人虎は常に怪奇な騒動に巻き込まれる 

東堂大稀(旧:To-do)

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41 さようならは、忘れずに言おう

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 「終わったのね」

 声がかかる。
 その声で、オレは現実に引き戻された。

 気付けば、オレは白い虎の姿のまま長谷川の……マンティコアの死骸の首を咥えて引きずっていた。

 周囲を見渡せば、屋上ヘリポートに血で奇妙な文様が描かれている。ナメクジが這いずり回った痕みたいだ。
 血が流れ続ける死骸を引きずりながら、かなり歩き回っていたらしい。

 仕留めた獲物を食らいたい衝動を抑えるための、代償行動。
 迷いが足取りに現れている。

 仕留めたのが野生動物なら、オレは迷わず食らっていただろう。
 だが、オレにとって、食人は最後の……最大のタブーだ。一線を超えたら、戻れなくなる。
 だから、オレは口に溢れる血の味に歓喜しながらも、我慢する。
 いつ決壊してもおかしくない誓いだが、今回も何とか耐えきれたらしい。

 「白に赤。あなた、美しいわ」

 感情がこもっていない声。
 だが、「美しい」は感情を示す言葉だ。

 「……いつも、突然だな」

 オレも言葉を返すと、口からマンティコアの死骸が離れて落ち、重い音を立てた。

 オレが頭を上げると、すぐ近くいた声の主……佐夜子は月を背に立っていた。
 逆光で影になり佐夜子の顔はほとんど見えないが、姿勢からオレを真っ直ぐに見つめていることだけは分かる。
 オレも真っ直ぐに佐夜子を見つめる。

 静かに、時間が流れる。
 ダム湖から吹く風の音だけが、耳に届いてきた。

 ふと、佐夜子の影が揺らいだ。
 ……?笑った?

 「全部、終わらせてくれたのね。ありがとう」

 その言葉に、オレの胸は締め付けられる。
 ありがとう?そんな……感謝を、感情を伝える言葉を吐かないでくれ。
 オレの頬が強張る。頭から血の気が引いていく。

 「あの子は、恨みに囚われてたわ。私が、全部悪いの。弱かった私が……」
 「違う!!」

 オレは叫んだ。後悔なんて感情を伝えないでくれ。
 ああ、佐夜子はもう、感情を取り戻している。感情も無く、少女のまま時を止めた存在だったはずなのに。
 座敷童という、バケモノだったのに。

 「……ダメだ……。そんなことを言うな。ダメなんだ……」

 訴えるオレの声は湿っていた。
 今のオレは白い虎。悲しみに涙を流すはずがないのに。
 佐夜子は……彼女は……もう、治ってしまった。感情を取り戻してしまった。
 もう、バケモノではない。オレと同じではない。

 そっと、佐夜子がオレの頭に向かって手を伸ばす。

 「柔らかい……」

 オレの頭に触れ、手触りを楽しむように頭を撫でる。
 血に濡れた、バケモノのオレの毛皮を。

 「全部、私が原因。それを、今まで気が付かなかった。あの子が死んで、全部終わって、目が覚めるまで気が付けなかった」

 ああ、佐夜子が感情を取り戻したのは、オレが原因だ。
 関係者を全て殺して……。

 彼女が感情を無くしていたのは、感情が生み出すものに拘っていたからこそだったのだ。

 恨みや後悔、愛情や希望。
 それを向ける者たちがいなくなってしまったからこそ、彼女は解放され、感情を取り戻した。

 彼女が封印したいと思っていた感情の元を、オレがこの世から消し去ってしまった。
 未練を全て断ち切ってしまった。

 つまり……。

 「オレじゃ、ダメか?」

 脈絡も無く、オレは呟く。

 「オレはあんたの弟が死ぬ切っ掛けを作った。オレが、手を下すつもりだった。オレを恨まないか?」

 ホテルオーナーの一族に向けていた恨みを、オレに向けられないだろうか?

 「あんたは弟を殺そうとしていたオレを、止められなかった」

 オレを止めなかったことを、後悔してくれないか?

 「あんたは、オレと同じ存在だった。同じ、バケモノだった。だから……」

 オレに、愛情を向けてくれないか?

 そんな言葉を吐きだそうとして、喉に詰まる。それ以上、言葉が出せなくなる。
 解放された彼女を再び縛り付けようとしている、自分自身の醜さに気付いて腹の底が煮えくり返る。

 オレの心は醜い。
 同じバケモノだというだけで、よく知らない彼女を欲しいと思っている。
 強欲で、自分勝手で醜悪。やっぱり、オレは心までバケモノなんだ。

 「ああやっぱり、殺してあげないと」

 醜悪なバケモノと同じなんて許されない。
 彼女を、解放してあげないと。
 オレの呟きを聞いて、その意図を察したのか、彼女がまた微笑んだ気がした。

 彼女の顔を見ておきたいのに、月を背にした彼女の顔は、逆光で影になってよく見えない。

 「ありがとう。でも、私も終わりみたい」
 「え?」

 オレの鼻先に、彼女の顔が近付く。

 チュッと、短く甘い音が響いた。

 「お礼よ」

 月の光に溶けていくように。
 逆光の彼女のシルエットが崩れていく。舞い散る何かに、月光が反射して輝いている。

 彼女がオレにキスをしてくれたんだと気付いた時には、彼女の身体は崩れ落ちていた。
 彼女はいったいどれだけの時を止めていたのだろう?

 時は残酷だ。
 急激に訪れた時の流れは、彼女を砂へと変えた。

 くそ、長谷川の影響か、聖書の内容が頭に浮かぶ。
 神に逆らい、振り返ったり立ち止まったりすると塩の柱にされるんだっけ。
 佐夜子もまた、幼い姿を振り返ってしまって、時間の中に立ち止まり……。

 地面に積もる砂に、オレは頬を寄せる。
 少し動かすだけで、砂は風に舞っていく。
 彼女が、世界に広がっていく。

 彼女が、消えてしまう。
 オレは、砂となった彼女が広がっていく夜空を仰ぐ。

 オレは彼女に何もできなかった。
 抱きしめることも……さよならの一言を伝えることすら……。

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