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四章 新しい仲間たちの始まり

ガラスの、幸運

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 ヴィルドシュヴァイン侯爵家の騎士イヴは、男の上下する胸を見つめていた。

 「豪胆……なのだろうな……」

 その声には感心したような響きも含まれるものの、大半は呆れで占められている。
 恐怖を感じ、苦悩している自分がバカみたいではないか……。そう考えて、イヴは息を吐くと苦笑を浮かべた。

 途端に気分が楽になる。
 感じていた恐怖も消えて、悲観的な考えで靄が掛かったようになっていた頭の中もスッキリした。

 イヴは男の上下している胸から顔へと、視線を移す。
 気持ちよさそうな寝顔。男は石の床に仰向けに寝そべり、熟睡していた。

 呑気過ぎる。そう思いながらも、イヴはなおも男を観察し続ける。
 寝息が漏れている口元は、髭が覆っている。蓄えていると言うより、毛だらけの生き物が寄生しているのではないかと思えるほどに密生している。
 
 あれは髪と同じ手触りなのだろうか?それとも、獣毛のような物だろうか?
 イヴは眠っている男に引きずられるように、呑気にそんなことを考え始めた。

 イヴの身内に髭を蓄えている男性はいなかった。髭の感触は知らない。だから、興味を持ったのだ。

 手触りと言えば、彼女の家では一匹の大型犬を飼っていた。真っ黒な毛並みの狩猟犬だ。
 狩猟の供として有能なのに、家の中ではただ人懐っこいだけの怠惰な犬だった。

 子供の頃のイヴは、その大型犬を撫でるのが好きだった。
 ふわふわとした毛並みながらしっかりとした弾力があり、触れると程よい手ごたえを伝えてくれた。

 ひょっとしたらも、同じような手触りなのではないか?そんな風に考えてしまう。次第に男が長毛種の大型犬のように見えてきた。
 そう言えば、飼っていた大型犬は、家族の前だとあんな風に腹を見せて眠っていたなと、思い出す。

 懐かしい……。
 イヴは二度と家族の元に帰ることは許されない。

 彼女は元ペルデュ王国の瑠璃唐草ネモフィラ騎士団の騎士。
 主である騎士団長アイリーンの命を救うために、身分を捨てる判断をした。死んだことにして名を変え、遂行中の仕事も何もかも投げ出し、ネレウス王国のヴィルドシュヴァイン侯爵領に逃げた。

 騎士の逃亡は死罪だ。生きていると知られれば、そのとがは家族にも及ぶ。
 家族に生存を伝えることすら、許されない。
 飼っていた大型犬を撫でることすら、夢のまた夢でしかない。

 フッと、イヴは短く息を吐く。
 名と身分を捨てた時点で、家族に会えない覚悟はできている。家族以上に大切な存在を救うためだった。今更、後悔はない。
 それでも……懐かしく思う心は止められない。

 イヴの胸中に、男の髭に触れてみたいという衝動が湧き上がって来た。
 彼女自身もそれが、飼っていた大型犬を再び撫でたいという、叶わぬ願いに対する代償衝動だと自覚はしている。それでも、手に入りやすい代償だからこそ、イヴは欲求に飲まれそうになる。

 ……だが、今のイヴは男の髭に触れることも許されない。

 ここは牢屋だ。
 イヴと男は、細い通路を挟んだ別々の牢屋に入れられていた。
 二人の間には二つの鉄格子があり、腕を伸ばしても彼女の手が男の髭に届くことはない。

 「ダース」

 イヴはポツリ呟く。
 眠っている男に呼びかけたわけではない。男の名を言葉にしてみたかっただけだ。触れられないならせめて、名を呼びたかった。わずかに、犬の様に飛び起きて駆け寄ってくれないかと期待する気持ちはあったが。

 だが、男……ダースの耳にその声は届くことはない。気持ちよさそうな顔をして、仰向けで眠り続けている。

 ダースは冷たい石の床をものともせず、眠りこけている。
 牢屋の中という悲惨な状況にもかかわらず、その姿は長年暮らした場所の様に弛緩しきっている。

 イヴはその姿を見て「豪胆」と評したが、実のところ彼は豪胆ではない。

 彼は、無意識の内に、彼が想像する牢に繋がれた罪人を演じているだけだ。
 牢屋の中なのだから、牢屋の中に相応しい態度を取っていた。

 その環境において、望まれるような行動をする。
 皇子という特殊な状況で育てられ生きてきた彼が、生きるために得た特性だ。

 今の彼は、彼が思い浮かべる最も牢屋に相応しい存在……つまるところ、牢名主と呼ばれる囚人のまとめ役を演じていた。馴染んで緩み切っているのは当然だ。

 「私も眠って、体力の温存を図るべきなのだろうな」

 前述のとおり、イヴにはダースが豪胆な男と見えていた。
 そして、眠っているのは、脱獄の機会のために体力を温存していると考えた。
 そうでなければ、牢屋で呑気に眠りこける人間がいるはずがない。イヴが常識的であったからこそ発生した、勘違いだろう。

 勘違いだが、大きくは間違っていない。
 今は寝ているだけで、ダースもちゃんと牢屋から逃げ出す手段を考えている。今は眠くなったから寝ているだけだ。

 ダースにとって囚人とは、脱獄を計画するものだ。
 なにせ、つい最近、ダースの手で牢屋に入れた人間たちに脱獄されたばかりだ。印象に残っている。ロアという錬金術師の少年と、その護衛の剣士の事だが。

