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1 出かけるときは事故に注意(プロローグ) 前
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風が気持ちいい。
オレは今、山間の道を車で走っていた。
全開にした車の窓からは、ひんやりとした風が吹き込んでくる。山の中は、真夏でも平地に比べて気温が低くて過ごしやすい。
自然の空気は良いよな。
木々の香りや水の香りが鼻腔をくすぐる。吹き抜ける風音に混ざって渓流の水音も聞こえてくる。大自然って感じがする。
まあ、山間とはいえ十分に車で通れる道を走りながら何を言ってるんだと言われそうだが、山道に入るまでは地獄だったんだよ。
高速道路で窓は締め切り。車内には車の排ガス臭い空気と嗅ぎたくもない男臭い空気が循環していた。
さらには男臭い原因が、途切れることなく車内で泣き言を垂れ流し続けていてイライラMAX。
あの地獄の状況に比べたら今は天国だ。
「虎児さ~ん。運転代わってくださいよー」
また聞きたくもない男の泣き言が聞こえてきた。
「うっせーな。運転したいと言ったのはお前だろ」
オレは隣の運転席から聞こえる声に、不機嫌に返した。
「オレ、免許取りたてなんですよ?教習以外で初めて高速乗ったんですよ?十キロ以上運転したのも初めてなんですよ?ナビ通りに来ましたけど、ここどこですか?」
あー。うるさい。
泣き言の主……谷口は、二メートル近い牛みたいな大きな身体をハンドルに顔が付きそうなくらい丸めて必死に前を見つめていた。前を見つめ過ぎて瞬きも少なくなってるせいで、目は血走ってる。
オレは助手席側の車の窓に肘を付き、横目でその姿を見た。
暑苦しい。良い気分が台無しだ。
「カーブが……カーブが多い……。曲がってばっかり……」
「山道だからな」
谷口の服装は仕立ての良い喪服の様な黒スーツだが、腕の半ばまでまくり上げていてクシャクシャに皺が寄ってしまっていた。さらには汗で無残な染みが付いてしまっている。
「クラッチが。ギアチェンギがつらい……。なんで今時MTなんですか!?虎児さんは老人ですか?バカなんじゃないですか?」
こいつ、パニックになって、オレに暴言吐いてる自覚が無いんじゃないだろうか?
オレは老人じゃないし、谷口より五歳は若い。まだギリギリ十代だ。
車がMTなのは趣味。ATだと運転してる感覚が少なくて面白くないんだよ。老人がMT好きってどんな偏見だよ?偏見がある奴は嫌われるよ?
「だから、そのMTを運転させてくれと言ったのはお前だろって」
「だって!仕事で運転するのはベンツやベントレーですよ!?MTの左ハンドルもあるんですよ?練習したいじゃないですか!!だいたい、なんで今更、運転手の仕事が入って来るんですか!?バイクだけで十分だったのに!」
そういった文句をオレに言われてもどうにもならない。
谷口はバイク乗りで、今まで車の免許は取ってなかったらしい。
しかし仕事で運転する必要が出て来てしまい、急遽教習所に通ったそうだ。
なんとか最短で免許は取れたものの、ほとんど運転してない状況で仕事用の高級車を運転する根性は無くて、オレの車で練習させてくれと泣きついてきて、今に至っている。
「オレのジムニーちゃんだって二百万以上するんだぞ!安物みたいな言い方すんな!!」
オレは殴りつけたいのを抑えて、拳で谷口の肩を軽くコツいた。運転中じゃなけりゃ、全力で行くのに。
拳からは堅い筋肉の感覚が伝わってくる。こいつ、力が入り過ぎてガチガチだな。
「安いじゃないですか!!」
谷口は涙目になっていた。
さすがに免許取りたててで休憩なしで長距離高速を走らせて、その後にカーブだらけの山道は無理があったか……。
まあ、もうすぐ目的地に到着だから問題ないだろう。今更休憩しても意味がない。
涙でウルウルとなっている谷口の目は、悲し気な犬みたいだ。
柴犬系というか……黒髪だから黒柴だな。まあ、身体は熊みたいに大きくてやたらムキムキだけどな。
この人の良さそうな目は、普段はサングラスで隠されいる。
仕事上、人が良さそうに見えるのはマイナスなので、サングラス着用を厳命されていた。
普段着なら気は優しくて力持ちの大柄な熊みたいな兄ちゃんという感じだが、仕事中は威圧感たっぷりの筋肉の壁に変身するのだ。
今は……オレが無理やり巻き込んだ形になるから、一応はプライベートってことになるのだろう。
「うちの組の車と比べんなよ……。オレが命懸けで稼いだ金で買った車だぞ?値段は安くても、あんな上前を撥ねて買った車とは価値の重さが違うんだよ!」
あ、「うちの組」と言ったが、ヤクザではないからね?世間ではそう思われてるらしいけど、違うから。
ちょっと非合法で暴力的なお仕事をしていて、ちょっと見た目と性格が危ない連中が揃ってて、ちょっと後ろ暗い連中と繋がりが多いだけだから。
「それに、何度も言ってるが運転させてくれって言ったのはお前だって!オレは快く引き受けて、大事な大事なジムニーちゃんを運転させてやったんだぞ?感謝されても、文句言われる筋合いはないだろ!?」
「いやいやいや、いきなりこんな長距離を運転させられるなんて思ってなかったですよ!ちょっと近所の道の駅とか、ショッピングモールとか、大きな駐車場があって人も少なくて、周りを気にせずに駐車の練習もできるような、そんな場所まで行くもんでしょ?」
谷口は盛大に喚き声を上げた。
なんだこの泣き言発生器は?
涙目になってる姿がちょっと面白いじゃねぇか?後々嫌がらせの役に立ちそうだから、この姿を録画しておくか?
「そもそも、ここはどこなんですか?虎児さんは午後から仕事があるからって……。……えっ?もしかして仕事の現場に向かってるとか?まさか?自分、仕事に巻き込まれたんですか!?嘘ですよね!!?」
谷口が叫びを上げた。しかし、その目は正面に向いている。運転中に横を向く余裕はないのだろう。
やっと気付いたか。
今回の目的地は、オレの仕事の現場だ。
元々予定されていた仕事でオレ一人で行く予定だったが、谷口が車を運転させてくれと言ってきた時に急遽運転手に使うことを思いついた。
オレも楽だし、谷口も運転の練習ができるので一石二鳥のいいアイデアだった。
「なさけないぞー」
棒読み口調で言いながら、オレはスマホのカメラを起動する。やっぱり、録画しておいてやろう。
こう見えても谷口は多くの部下を持っている。うちの組でも出世頭で、セキュリティ部門の主任をやっている。
威厳を保つために、仕事中はいつも厳めしい顔をしていた。
そんな谷口が情けない泣き言を上げて目を潤ませている姿は、皆も楽しんでくれるに違いない。
「ほら、にっこり笑え。どんな苦しくても笑って済ますのが男ってもんだぞ。オレなんか泣き言言ったら水口さんとか一方井さんとかにぶん殴られたもんだぞ」
「ちょっと!なに動画撮ってるんですか?」
必死に前を見て運転しているのに、オレが助手席でカメラを起動したのを気付けたな。クリッとした目だから、視野が広いのか?
「いや、お前の部下たちに見せてやろうと思ってな。年下上司の情けない姿なんて、良い酒の肴になるだろ」
「バカですか!?あんたは?」
谷口の首に青筋が浮いている。本当はオレのこと睨みつけたいんだろうけど、運転中で正面から目を逸らせない。
……路肩に車を停めればいいのに。高速道路じゃないんだしさ。そんなことも思いつかないほど必死になってるみたいだ。
「おいおい、バカはないだろ。えーと。皆様。お聞きの通り谷口くんはオレをバカ呼ばわりしました」
「何言ってるんですか?」
「いや、公開するときの証拠にコメント入れただけだ」
「バカかよ!?このクソガキ!」
うん。いい証言をいただきました。クソガキはないだろ?確かにオレは谷口よりも年下で未成年だけどさ。一応、大学生やってる。
「ん?何か言ったか?」
「いえ、何も……」
「こういう時は本音がでるもんだよな?お前、そんな風にオレのこと思ってたんだ?まあ、オレはガキだし、性格曲がってるし、クソガキは本当のことだよな。仕方ないよな」
「そんなことは……」
谷口は汗だくだ。元から汗だくだったけど、今は滝のように汗を流してる。緊張か怒りからか首やら腕やら青筋を立てて前を見ている。
自然の良い風が車の中に入り込んできてるというのに、暑苦しい。まったく、ひたすら暑苦しい奴だ。
必死で次の言葉を探しているのだろう、谷口は唇を噛み締めている。
これくらいにしておかないと、本当に嫌われそうだ。うちの事務方で珍しく普通に話してくれる相手なのに、変に遊んで関係が潰れたら寂しいからな。
「!!?」
急に。オレの背筋が凍った。
ぞわりとした感覚と共に、首筋の産毛が逆立つ。
遥か遠く……人間には聞き取れない距離で、パスッという軽い空気の漏れる音が聞こえた。
それに続くピシリという何かが割れる音を聞き取るまでもなく、オレは谷口の視線の前に掌を差し出す。
同時に、刺すような痛みが掌に走る。口径が小さくて助かったな。
車のフロントガラスに目をやると、小さな穴が開いてその周囲には蜘蛛の巣状のひび割れが走っていた。
オレが掌を差し出すのが一瞬でも遅かったら、谷口の頭にも同じように穴が開いていたところだ。
銃撃か……。
オレが差し出した手には、撮影していたスマホ。
それが撃ち込まれた銃弾を受け止めていた。
まあ、完全に受け止めきれず、オレの掌にも弾が食い込んだけどな。
「喜べ谷口、さっき撮影した動画は消えたみたいだぞ」
「え……?」
その時になってやっと、谷口が声を上げた。
まあ、常人にしては反応が早い方だろう。
谷口はブレーキを踏みしめる。
「……防弾ガラスにしといた方がよかったかな?」
オレの呑気な声を、車のブレーキのけたたましい音が掻き消した。エンストして車体が震える。
オレは銃弾を受け止めて壊れたスマホを後部座席に投げ捨て、身体を安定させるために窓の縁を握った。
「焦って事故るなよ?」
オレは、歯を食いしばってブレーキを踏みしめている谷口に声を掛けた。
連なるカーブの途中で急ブレーキをかけたことで、車は大きく揺れ、車体も流れる。嫌なタイヤの削れる音が響く。慣性に身体が引っ張られる。
振動に視界も大きくブレるが、オレはひび割れたフロントガラスから周囲を探った。
たかだか銃撃ぐらいで、オレの背筋が凍るような感覚があるはずがない。
まだ、何かある。
「あれか」
オレの目には、路肩の林の中から飛び出してくる影が見えていた。
丁度オレたちの車の側面。
だが、道は山道で激しく蛇行している。オレの感覚が正しければ、影が出てきたのは銃撃された時に正面だったところだ。
つまりは、弾が飛んできた方向だった。
ドンと、重い音がして車のボンネットに影が落下する。
「うわっ!」
谷口の悲鳴が上がったが、今は気にしている余裕はない。
止まりかけていた車は衝撃で大きく沈み込み、次の瞬間には反動で跳ね上がっていた。
ジムニーは普通の車に比べてサスペンションがかなり柔らかい気がする。おかげで、よく跳ねるんだよな。
ボンネットが大きくへこんでいる。
塗装の破片が飛び散る。
……まだ、納車されてから半年程度なのに……。ボンネットが大きく凹んでも上からの衝撃だとエアバックは作動しないんだな……。
そんなことを考えていると、目が合った。
猿?人間?いや……。
「狒々か」
オレが呟くと同時に、跳ねた車が着地する衝撃が伝わってきた。
オレは今、山間の道を車で走っていた。
全開にした車の窓からは、ひんやりとした風が吹き込んでくる。山の中は、真夏でも平地に比べて気温が低くて過ごしやすい。
自然の空気は良いよな。
木々の香りや水の香りが鼻腔をくすぐる。吹き抜ける風音に混ざって渓流の水音も聞こえてくる。大自然って感じがする。
まあ、山間とはいえ十分に車で通れる道を走りながら何を言ってるんだと言われそうだが、山道に入るまでは地獄だったんだよ。
高速道路で窓は締め切り。車内には車の排ガス臭い空気と嗅ぎたくもない男臭い空気が循環していた。
さらには男臭い原因が、途切れることなく車内で泣き言を垂れ流し続けていてイライラMAX。
あの地獄の状況に比べたら今は天国だ。
「虎児さ~ん。運転代わってくださいよー」
また聞きたくもない男の泣き言が聞こえてきた。
「うっせーな。運転したいと言ったのはお前だろ」
オレは隣の運転席から聞こえる声に、不機嫌に返した。
「オレ、免許取りたてなんですよ?教習以外で初めて高速乗ったんですよ?十キロ以上運転したのも初めてなんですよ?ナビ通りに来ましたけど、ここどこですか?」
あー。うるさい。
泣き言の主……谷口は、二メートル近い牛みたいな大きな身体をハンドルに顔が付きそうなくらい丸めて必死に前を見つめていた。前を見つめ過ぎて瞬きも少なくなってるせいで、目は血走ってる。
オレは助手席側の車の窓に肘を付き、横目でその姿を見た。
暑苦しい。良い気分が台無しだ。
「カーブが……カーブが多い……。曲がってばっかり……」
「山道だからな」
谷口の服装は仕立ての良い喪服の様な黒スーツだが、腕の半ばまでまくり上げていてクシャクシャに皺が寄ってしまっていた。さらには汗で無残な染みが付いてしまっている。
「クラッチが。ギアチェンギがつらい……。なんで今時MTなんですか!?虎児さんは老人ですか?バカなんじゃないですか?」
こいつ、パニックになって、オレに暴言吐いてる自覚が無いんじゃないだろうか?
オレは老人じゃないし、谷口より五歳は若い。まだギリギリ十代だ。
車がMTなのは趣味。ATだと運転してる感覚が少なくて面白くないんだよ。老人がMT好きってどんな偏見だよ?偏見がある奴は嫌われるよ?
「だから、そのMTを運転させてくれと言ったのはお前だろって」
「だって!仕事で運転するのはベンツやベントレーですよ!?MTの左ハンドルもあるんですよ?練習したいじゃないですか!!だいたい、なんで今更、運転手の仕事が入って来るんですか!?バイクだけで十分だったのに!」
そういった文句をオレに言われてもどうにもならない。
谷口はバイク乗りで、今まで車の免許は取ってなかったらしい。
しかし仕事で運転する必要が出て来てしまい、急遽教習所に通ったそうだ。
なんとか最短で免許は取れたものの、ほとんど運転してない状況で仕事用の高級車を運転する根性は無くて、オレの車で練習させてくれと泣きついてきて、今に至っている。
「オレのジムニーちゃんだって二百万以上するんだぞ!安物みたいな言い方すんな!!」
オレは殴りつけたいのを抑えて、拳で谷口の肩を軽くコツいた。運転中じゃなけりゃ、全力で行くのに。
拳からは堅い筋肉の感覚が伝わってくる。こいつ、力が入り過ぎてガチガチだな。
「安いじゃないですか!!」
谷口は涙目になっていた。
さすがに免許取りたててで休憩なしで長距離高速を走らせて、その後にカーブだらけの山道は無理があったか……。
まあ、もうすぐ目的地に到着だから問題ないだろう。今更休憩しても意味がない。
涙でウルウルとなっている谷口の目は、悲し気な犬みたいだ。
柴犬系というか……黒髪だから黒柴だな。まあ、身体は熊みたいに大きくてやたらムキムキだけどな。
この人の良さそうな目は、普段はサングラスで隠されいる。
仕事上、人が良さそうに見えるのはマイナスなので、サングラス着用を厳命されていた。
普段着なら気は優しくて力持ちの大柄な熊みたいな兄ちゃんという感じだが、仕事中は威圧感たっぷりの筋肉の壁に変身するのだ。
今は……オレが無理やり巻き込んだ形になるから、一応はプライベートってことになるのだろう。
「うちの組の車と比べんなよ……。オレが命懸けで稼いだ金で買った車だぞ?値段は安くても、あんな上前を撥ねて買った車とは価値の重さが違うんだよ!」
あ、「うちの組」と言ったが、ヤクザではないからね?世間ではそう思われてるらしいけど、違うから。
ちょっと非合法で暴力的なお仕事をしていて、ちょっと見た目と性格が危ない連中が揃ってて、ちょっと後ろ暗い連中と繋がりが多いだけだから。
「それに、何度も言ってるが運転させてくれって言ったのはお前だって!オレは快く引き受けて、大事な大事なジムニーちゃんを運転させてやったんだぞ?感謝されても、文句言われる筋合いはないだろ!?」
「いやいやいや、いきなりこんな長距離を運転させられるなんて思ってなかったですよ!ちょっと近所の道の駅とか、ショッピングモールとか、大きな駐車場があって人も少なくて、周りを気にせずに駐車の練習もできるような、そんな場所まで行くもんでしょ?」
谷口は盛大に喚き声を上げた。
なんだこの泣き言発生器は?
涙目になってる姿がちょっと面白いじゃねぇか?後々嫌がらせの役に立ちそうだから、この姿を録画しておくか?
「そもそも、ここはどこなんですか?虎児さんは午後から仕事があるからって……。……えっ?もしかして仕事の現場に向かってるとか?まさか?自分、仕事に巻き込まれたんですか!?嘘ですよね!!?」
谷口が叫びを上げた。しかし、その目は正面に向いている。運転中に横を向く余裕はないのだろう。
やっと気付いたか。
今回の目的地は、オレの仕事の現場だ。
元々予定されていた仕事でオレ一人で行く予定だったが、谷口が車を運転させてくれと言ってきた時に急遽運転手に使うことを思いついた。
オレも楽だし、谷口も運転の練習ができるので一石二鳥のいいアイデアだった。
「なさけないぞー」
棒読み口調で言いながら、オレはスマホのカメラを起動する。やっぱり、録画しておいてやろう。
こう見えても谷口は多くの部下を持っている。うちの組でも出世頭で、セキュリティ部門の主任をやっている。
威厳を保つために、仕事中はいつも厳めしい顔をしていた。
そんな谷口が情けない泣き言を上げて目を潤ませている姿は、皆も楽しんでくれるに違いない。
「ほら、にっこり笑え。どんな苦しくても笑って済ますのが男ってもんだぞ。オレなんか泣き言言ったら水口さんとか一方井さんとかにぶん殴られたもんだぞ」
「ちょっと!なに動画撮ってるんですか?」
必死に前を見て運転しているのに、オレが助手席でカメラを起動したのを気付けたな。クリッとした目だから、視野が広いのか?
「いや、お前の部下たちに見せてやろうと思ってな。年下上司の情けない姿なんて、良い酒の肴になるだろ」
「バカですか!?あんたは?」
谷口の首に青筋が浮いている。本当はオレのこと睨みつけたいんだろうけど、運転中で正面から目を逸らせない。
……路肩に車を停めればいいのに。高速道路じゃないんだしさ。そんなことも思いつかないほど必死になってるみたいだ。
「おいおい、バカはないだろ。えーと。皆様。お聞きの通り谷口くんはオレをバカ呼ばわりしました」
「何言ってるんですか?」
「いや、公開するときの証拠にコメント入れただけだ」
「バカかよ!?このクソガキ!」
うん。いい証言をいただきました。クソガキはないだろ?確かにオレは谷口よりも年下で未成年だけどさ。一応、大学生やってる。
「ん?何か言ったか?」
「いえ、何も……」
「こういう時は本音がでるもんだよな?お前、そんな風にオレのこと思ってたんだ?まあ、オレはガキだし、性格曲がってるし、クソガキは本当のことだよな。仕方ないよな」
「そんなことは……」
谷口は汗だくだ。元から汗だくだったけど、今は滝のように汗を流してる。緊張か怒りからか首やら腕やら青筋を立てて前を見ている。
自然の良い風が車の中に入り込んできてるというのに、暑苦しい。まったく、ひたすら暑苦しい奴だ。
必死で次の言葉を探しているのだろう、谷口は唇を噛み締めている。
これくらいにしておかないと、本当に嫌われそうだ。うちの事務方で珍しく普通に話してくれる相手なのに、変に遊んで関係が潰れたら寂しいからな。
「!!?」
急に。オレの背筋が凍った。
ぞわりとした感覚と共に、首筋の産毛が逆立つ。
遥か遠く……人間には聞き取れない距離で、パスッという軽い空気の漏れる音が聞こえた。
それに続くピシリという何かが割れる音を聞き取るまでもなく、オレは谷口の視線の前に掌を差し出す。
同時に、刺すような痛みが掌に走る。口径が小さくて助かったな。
車のフロントガラスに目をやると、小さな穴が開いてその周囲には蜘蛛の巣状のひび割れが走っていた。
オレが掌を差し出すのが一瞬でも遅かったら、谷口の頭にも同じように穴が開いていたところだ。
銃撃か……。
オレが差し出した手には、撮影していたスマホ。
それが撃ち込まれた銃弾を受け止めていた。
まあ、完全に受け止めきれず、オレの掌にも弾が食い込んだけどな。
「喜べ谷口、さっき撮影した動画は消えたみたいだぞ」
「え……?」
その時になってやっと、谷口が声を上げた。
まあ、常人にしては反応が早い方だろう。
谷口はブレーキを踏みしめる。
「……防弾ガラスにしといた方がよかったかな?」
オレの呑気な声を、車のブレーキのけたたましい音が掻き消した。エンストして車体が震える。
オレは銃弾を受け止めて壊れたスマホを後部座席に投げ捨て、身体を安定させるために窓の縁を握った。
「焦って事故るなよ?」
オレは、歯を食いしばってブレーキを踏みしめている谷口に声を掛けた。
連なるカーブの途中で急ブレーキをかけたことで、車は大きく揺れ、車体も流れる。嫌なタイヤの削れる音が響く。慣性に身体が引っ張られる。
振動に視界も大きくブレるが、オレはひび割れたフロントガラスから周囲を探った。
たかだか銃撃ぐらいで、オレの背筋が凍るような感覚があるはずがない。
まだ、何かある。
「あれか」
オレの目には、路肩の林の中から飛び出してくる影が見えていた。
丁度オレたちの車の側面。
だが、道は山道で激しく蛇行している。オレの感覚が正しければ、影が出てきたのは銃撃された時に正面だったところだ。
つまりは、弾が飛んできた方向だった。
ドンと、重い音がして車のボンネットに影が落下する。
「うわっ!」
谷口の悲鳴が上がったが、今は気にしている余裕はない。
止まりかけていた車は衝撃で大きく沈み込み、次の瞬間には反動で跳ね上がっていた。
ジムニーは普通の車に比べてサスペンションがかなり柔らかい気がする。おかげで、よく跳ねるんだよな。
ボンネットが大きくへこんでいる。
塗装の破片が飛び散る。
……まだ、納車されてから半年程度なのに……。ボンネットが大きく凹んでも上からの衝撃だとエアバックは作動しないんだな……。
そんなことを考えていると、目が合った。
猿?人間?いや……。
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