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どうすれば SIDE:夏史
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「ひっ! こ、これは一体何事でございますか!?」
「……なんでも無い」
「いえ、なんでも無いとはとても」
「山崎さん。本当になんでも無いんだ」
訪問一番、悲鳴を上げかけた中年女性、山崎に夏史は力無く告げる。
山崎は納得がいかない様子ながらも仕方なく口を噤む。
無理もない。目の前の一室、彼女にとって職場が強盗と格闘した後のような惨状になり、更には依頼主の子供である夏史が憔悴した状態でいるのだ。たとえ本人が触れられたくなくとも、誰でも只事でないと思うだろう。
「坊ちゃま。お怪我は」
「頭の傷は問題ない。こっちは後で自分で片付けるから」
もうそっとしておいてくれ。
そう言いたげな夏史に、山崎は会釈をすると自身の仕事場である台所へと消えていく。ほどなくして持参した食材を広げる音と手指消毒の為だろう水の音が響いてきた。
雨の音に似てるな。
ぼそりと呟いた夏史は目を閉じる。
脳裏に浮かぶのはかつての記憶。
雪弥と初めて出会った新歓コンパだ。
自分と同等、いやそれ以上に評判の悪い男が雪弥に絡んでいたのを助けた。
第一印象は、垢抜けない田舎者。
話してみるとまさにその通りで、この世の汚いことなんかまるで無縁だと言わんばかりの素直な子供だった。
自分のなんてことない雑談にも真剣に聞き入り、楽しそうに笑ってくれる。
だからなのか。
最初は適当な所で切り上げて離れようと思ったのに、妙に居心地が良くて気付けば会の終わり近くまで彼の隣に居座った。
変化が起こったのはその途中。
雪弥が俺のウーロンハイを自分の烏龍茶と間違えて飲み干した。
あちゃーと内心で頭を抱えていたら、雪弥は俺に撓垂れかかった。
案の定、酔っていた。
眠いと、とろんとした目で見上げられて股間が苛ついたのを良く覚えてる。
けどこの時はまだお持ち帰りはしようとは思ってなかった。相手はどう見てもノンケで、絶対面倒くさくなると思ってた。くっつく雪弥を適当に宥めながらタクシーでも呼んでやるかと、彼の荷物を纏めていた時だ。
俺は彼の携帯のロック画面をみてしまった。父親と母親、弟だろう三人と撮影した写真だ。
彼等は仲睦まじく、それだけで如何に幸せに暮らしていたのか分かった。
同時に思ったのだ。この顔を汚したら、どんなに気持ちいいか、と――。
だから彼を抱いた。丁寧に、丁寧に、普段は絶対にやらない前戯で骨の髄まで快楽に堕として。
何の穢れも知らない子供が自分を犯しつくす男に助けを求めて、気持ちいいと乱れる様にこれ以上なく興奮した。
この時きっと俺は彼に惚れたのだ。
けどその時の俺は馬鹿で阿呆で、そんな気持ちにさせる彼が煩わしくて疎ましくて、傷つけて表情を曇らせて、その度にほの暗い喜びを感じてた。
俺を心から好きな雪は俺から離れられない。俺が何をしようと彼は受け入れてくれる。そう思っていたのだ。
――なのに。
俺は雪に捨てられた。
最初は腹が立って腹が立って仕方なかった。何様のつもりだと、暴力的な怒りを抑えきれず、ヤリモクサークルの男と女にぶつけた。
一週間、二週間……日が経つに連れて収まるだろうと思っていた苛立ちは正反対に膨れ上がり、秀頼以外の全員が離れていった。
何処にいても雪の顔がちらつき、大学にいる間、俺の目は無意識に彼を捜した。会いたい。抱きしめたい。その想いが風船みたく広がり、弾けた頃、俺はようやっと自分の恋を……過ちを自覚した。
けどそれはあまりにも遅かった。
雪の心は頑丈に施錠され、謝っても訂正しても、その鍵は堅く閉じられて開くことはない。
赤く腫れた夏史の目蓋に、また一筋の涙が零れ落ちる。どうしようもない絶望が胸を締めつけ、暗い暗い思考の海を漂う。
もうどうすればいいのか分からない。
いっそこのまま死んでしまおうか、と最悪が頭を過った時、台所から好物であるグラタンの香りがして腹が鳴った。
「こんな時に……」
情けなくてまた涙が出た。
そんな俺を心配してだろう。山崎さんが優しく声をかけてくる。
「今日は、坊ちゃまの大好きな茸グラタンと根菜サラダですよ」
「……うん」
「しっかり食べてしっかり寝る。人間はお腹が空くと嫌な考えばかり浮かんできてしまいますから」
「……山崎さんも?」
「そうですよ。だからそういう時は温かくて美味しいものや好きな物を食べれば、自然と良い考えだったり、前向きになれるものです」
例えどんなにどん底にいたとしても。
そう言う山崎さんも過去に何かあったのだろう。
だからだろうか。
俺は自然と彼女に尋ねていた。
「……山崎さん。大好きな人に許される為にはどうしたらいいと思う?」
「許されたいですか?」
「うん」
「そうですねぇ……軒並みですけど謝るですかね」
「それでも許してもらえない時は」
どうすればいい。
じっと彼女の答えを待つと、山崎さんは、ふっと口元をあけだ。
「誠意を見せ続ける事ですね」
「誠意?」
「ああ、世間一般に言うお金ではないですよ」
「じゃあ何?」
「ふふっ。それは坊ちゃまがご自分で考えなくてはなりません」
