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 「予定?」

 モーリスの言葉を聞いて、ロレッタがこてんと可愛らしく首を傾げる。
 わずかな動作だが、庇護欲をそそる動きを心得ていた。
 
 「予定を早めたのは貴方たちですよ。もっと慎重に行動していれば、何も起こらなかったかもしれなかったのに」
 「嬉しい!私たちの結婚の予定ですか!?」

 モーリスの言葉をどんな風に理解したのか、ロレッタが下品な歓声を上げてモーリスの手を取ろうとする。
 その瞬間にパシリ、と軽い音が響いた。

 「痛い!」

 ロレッタの手が触れる寸前に、モーリスがその手を払いのけていた。
 手に走った痛みにロレッタが声を上げ、信じられないものを見るかのように大きく見開いた眼をモーリスへと向けた。

 「婚約者でもないのに触れようとするとは。なんて躾のなっていないご令嬢だろう」

 モーリスは何事もなかったように微笑みを浮かべながら、見下した視線をロレッタへと向けた。
 その視線は、さながら吹きつける極寒の吹雪の様だった。
 
 「ロレッタ!」
 「ロレッタに何をするのです!」

 両親が叫びをあげたが、モーリスはそれすら微笑みを浮かべて流した。

 「たかが男爵が、私たちの大切なロレッタにこの様な真似をしてタダで済むと思うなよ!」
 「たかが男爵ですか。身分の違いというものを知らなかったわけではないらしい。そのたかが男爵に、大事なご令嬢を嫁がせようとしたのは貴方たちですよ?それが何を意味しているのか分かっているのですか?」

 身分の違い。
 貴族社会において、それは重要なことだ。
 同じ貴族でも公爵と男爵では大きな差があり、普通であれば身分が釣り合わず婚姻が結ばれることはない。
 特に上の身分の家の者が下の身分の家に入る場合は、せいぜい一つ下、様々な覚悟を決めても二つ下くらいのものだろう。
 領地の広さから収入も大きく違い、生活も大きく違ってくるからだ。

 貴族として一番上の身分の公爵家の娘が、世襲貴族としては最下位の男爵家に嫁ぐとなると、生活面でも多くの苦労を覚悟しないといけない。
 第三王子から婚約破棄されたリシェンヌは、新たな婚約は望めなさそうだという理由があった。
 また元々持っていた庶民的な感覚もあり男爵家でも問題ないだろう。しかし、わがままで公爵家で好き放題していたロレッタが、とても男爵夫人としての生活に耐えられるはずがない。
 
 それを考えもせずロレッタが望んだからといって嫁がせようとしたことを、モーリスは指摘していた。
 いくら可愛がっているからと言って、言いなりになることがロレッタのためになるとは思えない。

 「貴様!!男爵ごときが偉そうに!」

 しかし、その指摘は、リシェンヌの両親にはまったく届いていなかった。
 公爵は罵声を上げ、公爵夫人は怒りに顔を歪めている。

 「旦那様!」

 慌てた様子で公爵家の使用人が駆け寄ってきた。
 取り乱した姿はとても高位貴族の使用人とは思えない。

 「なんだ!?」
 「騎士の方々が!突然!」
 「突然どうしたのだ!今我々は大切な話を……」
 「無理やり押し入ってこられました!!」
 「なに!!?」

 荒い息を吐きながら使用人が言い切ると同時に、彼の背後に駆け寄ってくる騎士の姿が見え始めた。

 「なんだ!!何が起こっている!ここは公爵家だぞ!誰の許しがあって!」
 「私が許可しました」

 何事もない様に言ってのけたのはモーリスだ。

 「なんだと!何の権限があって貴様がそのようなことを!」
 「ありますよ。王太子殿下の許可があります。国王陛下も承認されております」
 「なっ!?」

 公爵が絶句すると、モーリスはやけに優しい笑みを浮かべた。
 リシェンヌも、その笑みを見てなお、戸惑うことしかできない。

 公爵家に騎士がなだれ込んできている。その騎士服を見る限り王宮に詰めている騎士たちだろう。
 男爵であるモーリスでは、本来は動かせない人間たちだ。
 そのことから、王太子殿下の許可があっての行動というのは事実だろうが、目的が理解できない。

 以前、モーリスは王太子の指示によって計画を任されていると言っていた。
 そのために、ロレッタに対して実験を行い、その結果次第では妹のロレッタと両親の今後にも大きく関わってくるとも言っていた。

 それの結果が出たということなのだろうか?
 
