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四章 新しい仲間たちの始まり

羞恥の果ての、決断

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 地面に広がる赤い液体。
 その表面を埋め尽くすように現れた無数の人間の口。唇だけでなく、歯や舌まで再現されている。見る者が見れば、その全てがロアの口であることに気付けただろう。

 ロア、望郷のメンバー、従魔たち、全員が息を呑む。
 その表情は、いずれも嫌悪。眉が強くより、頬が引きつっていた。
 二重存在ドッペルゲンガーが身体を変化させ作り出したことはすぐに理解できたが、それよりも嫌悪感が先に立った。
 倒せたと思って和んでいた空気が、一瞬で凍り付いた。

 <ぴぎゃ!!>

 最初に声を上げたのは、ダンジョンの奥底から魔力を通して監視していたグリおじさんだ。
 突然聞こえた情けない悲鳴に、全員が驚いてビクリと肩を震わせた。

 グリおじさんが悲鳴を上げた理由は分かっている。全員が、同じ物を想像していたのだから。
 びっしりと並ぶ口は、密集しているある種の生き物を想像させた。グリおじさんが苦手としている、虫だ。

 「……気持ち悪い……」

 虫のように密集している人間の口。
 コルネリアも耐え切れずに声を上げる。ただ、気持ち悪いと言いながらも目を逸らさずに、敵の動きを監視してるのは流石だ。

 「……これって」
 「「「「「「「「「「舞い散る花弁!」」」」」」」」」」

 クリストフが問い掛けようとした瞬間、口が声を発した。
 だが、しっかりと聞き取れたのは最初だけ。無数の口が次々と違う言葉を吐きだし、混ざり合っていく。

 大人数の宴会会場で一つの会話が聞き取れないと同じに、声の塊の内容は聞き取れない。混じり合った声は重なり、大きな騒音となっていく。
 音は耳だけでなくロアたちの身体の皮膚にまで響き、全身の毛を逆立てた。

 「いったいなんだよ?」

 ディートリヒは動けない。戸惑い、無数の口に視線を這わすだけだ。
 敵意のある攻撃だったら、反射的に行動に出れただろう。だが、口が発しているのは声だけ。攻撃の意図があるのかすら分からない。
 耳の良い双子も、うるささに頭を伏せて前足で耳を押さえてしまっていた。

 「これは、詠唱?歌?」

 顎に手を当て考えながら、ベルンハルトが呟く。魔法が関係しているからか、いつもの小声でなくしっかりとした声だった。
 それを聞いたディートリヒは耳を塞ごうとしていた手を止め、ベルンハルトへと近づいた。

 「詠唱?」
 「ヴァルの補助のおかげか、この雑音の中でもそれぞれの言葉の意味が理解できる。なるほど!魔法を強化するために感覚や理解力も強化してくれているのか!流石だ!やはりヴァルを私の子に……」
 「そ、れ、で!!何なんだよ?」

 暴走しかけたベルンハルトを、語気を強めてディートリヒは軽くたしなめた。

 「いや、私にわかるのは、これが魔法の詠唱のように聞こえるということだけだ。しかし、反撃できないほど魔力を失っている現状で、何か魔法を使えるとは思えないのだが……。グリおじさん様!!」

 少し考えた後、ベルンハルトは声を張り上げてグリおじさんを呼んだ。

 <なんだ?こんなのは苦し紛れ……徒労に過ぎぬ。放置しておけ>
 「嫌な予感がするのです!ドッペルゲンガーはロアの思考を有していました。ロアが、苦し紛れとはいえ無駄な事をするとは思えないのです!」

 ロアは窮地に立たされたからと言って、そう簡単に混乱して無駄な行動をしたりはしない。そのことは、ベルンハルトだけでなく望郷の全員がよく理解していた。むしろ、窮地に立たされるほど、起死回生の手段を思いつくのがロアだ。

 <ならば、小僧に聞けば早い……小僧!?どうした?>

 ロアの思考を再現されたロアの偽者ドッペルゲンガー。その考えを推測するなら、大本であるロアに聞けば早い。
 そう考えて、グリおじさんはロアに意識を向けたようだが、ロアは固まっていた。

