上 下
8 / 8

しおりを挟む
 ロレッタと公爵夫妻は、街はずれに建てられた堅固な建物の中に収容された。

 高い塀に囲まれており、建物はすべて白く塗られていた。
 それは内部にも及んでいる。
 部屋の壁も、床も天井もすべて白だ。
 白は最も刺激が少ない色、精神を安定させ物事を受け入れやすくするとこの国では言われていた。

 三人はその場で簡素な服に着替えさせられた。
 その色も白。生地は木綿で荒く織られて、不快ではないが心地い肌触りとも言い難い。これもまた刺激を与えないための処置だった。
 不快なのは当然ながら、心地いというのも精神を安定させるには余計な刺激の一つだと考えての処置だ。

 食事もまた、不味くはないが特別美味しいものではない。辛くも甘くもなく、硬くもなく、柔らかくもない。
 量もまた空腹を覚えるほどではないが、満腹にはならない量。
 とにかく、刺激を無くすことを第一に考えられていた。
 
 こういった処置は考え抜かれたものだが、まだ手探りだ。
 最初の入居者たちをモデルケースとして、様々な実験をすることで最良を探り当てる予定だった。

 「出してよーーー!私を誰だと思っているの!!」

 ロレッタは割り当てられた部屋の中で叫び、真っ白な扉を叩く。
 しかし閉ざされた分厚い扉はその声を外へ伝えることはない。そしてロレッタの声が止むと、耳が痛くなるほどの静寂が訪れるのだった。
 完全防音の静寂の世界。
 声を出さなければ、自らの息遣いだけが響き渡る。心臓の音すら聞こえてくる。

 ロレッタは一人、この部屋に閉じ込められていた。
 私物どころか家具一つない部屋。照明も天井に埋め込まれており、扉の取っ手すらない。

 部屋に入って以来、ロレッタは誰にも会っていない。
 誰の声も聞いていない。
 完全に防音された部屋の中では、外で何が起こっているのかすら分からなかった。

 何の刺激もない部屋。
 この部屋の中で彼女の精神が安定させ、安定すれば正しい貴族としての教育が始まるのだ。
 つまり、精神が安定するまで彼女はこの部屋に居続けることになる。

 食事も扉の下に開けられた小窓から差し入れられるだけだ。その食事には睡眠薬が入っているらしく、食器の回収や部屋の掃除、ロレッタの身を清める作業まで彼女が眠っている間に行われた。

 どれだけ時が過ぎたかすら、もう彼女には分からない。
 
 何もない部屋で、ロレッタは自分すら見失いそうになっていた。

 「私は!私は!!誰か、声を聞かせなさい!誰か、姿を見せなさい!私に聞かせて!私に見せて!私に触れて!何かを、なにかを、ちょうだい!!」

 彼女は何もない部屋の中で、自分すら失いそうになっていくのだった。




 公爵夫妻はロレッタと違い、すぐに部屋から出された。
 二人はそれなりに普通の教育を受けていたおかげだろう。自分たちがどういった状況に置かれているかをすぐに理解し、おとなしくなった。

 今、二人は別々に教育を受けている。
 庶民の生活がどういったものか、本来の貴族がどういった暮らしをするべきなのか。

 庶民の暮らしを知るために、農作業も体験している。
 土を耕し、水を撒く。雑草を抜いて、肥料を与える。
 つらく厳しい作業だった。

 手も荒れ、いつも筋肉痛だ。
 しかしそこまでして育てた作物は素人が育てたものであるため実りが悪く、さらに紛れ込んでくる害獣たちに荒らされた。
 水路に流れる水が足りず、枯らしてしまうこともある。

 「害獣や天災から平民たちが育てた作物を守るのが貴族の役目だ」
 「平民たちが耕した大事な土地を他者に奪われないようにするのが貴族の役目だ」
 「大事に育てた作物が高く売れるようにするのは貴族の役目だ」

 農作業で何か辛いことがある度に、そういった言葉を監督者から投げつけられた。
 貴族は平民が幸せに生きるのを助ける存在だと、心から刻まれていった。
 自分たちがいかに、貴族として正しくなかったかを思い知った。

