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13 イライラを他人にぶつけない 後
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オレは諦めの境地でジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩める。
谷口の様に全裸で過ごす趣味はないが、部屋着には着替えたい。
脱いだ服を収めるためにクローゼットに行こうと、ソファーに座っている谷口の背後を通った時に、あることに気付いた。
オレは谷口の身体をじっくり見る。
こいつ、事務仕事がメインのクセに無駄にムキムキなんだよな。オレよりも筋肉だらけだ。
身長だって、オレより高いし。全体的にデカい。
オレだって、百八十はあるのに。
まあ、谷口の体格はどうでもいい。別にそういう趣味があるわけじゃないしな。
ソファーの背もたれからはみ出している、厚みのある背中が気になったのだ。
「……お前、スミ入れたんだな……」
谷口の背に、見事な刺青を発見してしまったのだ。
『水門破り』だっけ?中国の水滸伝をモチーフにした浮世絵だったはずだ。
オレは別に刺青に偏見はない。
ぶっちゃけヤクザまがい……というか、ヤクザよりも質が悪い仕事に関わっているので、組の人間にも刺青の入った人間は普通にいて、偏見を持てるはずもない。
数年前まで、谷口の背中は刺青どころか傷跡一つなかったはずだ。
酒の席で何かやらかしたらしく、ひん剥かれて庭の池に投げ込まれてた時に見た。
だから、驚いたのだった。
谷口の仕事は『門番』と呼ばれていて、セキュリティー部門のダブルトップの内の一人だ。
セキュリティー部門は人員担当と、設備担当に分かれている。
その設備担当の主任が、谷口だ。
こう見えても秀才で、工学系の大学をトップの成績で卒業しているらしい。
専門知識だけは凄いんだよ、こいつ。
うちに入ってきた時は、身体は大きいが普通の雰囲気のある人間だったのにな。頭が良さそうな感じもまだ残ってたしな。
いつの間にか、染まってしまったんだなぁ。
まあ普通の生活はしていたけど、元々谷口の家系はヤクザ関係者の遠縁で純粋な一般人とは言えないらしい。一般人はうちの組みたいなところには関りすらしないわけだし、そこは仕方ない。
「あれ?知りませんでしたっけ?」
谷口はオレの方を振り向くと、軽い口調で言った。
その口元は笑っているが、濃いサングラスのせいでイマイチ表情が読み切れない。
なんか、イラっとした。
「なんでお前なんかのことをオレが知ってないといけないんだよ?」
強く言うつもりはなかったが、予想外に言葉に怒気が強く出てしまった。
「あっ、いえ、その、現場の人たちとは風呂は別ですけど、ジムや道場で会いますから知ってると思ってたんですよ。すみません」
谷口が急に慌てだし、軽く頭を下げる。
……オレはどうも、いつもと違う感じでイラついているらしい。
軽口を言い合うようなイラつきではなく、どこか本気の感じが出てしまって、それを感じ取ったようだ。
谷口の表情が強張っている。
オレは何をイラついてるんだろう?
谷口が刺青を入れたことで、『普通』に戻れる可能性を切り捨てたと感じたから?
オレが欲しいものを持ってるのに、簡単に捨てたからからか?無い物ねだり?
