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夏
夏の壱 焼き甘長唐辛子の甘辛煮
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駒井ビクターは時々農産物直売所を手伝っている。
彼ら『落ちてきた者』には月に二十万程度の保護費が支払われ、保護施設に住居も準備されるため実際のところ働く必要はない。
しかし、ほとんどの者は何もする必要が無い生活に飽き、なんらかの仕事を持つのが普通だった。
その場合は保護費は収入との兼ね合いを見て削られるが、もし生活に困窮すれば再開されるため一般人よりは気楽なものだ。
保護施設からも出て完全に独立する者も多い。
そう言う場合は本人すら解除できない強力な人間に見える幻術がかけられ、特殊能力を持つ者はそれを封じられてから人間として暮らすことになっている。
例外として警察や自衛隊、海外の軍隊の一機関に就職した場合があるのだが、戦闘狂でもないかぎりそういったところに就職する者はいなかった。
ビクターは落ちてくる前の世界では戦闘に明け暮れた生活をしていた。
そのため、ゆっくりのんびりと暮らすのを好んだ。
時々農産物直売所を手伝い、農繁期にはそこで知り合った農家を手伝い、さらに農家の老人たちのちょっとした手伝いをしていたりする。
実にゆったりまったりした生活をしていた。
「駒井君!売れ残りの唐辛子いる?」
「いります!いくらですか?」
開店前の直売所で農家のおばさんに声をかけられ、ビクターは即答した。
唐辛子、といってもこの場合は甘長唐辛子という辛くない青唐辛子の一種だ。
夏になればどこの農家でも一気に大量に採れる。
一袋百円以下の格安の値段を付けるのだが、出品される量が半端ではないのでそれでも売れ残り、次の日に半額シールを付けても売れ残る。
直売所のルールで二日過ぎたものは痛んでいなくても農家引取りになるため、三日目の朝に次の商品を納品と売れ残り商品の引き取りに来た農家のおばちゃんは買ってくれそうなビクターに声をかけたのだった。
「五袋で百円はどう?九袋全部引き取ってくれるなら百五十円で良いわ」
「全部いただきます!」
百五十円と大量の甘長唐辛子を交換したビクターはホクホクだ。
すでに今晩のメニューが頭に浮かんでいる。
大量に野菜を手に入れたとなると、一気に消費できる茹でるか煮る料理の方が良い。
甘長唐辛子の場合は、一択だ。
ビクターの中では甘長唐辛子を大量に消費する料理と言えばこれしかない。
「よし!」
帰宅して夕方、自室の流し台の前に立つとビクターは気合を入れる。
作るのは『焼き甘長とうがらしの甘辛煮』だった。
要するに、しっかりと甘辛い焼きびたしだ。
煮るため採ってから少し時間が経ったものでも問題ない。
まずは甘長唐辛子の種抜きを始める。
ヘタを落とし、盾に切り目を入れて種を取っていく。大量にやるため、地味に手間のかかる作業だった。
それをひたすら黙々とやっていく。
目指すのは片手鍋いっぱいの量だ。
半分くらい済ませたところで、IHグリルですでに種を抜き終わった分を焼いていく。
フライパンで焼いても良いが、ビクターは教えられたのがこの方法だったのと、均等に熱が加わるためなんとなくグリルを使っていた。
本当は直火で焼けると芳ばしい感じで一番風味も良いのだが、贅沢は言わない。
種抜きをしながら焼き加減にも注意し、少し焦げ目がつく程度に焼き上がった物は皿に取り分けて次々に焼いていく。
種抜きが終わり、焼くのもある程度終わったところで、煮汁を作り始めた。
鍋に煮るには少なく感じる程度のお湯を沸かし、砂糖、酒、醤油で甘み強めの煮汁を作った。
お湯ではなく出汁で作っても良いが、甘長唐辛子の味がダイレクトに出るこちらの方がビクターの好みだ。そもそも味付けが濃い目で湯は少量しか使わないので水っぽさを感じるほどではない。
しかし、出汁で作る方が万人受けし易く、食べやすいだろう。
そのまま全ての甘長唐辛子が焼けるのを待った。
