君とのキスは、涙味。

くすのき

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波紋。※SIDE:夏史※

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※SIDE:夏史※


 無人の資料室に入室した夏史は忌々しげに舌を鳴らした。次いで取り出した携帯を何やら操作したかと思えば、気に障るものでもあったのか、二回目の舌打ちをこぼす。
 目線にあるのは『ヤリモク』の名がついたグループトーク。
 一人の“今日も用事で無理”の投稿を皮切りに、他の面々が俺も私もと続く。
 使えねえ。夏史の不満と苛立ちのボルテージが高まり、彼は傍にあった椅子を蹴り上げる。
 室内に殊の外響く不快な金属音。
 直後、後方の出入り口が開く。

「なーになーに今のスッゲー音。あ、夏史じゃーん」

 夏史の友人、後藤秀頼だ。
 彼は室内状況を確認した後、夏史を咎めるでも気遣うでもなく、普段通りの態度で夏史に尋ねる。

「今日も俺達二人だけー?」
「見りゃあわかんだろ」
「確かにー」

 不機嫌率八割突破の声を発した夏史は乱暴に前髪を掻き上げ、八つ当たりから逃れた椅子にどかりと腰掛ける。

「クソが」
「そう怒んなってー。皆、ここ最近ずっと夏史がブチ切れてっから怖がってんだよ」
「あ゛?!」
「俺に八つ当たりしないでよー。つか何がそんなに気に入らないん?」
「……うるせぇ」

 こりゃ駄目だと判断した秀頼は僅かに肩を落とし、そういえばと話題をすり替える。

「そういや、さっき雪君とやり取りしてたんだけどさー。ちょっと面白かったんだよね」

 雪の単語に夏史の眉が持ち上がる。
 同時に彼の脳内に、二週間前のあの日、泣きながら自分をビンタした雪弥の姿が浮かんだ。

「…………チッ」
「あ、何処行くん?」

 廊下に出た夏史を追って、秀頼も資料室を出る。

「急にどーしたん。夏史」
「うるせぇ」
「えぇぇぇ。……あれ、雪君じゃん」

 足を止めた夏史が振り返り、嘘でないと知って彼の視線の先を辿る。
 窓の外。幾人かのグループの中に雪弥がいた。

「お、この前の秋君もいる。あの子等ほんと仲いいなー」

 秋麿に何かを耳打ちされ、擽ったそうに微笑む雪弥。その距離感は第三者から見ても、ただの友人同士には到底見られないものだった。
 軽く握っていた夏史の拳に力がこもる。

「…………俺にはあんな風に笑ったことねぇ」

 夏史の知る雪弥は、ヤリモクの雌豚同様、発情した熱っぽい目と情事の特有の濡れた目、オナホと知った絶望の顔、二週間前の泣きながら睨んでビンタしたあの顔――あんな穏やかな雪弥を、夏史は知らない。
 夏史の胸の内に言いようのない感情が渦巻き、激流となって全身を蝕む。
 目を逸らしたいのに、まるで引き寄せられるように目を離せない。

「夏史、どしたん?」
「! なんでもねぇ。帰る」

 背後にて遊びの誘いを叫ぶ秀頼を無視して、夏史は早足で去っていく。ただただ一刻も早くその場から離れたかった。
 そうして一度も振り返ることなく、大学を出た夏史は自宅に戻る。
 高層マンションの最上階。
 そこが夏史の生活スペースだ。
 立ち上げたスマホアプリで玄関を解錠し、中に入る。内部は生活感を極力排した洒落た空間が広がっており、夏史の好むシトラス系のルームフレグランスがふわりと香る。

「はぁ……」

 ブランド物の鞄を放った夏史は服に皺が刻まれるのも厭わず、ソファーに寝転がる。
 帰宅したらまず手洗いうがい!
 普通の家庭ならば当たり前に飛ぶそれだが、この場、否、この住宅には一人としていない。
 漠然と天井を眺める事暫し、ポケットに仕舞ったスマホが僅かに震える。
 取り出して電源を入れれば、後藤秀頼の名前と写真の送付通知。

「なんだよ……!?」

 横向きに移動してトーク画面を開いた刹那、夏史の目が揺れる。
 送付された写真は、川山雪弥とのやり取りをスクショしたもの。

 『0840』
 『おはようございます』
 『雪君、見て! 綺麗な花!』
 『はい』
 『これ、俺の推し芸人。面白いよ』
 『そうですか』
 『課題のレポートマジ面倒くさーい。疲れたから寝るね。おやすみー』
 『お休みなさい』

 夏史の眉間がこれ以上なく真ん中に寄る。直後、秀頼から質問が飛ぶ。
 雪君が塩対応過ぎるんだけど、どうしたら仲良くなれるー?

「…………知らねーよ」

 呟いた言葉は空気に溶ける。
 返答する気になれず、夏史は戻るボタンをタップする。そうして何を思ったのか、下に押しやられた川山雪弥の名前を押す。
 表示されたメッセージは秀頼とそう変わらない。いやそれ以上に酷い。
 九割がセックス場所であるホテルと部屋番号、パシりで埋め尽くされ、雪弥からの返信は“はい”か“分かりました”。最後は――、

 『今までありがとうございました。さよなら』

 その後に続く、『何ふざけた事言ってんだよ』『そうかよ。勝手にしろ』という夏史のメッセージには今日まで既読はついてない。
 一言、おいと投稿するが、それも今までと変わらず読まれることはない。

「……拒否してんじゃねーよ」

 脳裏にまた雪弥の姿が浮かぶ。
 安価な臙脂色の長めのカーディガンを羽織った、お世辞にもセンスが良いとは言えない無難なファッション。
 普段ならダサいと一蹴するそれが、今の夏史には違った。
 下半身の中心に熱が集まり、股間の布がパンパンに膨らんでいる。

「っ、……ハァ……ッ」

 空気に晒された赤黒い陰茎に這わせた手を上下に扱く。その頭の中では場面が切り替わり、夏休みのあの日、最後に抱いた雪弥の乱れる様と声が流れている。

『やぁ……あ、はぁ……ぃっ……』
『ほら、ここがイいんだろ?』
『い、イいっ、イいよぉ』
『ハッ。淫乱』
『やらぁ、い……ない、でぇ!』

 夏史の律動に合わせて揺れる細い腰。あの頃は萎えると思っていた啜り泣いて、甘えるような喘ぎ声が今は堪らなく夏史の劣情を煽る。
 扱く手が早まり、やがて低く呻く声とともに、白い欲望が空に飛んだ。

「ハッ……ハァ……クソッ」

 荒い呼吸。
 シトラスに混じった栗の花の臭いに夏史は眉を寄せ、直ぐに立ち上がって浴室のシャワーを頭から浴びた。
 冷たい水が火照った体に気持ちいい。なのに――。

「あー、クソッ。……最悪な気分だ」
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