だめだな、こういう自己分析は精神的に良くない。
今日は何かとオレを苛立たせるものが目に入り過ぎる。
もう少し、能天気でいないと。
「オレがジムや道場は嫌いなの知ってるだろ?汗臭くて好戦的な奴ばかりでうっとおしいんだよ。あんなところに行くくらいなら部屋でおとなしく絵でも描いてるぞ」
できるだけ軽く言う。
その口調を聞いて谷口はホッと息を吐き、表情を緩めてくれた。
オレはスーツを脱ぎ、部屋着に着替えると谷口の背後に立つ。
といっても、肌着代わりのTシャツとランニングパンツなんだが。
「立ってみろ」
そしてオレは、ソファーに座ってた谷口に立つように促した。
「なんですか?」
立ち上がった谷口を見ながら、オレはソファーの背もたれを飛び越えて入れ替わるように腰かけた。
ソファーは飛び込むように座っても軋みすら上げない。クッションもよくて、しっかり身体を受け止めてくれるのに適度な硬さがある。
さすが高級な部屋だけあって、良いソファーを使ってるんだな。
布張りだが、まだ新しく毛羽立ち一つない。
オレはソファーの座り心地を確かめながら、目の前の谷口を見た。
「後ろを向いてろ」
「え?はい」
谷口は素直にオレに背を向ける。
「大きく息を吸ってー。吐いてー。止めろ!」
オレの言うとおりに息を止めた谷口の背中を、オレは観賞する。
呼吸を止めたことで動きのなくなった背中は、一つの芸術品の様だった。
良い彫り師に刺青を入れてもらったらしいな。
「絵は良いんだけど、線の太さに気持ち程度ムラがあるな。ボカシの部分に不自然さがあるような気がする。ヒデさんぽいところもあるけど、あの人の線はもっとキレイだから……ヒデさんの弟子の誰かか?」
「よくわかりますね、流石は美大生ですね。ヒデさんの弟子で、ガクさんです」
ガク?誰だそれ?
オレは自分の記憶を探る。
ヒデさんと言うのはうちの組が仲良くしている刺青の彫り師だ。
かなりプライドが高い人で、そのプライドが仇になって色々なところから命を狙われて国外逃亡すらできなくなって、クソ親父に保護されて今に至ってる。
ヒデさんには今のところ弟子が数人いたはずだから、ガクさんというのはその内の一人なんだろう。
うちの組にはヒデさんの関係者に刺青を入れてもらった人間が何人かいるが、そのほとんどは事務系の人間だ。
逆に荒事専門の連中は刺青が入っている者自体あまりいない。
なんなんだろうね?
普段荒事に接してない人間の方が、そういう世界に憧れを持ったりするんだろうか?
オレにはよく分からない世界だ。
まあ、芸術の一種だと思うし、見た目の美しさと必ず変質して死ねば朽ちる人体をキャンバスにした儚さは面白いとは思う。
谷口の背中の刺青は悪くないと思うが、もうちょっと迫力が欲しいところだな。色彩も、もっと大胆でも良いんじゃないだろうか?
まあ、谷口みたいな筋肉だらけの背中になら、ちょっと迫力が薄いくらいがバランスがとれて良いのかもしれない。
下手に迫力があり過ぎると霜降り肉にバターつけるみたいなクドい仕上がりになりかねない。ヒデさんならその辺のバランスも上手くとって最良の仕上がりにするんだろうけど、弟子なら腕じゃこれで上々だな。
色斑や色飛びもないし、色の滲みや褪せもほとんどない。かなり良い仕上がりだろう。
「うん。谷口の癖に生意気な刺青だな」
オレは評価を端的に表した。
「なんですか、それ?」
「背負ってる物にお前が負けてるって意味だよ。見合わないな」
「はあ……」
谷口の刺青の絵柄は水門破り。
水滸伝のキャラクターの張順が、刀を口に咥えて籠城中の敵陣に水門を破って忍び込むという絵だ。
ただ、このシーンの直後に張順は、敵の罠にはめられて絶命している。
こんな絵になんか、谷口は見合わない方が良い。
「その生意気って言うの、流行ってるんですか?」
振り向きながら、谷口が不満げに言ってきた。
背中を見ていたもんだから、オレの目の前で見たくもない物が揺れる。
オレが目を背けて無言の抗議をすると、谷口は首に巻いていたバスタオルをやっと腰に巻いてくれた。
「それで、なんだって?」
「生意気って、最近よく言われるんですよ。現場の、特に上の方の人たちから」
なるほど、それはつまり、評価されてるってことだな。
オレはそう思ったものの、谷口が調子に乗るといけないので言ってやらない。
谷口の言う現場の人間というのは、騒動処理人の実働部隊だ。
荒事を専門としている、力が全ての人間たち。