 「え!?なに!何をするの!」
 「貴様ら!私は公爵だぞ!このような無礼をしてもいいと思っているのか!」
 「やめなさい!痛い!」

 なだれ込んできた騎士たちは即座に公爵夫妻とロレッタに近寄ると、彼らを拘束した。
 雑な扱いではないものの、力強い騎士たちの腕に公爵夫妻とロレッタは捕まれ身動きができなくなる。

 「王太子の命です!邪魔する者は反逆となる!」

 公爵家の使用人たちが騒ぎを聞きつけて近寄ってきたが、明らかに騎士としか見えない者にそう言われ、誰一人として手が出せない。

 「さて、貴方たちは更生施設に入っていただきます」
 「更生施設?」

 モーリスは拘束されている公爵夫妻とロレッタに向かって言ったのだが、それに疑問の声を上げたのはリシェンヌだった。
 公爵夫妻とロレッタは拘束してくる騎士に抵抗するのが忙しくて聞こえていないらしい。
 悲鳴なのか唸り声なのか分からない声を上げている。

 「王太子殿下は長く平和が続き、貴族たちが腐敗してきていることを気に病まれておられました。そこで様々な有識者が集められ、会議を重ねた結果、計画されたのが不良貴族の更生施設です」

 更生施設と言われて、リシェンヌが思い浮かぶのは犯罪者のための施設だ。
 軽犯罪に限り、牢獄ではなく更生施設に入れられてまともな人間になるように教育されるのだ。
 修道院に近い施設だが、修道院が教会の教義に従って運営されているのに比べて、更生施設は社会復帰を目的とされている。その中で様々な職業が学べて優秀な者は仕事の斡旋までしてもらえるのだ。

 「それはどういった施設ですか?」

 不良貴族の、と付いているのであれば、ただの犯罪者の更生施設とは違うのだろう。
 それに公爵夫妻とロレッタは犯罪者という訳ではない。
 ロレッタのワガママで周囲を振り回しているが、度が過ぎるところがあるものの法律の範囲内だ。
 尋ねるリシェンヌに、モーリスは輝くような笑顔を向けた。

 「役目を果たしさず身分を振りかざしているだけの者たちを、本来の貴族に戻すための施設だよ」
 「役目を果たさず、身分を振りかざす……ですか」

 リシェンヌはモーリスの言葉を受け止める。
 不良貴族という言葉の意味を理解できたからだ。

 本来の貴族というものは、領地を治め、有事の際に領民を守るために存在している。
 その役目があるからこそ、敬うべき存在としてされているのだ。

 だが戦乱のない平和な世の中が続き、それも形骸化している。
 戦争で領民を守るために戦いを経験した貴族はほとんどいない。災害などで陣頭指揮をとる領主すら稀だ。
 領地を治めるのも、代官任せで領地にすら帰らずに王都で暮らし続けているものも多い。

 貴族の役目がパーティーやお茶会に出席し、贅沢をし続けることだと勘違いしている者すらいるのだった。

 それなのに、その贅沢を支えている税を納めてくれる領民たちを見下して、威張りワガママを言って困らせる。

 そんな貴族を指して、モーリスは不良貴族と言っていた。

 「……」

 リシェンヌは無言で、両親である公爵夫妻と、妹のロレッタを見た。

 この三人は、まさにモーリスが言う不良貴族だった。
 父親は辛うじて領地を代官任せにせずに領地経営をしているが、それでも主な公務は王宮での権力争いだ。
 領民の生活には関係ない、自らの欲を満たすことに重点を置いている。
 母親も公務を持っているが、その実情は慈善事業やパーティーの主催に過ぎず、贅沢をするだけのものである。

 ロレッタに至っては、言うに及ばない。
 彼女は公爵令嬢としてワガママを言っていただけ。
 公務すらしたことがない。

 「……私も、そうですよね」

 リシェンヌは自分の状況を顧みる。自身も何の役にも立たず、貴族としての生活を享受してきた。

 「貴方は違いますよ」

 重い気分でリシェンヌが漏らした言葉を、モーリスは否定した。

 「貴方はまだ令嬢でしょう?まだ義務を果たすための準備の段階です。それに貴方は領民どころか庶民全体に益をもたらすように、今の立場でも考えている。私の妻となれば、大きく国に貢献することでしょう」

 優しく、それでいて強く、モーリスはリシェンヌの腰に手を当てて身体を寄せた。
 リシェンヌの頬が彼の肩に触れる。
 ほのかなモーリスの体温が伝わり、リシェンヌは頬を染めながらも彼に体重を預けた。

 「……妻……私でいいのですか?」
 「リシェンヌがいいのです」

 ヒューと、公爵たちを捕縛していた騎士たちから冷やかしの口笛が鳴り響く。平民出身の騎士が思わず鳴らしたのだろう。
 下品だが、庶民感覚も持っているリシェンヌにはその口笛が嬉しかった。

 「男爵!そこはキスする場面ですよ!」などとさらに下卑た歓声まで飛んでいた。
 その声に、モーリスとリシェンヌの二人は顔を真っ赤にして互いに見つめ合った。

 「なんでよ!」

 和やかな雰囲気になりかけたところに、ロレッタの声が響いた。
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