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終わりの始まり⑤
しおりを挟む皇都ナタールに存在する貴族街の一角。そこそこ陽当たりの良い土地に百年は続くだろうアウグスブルク侯爵邸は建っていた。建物含む外壁は都度、修復保全されているものの、夕暮れと噂、手入れの怠りにより、第一印象は居住地ではなく幽霊屋敷に近い。
カァー、カァー、カァー。
屍肉を漁る黒鳥の群れがけたたましく鳴きながら茜色の空を旋回する。まるで御馳走がやって来たとばかりに喝采し、夜を溶かしたような瞳は地上に佇む五人の男達を捉えている。
鴉は不吉の象徴だ。とはいえ彼等が直接的な害をもたらすのではなく、ただ単に人間以上に優れた嗅覚を持つがゆえに、死臭及び近々亡くなる臭気を感じ取って集まることから、転じてそう伝わっただけに過ぎない。
近い例を挙げるならば畑か。掘り起こした土の中より現れ出でる虫や種子を狙い、小鳥が集うアレだ。その学習行動となんら変わらないのである。
よってそれを知る、いや詳細を知らずとも見て、聞き慣れている男達は奴等を恐れる事はない。
決意と怒りの炎を灯した瞳が門を見上げる。この門の先が敵の根城だ。高さ三メートルはある門扉は赤茶けた色に染まり、今は死んだ貝のように固く閉じられている。通常であれば侵入者対策と来客確認の為に門兵が立つものだが、そこには誰の姿もない。
態となのか、普段からそうであるのかはこの場にいる誰も分からない。
周囲の壁には棘のついた鉄線が張り巡らされており、登っての侵入は不可能に近いだろう。
やがてほど近くに建った灯り台が灯った。頭上と変わらぬ鮮やかな橙が煌々と輝き、周囲を照らす。と言っても半径1.5メートルにも満たない空間だけで全てを明るくするわけではない。光と夕暮れの届かない場所は薄い黒がわだかまっているし、見え辛い。
鎧の背に新たな戦斧を携えた海賊、もといラムが門扉を揺らし、苛立ったように舌打ちする。
「鍵が掛かってやがる」
「ナウシュヴォーナさんを疑うわけじゃありませんが指定住所が違ったりしてる場合はありませんか?」
「その可能性は低イ。念のためオレとラムが台帳を確認していル。間違いなく此処ダ」
ラム、ルディ、グノーと続き、彼等は顔を見合わせる。
「どうする。見たとこ、正門は鍵がかかってやがるし、壁は登れそうにねぇ。一応裏手に回ってみるか」
「それなら二手に分かれて回った方がいいんじゃないですか。もしかしたら途中で入れる場所が見つかるかもしれないですし」
「ならオレとルディ、レオとラムだナ」
「その前にこれが陽動である可能性もやっぱり捨てきれないんじゃないかな。一人はデールライト伯爵家に様子を見に行った方がいいんじゃない」
「レオ……。勿論その可能性も捨てきれねぇが、いま戦力を更に裂くのは流石に得策じゃねえ。二手に分かれて何かあった時の伝令役は必要だ。それにあっちにゃ不測の事態が起きた際に報せ、花火を打ち上げてもらえるよう頼んどいたろ」
「それはそうだけど……」
「難しいかもしれねぇが一旦冷静になれ。焦れば焦るほど相手の思う壺だ」
「……分かった」
「じゃあ、リーダー。オレ達はどうすべきだ?」
「ラムの言う通り、周りを見て回ろう。俺は左に行くからそっちは右。もしかしたら次の指示があるかもしれないから見逃さないように頼む」
残りの面々も同意とばかりに頷く。その後は軽い打ち合わせをしてそれぞれ探索に入ろうとした矢先、あれほど侵入を拒んでいた門が誰の手も借りず、突然その口を開いた。
「?! 開いた? 入れってことか」
「そのようだナ」
きぃいいいと硝子を引っ掻くような不快な音を響かせて門扉が迎え入れた先――屋敷へと続く長い長い石畳達の隙間には夥しいほどの雑草が生えていた。外壁、外側のみてくれも最悪だったが、中もそう変わらないようだ。本当に人間、いや高位貴族の居住地なのかさえ疑わしい。