そんな連中はどうでもいい人間にあえて生意気などと言ったりはしない。
生意気だと言われたなら、それ相応の実力があると認めたということになる。
「そんなこと言ってくる連中、ぶん殴って言うこと聞かせればいいだろ。現場の連中は野犬と同じだからな。それから、この部屋で寝るつもりなら、タオルを巻いて隠すんじゃなく、パンツ履け」
「言ってくるのは、Aランクと特Aの人たちですよ?無茶言わないでください……」
谷口は情けない声を上げた。
本当に上位ランクの連中じゃないか。そいつらに評価されてるなら、たいしたもんだ。
騒動処理人は実力毎にC・B・A・特Aとランク分けされている。
現在、所属しているのは百人ほど。
一番人数が多く半数以上を占めるCが駆け出しの最低ランクで、Aが実質的なトップランクだ。
Aの上にある特Aというのは、さらに特別な存在ということ。
調査部が達成困難、もしくは不可能と判断した仕事を専門に受けることになっている。
C・B・Aまでは様々な要素を総合的に評価してランク分けされているが、特Aだけは真に特別。
人格破綻していようが依頼達成率が低かろうがお構いなしの、単純な強さで決められている。
騒動処理人の看板にして最大の汚点という個性派集団だ。
クソ親父が色々なところから集めた変人ばかりとなっている。
ちなみに、BGFJのトップの実力を持つ者たちが、うちのAランク上位くらいと言われている。
キザ長谷川もそれくらいの実力なのだろう。
「言わせてるのは虎児さんでしょう?やめさせてくださいよ」
なんだその濡れ衣は?
オレは間違っても他人の評価を上げる様な指示は出さないぞ。
「オレじゃねーよ。土岐さんじゃないのか?あの人なら言いそうだし」
他の奴に濡れ衣を押し付ける。
まあ、関係ないと思うんだが。
「土岐さんはそんなこと言いませんよ。優しいですから」
谷口は部屋の隅にあるテーブルの上に置いてあったレジ袋を開き、中からビニールに入った物を取り出した。
あれはパンツだな。
急な泊りになったので、コンビニかどこかで買ってきた物だろう。
やっとパンツを履いてくれることになって、オレはちょっとホッとした。
「土岐さんは腹黒だぞ。情報操作の天才だからな、悪質な噂の出どころの七割はあの人だ。まあいい、じゃあ、犬飼だな」
さらに、他の奴に濡れ衣を押し付ける。
そんな事実はどこにもない。
「え?犬飼さんって、そんな人なんですか?オレ、あの人が会話してるの聞いたことないんですが……」
「あいつは凄まじい変態だからな」
「そうなんですか?」
ふふ。そうやって根拠も無しに他人を疑って不安になるがいい。
見てて面白いから。
谷口はパンツを手に持ったまま、思案を始めた。
どうでもいいから、さっさと履け。
「でも、一方井さんにも言われたんですよね。あの人に何か意見できるのって、虎児さんくらいじゃないですか?」
おお!一方井さんにも生意気だって言われたのか。
そりゃ凄い。
一方井さんは現在トップランカー。オレすら一勝もしたことがない、本物のバケモノだ。
その人に生意気だって言われて目を付けられるなんて、かなり名誉なことだぞ。
「一方井さんは面白ければそれでいい人だからなー」
ただ、一方井さんは脳筋のバカである。
力ですべてを解決するタイプだ。
実のところ、オレがオーバーランクなんて言われる切っ掛けになった人だったりする。
……あ、そういえば。
「…………谷口。お前、明日帰れ」
オレは急に話題を変えた。
オーバーランクから連鎖して、大事なことを思い出したのだ。
「なんですか?いきなり?」
パンツを手に持ったまま、谷口は困惑の表情を浮かべた。
「今回の仕事は予想以上に厄介なことになりそうだ。足手纏いの面倒を見る余裕が無い」
オレは事実を直球で告げた。
今日だけ谷口と同室で、明日にでも部屋を変えてもらえばいいかと思っていたが、考えてみればそれどころではなかった。
谷口は明日にでも帰さないといけない。
オレの発言に谷口は真っ直ぐにオレの顔を見る。
濃いサングラスで瞳は見えないが、オレの目を真っ直ぐに見つめ返しているだろう。
全裸にサングラスの変態スタイルのクセして、イッチョ前に真剣な顔をしている。
「虎児さんでも厄介だと思うような状況なんですか?」
オレでも、って、谷口も車に降ってきたあの怪物を見たはずだ。
なのにこんな質問をしてくるってことは、コイツの中のオレってそんなに評価が高いのだろうか?
