君とのキスは、涙味。

くすのき

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苦いティータイム。

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 二日後。
 からん、とグラスの中の氷が動く。

「これは一体なんですか?」
「雪くんの専攻科目の過去問、です」

 雪弥の真正面。
 真向かいに座した秀頼が借りてきた猫のように縮こまって言う。
 かつて雪弥を脅し、雪弥に脅し返された男、後藤秀頼。
 夏史の付き添いを乞うて以降、とんと音沙汰なく、また雪弥からも接触しなかった彼がそこにいた。
 まさか講義終わりに出待ちしてくるとは。舌打ちしたい気持ちを抑え、指の先でぺらりと捲る。
 過去問と言う通り、中には問題文が並んでいるが、そこにはおびただしい、誰の物か判然としない筆跡――やや荒い――で要点とアドバイスが大量に綴られていた。それも一枚ではなく、全部の紙に。

「……これも僕のように誰かを脅して入手したものですか?」
「ち、ちがうよ!」

 傷ついたように目を伏せた秀頼に、冷めた表情を浮かべたまま、彼の次の言葉を待つ。

「信じてもらえないかもしれないけど、これは夏、ううん。俺が一人一人頭を下げて譲ってもらったんだ」
「……そうですか」
「良かったら受け取ってほしい」
「要らないです」

 間髪入れず拒否した。

「どうせこれで僕にした事を水に流せって事でしょう」
「そんなつもりじゃ、いやそう取られても仕方ないよな」

 秀頼は自嘲気味に笑う。
 少し痩せただろうか。よく見れば目の下にうっすら隈があった。
 次いで彼は取り出した携帯とノートパソコン、USBメモリを置いた。
 怪訝そうにする雪弥を余所に、彼は携帯とパソコンの保存フォルダを開いて再度差し出す。

「あの動画は全部消した。PCには移してないけど、念のために持ってきたんだ。確認してほしい」
「……それがダミーでない証拠は?」
「それはっ、ない。でもっ!」
「貴方達の言葉は信用できない」

 雪弥はグラスを手に取ると、ストローで吸い上げた冷えた珈琲を喉に流す。ミルクもガムシロップもないそれは酷く苦い。

「後藤先輩、信用を壊すのは一瞬ですけど、砕いた後に築くって難しいんですよ。まあでもどうでもいいですよね。どうせ貴方も……あの人も。きっと一年もたてば何事もなかったように笑って生きていけるんですから」
「それはっ、」
「ところでそのUSBメモリは?」

 雪弥の目にマーブルのUSBメモリが映る。

「俺が雪くんのした事と、これまでの悪さを纏めたもの」
「…………は?」

 ここで初めて雪弥の表情が動く。
 信じられないものを見る雪弥に、秀頼は穏やかな笑みを作る。

「本当はもっと早く決断するべきだったんだけど、今日まで踏ん切りがつかなかったんだ」
「貴方、何してるんですか」
「これは雪くんの好きにして。ネットに晒すのもいいし、あ。雪くんの名前は一切出してないからそこは安心していーよ」
「いやちょっと」
「改めて本当にすみませんでした」

 一転、真剣な顔になった彼は深々と頭を下げる。
 またカランと氷が鳴いた。

「…………ハハッ」
「雪くん?」
「本当に何も分かってないんですね」

 黒い飲み物が卓上に戻る。
 その手は少し揺れていた。

「その後に何が残るのか。どうなるのか。貴方はなぁんにも考えてない」
「そんな事は」
「あるなんて言わせない」

 雪弥の強い口調に秀頼はたじろぐ。

「貴方のそれは謝罪じゃない。自分が楽になる為に、僕に、周りに、自分に新たな傷を刻むだけの迷惑行為だ」
「迷惑、行為」

 必死に暗幕を張って見ない振り、平気な振りをしてる箇所が、USBメモリの所為で剥がし落とされる。
 それだけじゃない。
 これは言わば死刑執行ボタンだ。
 押せば彼のみならず彼の家族の生活すら一変させてしまう。
 そんなものを一個人に預けるなど正気の沙汰ではない。
 治った筈の胃がしくしくと痛みを訴える。

「……じゃあどうすれば。どうすれば俺は許されるの?」
「っ、」

 顔を上げた秀頼は滂沱の涙を流す。
 周りの人間が何事かと注目し始め、ざわついた。

「泣かないでくださいよ。ほら、ハンカチ」
「……」
「後藤先輩」

 無理矢理ハンカチを顔に押し付けた雪弥は、幼子に言い聞かせるように優しく言う。

「世の中には謝っても許されない事がごまんとあるんです。貴方は、貴方達はそれを知るべきです」
「……俺は、許されない、の」
「ええ――――今はまだ」
「今、は?」

 雪弥は頷く。
 そして差し出された過去問に視線をやる。

「貴方が卒業するまでの間、テストの度に過去問を調達してください」
「する、するっ!」
「……人に優しくしてください」
「やる、それもやる!」
「人を脅迫しないでください」
「しない。誓う」
「必要最低限以外、僕と接触しないでください」
「はい、はいっ!」
「……それで僕は貴方を許すかどうか決めたいと思います」
「本当!? 本当に!?」
「許さない場合もありますけどね」

 そう言うと明るくなった秀頼の顔色が翳る。

「話は以上です。過去問だけ貰っていきますね」
「あ、待って。これも」
「僕の話聞いてました? USBメモリ見るだけで僕は嫌な気持ちになるんですよ」
「あ…………じゃ、じゃあ」

 ばきり。
 秀頼はマーブルのそれ、端子の部分を壊して再度差し出す。

「これなら良いよね」
「何を持って良しとなる」
「雪くんに持っててほしい」
「嫌ですよ」
「俺がした事を忘れないために持っててください。お願いします」

 必死なそれに、遂に雪弥が折れた。

「分かりました。なら僕が貴方を許すと決めた時にこれを送り返します」
「っ、うん、うん。ありがとう。ありがとうございます!」

 また泣き出した秀頼に、辟易した雪弥はそそくさと席を立った。








 後日。
 12月23日、過去問の資料探しに図書館を訪れた雪弥はそこで思わぬ人物と出会うことになる。

「っ、須天先輩……」
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