「そうだ、せっかくグリルを使ったんだしな。焼きナスも作ろう」
そう言うと、冷蔵庫から茄子を取り出して洗うと、ヘタは付けたまま皮に縦に切り目を入れる。
こうしておかないと、中が熱せられて逃げ場を失った空気で茄子が爆発するのだ。
昔に一度やらかして、グリルの掃除が大変だった。
甘長唐辛子が全て焼けると、入れ替わりに茄子を放り込んだ。
焼き上がった甘長唐辛子を、煮汁に入れる。
焼いて少しはしんなりしているが、それでもまだ煮汁に対して甘長唐辛子が多く見える。しかし、混ぜながら煮ていくとクタクタになって水も出て丁度良くなる。
そのまま混ぜながら煮て、元々の鮮やかな緑がくすんだ緑になったら火を止める。
この煮る工程も各家庭でかなり好みが分かれるらしい。少なくともビクターが農家のおばちゃんたちに聞いた限りはそうだった。
歯ごたえがある程度に残す家もあれば、ビクターの様にクタクタに煮えるまで様々だ。
煮汁だって甘辛くする人もいれば、あっさりと上品に味醂で甘みを付け出汁の風味の利いたものにする人もいた。
同じ料理でも多様性があるのが、ビクターは面白いと思う。
ただ焼くだけの料理ではこういった違いは出てこないだろう。
あとは鍋ごと冷まして味を染み込ませていく。
焼きナスは、皮が焦げて茄子全体がしんなりするまで焼いて、アツアツの内にヘタを切って皮を剥がしていく。
剥がす時に指先が熱いが、水で濡らして冷やしながら地道に行う。
皮を剥くと皮の中で蒸し焼きになった中身がとろりとした感じで現れる。
実に美味そうだ。
それを器に入れ、冷蔵庫に入れて一気に冷やした。
焼きナスは冷えてないと美味くない。
これがビクターの持論だ。
逆に茄子田楽はアツアツじゃないと美味くない。
他に冷蔵庫の中身で適当に数品料理を作ったり、漬物を出したりしながら冷えるのを待った。
「日本酒飲みたいなぁ……」
焼き甘長とうがらしの甘辛煮と焼きナスの仕上がりを考えてそんな呟きを漏らす。
しかし、今、ビクターの部屋には日本酒は無い。
最近少しお腹のプヨッと感が心配になってきたビクターは、普段飲む酒をビールと日本酒から焼酎の水割りとハイボールに切り替えていた。
知り合いのおばちゃんたちから糖質の少ないお酒にした方が良いと薦められたのだ。
酒を飲まないのが一番いいのは分かってるが、それは外せない。
「さて、もういいだろ」
しばらくして、しびれを切らしたビクターが冷蔵庫から焼きナスを取り出した。
まだ少し温い感じがするが、目を瞑ることにする。
焼きナスを軽く絞って水気を切り、醤油に擦り胡麻とおろし生姜を入れた胡麻生姜醤油をぶっ掛ける。
焼き甘長とうがらしの甘辛煮も器に盛る。
「よし!」
満足そうに、一人微笑んだ。
「さて、いただきますっと」
食卓につくと、一人手を合わせる。
勢いよく合わせたため、パチンと心地好い音が鳴った。
ちなみにビクターの部屋は和室だ。食卓といってもほとんどちゃぶ台と言って良い物で、身体の大きいビクターが胡坐を組んで座ると小さく見える。
間髪入れずに、焼き甘長とうがらしの甘辛煮を箸でつまんで口に入れる。
砂糖と醤油の甘辛さを真っ先に感じて、その後に甘長唐辛子の鮮烈な苦みを感じる。
ピーマンなどが苦手な人には地獄のような味なのだろうが、好きな人にはたまらない。ビクターにとっては夏には欠かせない味だった。
その苦みを焼酎の水割りで流し込む。
「ふぅ……」
幸せそうに息を吐いたが、次の瞬間にはわずかに眉を寄せた。
「日本酒飲みたいなぁ……」
焼酎も悪くないが、こういった料理には日本酒の方が合うと思う。
ビクターはほんのわずかの物足りなさを感じながら、自分の腹を見つめた。
ちょっとプヨッとして来たと言っても、お腹が出っ張ってきたわけではない。服を着ていれば引き締まっているように見えなくもない。
しかし、前の世界ではきっちり六つに割れていた腹筋は見る影もない。
まあ、幸せに暮らしている証拠なのでビクター自身は実はプヨッとしてきた腹も嫌いではないのだが、節制は大事だろう。
「運動量を増やして、制限を緩めるかぁ」