 声一つ発せず、顔を真っ赤にして青い魔狼フィーの背に乗ったまま小刻みに震えていた。

 <小僧!どうしたのだ!?ぬかった!これは小僧に向けた攻撃か!!しかし、魔力のない状態でどうやって!?この声に秘密があるのか?>

 グリおじさんの慌てた声が響く。

 <ロア!大丈夫!?>
 <ロア!!>

 グリおじさんの声で双子もロアの状態が正常でないことに気が付いたのだろう。慌てて声を掛けるが、ロアの反応は無い。
 青い魔狼フィーは正気に戻そうと身を捩って揺さ振るが、ロアは固まったまま動かない。

 「ロア!どうした!!」

 ディートリヒは青い魔狼フィーの背に駆け上ると、ロアの耳元で怒気を込めて声を掛けた。ついでに肩を掴んで大きく揺さぶる。

 「え?あ、はい!」

 さすがにそこまでされたら効いたらしく、ロアは正気を取り戻した。だが、顔は真っ赤なままだ。

 「どうしたんだ、ロア?」
 「え?いえ、その……」
 「何があった?」

 ディートリヒは詰め寄るが、ロアはそっと目を逸らした。
 ロアの様子が明らかにおかしい。ドッペルゲンガーの声の影響かと、全員が心配そうにロアを見守った。

 「その、大丈夫です。ちょっと、恥ずかしくて……」

 ロアは言い難そうにしていたが、周りに心配されているのに気付いて、渋々ながら言葉を続けた。

 「恥ずかしい?」
 「……この詠唱は……。オレの失敗作の詠唱で。グリおじさんが詩みたいな詠唱をしてたから、真似をして作ってみたら、膨大な量の詩が出来上がって……。その、自作詩集みたいな感じになってしまって……」
 「ああ、なるほど」

 戸惑いながらも言ったロアの言葉で、望郷のメンバーたちは察した。
 つまり、今のこの状況は、自作詩集を一気に読み上げられているようなものだ。

 ベルンハルトと同じく、ヴァルの補助のあるロアは、複数の口で一気に読み上げられる自作詩集の内容を全て理解してしまったのだろう。
 その結果、恥ずかしさに悶えていたのだった。
 ドッペルゲンガーはロアの記憶を持っている。その中に、詩集があってもおかしくない。

 「とんだ精神攻撃だな」
 
 自作の詩を読み上げられる恥ずかしさは、全員が理解できる。自分の思いを詩や歌にするのは、思春期の熱病のような物だ。大人なら、大半の人間が経験する。
 特に深く同情しているのは、クリストフだった。彼は自作の詩を惚れた女性の送ったことがあった。今それを公開されたら、死を選ぶに違いないだろう。

 「じゃあ、ロアの為にも、さっさとこの不気味な口を潰して回るか」

 ディートリヒは苦笑を浮かべる。自分たちには被害は無さそうだが、ロアの精神的な被害が大きくなる前に、全部潰してやらないといけない。
 ディートリヒは赤い液体ドッペルゲンガーに浮かぶ口に向けて、剣を構えた。

 「あ!」

 だが、剣を振ろうとした時に、突如ロアが叫びを上げた。ディートリヒの手が止まる。

 「ダメだ!!この詠唱は!!グリおじさん、魔力回廊を閉じて!ピョンちゃん!聞いてるよね!魔力を送ってくれてる皆に伝えて!魔力を送らないで!魔力回廊を閉じて!!」
 「ロア、どうしたんだ?」

 慌てて叫び出したロアに、ディートリヒは戸惑う。

 「この詠唱は、詠唱です!強制的に、魔力が奪われてる!!」
 「は?」
 「え?」
 <なに!?>
 <<ロア!!>

 ロアの叫びに反応して口々に返すものの、その声は掻き消される。

 「「「「「「「「「「敵!」」」」」」」」」」

 掻き消したのは、ドッペルゲンガーの声。ロアの言葉で目的を察知されたことに気付いたのだろう。声が響くと同時に、ドッペルゲンガーは動き出した。
 無数の開いた口から、何かが外へと飛び出した。