「多分な。なにせ、相手は比喩じゃなくバケモノだからな。しかも集団戦になりそうだ。お前じゃ、この場にいることすら荷が重いな」
「そうですか……」
谷口は唇を軽く噛んだ。
勝手に運転手として連れて来て、勝手な判断で帰れと言うとか、オレって本当に自分勝手だよな。
でも、今この場に谷口はいるべきじゃない。
オレが守り切れるか分からない。
人間ってのは、あっさり死ぬもんだ。もう、オレは置いて行かれるのは嫌だ。
「元々オレは帰れって言ってたんだ。素直に帰ってくれ。本部からの命令無視は、オレが怒られておくから気にすんな。現場でそれだけ危険だと判断したんだ。問題ない」
失いたくない物は遠ざけるに限る。
オレって、ホント卑怯だ。
「……わかりました」
本心を隠し表情を変えずに言うオレに、谷口は諦めたらしい。
どこか寂しそうな表情をしていた。
谷口がサングラスをしていて助かった。
あの優しい黒柴犬系の目で寂しそうにされたら、オレは負けてたかもしれない。
「……じゃあ……」
谷口は言葉を続ける。
何かを吹っ切れたように。
「今夜は好きな女の話でもしましょうか!!」
「修学旅行のガキかよ!!」
オレは全力でツッコんだ。
それに谷口は嬉しそうに笑う。狙ってやがったな。
谷口の笑顔に、オレは救われた気がした。
谷口の様に全裸で過ごす趣味はないが、部屋着には着替えたい。
脱いだ服を収めるためにクローゼットに行こうと、ソファーに座っている谷口の背後を通った時に、あることに気付いた。
オレは谷口の身体をじっくり見る。
こいつ、事務仕事がメインのクセに無駄にムキムキなんだよな。オレよりも筋肉だらけだ。
身長だって、オレより高いし。全体的にデカい。
オレだって、百八十はあるのに。
まあ、谷口の体格はどうでもいい。別にそういう趣味があるわけじゃないしな。
ソファーの背もたれからはみ出している、厚みのある背中が気になったのだ。
「……お前、スミ入れたんだな……」
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オレは別に刺青に偏見はない。
ぶっちゃけヤクザまがい……というか、ヤクザよりも質が悪い仕事に関わっているので、組の人間にも刺青の入った人間は普通にいて、偏見を持てるはずもない。
数年前まで、谷口の背中は刺青どころか傷跡一つなかったはずだ。
酒の席で何かやらかしたらしく、ひん剥かれて庭の池に投げ込まれてた時に見た。
だから、驚いたのだった。
谷口の仕事は『門番』と呼ばれていて、セキュリティー部門のダブルトップの内の一人だ。
セキュリティー部門は人員担当と、設備担当に分かれている。
その設備担当の主任が、谷口だ。
こう見えても秀才で、工学系の大学をトップの成績で卒業しているらしい。
専門知識だけは凄いんだよ、こいつ。
うちに入ってきた時は、身体は大きいが普通の雰囲気のある人間だったのにな。頭が良さそうな感じもまだ残ってたしな。
いつの間にか、染まってしまったんだなぁ。
まあ普通の生活はしていたけど、元々谷口の家系はヤクザ関係者の遠縁で純粋な一般人とは言えないらしい。一般人はうちの組みたいなところには関りすらしないわけだし、そこは仕方ない。
「あれ?知りませんでしたっけ?」
谷口はオレの方を振り向くと、軽い口調で言った。
その口元は笑っているが、濃いサングラスのせいでイマイチ表情が読み切れない。
なんか、イラっとした。
「なんでお前なんかのことをオレが知ってないといけないんだよ?」
強く言うつもりはなかったが、予想外に言葉に怒気が強く出てしまった。
「あっ、いえ、その、現場の人たちとは風呂は別ですけど、ジムや道場で会いますから知ってると思ってたんですよ。すみません」
谷口が急に慌てだし、軽く頭を下げる。
……オレはどうも、いつもと違う感じでイラついているらしい。
軽口を言い合うようなイラつきではなく、どこか本気の感じが出てしまって、それを感じ取ったようだ。
谷口の表情が強張っている。
オレは何をイラついてるんだろう?