 「しかし、脱出の機会はあるのだろうか?あのグリフォンの冒険者パーティーはダンジョンの中だ。救出は、期待できないだろうな」

 イヴは自分の考えをまとめる為に、誰に聞かせるでもなく一人呟く。
 イヴは牢屋に入れられた原因が、アダドまで同行した冒険者パーティーの『望郷』にあると思っていた。

 イヴは望郷の正体を知っている。
 その目的も。

 現状で自分たちが牢屋に入れられるなら、彼らが原因としか思えない。
 明確な戦争状態になっていないとはいえ、敵国扱いされているネレウスの王族や貴族がアダドに侵入したのだ。アダドの人々に疑ってくれと言っているようなものだ。

 「拷問されるのだろうか?」

 牢屋に入れられてから、すでに一日が過ぎている。
 その間、誰からも接触はない。下働きが、無言で水と粗末な食事を運んできただけだ。

 きっと、二人を閉じ込めておいてから、望郷のメンバーたちとの関係や目的を調査しているのだろう。
 調査結果が出れば、尋問と言う名の拷問が始まるはずだ。

 拷問の事を考えて、一度冷静になったイヴの心に、再び恐怖の感情が沸き上がる。
 アダドは軍事国家だ。相手の事情を考慮して手を緩めるような真似はしない。拷問は熾烈を極めるだろう。
 
 イヴは騎士と言っても末端。ダースは何やら秘密があるようだが今は農民だ。
 アダドにとっては、拷問で死んだとしても気に掛ける必要すらない。

 「やはり、ここから逃げ出すしかないな……」

 自分の末路を想像して、あらためて脱獄の覚悟を決めるものの、イヴには手段がない。
 イヴに魔法の才能はない。知略に長けている訳でもない。助けも期待できない。
 
 「……せめて、剣があれば……」

 彼女は長年騎士をやってきたのだから、剣の扱いだけは自信があった。剣があれば、戦える自信はある。
 その思いが、つい口から洩れた。

 だが、宿屋で寝ている間に連れ去られてきたイヴの手元に剣はない。
 服装だって、簡素な部屋着だ。
 ダースはそのまま寝ていたのか普段そのままの服装だが、彼は元から武器は持っていない。

 イヴは、つい漏らしてしまった無い物ねだりの言葉に絶望を深め、自ら眉を寄せる。

 ……その時、異変が起こった。

 <諾。有効範囲は二メートル。魔力不足と貸与契約未成立のため、機能は制限されます>

 告げられる声。
 イヴはその声に反応しない。彼女には聞こえない声だったから。

 同時にイヴの掌に光の粒が集まりだす。

 「え!?なんだ!?」

 イヴは突然起こった現象に慌てて、手を振って払い落とそうとする。しかし、光の粒は離れない。掌が発光しているかのように、纏わり付いている。

 必死に振り払おうとするイヴの手の中で、光の粒は次第に何かの形を作っていく。

 「え?ガラスの剣?」

 イヴは叫ぶと同時に、思わずそれを握り締めた。
 光の粒が作り出したのは、全体が水晶でできたような、淡い黄色をした透き通る長剣だった。
 
 「………………いったい、どこから?」

 しばらく絶句して手の中の剣を見つめた後で、イヴは呆然と呟く。
 幻なのではない。握り締めている掌に、しっかりと実物の感触が伝わってくる。

 間違いなく、その剣は彼女の手の中にあった。

 「……そうか、妖精がいるのか!」

 突然現れた剣を前に悩んでから、イヴはそう結論を出した。

 イヴは望郷の目的を聞いた時に、妖精王について知った。
 妖精王はその名の通り、妖精の王。

 妖精王がどういった者なのか細かな説明は受けていないが、多くの妖精を従えている存在だという認識だけはできた。
 だから、イヴは、アダドはたくさんの妖精がいる場所だと考えていた。
 この不思議な現象は、妖精の仕業だと思ったのだ。

 「なるほど、これが妖精のイタズラなのだな」

 とある国では手に入れた記憶のない物が手元に有ったり、逆に絶対に手に入れたはずの物が見つからない場合など、「妖精にイタズラされた」と言うらしい。
 ただの噂か伝説の様なものだと思っていたが、それをイヴは今まさに体験をした。

 この剣は、イヴの言葉を聞いた妖精が運んで来てくれた魔法の剣のだと確信した。
 妖精は姿を隠す。何もない場所から現れたのもそれが理由だろう。

 「すまない。今はいらない。必要になった時に声を掛けるから、また持ってきてくれるだろうか?」

 今、剣を持っていても何の役にも立たない。むしろ、発見されたら取り上げられてしまう。
 イヴはそう思って、妖精が隠れていそうな空中に向かって呼び掛ける。

 彼女は硝子ガラスの様な頼りない見た目の剣を、使える武器だと判断した。肝心の場面で使えるよう、今は妖精に隠しておいてもらおうと思った。

 だが、まさか、この剣が鉄格子を切り砕いてしまえる強力な武器だとまでは見抜けなかったようだ。
 そして剣を出してくれた相手が妖精などではなく、半魔道具の魔道石像ガーゴイルであったなど気付くはずもない。
 
 <諾>
 
 またイヴには聞こえない声が響き、剣は光の粒に分解されて溶ける様に消えた。

 イブは再び起こった不思議な現象に驚きながらも、剣が消えた掌をきつく握りしめる。
 剣があれば戦える。脱出の機会が作れる。

 思わぬ幸運に、イヴは身体を震わせた。
 
 
 

 

 
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