 それは紙だ。
 表面にびっしりと文字が書かれた、大量のメモ用紙。

 「符術!魔力を補充された!魔法が来ます!フィー防御!!」

 メモ用紙は空を舞い落ちてくる。
 赤い液体となったドッペルゲンガーの表面が波打つ。波は鋭く尖り、無数の触手となる。

 触手は空へと伸び、舞っているメモ用紙一枚一枚に当たった。
 メモ用紙に貼り付いた触手は、まるで獲物を捕るカエルの舌のようだった。

 <壁!ってあれ?>

 青い魔狼フィーは氷の壁を作り出したが、その壁は不完全だった。所々欠けのできた、虫食いのような氷の壁だ。

 「フィー!魔力任せはダメ!魔力操作を丁寧しないと、奪われやすくなるよ!」
 <うん!>

 ロアの指摘に返事はしたものの、氷の壁は不完全なままで正しい形を作り出せない。

 「ヴァル!補助してあげて!」
 <諾>

 ロアの指示にヴァルが即座に反応を返すと、氷の壁はしっかりとした形を作り出し、ロアたちの頭上までを覆った。
 そこに上空に舞ったメモ用紙から雷光ライトニング風の刃ウインドカッターが降り注ぐ。

 間一髪。
 降り注いだ魔法は防がれた。

 しかし、それだけで終わるはずがない。

 <あれあれあれ?>
 <魔力がぬけてく……>

 大人姿だった双子が縮んでいく。見る見る間に小さくなり、ロアが背から降りる間も無く元の子狼の姿に戻ってしまった。急に力を奪われたせいか、双子は地面へと身を伏せた。
 命に別状はないが、大量の魔力を一気に抜かれると一時的に身体に力が入らなくなるのだ。

 <魔力切れ。休眠状態に入ります>

 次に異常が起こったのは魔道石像ヴァルだ。ヴァルは浮かんでいた身体が地面に落ちたかと思うと、そのまま身動き一つしないただの岩の塊となってしまった。

 「これはいったい……。警戒を怠るな。変な口が詠唱しようとしたら潰せ!魔法を撃たせるな!」
 「「「応」」」」

 ディートリヒは困惑しながらも望郷のメンバーたちに指示を飛ばすと、ロアに駆け寄った。

 「ロア、さっき魔力を奪われるって言ってたがどういうことだ?」
 「……あの詠唱はグリおじさんの真似ができないかと思って遊び半分で考えた、魔力を集める魔法です」
 「遊び半分……」

 普段どんな遊びをしてるんだよ。……と言いかけたものの、ディートリヒは口をつぐむ。
 ロアは様々な切っ掛けから色々な事を発想し、試してみるのが好きだ。普通の人には研究や発明などと呼ぶべき行動なのだろうが、ロアにとってはそれが遊びで息抜きなのだろう。生来の生産者だった。

 グリおじさんは魔力を集めて自分の魔力とすることが出来る。他の……妖精王と呼ばれるカラくんですら簡単には真似できない、唯一無二の魔法と言ってもいい。
 さきほどの無数の口の詠唱は、好奇心からロアがそれを何とか再現できないかと考えた物だった。

 「グリおじさんの魔法は予測は出来ても、人間には再現不可能な魔法でした。膨大な魔法式になるし、しかも複数の魔法を組み合わせないと無理で。グリおじさんはたぶん、その複雑さを何とかするために、魔力で魔道具を作るっていう無茶苦茶な方法で対応してるんでしょうけど。とにかく、実現不可能でした。ただ……」
 「ただ?」
 「ヴァルも似たような能力を持っているので、それを参考にして魔法式を考えてみて。でも、集めるというよりは強制的に奪うような魔法になってしまって、使う人間にも悪影響が。それに、複雑な魔法式を組むために多くの並列思考と、詠唱する大量の口が無いと無理で……結局、諦めました」

 ヴァルは周囲の魔力を強制的に集めることはできないが、従魔契約の主や古代遺跡から魔力の供給を受けることが出来る。グリおじさんの魔法そのものの再現は無理と考えたロアは、ヴァルを参考にして魔法を考えた。
 しかし、それはヴァルのような半魔道具の魔獣しか持っていない、同時に数多くの魔法処理できる思考と複数の口が存在しないと無理な魔法になってしまった。
 机上の空論に過ぎず、再現は失敗した。