「気をつけ――」
気をつけていこうと言いかけたレオが口を閉ざし、得物の柄に手を掛けた。
その視線は鋭く、睨むように前を見据えている。
「どうしたよ、レオ」
「皆、構えて」
その指摘を受けた面々も遅れて武器に手を掛けて彼の目線の先を追う。そこは一メートル先の石畳。一見何もないそこから赤黒い泡のようなものが現れる。
「なんだ、ありゃ」
「泡? ……いや、なんだあれハ。取り敢えず、ルディは補助呪文をかけてくレ」
「分かりました! って大きくなってますよ!」
「皆、油断しないでくれ」
ぐちゃぐちゃと挽き肉を捏ねるような音を奏でながら、それが大きくなり、やがてルディほどの背丈に伸びる。
魔法生命体――スライムの一種かとメンバーが身構える。だがそれに攻撃の石はないらしく、ひとしきりぐねぐねと動いたあと、その動きを止めた。
そして驚くべきものへと形を変えた。
真空色のドレスを纏った美女だ。僅かな微笑をたたえた顔は聖母のごとく。青みを帯びた銀髪は腰まで艶やかに流れ落ちている。体格は華奢ではあるが、特に胸、豊かな双丘が服の内側からでも分かるほどボンッと強く自己主張していた。
泡から形成されたとは到底思えないお淑やかそうな貴族女性である。
三拍程度の間を置いて、美しい女性はドレスの両横を摘み、レオ達に対して完璧なカーテシーを披露した。
対する彼等は僅かに驚愕はしたものの、警戒を緩めることはなかった。
それでも女性に気分を害した様子はない。さっきと変わらず、全てを包み愛するような微笑を浮かべたままだ。
「ようこそおいでくださいました」
鈴を転がすような綺麗な声。
彼女は呆気に取られる面々を気にすることなく続けようとするが――。
「何者だ!?」
遮ったのはレオだったが、女性はその質問には答えることなく、用件だけを告げる。
「偉大なる御方が皆様をお待ちです。ご案内致しますので、どうぞ着いてきてくださいませ」
そう言って彼女は優雅に踵を返す。コツコツとハイヒールを鳴らす音が嫌に不気味に感じる。
「どうする?!」
「どうするもなにも行くしかないよ」
廃墟に美女。その異様な光景に怖気を走らせながらも、レオ達は意を決して門の内側に足を踏み入れる。そうして全員が歩き出すのと同じタイミングで、門扉が不快音をあげてまた閉ざされた。しかもガチャリと施錠音付きで。
「閉じ込められた?!」
「どういう事ダ!」
その問いかけに対して足を止めて振り返った女性の顔には相変わらず微笑が刻まれたままだった。まるでそれ以外の感情など存在しないかのように、否、プログラミングされたコードをなぞるように女は言う。
「こちらでございます」
「ちょっと! いい加減こっちの質問にも――」
「よせ、ルディ。多分無駄ダ」
むっとして問い詰めようとしたルディを、傍にいたグノーが前に出ることで制止する。
「あれは人ではなイ」
見ろと促された先は女の後ろ姿、ではなくその足元。それがどうしたと首を捻ったルディが一拍後、グノーの言わんとしていることに気付き、絶句する。容姿と言動につい目がいってしまうが、そこには本来あるべき形がなかったからだ。
影である。幾ら夕暮れであろうとも光がさす以上、地面に映るシルエットはその者の姿形を描くものだ。にもかかわらず女の下に伸びるそれは、ぐにゃぐにゃとした不定形のなにかだった。
「ひっ!」
「牙狼のアイツと同じか、限りなく近いナニかだろウ。警戒は怠るナ」
ルディの脳裏にあの赤タイツが過り、ぶるりと背を震わせる。奴も強かった。あの時も最終的に力の暴走と奴の一欠片の人間性でどうにか勝ちを拾えたようなものだった。