日本酒を飲むために運動をするという、実に本末転倒な決心をしてから、引き続き夏の味を楽しむのだった。
彼ら『落ちてきた者』には月に二十万程度の保護費が支払われ、保護施設に住居も準備されるため実際のところ働く必要はない。
しかし、ほとんどの者は何もする必要が無い生活に飽き、なんらかの仕事を持つのが普通だった。
その場合は保護費は収入との兼ね合いを見て削られるが、もし生活に困窮すれば再開されるため一般人よりは気楽なものだ。
保護施設からも出て完全に独立する者も多い。
そう言う場合は本人すら解除できない強力な人間に見える幻術がかけられ、特殊能力を持つ者はそれを封じられてから人間として暮らすことになっている。
例外として警察や自衛隊、海外の軍隊の一機関に就職した場合があるのだが、戦闘狂でもないかぎりそういったところに就職する者はいなかった。
ビクターは落ちてくる前の世界では戦闘に明け暮れた生活をしていた。
そのため、ゆっくりのんびりと暮らすのを好んだ。
時々農産物直売所を手伝い、農繁期にはそこで知り合った農家を手伝い、さらに農家の老人たちのちょっとした手伝いをしていたりする。
実にゆったりまったりした生活をしていた。
「駒井君!売れ残りの唐辛子いる?」
「いります!いくらですか?」
開店前の直売所で農家のおばさんに声をかけられ、ビクターは即答した。
唐辛子、といってもこの場合は甘長唐辛子という辛くない青唐辛子の一種だ。
夏になればどこの農家でも一気に大量に採れる。
一袋百円以下の格安の値段を付けるのだが、出品される量が半端ではないのでそれでも売れ残り、次の日に半額シールを付けても売れ残る。
直売所のルールで二日過ぎたものは痛んでいなくても農家引取りになるため、三日目の朝に次の商品を納品と売れ残り商品の引き取りに来た農家のおばちゃんは買ってくれそうなビクターに声をかけたのだった。
「五袋で百円はどう?九袋全部引き取ってくれるなら百五十円で良いわ」
「全部いただきます!」
百五十円と大量の甘長唐辛子を交換したビクターはホクホクだ。
すでに今晩のメニューが頭に浮かんでいる。
大量に野菜を手に入れたとなると、一気に消費できる茹でるか煮る料理の方が良い。
甘長唐辛子の場合は、一択だ。
ビクターの中では甘長唐辛子を大量に消費する料理と言えばこれしかない。
「よし!」
帰宅して夕方、自室の流し台の前に立つとビクターは気合を入れる。
作るのは『焼き甘長とうがらしの甘辛煮』だった。
要するに、しっかりと甘辛い焼きびたしだ。
煮るため採ってから少し時間が経ったものでも問題ない。
まずは甘長唐辛子の種抜きを始める。
ヘタを落とし、盾に切り目を入れて種を取っていく。大量にやるため、地味に手間のかかる作業だった。
それをひたすら黙々とやっていく。
目指すのは片手鍋いっぱいの量だ。
半分くらい済ませたところで、IHグリルですでに種を抜き終わった分を焼いていく。
フライパンで焼いても良いが、ビクターは教えられたのがこの方法だったのと、均等に熱が加わるためなんとなくグリルを使っていた。
本当は直火で焼けると芳ばしい感じで一番風味も良いのだが、贅沢は言わない。
種抜きをしながら焼き加減にも注意し、少し焦げ目がつく程度に焼き上がった物は皿に取り分けて次々に焼いていく。
種抜きが終わり、焼くのもある程度終わったところで、煮汁を作り始めた。
鍋に煮るには少なく感じる程度のお湯を沸かし、砂糖、酒、醤油で甘み強めの煮汁を作った。
お湯ではなく出汁で作っても良いが、甘長唐辛子の味がダイレクトに出るこちらの方がビクターの好みだ。そもそも味付けが濃い目で湯は少量しか使わないので水っぽさを感じるほどではない。
しかし、出汁で作る方が万人受けし易く、食べやすいだろう。
そのまま全ての甘長唐辛子が焼けるのを待った。
「そうだ、せっかくグリルを使ったんだしな。焼きナスも作ろう」
そう言うと、冷蔵庫から茄子を取り出して洗うと、ヘタは付けたまま皮に縦に切り目を入れる。
こうしておかないと、中が熱せられて逃げ場を失った空気で茄子が爆発するのだ。
