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上げて、落ちる。

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「うそ、そんな事あるわけない」

 体中から血の気が引いていく。体内から響く鼓動と同じくらい自分の浅い呼吸が五月蝿くて仕方が無い。そう、まるで首元に刃物を突きつけられたかのようだ。
 疑問符が脳内を絶えず反芻するが幾ら待っても明確な解答はなく、軈て俺の脳は一つの希望的観測にしがみついた。
 もしや同姓同名の別人ではないか、と。

「あの」
「紫、紫は何処だ」

 こちらを見ているようで見ていない彼が力無く辺りを見回したその時、唯一の出入口がまた開き始める。
 振動が体を伝う中、俺は問うた。

「ゆかりって、誰?」

 放たれた声は、思いの外掠れていた。
 どうにか平静を装おうとする表情筋も恐れという筋弛緩剤に邪魔をされ、醜いものを形作る。唯一幸運だったのは、俺を視界に入れないオズと周りに誰も居なかった点だけ。
 どうか全て人違いであれ。
 希うように返答を待った。

「ゆかりは俺の恋人だ」

 勝利のファンファーレが響く。
 俺と星夜の関係は十年も前に終わりを告げている。それ以前に俺達は恋人ですらなく、彼は俺を家政夫兼オナホール程度としか見ていなかった。

「混乱しているところ申し訳ありません。此処はその、危険なので移動できますか?」
「え」

 漸くオズの目が俺の方へ向いた。だがまだ朧げでこちらを完全には認識していない。
 見た感じ、オズでありながらオズでないその人は、突然の恋人との別離にまだ現実を受け入れられない可哀想な男だった。
 きっと彼も俺のようにゲームらしきこの世界に招かれたのだろう。
 労りを込めて彼を立たせ、灰色に染まった珠と台座の方へ歩み寄った。いや正確には、その前の床にて緑色に発光する幾何学模様の魔法陣の元へ。
 名称を帰還の魔法陣といい、古代施設・ダンジョン等にあり、図上に乗ると設定地または入り口に運んでくれる大変便利な代物だ。

「あれ? あの花って」

 陣まであと一歩の距離まで行った時、台座の後ろでひっそりと咲く花に気付く。
 リモの探していた薬花と妹に必要な花だ。
 合流出来るか解らないが、何かの役に立つかもしれない。入る分だけ鞄に入れて、魔法陣の上に乗る。
 すると眩い光を俺達を包み、転瞬する間もなく、風景が切り替わった。
 場所は森の前。俺達が入林した先とは異なるところだった。太陽は若干傾いているが、辺りはまだ明るい。幸い敵の気配は無く、長閑な光景が広がっていた。

「こ、こは?」
「森の前です」
「もり?」

 オズもとい一条星夜が、体調悪そうに告げる。正直直ぐにでも休ませてやりたかったが、魔物が何時出るかも解らない場所に留まるのは流石に憚られた。
 彼を引き摺って、小川のあるポイントまで移動し、俺は残り少ない忌避剤を振って薪になりそうな物を片っ端から掻き集めた。
 それが終われば火起こしと水の確保だ。
 普段はレオと分担して行う作業だが、一人でやると結構な時間がかかる。沸かした湯をコップに移し替えた時には、もうすっかり夜の帳が下りていた。

「少し冷えてきたので飲んでください」
「え、あ、どうも」
「これから少しつまめる物を作りますが食べられそうですか?」
「あ、うん。大丈夫」

 幾分か顔色の良くなった星夜だが、今度はあまり事態が飲み込めていないようで返事は返すものの、その表情は困惑に塗れている。
 俺は手早く食事の支度にとりかかる。
 メニューは、採取したクリアの芽をペーストにして残った堅パンに塗ったもの。あとは小川産の小蟹を使用した雑スープだ。

「あの、これは」
「今日の晩餐ですね」
「晩餐……」

 一時間ほどで完成した夕餉を手に、星夜が呟く。

「苦手なもの、ありましたか」
「いや、そういうわけではないんだが……っ、いただきます」

 意を決して堅パンに齧りついた星夜の動きが止まる。気持ちは解る。パンは堅いわ、ペーストの匂いは椎茸だわ、味がふきのとうとか、とんだ夕食である。

「個性的な味だね」
「そうですね。俺も初めて食べましたが次回は調理法を変えるか遠慮したいです」
「え」
「これしか手持ちがなかったんですよ」
「それは、すまない」
「いいですよ。それより幾つか質問してもいいですか?」
「ああ」
「貴方、誰ですか?」

 ばちりと火の粉が爆ぜる。

「俺は一条星夜。日本人だ」
「日本人……あの、落ち着いて聞いてください。貴方は自分が一条星夜と仰っていますが、その体の持ち主の名前はオズ・ベアリングズという青年です」
「……は?」
「順序立てて説明しますね。まずは」

 そう言って俺は知る限りの情報とこれまでの経緯を彼に語る。最初こそ半信半疑だった星夜だが、雑スープに映る自分を見て戦慄したようだった。

「そんな」
「心中お察しします。 !? ゆっくり息を吐いて!」

 気付けば星夜の浅く繰り返された呼吸は荒くなり、まるで全力疾走を遂げたように忙しなくなっていた。

「はっ、……はぁ……す、すまない」
「お気になさらず。少し話題を変えましょう。話せる範囲で構いませんので貴男の事をお聞かせ願えますか」
「俺のこと?」
「はい。年や職業、何でもいいです」
「――年は五十五。職業はロックシンガー、いや歌手だ」
「歌手」

 やはり俺の知る星夜とは年が違う。
 けど名前と職業が同じなんて凄い偶然もあったものだ。

「自分で言うのもアレだけど結構有名な方でね、何度か賞も貰った」
「はぁ」
「っと、すまない。まあそこそこ順風満帆に過ごしていたんだが、ある日体調を崩して病院にかかったら膵臓癌と診断されてね。一応治療はしていたんだけど」
「それは、ご愁傷様です」
「あぁ、いいよ。気を遣わなくて。まあそんなこんなで癌の方が強くてね、死んだと思って次に目を覚ましたらこの状況だったんだ」

 それが真実なら、恐らく俺もあの日死んだのだろう。

「じゃあ恋人、奥さんの紫さんとは死別を」
「いや、妻は別にいて」
「……は?」

 俺の中で星夜の株が、極寒の北海道並に急降下した。

「あぁ、ごめん。言い方が悪かった。妻と言っても病気が発覚してから別れてるから正しくは元妻なんだ」
「あ、じゃあ紫さんはその後の恋人なんですね。すみません」
「いや紫とはもっと前なんだ」
「……は?」

 不倫してたのかよ。コイツ、最低だな。

「え、あ、ごめん。不倫とかじゃなくて……紫は昔の恋人だったんだ」

 そう告げた星夜の顔は、強い後悔と深い愛の滲んだ、美しくも悲しいものだった。
 きっと本当に彼女を愛していたのだろう。

「彼には昔、酷い仕打ちをしてしまってね。別れて、いや彼が亡くなってからずっと後悔していたんだ」
「え、彼?」
「あ、ごめん。ユニ君はそういう方面に抵抗があった?」
「……紫って人のフルネームを教えていただいても?」
「? 佐竹 紫だけど」

 この時、俺は一体どんな顔を浮かべていただろうか。
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