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夏 3

夏の拾 パインシロップのオーギョーチー

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 『おいなり荘』は稲荷神社の鎮守の森の中にある。
 稲荷神社自体が少し高い位置にあることと、囲まれている木々のおかげで日差しも弱まり、気温も他に比べると数度は低い。
 夏の昼間でも、他の場所よりは遥かに過ごしやすかった。

 「暑い……」

 だからと言って、夏が暑くないという訳ではない。
 酷暑日となるとさすがに厳しくなってくる。身体の丈夫なビクターでも、ぐったりとするほどだった。

 ビクターは縁側の日陰になっている部分でダレていた。
 上半身裸で縁側に腹ばいで寝そべっている。直接腹を縁側の床板に付けていると、ひんやりとして気持ちいいのだ。
 傍らにはスマホ。
 よく見ている青肌ヒーロー系Vtuberの長時間雑談放送を流しているが、虚ろな目にそれが映っているか怪しい。
 たまに物音がすると耳だけが動くが、ほとんど身動きすらしなかった。

 「……ダメだ。このまま溶けて腐りそうだ」

 焦点の定まってない目のままで、ぽつり呟く。
 さすがにこのままダレまくってるのは人としてダメになると、何もしたくない気持ちを振り切って無理やり身体を起こした。

 「何か元気になる食べ物を食べよう」

 何か少し食べたいけど、しっかりとしたものは食べたくない。そう考えて、思いを巡らす。

 「……オーギョーチーあったよな?」

 思いついた物に食欲が刺激され、鼻先を軽く舌で舐めると作るために立ち上がった。

 オーギョーチー。
 台湾の愛玉子あいぎょくしという木の実から作るスイーツだ。
 見た目も味もゼリーのような感じだが、それよりも更にあっさりとした味わいで暑い日には最適だった。

 実はこれはビクターの地味な好物の一つだ。

 ビクターが前にいた世界にも同じような食べ物があり、懐かしさもあっていつでも食べられるように常備している。
 前の世界では手のひらサイズのイチジクのような果物を乾燥させ、こちらのオーギョーチーと同じ様な手順で作る。
 砂糖が高価なため甘みを付けず食べていたため、デザートというよりは胃腸の薬という側面が強かった。それでもつるりとした食感がビクターの好みだった。
 水さえあれば作れることと、軽く保存にも向いているため、旅に持ち歩いていたりもしてた。

 今の世界と前の世界。
 こういった植物や動物、細菌などに類似性があること多い。学者に言わせるとそれは、はるか昔から互いの世界で転移を繰り返していた証拠らしい。
 だが、そんなことを言われてもビクターはよく分からない。
 そういうものなのかと、漠然と思うくらいだ。

 「あったあった」

 保存食を入れている棚を漁り、ビクターは一つの小袋を取り出す。
 中には胡麻のような小さな粒が大量い入っていた。
 これがオーギョーチーの元に愛玉子の種だ。

 あまり見かけるものではないが、輸入食材店でたまに売られている。ビクターは近所の業務用スーパーに時々入荷するのを狙って買っていた。
 植物の種を乾燥させたものなので、簡単に腐るようなものではなく多めに買って保存しておいても問題ない。

 オーギョーチーの材料はこの種と常温の水だけ。
 分量は種が50グラムに対して水が1.5リットル。
 出来上がりの量は、だいたいその水の量そのままだ。

 まず愛玉子の種を、目の細かい布巾か、水に浸けても破れないキッチンペーパーで包む。
 あまり目が粗いものだと種の殻が混ざるので注意。
 カルシウム分が無いと上手く固まらないので、使う水は水道水か、ミネラルウォーターなら硬水のもので。

 そして、隙間から種がこぼれて水に混ざらないように注意しながら、ボウルなどに溜めた水の中でモミモミする。

 「……」

 ひたすら水の中でモミモミ……。
 ビクターが無言でモミモミしていると、甘えている犬っぽい。今も上半身裸のため、さらに犬っぽく見えた。

 すると段々と水にトロミが出てくる。
 愛玉子の種からペクチンという成分が溶けだしてきて、固まるらしい。
 ペクチンというのはジャムなどが固まる時にも作用する、植物性の成分だそうだ。
 このペクチンに整腸効果があるため、オーギョーチーは美容に良いと言われていた。

 「こんなもんかな?」

 ひたすらモミモミして、水が全体的にトロリとしたら完了。もったいないのでしっかり絞って種を引き上げる。
 全体をかき混ぜて馴染ませ、あとは冷やせば完成だ。

 「シロップは、パインシロップがあるな」

 ビクターは冷蔵庫にオーギョーチーを入れるついでに、シロップがあるか確認した。
 このパインシロップもビクターの手作りだ。
 非加熱のシロップで、丸ごとのパイナップルを買って食べた時に食べきれなかった残りで作った物だった。

 パイナップルと同量の氷砂糖をガラスの容器に入れ、冷蔵庫でゆっくりと溶かしたものだ。
 パイナップルの水分だけで作っているし、加熱していないので風味もいい。日持ちがしないのが唯一の欠点だ。
 オーギョーチーと言えばレモンシロップが王道らしいが、十分にその代わりになるだろう。

 あとは冷えるまで待つだけ。
 ……待つだけでしばらくすることが無いと考えると、途端に暑さがぶり返してくる気がしてくる。

 「……冷えるまで、風呂場で水浴びするかぁ」

 そう呟いて、ビクターはタオルを持って風呂場へと向うのだった。




 しばらくして、水浴びをしてまだ全身の毛が湿気っている状態で、ビクターはオーギョーチーの仕上げに取り掛かった。
 格好は上半身裸のままだ。パンツに短パン、首にはタオルをかけている水泳客のようなスタイルで作業を始める。

 冷蔵庫から取り出すと、その動作だけでボウルの中のオーギョーチーはフルフルと震える。見事にゼリー状に固まっていた。
 それを大きなスプーンで掬って、適当に器に盛る。
 そこにシロップをかけた。

 以上で完成だ。

 
 ビクターはそれを持ってまた縁側に移動した。
 まだ湿っている全身を乾かす意味もあるが、広い場所で少しでも風に当たりたかった。

 縁側に腰掛け、庭を眺めながらパインシロップのオーギョーチーを口に入れる。
 ほとんど癖のない、水そのもののような風味のオーギョーチー。それに甘くそれでいて酸味のあるパイナップルのシロップが絡み合う。

 口の中に清涼感が溢れる。
 自然とビクターの口元は緩んだ。

 「まだまだ暑いなぁ」

 冷蔵庫にはまだオーギョーチーの残りがある。
 そのことを思い浮かべ、ビクターはちょっとだけ酷暑を乗り切れる気がしてきた。


 
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