谷口が刺青を入れたことで、『普通』に戻れる可能性を切り捨てたと感じたから?
オレが欲しいものを持ってるのに、簡単に捨てたからからか?無い物ねだり?
だめだな、こういう自己分析は精神的に良くない。
今日は何かとオレを苛立たせるものが目に入り過ぎる。
もう少し、能天気でいないと。
「オレがジムや道場は嫌いなの知ってるだろ?汗臭くて好戦的な奴ばかりでうっとおしいんだよ。あんなところに行くくらいなら部屋でおとなしく絵でも描いてるぞ」
できるだけ軽く言う。
その口調を聞いて谷口はホッと息を吐き、表情を緩めてくれた。
オレはスーツを脱ぎ、部屋着に着替えると谷口の背後に立つ。
といっても、肌着代わりのTシャツとランニングパンツなんだが。
「立ってみろ」
そしてオレは、ソファーに座ってた谷口に立つように促した。
「なんですか?」
立ち上がった谷口を見ながら、オレはソファーの背もたれを飛び越えて入れ替わるように腰かけた。
ソファーは飛び込むように座っても軋みすら上げない。クッションもよくて、しっかり身体を受け止めてくれるのに適度な硬さがある。
さすが高級な部屋だけあって、良いソファーを使ってるんだな。
布張りだが、まだ新しく毛羽立ち一つない。
オレはソファーの座り心地を確かめながら、目の前の谷口を見た。
「後ろを向いてろ」
「え?はい」
谷口は素直にオレに背を向ける。
「大きく息を吸ってー。吐いてー。止めろ!」
オレの言うとおりに息を止めた谷口の背中を、オレは観賞する。
呼吸を止めたことで動きのなくなった背中は、一つの芸術品の様だった。
良い彫り師に刺青を入れてもらったらしいな。
「絵は良いんだけど、線の太さに気持ち程度ムラがあるな。ボカシの部分に不自然さがあるような気がする。ヒデさんぽいところもあるけど、あの人の線はもっとキレイだから……ヒデさんの弟子の誰かか?」
「よくわかりますね、流石は美大生ですね。ヒデさんの弟子で、ガクさんです」
ガク?誰だそれ?
オレは自分の記憶を探る。
ヒデさんと言うのはうちの組が仲良くしている刺青の彫り師だ。
かなりプライドが高い人で、そのプライドが仇になって色々なところから命を狙われて国外逃亡すらできなくなって、クソ親父に保護されて今に至ってる。
ヒデさんには今のところ弟子が数人いたはずだから、ガクさんというのはその内の一人なんだろう。
うちの組にはヒデさんの関係者に刺青を入れてもらった人間が何人かいるが、そのほとんどは事務系の人間だ。
逆に荒事専門の連中は刺青が入っている者自体あまりいない。
なんなんだろうね?
普段荒事に接してない人間の方が、そういう世界に憧れを持ったりするんだろうか?
