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四章 新しい仲間たちの始まり

闇と、光明

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 ダースは子供の頃の夢を見ていた。
 物心がついたばかりの、やっと会話ができるようになった頃の夢だ。

 『ダウワース、貴方は皇帝にならねばならぬのです』

 自分の指先すら見えない闇の中、母の声が響き渡る。
 幾度聞いた言葉だろう。子供時代は乳母の子守歌よりも頻繁に聞かされた言葉だった。

 ダースは皇子だった。
 アダドの第三皇子ダウワース。それが、彼の本名だ。もっとも、兄たちの策略でもう死んだことになっている。
 今はただの平民。ネレウス王国の騎士に助けられ、農作業に従事している。

 『うぐっ……ははうえぇ……ゆるしてぇ!』

 夢の中のダースは、泣き叫んでいた。
 漆黒の闇の中、助けてくれる誰かを探していた。

 自分の涙で濡れた冷たい石の床。その上を、這いずり回る。
 だが、硬い石の手触り以外は何も感じられない。

 ああ、また閉じ込められたんだと、ダースはぼんやりと考えた。

 彼の母はダースを皇帝にすることだけを夢見ていた。
 そのため、ダースを厳しく育て、甘えることを許さなかった。

 少しでも甘えたことをすれば、真っ暗な倉庫に閉じ込めて、滔々とダースが皇帝にならねばならぬ理由を固く閉じた扉の向こうで語った。

 今考えれば、物置小屋程度の小さな倉庫だったのだろう。
 だが、当時の身体も小さく動作も拙いダースには、どこまで這いまわっても床以外が手を触れることのない、広大な闇の中に閉じ込められたように感じていた。

 そんな中に母の説教だけが響き渡るのだ。
 幼かったダースには恐怖でしかなかった。

 その恐怖は、ダースが母の思う通りの人間にならない限り繰り返された。

 だから、ダースは母の言いなりになる人間となった。

 『貴方は皇帝にならねばならないのです。お父様を見習いなさい』

 母の言葉がまた暗闇に響く。
 ダースの頭にひたすら刷り込まれた言葉だ。

 父……。
 それは、ダースの父を指していない。皇子であるダースの父は皇帝だ。父などと呼ばれる存在ではない。皇帝は皇帝だ。
 父とは母の父。つまりは、祖父の事だ。

 最初の頃はダースも皇帝になるなら皇帝を見習うべきではないかと疑問に思ったが、そんな考えも闇が与える恐怖に溶けて消えた。

 どちらにしても、ダースにとって母も父も皇帝も祖父も記号でしかない。
 従うべき相手に付いている記号だ。それ以上でも以下でもない。呼び方などどうでもいい。

 世間では母や父や祖父は愛を感じる大事な血縁らしいが、そんなものをダースは感じたことが無い。
 従うべき相手かどうか。彼の人生に重要なのはそれだけだった。

 母の父……祖父もまた、ダースに恐怖を与える存在だった。
 祖父は苛烈な性格をしていた。

 自分より下の存在は人間として扱わず、機嫌を損なえば切り殺しても良い存在だと考えていた。実際に、返り血を浴びる距離で祖父に切り殺される人間を何人も見た。
 最初はダースは怯えたが、次第に慣れて眉一つ動かさなくなった。

 ダースはそんな祖父を、母の言いつけ通りに見習った。
 見習って行動する度に乳母が苦言を呈して来たが、ダースはそれを喜んだ。

 乳母が忠告して来る顔が、祖父の周りにいた人間たちとそっくりだったからだ。
 頬を引きつらせ、眉を寄せ、顔色は青く、唇を震わせている。
 そんな表情を見る度に、自分が母の望み通り祖父に近付いていると感じて嬉しかった。