昔に一度やらかして、グリルの掃除が大変だった。
甘長唐辛子が全て焼けると、入れ替わりに茄子を放り込んだ。
焼き上がった甘長唐辛子を、煮汁に入れる。
焼いて少しはしんなりしているが、それでもまだ煮汁に対して甘長唐辛子が多く見える。しかし、混ぜながら煮ていくとクタクタになって水も出て丁度良くなる。
そのまま混ぜながら煮て、元々の鮮やかな緑がくすんだ緑になったら火を止める。
この煮る工程も各家庭でかなり好みが分かれるらしい。少なくともビクターが農家のおばちゃんたちに聞いた限りはそうだった。
歯ごたえがある程度に残す家もあれば、ビクターの様にクタクタに煮えるまで様々だ。
煮汁だって甘辛くする人もいれば、あっさりと上品に味醂で甘みを付け出汁の風味の利いたものにする人もいた。
同じ料理でも多様性があるのが、ビクターは面白いと思う。
ただ焼くだけの料理ではこういった違いは出てこないだろう。
あとは鍋ごと冷まして味を染み込ませていく。
焼きナスは、皮が焦げて茄子全体がしんなりするまで焼いて、アツアツの内にヘタを切って皮を剥がしていく。
剥がす時に指先が熱いが、水で濡らして冷やしながら地道に行う。
皮を剥くと皮の中で蒸し焼きになった中身がとろりとした感じで現れる。
実に美味そうだ。
それを器に入れ、冷蔵庫に入れて一気に冷やした。
焼きナスは冷えてないと美味くない。
これがビクターの持論だ。
逆に茄子田楽はアツアツじゃないと美味くない。
他に冷蔵庫の中身で適当に数品料理を作ったり、漬物を出したりしながら冷えるのを待った。
「日本酒飲みたいなぁ……」
焼き甘長とうがらしの甘辛煮と焼きナスの仕上がりを考えてそんな呟きを漏らす。
しかし、今、ビクターの部屋には日本酒は無い。
最近少しお腹のプヨッと感が心配になってきたビクターは、普段飲む酒をビールと日本酒から焼酎の水割りとハイボールに切り替えていた。
知り合いのおばちゃんたちから糖質の少ないお酒にした方が良いと薦められたのだ。
酒を飲まないのが一番いいのは分かってるが、それは外せない。
「さて、もういいだろ」
しばらくして、しびれを切らしたビクターが冷蔵庫から焼きナスを取り出した。
まだ少し温い感じがするが、目を瞑ることにする。
焼きナスを軽く絞って水気を切り、醤油に擦り胡麻とおろし生姜を入れた胡麻生姜醤油をぶっ掛ける。
焼き甘長とうがらしの甘辛煮も器に盛る。
「よし!」
満足そうに、一人微笑んだ。
「さて、いただきますっと」
食卓につくと、一人手を合わせる。
勢いよく合わせたため、パチンと心地好い音が鳴った。
ちなみにビクターの部屋は和室だ。食卓といってもほとんどちゃぶ台と言って良い物で、身体の大きいビクターが胡坐を組んで座ると小さく見える。
間髪入れずに、焼き甘長とうがらしの甘辛煮を箸でつまんで口に入れる。
砂糖と醤油の甘辛さを真っ先に感じて、その後に甘長唐辛子の鮮烈な苦みを感じる。
ピーマンなどが苦手な人には地獄のような味なのだろうが、好きな人にはたまらない。ビクターにとっては夏には欠かせない味だった。
その苦みを焼酎の水割りで流し込む。
「ふぅ……」
幸せそうに息を吐いたが、次の瞬間にはわずかに眉を寄せた。
「日本酒飲みたいなぁ……」
焼酎も悪くないが、こういった料理には日本酒の方が合うと思う。
ビクターはほんのわずかの物足りなさを感じながら、自分の腹を見つめた。
ちょっとプヨッとして来たと言っても、お腹が出っ張ってきたわけではない。服を着ていれば引き締まっているように見えなくもない。
しかし、前の世界ではきっちり六つに割れていた腹筋は見る影もない。
まあ、幸せに暮らしている証拠なのでビクター自身は実はプヨッとしてきた腹も嫌いではないのだが、節制は大事だろう。
「運動量を増やして、制限を緩めるかぁ」
日本酒を飲むために運動をするという、実に本末転倒な決心をしてから、引き続き夏の味を楽しむのだった。
応援ありがとうございます!
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