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この関係に名前をつけるなら。
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学内に植えられた彼岸花が赤い花をつけた頃、閑散期を終えた学び舎は大いに賑わいを見せていた。
「雪ちゃんの字って綺麗だよね」
「……普通じゃない?」
隣席に座る秋麿の指摘に、顔を上げた雪弥は小首を傾げる。
ノートに綴られた特徴のない文字。
名は体を表すどころか字は体を表すそれへの賛辞に雪弥はお世辞でも嬉しいと微笑み返し、本心だと唇を尖らせる秋麿を、はいはいと軽く遇った。
同居を開始して今日まで陽の者とはそうそう相容れないだろうと高をくくっていた雪弥だが、その予想を裏切って秋麿は気の置けない友人枠に昇格した。
現に今もじゃれ合いながら二人の間に流れる空気はとても穏やかだ。
友人といると講義を待つのも苦にはならないのだと雪弥は初めて知った。
他愛のない、生きていく上で毒にも薬にもならない雑談を交わすこと暫し、気付けば彼等は来訪した教授の注意を受けるまで話し込んでいた。
黒板を叩くチョーク音と教授の声、ペンを走らせる音だけが教室に響く。
(登校前のあの憂鬱が嘘みたい……)
一方的な関係に終わりを告げ、連絡を絶って今日まで雪弥は極力夏史のことは考えないように過ごしていた。
しかしながら休み明けの大学内、学年が異なるとはいえ、偶然何処かで出くわす可能性があった。
もし会ってしまったら。もし話し掛けられてしまったら。もし睨まれてしまったら――。雪弥には、平静を装える自信がまだなかった。
あんな仕打ちを受けても尚、彼を忘れられない自分に嫌気がさす。でも登校日は待ってくれなくて、その度にこのままではいけないという焦りが胸の内で大きくなっていた。
そんな雪弥の異変に気付いていたのだろう。秋麿は何も訊かず、こうして雪弥の傍で気遣ってくれていた。
彼には頭が上がらない。
真のイケメンは心まで男前なのだと一人納得していると、件の男前が小さく折りたたんだ紙を差し出した。
「んぐっ!」
開いた直後、無駄に技術のある無駄に格好いい劇画調のマッチョな教授のイラストに吹き出しかけて寸でのところで堪えた結果、雪弥の喉から変な声が出た。
周囲から突き刺さる不審な目。その中で秋麿だけが悪戯が成功した子供のようなドヤ顔を浮かべていた。
――訂正しよう。コイツは真のイケメンではなく顔の良い中身小学生だ。
せめてもの抗議に脂肪の少ない脇腹を思いっきり抓ってやる。
だがしかしそれで逆に火が付いたのか。秋麿はあの手この手で雪弥を笑わせようと画策し、結果正午を迎えるまでその攻撃は続いた。
「雪ちゃん、一緒に学食行こう」
一仕事やりきった職人の笑顔。
対してすっかり怒りの焔が萎んでしまった雪弥は一つ年をとったように力無く同意する。
絶対教授陣に目をつけられたと悲観しながらドナドナされていく牛が如く、二人は人の波を掻い潜り、そこそこのペースで目的の学食まで到達する。
休み明けの食堂は人に溢れていた。
食券片手に長蛇の列の最後尾に並んだ二人は行儀良く自分の番を待つ。
この分では五分くらいかかるだろう。
講義中邪魔してくれた秋麿の背をぼんやりと眺めていると、背後から最も聞きたくなかった名前と声が聞こえてくる。
「うわっ、スッゲー人。どーするよ、夏史」
「どうするもこーするも待つしかなくね?」
雪弥の全身が強張る。
心臓が早鐘を打ち、自然と呼吸が速くなった所為で苦しくなった雪弥の手が無意識に秋麿の服を握る。
「雪ちゃん?」
「ん? あれー、そこにいんの雪君じゃん」
秋麿が振り返るのと、声がかかるのは同時だった。
怖くて振り返れない雪弥に、男達を見比べた秋麿が知り合い?と小さく尋ねる。