 だが、それはあくまで人間には不可能だという話だ。自由に形を変えられる半魔道具のヒヒイロカネ……ドッペルゲンガーなら。
 結果はすでに目にした通りだ。

 ダンジョンコアとの繋がりを断たれ、魔力の供給が無くなったドッペルゲンガーは、別の魔力を得る方法を求めたのだろう。そしてロアの記憶の中にそれを見つけたのだ。

 ドッペルゲンガーはカラくんによって生産に関した魔法の知識しか与えられていない。……はずだった。
 だが、魔法に攻撃と生産など、明確な区別はない。どちらに利用できる魔法もある。
 ましてや、魔力を吸収する魔法など、攻撃のための魔法とは思えない。その曖昧さが原因で、この魔法の知識はドッペルゲンガーにも存在していた。

 今考えれば、抵抗なく双子の攻撃をほぼ無抵抗で受け続けていた時点で、不自然だった。きっと、攻撃を受けながら思考と準備をしていたに違いない。
 ドッペルゲンガーは、ロアの諦めの悪さと、したたかさを確実に引き継いでいる。

 「なるほど」

 ディートリヒは頷く。

 「魔力回廊を閉じてもらったので、こちらの魔力を奪ってもさっきみたいな強力な攻撃はできないはずです。ただ、こっちも、ルーとフィーに攻撃を防いでもらうこともできなくなったけど……」

 ロアは敵が他者の魔力を奪える状況で、グリおじさんたちから魔力を受け取り続けるのは悪手だと考えた。だから、魔力回廊を閉じるように指示を出したのだった。

 もしあの時、魔力回廊を閉じていなければ、こちらは魔力を奪われ不完全な魔法しか使えないのに、ドッペルゲンガーは無制限に魔法を使える状況になっていたことだろう。英断だったというしかない。

 ドッペルゲンガーは再度周囲の魔力を集めるために詠唱をしようとしたが、望郷のメンバーたちが何度か剣で口を薙ぎ払うと詠唱を止めた。満足に動けない身体では不利だと考え、次の手段を検討しているのだろう。

 今なら魔法で一気に潰せそうだが、こちらもその魔力が無い。もし魔力回廊を復活させて魔力を受け取れば、あちらに魔力が渡ることになるから魔法を使うことはできない。
 膠着状態だ。

 「結界も魔力を奪われてボロボロ。計画も失敗です」

 そう言ってロアは周囲に目を向ける。
 一番に目に入るのは、結界の壁。魔力を奪われたせいで脆くなっていたのか、先ほどの魔法の余波で上部は崩れ落ちている。完全に遮っていたはずの、冒険者ギルドの建物が見えるほどだ。
 結界の性質からか魔力を奪いきれなかったらしく何とか形は保っているが、魔力の供給は経たれているのだから間もなく消え失せるだろう。
 これ以上の戦いは、周囲に多大な被害を与える可能性が出て来る。

 ロアはディートリヒを見つめる。真剣な目だった。

 「逃げましょう」

 倒し切れる手段がない。これ以上は、望郷のメンバーたちや周囲の人間の命を危険に晒す。
 ドッペルゲンガーが形を保てないほど弱ってる今なら、逃げられる。ロアを見失えば、ドッペルゲンガーも戦いを止める。
 今が止め時だ。ロアは決断した。

 ロアを見失ったドッペルゲンガーは、ダンジョンに戻りロアの偽者としてダンジョンでカラくんと暮らすことになるだろう。カラくんはロアと別れるか、ダンジョンを失う選択をすることになるのだろうが、ある意味、自業自得の結果だ。ドッペルゲンガーはカラくんが作り出したのだから。

 所詮は、ロアの我が儘。カラくんを救いたいという、身勝手なロアの願いで始めたこと。
 ロアが諦めれば、丸く収まる。

 「何を言ってるんだ?」

 ディートリヒが笑みを浮かべる。優しく、そして、力強さを持った、眩しい笑みだった。

 「はい?」
 「この程度で諦めるなんて、ロアらしくないぞ。互いに魔法が使えないなら、オレたちの出番だろ?そうだよな?」
 「「「応っ!!」」」

 望郷のメンバーたちの明るい返事が響いた。

 
 
 

 
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