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下水道にて②

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 暗がりの中、ロキが周囲に火炎を纏わせて、のんびりと現れ出でる。
 魔物の蔓延る下水道に似つかわしくない、まるで自宅近くを歩くような、公園内を散策するような軽い足取りだ。
 魔物のみならず一時停止した俺達との距離が狭まり、ロキは緩く丸めこんだ右手を右斜め上に掲げ、パチンと指を鳴らす。するとロキの周りを浮遊していた炎が大きく動く。
 右へ左へ、炎の巨大蚯蚓ミミズは生き物のように螺旋らせんを描いた。
 その異様な光景に、俺を含めた疾風迅雷の面々も言葉を失う。
 ロキの周囲にてとぐろを巻く炎の蚯蚓ミミズは、見た目の凶悪性もさることながら、とんでもない熱量を有していた。
 砂漠のオアシスを干上がらせる灼熱の太陽の如き熱波が吹き荒れ、周辺温度を瞬く間に引き上げて、俺達の皮膚をじりじりと焼きに入る。
 猛暑を超えた酷暑。
 急激に上昇した気温に脳が体温を一定に保つべく汗腺に指令を送る。
 玉のような汗が全身からふき出して息苦しい。でもそれだけじゃない。蛇に睨まれた蛙、いや、魂を刈りとる死神の鎌を首元に添えられた恐怖も起因していた。
 あの炎が自分達に向けられたものではないと頭では理解していても、冒険者として鍛えぬいた危機察知能力が警鐘けいしょうを絶えず打ち鳴らす。ほぼほぼ短期間とはいえ共に旅して、ナウシュヴォーナの資料からロキ……悪魔ローフェウスというキャラクターの強さと事情は承知している。だがそれでもいま相対して感じる圧は、到底筆舌に尽くしがたいものであった。
 彼が俺の横を通り過ぎる。
 次いでその後ろに控えるグノー、ラム、レオを炎の蚯蚓ミミズは避けるように形を変えてロキに付き従う。

「……………!!!!」

 最奥に構える巨大スライムとの距離が1メートルを切った頃、俺達同様制止した巨大スライムはそのどでかい身体を小刻みに振動させる。生物として標準装備されている本能がロキとの圧倒的戦力差があるのを理解出来たため、そして戦略的撤退すらさせてもらえないと悟ったからだ。魔物として最下位を競うスライムが最上位の悪魔を前にすればそうもなる。
 合体していない、知性の乏しい魔法生命体もそれが解っているようだった。あれほど忌々しく忙しなく飛び跳ねていた身体を後ずらせ、巨大スライムに盾にするように回り込む。
 しかし彼等のボスは彼等を守らない。
 やがて互いの距離が目と鼻の先に迫り、ロキが足を止める。炎の蚯蚓ミミズは相も変わらずとぐろを巻き、攻撃の意志は見られない。
 けれどそれは今だけであり、何かの拍子で巨大スライム達に襲い掛かっても可笑しくはないだろう。だからか、一際大きくゼリー体が揺れたとき、巨大スライムが動いた。
 その動きは速い。俺達が目にしたあの予備動作もなく、大量の消化液が全てを溶かさんとロキに襲い掛かる。
 常人であればそれで終わり。此方にぶつかったのでもないのに、脳内に硫酸を被った人間が過り、全身が総毛だつ。
 酸の水は地面を溶かす。
 だが肝心のロキは皮膚どころか服すらも無事だった。信じられないものを前にしたかのように、棒立ちの巨大スライムは自棄になってアシッドアタックを連発する。その度にロキの足元周りが抉れて小さな孤島を形成した。
 やがて下水が顔を覗かせた際、静観の構えを取っていたロキが動く。
 彼の細く長い指が巨大スライムの身体に触れた。その時だった。
 侍るだけであった炎の蚯蚓ミミズが掃除機に吸い込まれるようにロキの手に吸い寄せられ、スライムの中へ入った。
 そしてそれは寄生虫のようにスライムの全身を這い回り、自身の熱で内部から焦がしていく。まるでファラリスの雄牛の逆バージョンであるかのよう。

「おっかねぇ…………」

 ラムが無意識に漏らした小さな呟きは全員の総意でもあった。
 強制沸騰されたスライムの身体が不規則に泡立ち、耐えきれないと膨らんだ風船が弾けるように爆発した。四方八方、ベチャやらビチャやら汚い音を立ててゼリー体が飛ぶ。

「さて、次は」

 静かで穏やかな声が戦場に流れる。
 目線はミニスライム達。
 そのあまりの異質さにミニスライム達は脅えきっていた。自分達も巨大スライムと同じ道を辿るのだと想像したために。
 頭上に浮かぶ炎の蚯蚓ミミズは嘲笑うように八の字を描く。次の獲物を甚振りたくて堪らないかのようだ。
 暑いのに氷の手が心臓を撫でる。
 あとはもう一方的な殺戮だ。虫を払うかの如く、ミニスライムはあっという間にその命を刈り取られた。
 炎の蚯蚓ミミズが消える。
 下水と刺激臭、火事場の臭いが絶妙に混じり合った空間に不気味なほどの静謐せいひつが加わった。誰も何も言えない。
 危機を救ってもらったのは判っている。けれどどうしても礼の一言を告げる勇気が出なかった。頬を伝う汗がポタリと床に落ちて、弾けて消える。
 そんな中、先に動いたのはロキだった。きびすを返し、俺達へと向き直る。

「お久しぶりです」

 普段と変わらない表情の薄さ。
 その姿に俺達は再び息を飲んだ。
 さきほどのものも絶句ではあったが、今度はそこに言い表せない畏れがプラスする。
 最も目を引いたのは瞳だ。眼帯で覆っていない深紅のそれが、底なし沼よりも深い闇と仄暗い殺意によって煌々こうこうと輝いていた。
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