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Ⅱ (事故チュー)
しおりを挟むそして翌日。
覚醒と共に訪れたのは爽やかとは縁遠い、猛烈な吐き気と胸焼けの朝だった。
次いで身を起こしたタイミングで冷たい物を口にしたようなキーンという鋭い痛みが頭を締めつける。
正に典型的な二日酔いの症状である。
夕べは薦められるままに大量の酒を飲んでしまった。曇天のような思考にあの憎たらしいほど陽気な男の赤ら顔がチラつき、うっかり舌打ちを溢しそうになる。
それを乱暴に頭を搔いて誤魔化し、辺りを見渡す。見覚えのある天井に、二台の寝台。
定宿にしている朝のグリル亭だ。
ただ室内は薄暗く、窓から差し込む光と角度を考慮して、まだ暁方を過ぎた頃合いだろう。その証拠に窓外で歌う朝鳥の声は少なく、同室者で早起きのユニが、未だ可愛らしく寝息を立てていた。
続けて自分に目線をやる。
辛うじて大事な得物は床に投げていたが、服装はほぼ完全武装のまま。何時帰宅したのか我ながらとんと記憶にないが、恐らく脱ぐ気力も尽きてそのまま寝落ちしたのだろう。
一方で何か重大な事を忘れているような、なんとも言えない気持ちになるが、頭痛の所為でその靄を取り除く余裕はない。
軽く息をつき、得物同様、床に直置きしていた私物から形の異なる二種類の小さな葉を取り出し、口に放る。
途端、口腔内に広がるえも言えぬ苦味に眉間の皺が一段深まった。
二日酔いに効く薬草だが、飲み下して尚、居座り続ける青臭さはポーションの比ではない。寧ろその不味さで症状を上書きしているのではないかと巷では専らの噂だ。
幾分か薄まった症状に満足しつつ、俺は音を立てないよう静かに客室を出る。
すると朝方特有の冷えた空気が顔を撫で、転倒防止用に一、二カ所だけ錆びたランタンを設置した薄暗い廊下が俺を出迎えた。
見える範囲に人の姿はなく、代わりに一階の物音が時折流れてくる。
扉に鍵をかけた矢先、角部屋方面から二人分の足音が鳴るのを鼓膜が拾う。
「ん? おはようさん」
暗がりから現れたのは、グノーとラムだ。
二人は休日だというのに俺と同じく装備を身に纏い、腰には得物をさしている。
「二人はこれからクエストでも受けるの?」
「いんや、飯食って防具屋の冷やかしと、メンテナンスに出した武器の点検だな」
「ところで、レオ。お前、酒と薬草が混ざって臭いゾ」
「あ~……すまない」
ラムの指摘に、苦笑いのまま頬を搔く。
「どうせ押しの強い酒飲みに捕まってしこたま飲まされたんだろ」
「当たり。それで今、水を汲みに行くとこ」
「人が良すぎるのも考えもんだぞ」
残念なものでも見るかのように、二人は肩を竦める。
「まあでも収穫はあったよ」
「ふぅん。んでユニはまだ寝てんのか?」
「さっき見た時はまだ寝てたね。何か言伝でもある?」
「特にはねえな。それよかお前さんはまた寝るか」
「いや水を飲んだら軽く鍛錬して、予定が合えばユニと出掛けるよ」
「デートだナ!」
「違うよ。少しも確かめたい事があるんだ。その辺ぶらついて公園の方に行く予定。あ、何かあったら何時もの方法でコンタクト取ってくれ」
「りょーかい」
その会話を区切りに、俺達は階段の方へ歩を進める。ぎぃぎぃと軋みを上げる板を踏みしめ、中程まで差し掛かった頃、一階の床が見え始める。他にはこれから支部、或いは街の外に向かうだろう同業達の姿があった。
最後の一段を降りれば、見覚えのある顔触れからそうでない者まで多岐に渡る。
特に目を引いたのは粗末な装備を纏い、まだあどけない子供の一団だ。
大冒険物語の主人公のように全員、期待に胸を膨らませ、瞳は爛々と輝いている。
自分にもあんな時期があったと懐かしさを覚える反面、彼等はこれから冒険者の現実を目の当たりにするのだなと憐憫の情も抱く。
振り向くと、グノー達も同様だったらしく苦い顔で彼等に視線を送っていた。
「じゃあ、オレ達は行くゾ」
グノーが殊更明るい声で告げる。
俺も表情を戻し、彼等を見送った後、踵を返す。向かう先は井戸だ。
場所はグリル亭の裏手にあり、出入口からぐるっと回るか、中の通路を進むかの二択。
俺は中の通路を選んだ。
階段同様、軋む床を歩き、狭いT字路の真ん中を差し掛かった辺りで右手側から現れた何者かと衝突する。遅れて尻餅をつく音と、ばさばさと布の散らばる音が鳴る。
「いったぁ~!」
二日酔いの頭に響く甲高い声は、朝のグリル亭の看板娘ナナティーヌのものだった。
ユニよりも赤みの強い茶髪茶目、ファニーフェイスとまではいかない、絶妙な均衡のとれた羊顔と薄めの雀斑が特徴的な女性だ。
「すまない。立てるかい?」
「あ、はい。ありがとうございます。此方こそぶつかっちゃってすみません」