「っ、一応。知り合いの先輩」
「なーになに。二人で話しあって無視しないでよー」
一向に振り返らない雪弥に焦れたのか、夏史でない方の男がやってきて雪弥を覗き込む。
思わず息を飲む。
雪弥は彼に見覚えがあった。
夏史に肉オナホと告げられたあの日、友達申請してきた男の顔がそこにあった。
「あれ、どーしたよ。ユーレイに会ったみたいな顔しちゃって」
「っ、」
「……あれ? あれ? 雪ちゃん、俺の携帯知らない? 記念に雪ちゃんとおそろにして買い換えたやつ」
「え」
ポケットを弄りながら尋ねる秋麿に、面を喰らった雪弥は緩く首を振る。
「もしかしたらどっかで落としたのかも。ヤバっ、雪ちゃん悪いけど捜すの手伝って!」
「あ、うん」
「そういう事なんで俺達失礼しますね、先輩方」
「おっ、おいっ!」
秋麿に腕を引かれ、列を離れる。
雪弥と夏史が擦れ違う。
けれど夏史の目は携帯の液晶だけに注がれ、ただの一度も雪弥を映す事はない。まるで初めから雪弥の存在などどうでもいいみたいに。
雪弥の胸がずきりと痛みを訴える。
(学食なんて来るんじゃなかった……)
滲んだ涙を見せまいと目を伏せた雪弥はそのまま秋麿と来た道を走り去る。
食堂の喧噪が何処か遠くの音のようでありながら耳にこびりついて離れない。
「……はぁー。此処までくれば大丈夫かな。雪ちゃん大丈……ぶっ!」
人通りのない場所で立ち止まり、振り返った秋麿が、静かに泣く雪弥を見て狼狽える。
「あ、ごめっ。大丈夫だから。携帯、探そう。どの辺に置いたか思い出せる?」
「あー……携帯は此処にあるんだ」
そう言うと鞄の中から雪弥の物とは違うスマホを取り出して向ける。
「え」
「雪ちゃんがなんかあの人達と話したくなさそうだったから。無理矢理でごめんね」
「……ううん。凄く助かった」
ありがとうと泣き笑う雪弥に、秋麿の顔が痛そうに歪んだ。
「あの人達、雪ちゃんに何かしたの」
「ちがっ、違うよ」
あんな事、秋麿には、いや誰にも知られたくない。
「本当になんでもないよ。僕達はもう……ただの先輩と後輩、だから」
「雪ちゃんの字って綺麗だよね」
「……普通じゃない?」
隣席に座る秋麿の指摘に、顔を上げた雪弥は小首を傾げる。
ノートに綴られた特徴のない文字。
名は体を表すどころか字は体を表すそれへの賛辞に雪弥はお世辞でも嬉しいと微笑み返し、本心だと唇を尖らせる秋麿を、はいはいと軽く遇った。
同居を開始して今日まで陽の者とはそうそう相容れないだろうと高をくくっていた雪弥だが、その予想を裏切って秋麿は気の置けない友人枠に昇格した。
現に今もじゃれ合いながら二人の間に流れる空気はとても穏やかだ。
友人といると講義を待つのも苦にはならないのだと雪弥は初めて知った。
他愛のない、生きていく上で毒にも薬にもならない雑談を交わすこと暫し、気付けば彼等は来訪した教授の注意を受けるまで話し込んでいた。
黒板を叩くチョーク音と教授の声、ペンを走らせる音だけが教室に響く。
(登校前のあの憂鬱が嘘みたい……)
一方的な関係に終わりを告げ、連絡を絶って今日まで雪弥は極力夏史のことは考えないように過ごしていた。
しかしながら休み明けの大学内、学年が異なるとはいえ、偶然何処かで出くわす可能性があった。
もし会ってしまったら。もし話し掛けられてしまったら。もし睨まれてしまったら――。雪弥には、平静を装える自信がまだなかった。
あんな仕打ちを受けても尚、彼を忘れられない自分に嫌気がさす。でも登校日は待ってくれなくて、その度にこのままではいけないという焦りが胸の内で大きくなっていた。
そんな雪弥の異変に気付いていたのだろう。秋麿は何も訊かず、こうして雪弥の傍で気遣ってくれていた。
彼には頭が上がらない。
真のイケメンは心まで男前なのだと一人納得していると、件の男前が小さく折りたたんだ紙を差し出した。
「んぐっ!」