 しかし、彼らの更生が終わるのはまだまだ先だ。
 まだ貴族としての教育が始まったばかり。それが終わってもまだ先がある。

 二人にはさらに親として更生しないといけないのだから。
 リシェンヌに、そして、ロレッタにしたことの意味を自ら理解するまで、二人は出られない。
 それはロレッタよりもはるかに長い時間がかかるだろう……。




 ロレッタと公爵夫妻が更生施設に入れられて、第三王子は苦悩していた。

 「……なぜこんなことに……」

 リシェンヌと婚約破棄し、ロレッタと婚約を結んだことですべては上手くいくと思っていた。
 公爵家との繋がりを強め、より有利な生活をするために婚約者を変えたはずだった。

 しかし、現在、第三王子は危機に直面している。
 ロレッタが更生施設に入れられ、婚約は白紙となった。
 リシェンヌはすでに別の男と婚約しており、しかも王太子である兄の肝入りだ、再婚約するわけにもいかない。
 公爵夫妻も不在では、何の手も出せない。

 他の有力な貴族の令嬢には婚約者がいるか、年齢が釣り合わない者ばかりだ。なにより、自分の都合で婚約者を変え、その婚約も白紙になった者と婚約させたいという家はなかった。
 一度やらかせば、同じような行いをするかもしれないと疑われてしまう。
 かといって、下級貴族の婿になる気はなかった。

 結局、彼には領地を持たない宮廷貴族の道しか残っていなかった。
 しかしそれでは王宮で仕事をし、しっかりとした成果を上げていかなければいけない。楽な生き方はできなくなった。
 元々勉強嫌いの第三王子には、苦痛でしかなかった。

 「どうして……」

 何を間違ったのか?
 彼は考えるが、答えが出ることはなかった。





 一か月後……。

 王太子主導で計画された不良貴族の更生施設についての発表があった。
 それと同時に、最初の入所者たちについての説明された。

 モデルケースのため、その入所者たちと収容された理由まで公開されたのだった。
 それは更生施設の入所基準の説明のためという建前であったが、実質は見せしめだ。
 
 その基準を聞いて、多くの貴族が震え上がった。

 それまで貴族は犯罪さえ起こさなければ、何をやっても許される立場だと勘違いしていた。
 しかし、更生施設のことが発表されたことで庶民たちのことを考えた生き方をしていないと、その立場を取り上げられてしまう。
 そして考え方を改めるまで取り戻すことはできないのだ。

 それは裕福な平民の商人たちの方が自由があると思えるほどの厳しさだった。

 だが本来の貴族とはそういうものだ。
 その厳しさと引き換えに、豪華な暮らしを得られるのだから。

 

 その更に一年後。
 更生施設の責任者となったモーリス・バダンテール男爵が、その功績によって子爵に昇爵されることが発表された。
 男爵になったことでも異例であったのに、異例に異例を重ねる功績だ。

 昇爵の式典の時、バダンテール子爵の隣には結婚したばかりの妻の姿があった。
 輝くばかりの笑みをたたえたその姿は、誰もが羨むほど美しかった。

 幸せそうな二人に、祝福の言葉が降り注ぐのだった。



   完












   ※   ※   ※   ※   ※



 最後まで読んでいただきありがとうございます。
 恋愛ジャンルでは初めての作品でした。
 たくさんの方々に読んでいただけたようで、心から感謝しています。

 普段は以下のような作品を書いています。
 恋愛ジャンルではありませんが、もしよろしかったらお読みください。

 『追い出された万能職に新しい人生が始まりました』
 https://www.alphapolis.co.jp/novel/214383141/166189345
 
 『けものびとの日々自炊』
 https://www.alphapolis.co.jp/novel/214383141/332287458
 

 
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

【7話完結】婚約破棄?妹の方が優秀?あぁそうですか・・・。じゃあ、もう教えなくていいですよね?