一陣の風と共に、チーズや生ゴミが腐敗したような強烈な臭いが鼻腔を刺激し、胃の中のものが喉元まで迫り上がる。咄嗟に口元を覆い、臭いの先を辿ってみれば少し離れた先に聳え立つ、非常に趣深い屋敷があった。おそらくは、あの場所から流れてきたのだろう。一体どれほどの死体があるのか。
想像しただけで底なし穴に落下してしまったような暗くてどうしようもなく恐ろしい気持ちになる。
それでも大事な人を取り戻すために歯を食い縛って耐えるしかない。
そうこうしているとぼろ屋敷の玄関前で女は足を止めた。二メートルはある大扉。かつて名を馳せた細工師が掘ったであろう美しいそれも外観同様、今や見る影もない。
するとまた誰の手も介さず、目の前の障害が悲鳴じみた鈍い音を奏でながらその口を開く。そして予想通り、この世のどの言葉でも言い表せそうにない悪臭が漂ってくる。四方から上がる嘔吐き音。だがその中でも振り向いた女だけは変わらない。嘔吐く彼等を気遣う素振りもなく聖母の微笑みだけを向けるだけだった。
女の右腕が緩いLを描く。
その時だった。
奥も見通せないほどの深淵に満ちていた扉の先が何十もの照明を合わせたように強い光を発した。けれどそれも一瞬のこと。閃光はなりを潜め、丁度いい感じに明度を下げる。
そして次の驚きがレオ達を襲った。
そこにあったのは豪華絢爛。
未だ鼻を突く腐敗臭にはとても相応しくない空間が広がっている。
色は全て赤銅で統一されているものの、磨き抜かれた大理石とその上に敷かれた、これまた細かな刺繍を刻んだ絨毯、エントランスホール。
思いもよらない光景を目の辺りにした一行は、嘔吐くのを忘れて見入る。
「……っ。皆、しっかりして!」
一番早くレオが我に返り、指示する。
「幻覚の類も視野に置いて警戒を怠らないでくれ!」
その声に此処こそが敵地であると再認識した疾風迅雷一行は、自身の得物を握る手と身体に力を入れ直す。そうだ。見惚れている場合ではない。先導する女に続き、注意を払いながらエントランスホールに足を踏み入れる。
中程まで行くと、大きな音を立てて玄関扉が閉まる。
不気味なほどの静謐さが漂い、心拍数が徐々に速度を増していく中、二階付近へと目線をあげたラムが息を飲む。その眼光の先には巨大な一枚の肖像画があった。
描かれているのは二人。一人はこの場に招き入れた女と服装、表情に至るまで瓜二つの女性と、ルディと同じ髪と目の色をした世にも醜い少年らしき人物画だ。
幼少期のデューダイデンと面識のない一行は異様なそれに言葉を失う。
「っ、ヘルブリンじゃない、よな」
「意味が分からねえ」
困惑が広がり、どう解釈すべきか戸惑う面々だが、正面の彼女から解答がもたらされることはやはりない。
アウグスブルク侯爵家にようこそと告げるのみだ。
一行は即座に顔を見合わせる。このまま一部屋ずつ探索すべきか二階に行くべきか行動指針を取り決めようとしたその時、一階の左右にある扉四つが蹴破られるような勢いで一斉に開く。
新手かと全員が身構えるが、何かが出てくる気配はない。
代わりに女が言葉を紡ぐ。
「皆様には二階への鍵を求めてそれぞれの扉を通っていただきます。レオ様は左奥、ルディ様は左手前、ラム様は右奥、グノー様は右手前へどうぞ」
「断ると言ったら?」
「それはなりません」
全員が抗議しようと声を出すよりも早く、女性は優雅な所作で柏手を打ち――。
「なっ?!」
「ひっ!」
「うわぁああああ」
「離しやがれぇええ」
それを合図に四つの扉から生えた触手のようなものが四人を捕らえた。そして拒否権なく、驚異的な速度で彼等をそれぞれの扉へと強制的に招き入れる。バタリと閉じる扉。
「どうぞ心ゆくまでお楽しみくださいませ」
一人取り残されたエントランスホールにて、女は深々と頭を下げる。
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