない訳にはいかなかった。
しかし、実際は大々的なパーティーで、招待客もかなりの大人数。中には、アーキンドー商会を贔屓にしてくれている侯爵夫人や、伯爵令嬢の顔もある。
婚約者は、いまだ姿を見せず、グレースは放ったらかしの見世物状態。これに、先に声を上げたのは、マーキス・ゴーラクインだった。グレースの護衛兼、荷物持ちとして一緒に来ていた青年である。
「お嬢様、帰りましょう。これは、いくら何でもひどすぎます」
マーキスが、目をつり上げて言う。
「お嬢様をはずかしめようとしているとしか、思えません」
そうだとしても。
グレースは「だめよ」と、首を振る。
確かに、これは予想外の展開。でも婚約者と話をつけるため、今夜はここへ来たのだ。その目的だけでも果たさなくては。
グレースが、見世物状態をひたすら我慢すること三十分。扉が開いたと同時。
「グレース・アーキンドー!」
自分の名前が響き渡って、グレースはびっくりした。
そこにいたのは、婚約者のアフォード・オーバッカ。ようやく姿を見せたかと思ったら、一体、何ごとなのか。
アフォードは、ゆるくうねった前髪をサラリと、かき上げた。それから体をくねらせ、後ろ体重で、グレースの顔にビシッと人さし指を向ける。
「君には、もう、うんざりだ! つまり、今日、ここで君との婚約を破棄する!」
大広間が、一瞬だけ静まり返って、またすぐにざわざわとし始める。
「お嬢様」
マーキスが心配そうに、こちらを見た。
「大丈夫」
グレースは、笑顔を作る。
アフォードとは幼なじみで、毎日のように遊んでいた。けれど、それも昔の話。もう随分と前から、婚約者という肩書きはお飾りになっていた。
「僕は、真実の愛に目覚めたんだ! さあ、こちらへおいで。マイスイート!」
アフォードに促され、ドアの向こうから、新たな人物が現れる。まばゆいばかりの金髪、縦ロールに、淡いピンクのドレスを着た人物。その顔を、グレースはとてもよく知っていた。
「彼女こそが、僕の運命の相手! 彼女と一緒ならば、どんな困難をも乗り越えられよう!」
そう言って、アフォードは、側にいた彼女の肩をぐいっと引き寄せる。大きく開いた胸元には、宝石を散りばめたハートのペンダントがキラキラと輝いていた。自分が主役だと言わんばかりに。
ネトリーン・ザマーナイワ。
グレースの友人だった。
しかし。目が合うと、ネトリーンの唇は美しく弧を描いた。にっこりと笑ったのだ。勝ち誇るように。
「グレース。君の家とは、長い付き合いがあるからと、勝手におじい様が君を婚約者にしてしまったが、そもそも、僕は伯爵家の御曹司で、君は商人の娘だ。つまり、商人ごときの娘が、この僕の結婚相手に、ふさわしいはずがない!」
グレースは、ため息をついた。
昔は、気が弱くて、泣き虫で、こんなことを言う人間じゃなかった。
いつからだろう。
アフォードが、家に遊びに来なくなったのは。ここを訪れても、用事があると断られ、そのうち居留守を使われるようになって、顔すら見れなくなった。
でも、こうなってしまった原因は、グレースにもあった。
アフォードの金遣いや勉強のこと、色々と口出ししすぎてしまった。疎ましそうにしているのは分かっていたけど、全部、彼のためだと思っていた。そこはグレースも反省している。
「まったく、身のほど知らずだったな! グレースよ!」
そうねと、グレースも同意する。
「この縁組、正直なところ、私の父も『伯爵』の称号に目がくらんだのよ」
父は、一人娘のグレースを何とか上流階級へ嫁がせ、伯爵夫人にしたかった。それで、アフォードの祖父に、この縁談をねじ込んだのだ。
「所詮は、財産目当てか! 欲深い親子め!」
「聞き捨てなりません。お嬢様だけでなく、旦那様まで、侮辱するのですか?」
マーキスが、グレースの前に出たのを、腕を掴んでぐいっと引き戻す。
「何だ、貴様は。下男ごときが、この僕に楯突こうというのか? 言っておくがな、僕は、事実を言ったまでだ! 伯爵家と商家では、まるっきり、格が違うんだからな! まったく、庶民は下僕のしつけもなってないな、グレース!」
アフォードの高笑いが響く中、グレースは、今にも飛び掛かりそうなマーキスの腕を掴んでいた。
「私は大丈夫。だから、あなたもこらえて」
実を言うと、今夜、グレースの方も、婚約の解消を申し出るはずだった。内々の食事会だというから、そこで、穏便に済ませるつもりだったのだ。
ただ、ここへ来るまで、少し迷ってもいた。最後の最後まで残っていた迷いの一欠片は、きれいさっぱり、こっぱみじん、吹き飛んでいた。
グレースは小さく深呼吸して、顔を上げる。
そして。
「カバンを」
マーキスから、アフォードを地獄へ落とすであろう黒革のカバンを受け取った。
88
お気に入りに追加
88
あなたにおすすめの小説

婚約破棄された武闘派令嬢の伯爵家次男への復讐
常野夏子
恋愛
王国武術の名門アリエール家の長女であるアリエルは、将来を誓い合っていたマジデ伯爵家の次男アリエンに婚約を破棄される。
理由は彼女は名ばかりで本当は弱いというものだった。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

お前を愛することはないと言われたので、愛人を作りましょうか
碧桜 汐香
恋愛
結婚初夜に“お前を愛することはない”と言われたシャーリー。
いや、おたくの子爵家の負債事業を買い取る契約に基づく結婚なのですが、と言うこともなく、結婚生活についての契約条項を詰めていく。
どんな契約よりも強いという誓約魔法を使って、全てを取り決めた5年後……。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。

父の大事な家族は、再婚相手と異母妹のみで、私は元より家族ではなかったようです
珠宮さくら
恋愛
フィロマという国で、母の病を治そうとした1人の少女がいた。母のみならず、その病に苦しむ者は、年々増えていたが、治せる薬はなく、進行を遅らせる薬しかなかった。
その病を色んな本を読んで調べあげた彼女の名前は、ヴァリャ・チャンダ。だが、それで病に効く特効薬が出来上がることになったが、母を救うことは叶わなかった。
そんな彼女が、楽しみにしていたのは隣国のラジェスへの留学だったのだが、そのために必死に貯めていた資金も父に取り上げられ、義母と異母妹の散財のために金を稼げとまで言われてしまう。
そこにヴァリャにとって救世主のように現れた令嬢がいたことで、彼女の人生は一変していくのだが、彼女らしさが消えることはなかった。


「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載中しております。
婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します
けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」
五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。
他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。
だが、彼らは知らなかった――。
ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。
そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。
「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」
逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。
「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」
ブチギレるお兄様。
貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!?
「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!?
果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか?
「私の未来は、私が決めます!」
皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる