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夏 3

夏の拾壱 紅白梅干し

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 ビクターにとって初夏は梅のシーズンだ。

 もちろん、花の話ではない。
 ビクターは梅の花も好きだが、メインはあくまで梅の実だ。
 毎年六月半からは梅酒や梅ジュース、梅味噌など梅の実を使ったものを色々と仕込んで忙しい。
 特にその中でも梅干しは毎年作っていた。

 ……毎年と言ってもビクターが作るようになったのは六年前から。
 この世界に来た次の年からだ。

 最初の頃はお世話になった恩人と一緒に作っていた。
 あくまで手伝いに過ぎなかったが、それでも楽しかった。
 その思い出を大切にするように、毎年欠かせない行事となっているのだった。

 「今年もいい梅だな」

 ビクターは先ほど届いたばかりの箱を開け、満足げに呟いた。
 中身は和歌山産の南高梅。
 蓋を開けた途端に、むせ返るような梅の香りが部屋に広がった。

 ビクターは数年前から、梅干し用の梅だけは和歌山の南高梅を買っている。
 昔警察の仕事を手伝った時に、知り合った警官の実家が和歌山の梅農家だったのだ。意気投合まではいかないが、それなりに仲良くなった縁で知り合い価格で買えるようになっていた。

 自分用なので、型や大きさが不揃いの物だ。たまに傷が有ったりもする。
 しかし味は一級品。それも可能な限り木で熟したものを送ってくれる。
 自分で作り食べる分には十分すぎる。

 「さて、今年はどうしようかなぁ……」

 黄色く色づいた梅の実を眺めながら、ビクターは思案した。

 梅干しは大まかに二種類ある。
 赤紫蘇と一緒に漬けた紫蘇梅干しと、塩のみで漬けた白梅干し。
 地方によっては違うのかもしれないが、ビクターにとっては紫蘇を使ったのが普通だ。

 「白梅干しはほとんど使い切ってるから多めに漬けるとして……」

 塩だけの白梅干しは癖が無いので、料理にもよく使う。そのため毎年食べきっていた。
 紫蘇梅干しの方は古いものがいくらか残っている。

 「でも、まあ、腐るもんじゃないし面倒だから半々でいいか」

 考えるのが面倒なので、結局半分ずつ作ることにした。
 梅干しは保存がきく。それこそ何十年単位で保存しておいても悪くならない。それどころか、古いものの方が味が良くなると言われているほどだ。
 保存場所さえあるなら、多めに作っておいても問題ない。

 「その代わり、今年は減塩にするか」

 いつもなら、紫蘇梅干しの方はがっつり田舎風の二十パーセント近い高塩分の梅干しにしている。そういったものには在庫があるので、今年は減塩で作ることにした。

 「まずは水に浸けて」

 ビクターは早速作る準備を始めた。

 まず大きなボウルに水を溜め、そこに梅の実を入れる。
 数時間そのまま置いて、軽く灰汁抜き。完熟ならこの工程は無くても大丈夫らしいが、とりあえずやっておく。

 その後、優しく扱いながらゴミを洗い、ヘタを取る。
 ヘタはくぼみの部分に少し残っているだけだが、尖ってるものを使って取ると簡単に取れる。
 梅は金気を嫌うとかで、金串を使うと何故かうまく取れないらしいので竹串だ。
 もっとも、これは硬い金串を使うと梅の実を傷つけやすくなるので、それを防ぐために作られた迷信でないかとビクターは疑っていた。

 ヘタを取る時に、悪くなっているものやまだ青く硬いものがないか梅の実をチェック。
 あれば別に分けておく。
 悪くなっている物もその部分を切り取れば梅干し以外に使えるし、青いのも同じく使い道がある。より分けておくだけで、安易に捨てることはしない。

 ヘタを取ったら、キッチンペーパーや布巾で梅の実に付いた水気をよく拭き取っておく。水気が残っていると浸かるまでにカビたり腐ったりするので丁寧に。

 「減塩だし、焼酎で処理するか」

 高塩分ならすぐに梅酢が出てきて浸かるため無くても大丈夫だが、今回は減塩にするので焼酎をまぶしておくことにした。
 そうすることで、付着している水分が飛びやすいし除菌にもなる。梅酢が出るのに時間がかかっても多少は大丈夫だ。

 スプレーがあると楽なのだが、無いので水気を切ったボウルに梅の実を入れ、焼酎を少し入れて優しくかき混ぜて全体に馴染ませる。最後にまたキッチンぺーカーで軽く拭き取った。

 「ここまで腐らないように処理したんだから、今年は十パーセントにするかな」

 いつもは減塩と言っても十数パーセントの塩を入れているが、今回はさらに減塩を目指すことにした。

 使う容器は事前に洗っておき、十分に乾かしておく。
 そして、使う前に焼酎を含ませたキッチンペーパーで拭き上げ除菌する。

 容器は酸と塩に弱くない容器なら何でもOK。陶器の壺かガラス容器が一般できだろうが、無いならジップロックでも作ることはできる。

 ビクターは長年使っている陶器の甕を準備した。
 あまり大きくない甕なので、準備した梅の実が全部入りきらない。仕方がないので二つ使う。紫蘇梅干しと白梅干しに分けるつもりだから、丁度いいだろう。
 どちらにしても、紫蘇を入れるまでは工程は同じなのだが。

 「あー、甕の大きさが違うから半々は無理だな」

 そう呟きながら、それぞれに入る量に調整し、梅の実を分けた。
 それから重量を計り、正確にそれぞれの十パーセントになるように塩を準備する。
 塩はあら塩。にがりを含むような塩の方が味に深みが出るような気がする。たぶん。

 まず底に塩を振り、梅の実を底が見えなくなるように敷き詰め、梅の実の上に塩を振る。そしてまた梅を並べる。その繰り返しで甕の中に梅の実を積み上げていく。
 最後にできるだけ梅の実が見えないように上に残りの塩を被せたら終了。

 あとは梅の実が潰れない程度の重さの重石をして、保管しておけばいい。
 最悪、重石が無くても漬けられるが、梅の実全体が梅酢に浸かるまで時間がかかるので、カビや腐る可能性があるので注意だ。

 瓶ならそのままでいいが、甕などだと気温差で結露することもあるらしいので、キッチンペーパーを蓋との間に挟んでおいた。

 「上手く漬かってくれよ!」

 もう一つの甕も同じように仕込み終わってから、パンパンと手を合わせ、ビクターは祈った。
 滅多に失敗はしないが、毎年同じように成功するというものではない。ビクターは梅干しづくりの職人ではないので安定しない。運の要素もかなりあった。
 それに、今回は減塩仕様なので、不安もある。

 神頼みしておいて、損はないだろう。



 そして、二週間後。

 「よし、良い感じになってる」

 甕の蓋を開けると、しっかりと梅酢……塩によって梅から出た水分で梅の実が浸かっていた。もしカビたり悪くなったりしてる梅が有ったら、この時に取り除けば修正は可能だ。

 「さてさて」

 一つは紫蘇梅干しにするので、揉み紫蘇を作らないといけない。
 揉み紫蘇は、要するに風味付けと色付けのための赤紫蘇を柔らかく、そして灰汁抜きして梅干しの容器に投入できる状態にしたものだ。

 だいたい使った梅の実の二割程度。多くても少なくても別に問題は無い。
 ただ少なすぎると色が薄くなる。

 まず買ってきた赤紫蘇の葉からゴミや硬い茎などを取り除き洗う。
 それからボウルに入れ赤紫蘇の一割程度の塩を振って、全体に馴染ませてから掌で押しつぶすようにして揉んでいく。葉の感触が塩が馴染んでくると柔らかくなってきて、水分が出てくる。
 それを軽く絞って捨てる。

 これで一回目。

 絞った赤紫蘇にもう一度一割程度の塩を振って、さらに揉み込んで水分を絞り出していく。
 今度は出てきた水分が濃い紫色になり、泡立ってくるまで丁寧にしっかりと。
 この泡が灰汁だ。

 赤紫蘇の葉が完全に柔らかくなり、まとめれば自然と団子になるくらいになれば終了。
 水分をしっかり絞って捨ててから、最後の仕上げだ。

 水分を絞ってできるだけ固い団子を作った赤紫蘇を、今度は梅の実を漬けて出た梅酢を大さじ数杯程度かけて解す。
 赤紫蘇が梅酢に触れて鮮やかな赤色になる瞬間が、ビクターは好きだった。

 もう一度軽く絞ってから、紫蘇漬けにする梅干しの甕に投入したら終了だ。できるだけ揉み紫蘇と梅酢が触れた方が色が出やすいので、梅の実の上を覆うように広げておいた。
 これで色がしっかりと付くはずだ。

 
 
 さらに二週間ほど経って、七月の後半、土用の日周辺のある日。
 天気も良く、その日は干すのに最適の日だった。

 夏の土用は最も日が長くなる立夏の前の日付になるため、日差しが強く日も長い。日干しにするには最適の日程だった。
 このあたりの日に梅干しを干すのを、土用干しと言った。
 ただ、だいたいこれくらいの日に干すというだけで、別の日でも全然問題ない。むしろ天気の状態が優先される。

 ビクターは朝起きたらすぐに準備を始めた。
 大きな干しザルを庭の日当たりのいい場所に出し、その上にキッチンペーパーを広げる。
 そして、梅干しをくっ付かないように間隔を開けて並べていった。

 ビクターは昔は干しザルに直接梅干しを乗せて干していたが、油断をするとザルに梅干しがくっ付いて皮が破れたり後で洗う手間を考えてキッチンペーパーを引くようになった。
 見た目より楽が一番だ。

 梅干しを取り出した後の梅酢入りの甕も一緒に日光に当てておくと、中の梅酢が腐りにくくなるらしい。迷信かもしれないが、ビクターは必ずするようにしている。

 あとは日光にお任せ。
 時々ひっくり返して梅干し全体に日を当てて干せばいい。


 じっくりと日光に当たると、梅干しは自然と皮が薄く柔らかくなっていく。
 それにつれて紫蘇梅干しは赤紫蘇の色が馴染み、鮮やかな赤色になっていく。白梅干しの方は、黄色ががっていたのが段々と黄土色になっていくのだった。

 土用干しは家毎にルールが違うらしいが、最低でも二日はやる人が多いだろう。
 ビクターの場合は三日やることにしている。

 朝に天気を確認して、丸一日天気が良さそうな日の朝に出し、日が陰って来る夕方まで。
 毎回夕方には梅酢入りの甕に返して、土用干しした梅干しと梅酢を馴染ませていく。
 三日間連続する必要はなく、予定が空いていて家にいる日を選んで干していた。

 正式な意味で梅干しだと、最後は日に干したまま容器に保存して完成らしいが、ビクターはしっとりした感じの方が好きなので、最後も梅酢に戻して保存する。このあたりも個人の好き好きだろう。

 「今日もいい天気だなー」

 ビクターは日光を浴びて表面が乾き、少しくたりとして柔らかそうな見た目になっている梅干しを見つめる。
 そうすると口の中に唾が沸き上がって来たので、思わず手ごろな大きさのものを口に入れた。

 日光で暖かくなった白梅干し。
 塩だけで仕上げたシンプルなもので、梅の実の良さがそのまま味になる。
 口に入れた瞬間に、梅の実のいい香りが広がった。

 梅の強い酸味に、口をすぼめる。今回は塩分控えめで、塩辛過ぎず丁度いい。

 「……いい感じに仕上がりそうだ」

 口の中に広がるまだ未完成の味に、ビクターは期待を膨らませるのだった。
 

 


 

 

 
 

 
 
 

 
 
 
  
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