オレにはよく分からない世界だ。
まあ、芸術の一種だと思うし、見た目の美しさと必ず変質して死ねば朽ちる人体をキャンバスにした儚さは面白いとは思う。
谷口の背中の刺青は悪くないと思うが、もうちょっと迫力が欲しいところだな。色彩も、もっと大胆でも良いんじゃないだろうか?
まあ、谷口みたいな筋肉だらけの背中になら、ちょっと迫力が薄いくらいがバランスがとれて良いのかもしれない。
下手に迫力があり過ぎると霜降り肉にバターつけるみたいなクドい仕上がりになりかねない。ヒデさんならその辺のバランスも上手くとって最良の仕上がりにするんだろうけど、弟子なら腕じゃこれで上々だな。
色斑や色飛びもないし、色の滲みや褪せもほとんどない。かなり良い仕上がりだろう。
「うん。谷口の癖に生意気な刺青だな」
オレは評価を端的に表した。
「なんですか、それ?」
「背負ってる物にお前が負けてるって意味だよ。見合わないな」
「はあ……」
谷口の刺青の絵柄は水門破り。
水滸伝のキャラクターの張順が、刀を口に咥えて籠城中の敵陣に水門を破って忍び込むという絵だ。
ただ、このシーンの直後に張順は、敵の罠にはめられて絶命している。
こんな絵になんか、谷口は見合わない方が良い。
「その生意気って言うの、流行ってるんですか?」
振り向きながら、谷口が不満げに言ってきた。
背中を見ていたもんだから、オレの目の前で見たくもない物が揺れる。
オレが目を背けて無言の抗議をすると、谷口は首に巻いていたバスタオルをやっと腰に巻いてくれた。
「それで、なんだって?」
「生意気って、最近よく言われるんですよ。現場の、特に上の方の人たちから」
なるほど、それはつまり、評価されてるってことだな。
オレはそう思ったものの、谷口が調子に乗るといけないので言ってやらない。
谷口の言う現場の人間というのは、騒動処理人の実働部隊だ。
荒事を専門としている、力が全ての人間たち。
そんな連中はどうでもいい人間にあえて生意気などと言ったりはしない。
生意気だと言われたなら、それ相応の実力があると認めたということになる。
「そんなこと言ってくる連中、ぶん殴って言うこと聞かせればいいだろ。現場の連中は野犬と同じだからな。それから、この部屋で寝るつもりなら、タオルを巻いて隠すんじゃなく、パンツ履け」
「言ってくるのは、Aランクと特Aの人たちですよ?無茶言わないでください……」
谷口は情けない声を上げた。
本当に上位ランクの連中じゃないか。そいつらに評価されてるなら、たいしたもんだ。
騒動処理人は実力毎にC・B・A・特Aとランク分けされている。
現在、所属しているのは百人ほど。
一番人数が多く半数以上を占めるCが駆け出しの最低ランクで、Aが実質的なトップランクだ。
Aの上にある特Aというのは、さらに特別な存在ということ。
調査部が達成困難、もしくは不可能と判断した仕事を専門に受けることになっている。
C・B・Aまでは様々な要素を総合的に評価してランク分けされているが、特Aだけは真に特別。
人格破綻していようが依頼達成率が低かろうがお構いなしの、単純な強さで決められている。
騒動処理人の看板にして最大の汚点という個性派集団だ。
クソ親父が色々なところから集めた変人ばかりとなっている。
ちなみに、BGFJのトップの実力を持つ者たちが、うちのAランク上位くらいと言われている。
キザ長谷川もそれくらいの実力なのだろう。
「言わせてるのは虎児さんでしょう?やめさせてくださいよ」
なんだその濡れ衣は?