引き上げた体は、殊の外重い。
もちろん体型の侮辱でなく、宿屋仕事によって鍛えられた筋肉の重さを指している。無駄な物を削ぐ冒険者の筋肉とは異なるも、常日頃酷使しているだろう彼女の上腕二頭筋は中々に逞しい。
「あの」
「あっ、すまない」
あまりに視線を送ってしまったいた所為か、ナナティーヌは苦笑いを浮かべる。
「やっぱり太いですよね」
「そう? 俺は普通だと思うし、綺麗で立派な腕だよ」
「そ、そうですか」
ナナティーヌの頬が僅かに紅潮する。
「あの。もし良かったら今度お休みの日に一緒にお出掛けしませんか! アタシ、良いお店知ってるんです!」
「あ~……ごめんね。俺、今そういうの考えてないんだ」
「そう、ですか」
「本当ごめん。あ、シーツ拾うの手伝うね」
期待させてしまった心苦しさを隠し、手際良く落ちたシーツをナナティーヌに返却する。
「(ユニだったらもっと傷つけない巧い返しをするんだろうな。あ、でも年齢的に二人ならお似合い…………?)」
仲睦まじい二人を想像した途端、なりを潜めていた胸焼けが顔を出した。もしかしたら薬草が痛んでいたのかもしれない。
「……レオさん?」
「あ、なんでもないよ。それじゃ、仕事頑張ってね」
「はぁ」
*・*・*
夕焼けに染まる黄檗が風に靡き、天然の誘因香が鼻腔を擽る。
市場通りから三本先。
満開のナターリアの花と噴水以外、特段見る物のない丘公園はそれなりに人がいた。
景色を楽しむ者、告白する者、人を観察する者、――様々な人間が様々な形で日常を謳歌しており、結構な賑わいを見せていた。
なるたけ人の少ない場所に誘導し、俺は注意深くユニを観察する。
市場通りでは多少ハプニングはあったものの、味覚については探りを入れられた。
残すは嗅覚のみ。
「綺麗な所だね」
黄色の絨毯を視界に入れたまま、憂い顔のユニが言う。
ひゅう、と一陣の風が吹き、乱れた髪を耳にかける仕草に胸が高鳴る。
「……どうかしたの?」
「あ、いや。なんでもないよ。それより結構花の匂い強いね」
「確かに。これ鼻の良い人には辛いかもね」
「連れてきてなんだけどユニは大丈夫?」
「問題ないよ」
確かに辛そうにしている素振りはない。
あまり長く眺めすぎたのか、ユニは怪訝そうに首を傾げる。
「レオ。もしかして何かあった? あ、もしかして屋台の人に揶揄われたの、まだ気にしてた?」
「え……違う違う! 此処に戻ってきてから少し元気がなさそうだったからさ。気晴らしになったみたいで良かった」
「――そっか。ありがとう」
感謝を告げる声音とは裏腹に、ユニは悲しみを堪えるように笑った。
もしかして探っているのが露見したのか、と焦りを感じた刹那、何時も通りのユニに戻る。
「(あれ、見間違いかな?)」
「夕方だからやっぱり少し冷えるね」
「あ~、ごめん。温かいもの買ってくるよ。あっちに売ってたみたいだからちょっと行ってくる」
「レオ、そっちデカい石が」
「あ」
ユニの言う通り、鎮座した拳大の石に足先が当たる。前方に傾く体。
あ、これは転ぶ。
そう覚悟した矢先、ユニだろう冷えた手が俺を掴んだ。引っ張り上げようとしてくれたようだが、彼の細腕で修正を図るには至難の業すぎようだ。
俺達は二人仲良く地面に落ちる。
「いたた」
「ユニ、大丈夫?」
「大丈夫。レオは」
「俺も大丈夫……ぷっ」
「あはは」
顔を見合わせ、二人で笑い合う。
昔にもこんな時があった。
最もあの時とは逆だが、些細なミスで喧嘩してた俺達が今のように躓いて一緒に地面に倒れた。
「あの時みたいだね」
「とりあえず立とう。はい」
先に起きたユニが手を差し出す。
これもあの時とは逆だ。
胸の奥にじんわりと温かいものが湧き上がる。
「(やっぱりユニが話してくれるまで待とう)」
「きゃはは。待て待て~!」
「え」
差し出された手を握り、足に力を入れようとした途端、追いかけっこしていた少年の一人がユニとぶつかる。
後方からの衝撃にユニが蹌踉めく。
そこからはあっという間だった。
俺の方へ倒れ込むユニを受け止めるべく、衝撃に備える。そして一拍。
ガツっと硬いモノが唇に当たった。
「~~っ、」
視界全面に広がるユニのどアップ。
遅れて何とぶつかったか察した彼の顔が林檎のようにみるみる赤くなる。
「ごめんっ!」
「あ、いや。大丈夫。ユニは悪くないし、これは事故だから……それより歯、大丈夫?」
「大丈夫! 大丈夫だからそれ以上言わないで!」
慌てて立ち上がり、背を向けるユニ。
だがその耳は顔同様、朱が走ったまま。
「(背を向けてくれて助かった)」
どきどきと早鐘を打つ心臓と、赤い顔を知られなくて済む。
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