西東友一
恋愛
昔、昔。氷河期の頃、人々が魔法を使えた時のお話。魔法教師をしていた私はファンゼル王子と婚約していたのだけれど、妹の方が優秀だからそちらと結婚したいということ。妹もそう思っているみたいだし、もう教えなくてもいいよね? 7話完結のショートストーリー。 1日1話。1週間で完結する予定です。

【完結】妹が欲しがるならなんでもあげて令嬢生活を満喫します。それが婚約者の王子でもいいですよ。だって…

西東友一
恋愛
私の妹は昔から私の物をなんでも欲しがった。 最初は私もムカつきました。 でも、この頃私は、なんでもあげるんです。 だって・・・ね

妹に婚約者を奪われたけど、婚約者の兄に拾われて幸せになる

ワールド
恋愛
妹のリリアナは私より可愛い。それに才色兼備で姉である私は公爵家の中で落ちこぼれだった。 でも、愛する婚約者マルナールがいるからリリアナや家族からの視線に耐えられた。 しかし、ある日リリアナに婚約者を奪われてしまう。 「すまん、別れてくれ」 「私の方が好きなんですって? お姉さま」 「お前はもういらない」 様々な人からの裏切りと告白で私は公爵家を追放された。 それは終わりであり始まりだった。 路頭に迷っていると、とても爽やかな顔立ちをした公爵に。 「なんだ? この可愛い……女性は?」 私は拾われた。そして、ここから逆襲が始まった。

大好きな第一王子様、私の正体を知りたいですか? 本当に知りたいんですか?

サイコちゃん
恋愛
第一王子クライドは聖女アレクサンドラに婚約破棄を言い渡す。すると彼女はお腹にあなたの子がいると訴えた。しかしクライドは彼女と寝た覚えはない。狂言だと断じて、妹のカサンドラとの婚約を告げた。ショックを受けたアレクサンドラは消えてしまい、そのまま行方知れずとなる。その頃、クライドは我が儘なカサンドラを重たく感じていた。やがて新しい聖女レイラと恋に落ちた彼はカサンドラと別れることにする。その時、カサンドラが言った。「私……あなたに隠していたことがあるの……! 実は私の正体は……――」

妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放されました。でもそれが、私を虐げていた人たちの破滅の始まりでした

水上
恋愛
「ソフィア、悪いがお前との婚約は破棄させてもらう」 子爵令嬢である私、ソフィア・ベルモントは、婚約者である子爵令息のジェイソン・フロストに婚約破棄を言い渡された。 彼の隣には、私の妹であるシルビアがいる。 彼女はジェイソンの腕に体を寄せ、勝ち誇ったような表情でこちらを見ている。 こんなこと、許されることではない。 そう思ったけれど、すでに両親は了承していた。 完全に、シルビアの味方なのだ。 しかも……。 「お前はもう用済みだ。この屋敷から出て行け」 私はお父様から追放を宣言された。 必死に食い下がるも、お父様のビンタによって、私の言葉はかき消された。 「いつまで床に這いつくばっているのよ、見苦しい」 お母様は冷たい言葉を私にかけてきた。 その目は、娘を見る目ではなかった。 「惨めね、お姉さま……」 シルビアは歪んだ笑みを浮かべて、私の方を見ていた。 そうして私は、妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放された。 途方もなく歩いていたが、そんな私に、ある人物が声を掛けてきた。 一方、私を虐げてきた人たちは、破滅へのカウントダウンがすでに始まっていることに、まだ気づいてはいなかった……。

妹と寝たんですか?エセ聖女ですよ?~妃の座を奪われかけた令嬢の反撃~

岡暁舟
恋愛
100年に一度の確率で、令嬢に宿るとされる、聖なる魂。これを授かった令嬢は聖女と認定され、無条件で時の皇帝と婚約することになる。そして、その魂を引き当てたのが、この私、エミリー・バレットである。 本来ならば、私が皇帝と婚約することになるのだが、どういうわけだか、偽物の聖女を名乗る不届き者がいるようだ。その名はジューン・バレット。私の妹である。 別にどうしても皇帝と婚約したかったわけではない。でも、妹に裏切られたと思うと、少し癪だった。そして、既に二人は一夜を過ごしてしまったそう!ジューンの笑顔と言ったら……ああ、憎たらしい! そんなこんなで、いよいよ私に名誉挽回のチャンスが回ってきた。ここで私が聖女であることを証明すれば……。

妹と婚約者が結婚したけど、縁を切ったから知りません

編端みどり
恋愛
妹は何でもわたくしの物を欲しがりますわ。両親、使用人、ドレス、アクセサリー、部屋、食事まで。 最後に取ったのは婚約者でした。 ありがとう妹。初めて貴方に取られてうれしいと思ったわ。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...