オレは間違っても他人の評価を上げる様な指示は出さないぞ。
「オレじゃねーよ。土岐さんじゃないのか?あの人なら言いそうだし」
他の奴に濡れ衣を押し付ける。
まあ、関係ないと思うんだが。
「土岐さんはそんなこと言いませんよ。優しいですから」
谷口は部屋の隅にあるテーブルの上に置いてあったレジ袋を開き、中からビニールに入った物を取り出した。
あれはパンツだな。
急な泊りになったので、コンビニかどこかで買ってきた物だろう。
やっとパンツを履いてくれることになって、オレはちょっとホッとした。
「土岐さんは腹黒だぞ。情報操作の天才だからな、悪質な噂の出どころの七割はあの人だ。まあいい、じゃあ、犬飼だな」
さらに、他の奴に濡れ衣を押し付ける。
そんな事実はどこにもない。
「え?犬飼さんって、そんな人なんですか?オレ、あの人が会話してるの聞いたことないんですが……」
「あいつは凄まじい変態だからな」
「そうなんですか?」
ふふ。そうやって根拠も無しに他人を疑って不安になるがいい。
見てて面白いから。
谷口はパンツを手に持ったまま、思案を始めた。
どうでもいいから、さっさと履け。
「でも、一方井さんにも言われたんですよね。あの人に何か意見できるのって、虎児さんくらいじゃないですか?」
おお!一方井さんにも生意気だって言われたのか。
そりゃ凄い。
一方井さんは現在トップランカー。オレすら一勝もしたことがない、本物のバケモノだ。
その人に生意気だって言われて目を付けられるなんて、かなり名誉なことだぞ。
「一方井さんは面白ければそれでいい人だからなー」
ただ、一方井さんは脳筋のバカである。
力ですべてを解決するタイプだ。
実のところ、オレがオーバーランクなんて言われる切っ掛けになった人だったりする。
……あ、そういえば。
「…………谷口。お前、明日帰れ」
オレは急に話題を変えた。
オーバーランクから連鎖して、大事なことを思い出したのだ。
「なんですか?いきなり?」
パンツを手に持ったまま、谷口は困惑の表情を浮かべた。
「今回の仕事は予想以上に厄介なことになりそうだ。足手纏いの面倒を見る余裕が無い」
オレは事実を直球で告げた。
今日だけ谷口と同室で、明日にでも部屋を変えてもらえばいいかと思っていたが、考えてみればそれどころではなかった。
谷口は明日にでも帰さないといけない。
オレの発言に谷口は真っ直ぐにオレの顔を見る。
濃いサングラスで瞳は見えないが、オレの目を真っ直ぐに見つめ返しているだろう。
全裸にサングラスの変態スタイルのクセして、イッチョ前に真剣な顔をしている。
「虎児さんでも厄介だと思うような状況なんですか?」
オレでも、って、谷口も車に降ってきたあの怪物を見たはずだ。
なのにこんな質問をしてくるってことは、コイツの中のオレってそんなに評価が高いのだろうか?
「多分な。なにせ、相手は比喩じゃなくバケモノだからな。しかも集団戦になりそうだ。お前じゃ、この場にいることすら荷が重いな」
「そうですか……」
谷口は唇を軽く噛んだ。
勝手に運転手として連れて来て、勝手な判断で帰れと言うとか、オレって本当に自分勝手だよな。
でも、今この場に谷口はいるべきじゃない。
オレが守り切れるか分からない。
人間ってのは、あっさり死ぬもんだ。もう、オレは置いて行かれるのは嫌だ。
「元々オレは帰れって言ってたんだ。素直に帰ってくれ。本部からの命令無視は、オレが怒られておくから気にすんな。現場でそれだけ危険だと判断したんだ。問題ない」
失いたくない物は遠ざけるに限る。
オレって、ホント卑怯だ。
「……わかりました」
本心を隠し表情を変えずに言うオレに、谷口は諦めたらしい。
どこか寂しそうな表情をしていた。
谷口がサングラスをしていて助かった。
あの優しい黒柴犬系の目で寂しそうにされたら、オレは負けてたかもしれない。
「……じゃあ……」
谷口は言葉を続ける。
何かを吹っ切れたように。
「今夜は好きな女の話でもしましょうか!!」
「修学旅行のガキかよ!!」
オレは全力でツッコんだ。
それに谷口は嬉しそうに笑う。狙ってやがったな。
谷口の笑顔に、オレは救われた気がした。
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