山崎さんはそれ以上教えてはくれなかった。俺は頭の中で“誠意”の三文字を反芻し続ける。
「……なんでも無い」
「いえ、なんでも無いとはとても」
「山崎さん。本当になんでも無いんだ」
訪問一番、悲鳴を上げかけた中年女性、山崎に夏史は力無く告げる。
山崎は納得がいかない様子ながらも仕方なく口を噤む。
無理もない。目の前の一室、彼女にとって職場が強盗と格闘した後のような惨状になり、更には依頼主の子供である夏史が憔悴した状態でいるのだ。たとえ本人が触れられたくなくとも、誰でも只事でないと思うだろう。
「坊ちゃま。お怪我は」
「頭の傷は問題ない。こっちは後で自分で片付けるから」
もうそっとしておいてくれ。
そう言いたげな夏史に、山崎は会釈をすると自身の仕事場である台所へと消えていく。ほどなくして持参した食材を広げる音と手指消毒の為だろう水の音が響いてきた。
雨の音に似てるな。
ぼそりと呟いた夏史は目を閉じる。
脳裏に浮かぶのはかつての記憶。
雪弥と初めて出会った新歓コンパだ。
自分と同等、いやそれ以上に評判の悪い男が雪弥に絡んでいたのを助けた。
第一印象は、垢抜けない田舎者。
話してみるとまさにその通りで、この世の汚いことなんかまるで無縁だと言わんばかりの素直な子供だった。
自分のなんてことない雑談にも真剣に聞き入り、楽しそうに笑ってくれる。
だからなのか。
最初は適当な所で切り上げて離れようと思ったのに、妙に居心地が良くて気付けば会の終わり近くまで彼の隣に居座った。
変化が起こったのはその途中。
雪弥が俺のウーロンハイを自分の烏龍茶と間違えて飲み干した。
あちゃーと内心で頭を抱えていたら、雪弥は俺に撓垂れかかった。
案の定、酔っていた。
眠いと、とろんとした目で見上げられて股間が苛ついたのを良く覚えてる。
けどこの時はまだお持ち帰りはしようとは思ってなかった。相手はどう見てもノンケで、絶対面倒くさくなると思ってた。くっつく雪弥を適当に宥めながらタクシーでも呼んでやるかと、彼の荷物を纏めていた時だ。
俺は彼の携帯のロック画面をみてしまった。父親と母親、弟だろう三人と撮影した写真だ。
彼等は仲睦まじく、それだけで如何に幸せに暮らしていたのか分かった。
同時に思ったのだ。この顔を汚したら、どんなに気持ちいいか、と――。
だから彼を抱いた。丁寧に、丁寧に、普段は絶対にやらない前戯で骨の髄まで快楽に堕として。
何の穢れも知らない子供が自分を犯しつくす男に助けを求めて、気持ちいいと乱れる様にこれ以上なく興奮した。
この時きっと俺は彼に惚れたのだ。
けどその時の俺は馬鹿で阿呆で、そんな気持ちにさせる彼が煩わしくて疎ましくて、傷つけて表情を曇らせて、その度にほの暗い喜びを感じてた。
俺を心から好きな雪は俺から離れられない。俺が何をしようと彼は受け入れてくれる。そう思っていたのだ。
――なのに。
俺は雪に捨てられた。
最初は腹が立って腹が立って仕方なかった。何様のつもりだと、暴力的な怒りを抑えきれず、ヤリモクサークルの男と女にぶつけた。
一週間、二週間……日が経つに連れて収まるだろうと思っていた苛立ちは正反対に膨れ上がり、秀頼以外の全員が離れていった。
何処にいても雪の顔がちらつき、大学にいる間、俺の目は無意識に彼を捜した。会いたい。抱きしめたい。その想いが風船みたく広がり、弾けた頃、俺はようやっと自分の恋を……過ちを自覚した。
けどそれはあまりにも遅かった。
雪の心は頑丈に施錠され、謝っても訂正しても、その鍵は堅く閉じられて開くことはない。
赤く腫れた夏史の目蓋に、また一筋の涙が零れ落ちる。どうしようもない絶望が胸を締めつけ、暗い暗い思考の海を漂う。
もうどうすればいいのか分からない。
いっそこのまま死んでしまおうか、と最悪が頭を過った時、台所から好物であるグラタンの香りがして腹が鳴った。
「こんな時に……」
情けなくてまた涙が出た。
そんな俺を心配してだろう。山崎さんが優しく声をかけてくる。
「今日は、坊ちゃまの大好きな茸グラタンと根菜サラダですよ」
「……うん」
「しっかり食べてしっかり寝る。人間はお腹が空くと嫌な考えばかり浮かんできてしまいますから」
「……山崎さんも?」
「そうですよ。だからそういう時は温かくて美味しいものや好きな物を食べれば、自然と良い考えだったり、前向きになれるものです」
例えどんなにどん底にいたとしても。
そう言う山崎さんも過去に何かあったのだろう。
だからだろうか。
俺は自然と彼女に尋ねていた。
「……山崎さん。大好きな人に許される為にはどうしたらいいと思う?」
「許されたいですか?」
「うん」
「そうですねぇ……軒並みですけど謝るですかね」
「それでも許してもらえない時は」
どうすればいい。
じっと彼女の答えを待つと、山崎さんは、ふっと口元をあけだ。
「誠意を見せ続ける事ですね」
「誠意?」
「ああ、世間一般に言うお金ではないですよ」
「じゃあ何?」
「ふふっ。それは坊ちゃまがご自分で考えなくてはなりません」
山崎さんはそれ以上教えてはくれなかった。俺は頭の中で“誠意”の三文字を反芻し続ける。
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