開いた直後、無駄に技術のある無駄に格好いい劇画調のマッチョな教授のイラストに吹き出しかけて寸でのところで堪えた結果、雪弥の喉から変な声が出た。
周囲から突き刺さる不審な目。その中で秋麿だけが悪戯が成功した子供のようなドヤ顔を浮かべていた。
――訂正しよう。コイツは真のイケメンではなく顔の良い中身小学生だ。
せめてもの抗議に脂肪の少ない脇腹を思いっきり抓ってやる。
だがしかしそれで逆に火が付いたのか。秋麿はあの手この手で雪弥を笑わせようと画策し、結果正午を迎えるまでその攻撃は続いた。
「雪ちゃん、一緒に学食行こう」
一仕事やりきった職人の笑顔。
対してすっかり怒りの焔が萎んでしまった雪弥は一つ年をとったように力無く同意する。
絶対教授陣に目をつけられたと悲観しながらドナドナされていく牛が如く、二人は人の波を掻い潜り、そこそこのペースで目的の学食まで到達する。
休み明けの食堂は人に溢れていた。
食券片手に長蛇の列の最後尾に並んだ二人は行儀良く自分の番を待つ。
この分では五分くらいかかるだろう。
講義中邪魔してくれた秋麿の背をぼんやりと眺めていると、背後から最も聞きたくなかった名前と声が聞こえてくる。
「うわっ、スッゲー人。どーするよ、夏史」
「どうするもこーするも待つしかなくね?」
雪弥の全身が強張る。
心臓が早鐘を打ち、自然と呼吸が速くなった所為で苦しくなった雪弥の手が無意識に秋麿の服を握る。
「雪ちゃん?」
「ん? あれー、そこにいんの雪君じゃん」
秋麿が振り返るのと、声がかかるのは同時だった。
怖くて振り返れない雪弥に、男達を見比べた秋麿が知り合い?と小さく尋ねる。
「っ、一応。知り合いの先輩」
「なーになに。二人で話しあって無視しないでよー」
一向に振り返らない雪弥に焦れたのか、夏史でない方の男がやってきて雪弥を覗き込む。
思わず息を飲む。
雪弥は彼に見覚えがあった。
夏史に肉オナホと告げられたあの日、友達申請してきた男の顔がそこにあった。
「あれ、どーしたよ。ユーレイに会ったみたいな顔しちゃって」
「っ、」
「……あれ? あれ? 雪ちゃん、俺の携帯知らない? 記念に雪ちゃんとおそろにして買い換えたやつ」
「え」
ポケットを弄りながら尋ねる秋麿に、面を喰らった雪弥は緩く首を振る。
「もしかしたらどっかで落としたのかも。ヤバっ、雪ちゃん悪いけど捜すの手伝って!」
「あ、うん」
「そういう事なんで俺達失礼しますね、先輩方」
「おっ、おいっ!」
秋麿に腕を引かれ、列を離れる。
雪弥と夏史が擦れ違う。
けれど夏史の目は携帯の液晶だけに注がれ、ただの一度も雪弥を映す事はない。まるで初めから雪弥の存在などどうでもいいみたいに。
雪弥の胸がずきりと痛みを訴える。
(学食なんて来るんじゃなかった……)
滲んだ涙を見せまいと目を伏せた雪弥はそのまま秋麿と来た道を走り去る。
食堂の喧噪が何処か遠くの音のようでありながら耳にこびりついて離れない。
「……はぁー。此処までくれば大丈夫かな。雪ちゃん大丈……ぶっ!」
人通りのない場所で立ち止まり、振り返った秋麿が、静かに泣く雪弥を見て狼狽える。
「あ、ごめっ。大丈夫だから。携帯、探そう。どの辺に置いたか思い出せる?」
「あー……携帯は此処にあるんだ」
そう言うと鞄の中から雪弥の物とは違うスマホを取り出して向ける。
「え」
「雪ちゃんがなんかあの人達と話したくなさそうだったから。無理矢理でごめんね」
「……ううん。凄く助かった」
ありがとうと泣き笑う雪弥に、秋麿の顔が痛そうに歪んだ。
「あの人達、雪ちゃんに何かしたの」
「ちがっ、違うよ」
あんな事、秋麿には、いや誰にも知られたくない。
「本当になんでもないよ。僕達はもう……ただの先輩と後輩、だから」
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