 母の言葉に従って、祖父の様に生きて、皇帝になる。
 そこに迷いはない。

 ただ……まったく揺らいだことが無いかと言えば、嘘になる。
 それは、軍に入ってすぐの青年時代のことだ。

 アダドでは皇子と言っても、軍に入ってすぐは下っ端の仕事を経験する。
 研修の様なものだが、その間はたいして地位も高くない上官の命令に従って行動することになる。

 『ありがとう!』

 その言葉を発したのは、下級の兵士だっただろうか?
 今となっては、よく覚えていない。
 確か、上官の命令に従って、雑用をした時にかけられた言葉だったはずだ。

 ただ、その言葉を聞いた瞬間の驚きだけは覚えている。

 いつも通り……母や祖父に従うように、上官に従って行動しただけなのに……それなのに、かけられた感謝の言葉。

 その時、ダースの考えは揺らいだ。
 母の言葉通りに、祖父の様に生きることが正しいのか迷いが生じた。

 だが、それは一瞬。
 次の瞬間には記憶の中の暗闇が押し寄せ、その迷いを飲み込み消してしまった。
 揺らぎはなくなり、彼はその後も母が望んだ生き方を貫いた。

 貫いたはずだった……。

 「……ス……」

 声が聞こえる。
 母のものとは違う、温かい女性の声。

 「ダ………ス……」

 抑えつけるのではなく、包んでくれるような声。
 声は、心配げに繰り返されているようだった。

 「ダース!!」
 「……ん?」

 ひと際大きく名を呼ばれ、ダースはゆっくりと目を開く。
 開いたが、すぐに眩しさに目を閉じる。

 「あさ?」
 「ダース!!」
 「えっ!?イヴ?」

 聞こえてきた声に、一気に目が覚めてダースは跳び起きた。
 同時に、両手で自分の身体に触れて衣服の乱れを確かめる。

 「……なにをしている?」
 「え、いや、その……」

 目を覚ました瞬間にイヴの声が聞こえる状況。真っ先にダースが思い浮かべたのは、自分とイヴが一線を超えてしまったのではないかということだった。

 記憶はないが、女騎士であるイヴには好意を持っている。
 ひょっとしたら、酔った勢いででもやらかしてしまったのかと考えたのだった。

 「大丈夫か?」
 「……ここは?」

 ダースはどう答えようかと悩んだ末に、話題を変えることにした。
 周囲を見渡せば、見慣れた場所である。

 ただし、ダースが見慣れていたのは内部からではなく、外からだが。

 「我々は、捕まったのか?」

 そこは、牢屋だった。
 石造りの壁に通路側には鉄格子がはまっている。窓もない。寝床もなく、申し訳程度に便所代わりの壺が隅に置かれている。
 風が入らないせいか、石の床はじっとりと湿っていた。

 なるほど、この石の床で寝ていたせいで、昔の夢を見てしまったのだろう。

 ダースは多くの人間を牢に入れたことはあったが、自分が入るのは初めてだ。
 こんな風に絶望的な気持ちになる場所だったのかと、自分自身の過去の悪行を思い起こした。

 ここに連れて来られた記憶はない。最後の記憶は、宿屋の寝床で眠ったところだ。
 だが、牢屋に入っているということは、寝ているところを薬を使われたか気絶させられて運んでこられたのだろう。
 だとすると、自分の油断の結果に違いない。

 「そのようだな」

 苦々しく答えたイヴは、細い通路を挟んで反対側の牢屋にいた。
 二人の間には、数メートルの距離と鉄格子があった。イヴも寝ていたところを捕まったのか、簡素な部屋着だった。

 ダースは悔いた。
 ダースはこの国、アダドの元皇子だ。しかも、すでに死んだことになっている皇子だ。
 生きていると分かれば、不都合に感じる人間も多い。
 それに、多くの人間から恨まれている自覚もある。なにせ、祖父を見習って狂皇子と呼ばれるほどに悪逆非道な行為をしていたのだから。

 今のダースは皇子時代と違って顔は髭に覆われ、伸びた髪を適当にまとめているだけの暑苦しい見た目だ。
 服も清潔にはしているものの、以前着ていた高級品とはかけ離れている。

 威厳を保つために常に背を逸らさんばかり胸を張ってた姿勢も、ここしばらく従事していた農作業で背中を丸める癖がついてしまった。同じく農作業で肌は健康的に日に焼けている。
 なにより、傲慢な雰囲気が一切なく、鋭かった目も柔らかな物に変わっていた。

 顔見知りどころか、親しくしていた人間であっても同一人物と気付くはずがない。

 そう思っていたが、誰かに気付かれて捕まってしまったらしい。
 自分の認識の甘さが原因だろう。

 「……すまない」

 気付けば、イヴに向かって謝罪の言葉を述べていた。
 だが、ダースの謝罪の言葉を聞いたイヴは、不思議そうに首を傾げた。

 「何を謝っている?むしろ、私が謝らねばならないだろう。こちらの事情に巻き込んで申し訳ない」
 「え?巻き込む?何に?」
 「それは……。騎士として任務ついて詳しく話すわけにはいかないのだが……私が護衛してきた人たちの正体がバレたのではないかと思う……」

 イヴにしては歯切れの悪い返答をされ、ダースはボサボサの髭を撫でながら考える。

 どうやらイヴたちにはイヴたちなりの事情があったらしい。
 それも、知られればアダドに捕まるほどの事情が。

 そう言えば、ダースとイヴが同行してきた連中は、どこから見ても怪しげな連中だった。

 「そうか……」

 とりあえず、ダースが原因ではない可能性も出て来た。
 どうするべきか……。と、考えたが、結論は出ていた。

 「逃げられないかな?」

 逃げるべきだろう。
 軍国主義のアダドでも、普通の罪であれば、しっかりと罪状を告げて連行される。
 その後に調査され、罪を確定する。

 こんな風に誘拐の様な真似をして捕まったということは、騒ぎを起こして表沙汰にしたくない内容ということだ。宿屋の人間にすら、知られたくなかったに違いない。
 通常ではありえない、超法規的処置だ。

 理由がどうであれ、それは変わらない。

 そして、ダースの知識に照らし合わせれば、そんな風に捕まった時点で、処刑されるのは決定しているようなものだった。
 いったん牢に入れられたのは、背後関係を探るためか、何らかの情報を聞き出すためか。いずれにしても拷問されるだろう。
 そして、最終的に始末されるのだ。

 逃げ出す以外の選択はなかった。

 ダースは逃げ出す手段を考える。皇子時代の経験を総動員して、関連しそうな内容を絞り出す。
 そう言えば……。

 「はどうやって牢屋から逃げ出したのだろう……?」

 ダースはまだ記憶に新しい、彼自身が捉えて牢に入れた少年の事を思い出して呟いた。

 「あの少年?」
 「あ、いや。その、ちょっとした知り合いの錬金術師の少年が牢から逃げ出した話を思い出して……」
 「錬金術師の少年!?」

 イヴがやけに驚いた声を上げたが、ダースは考えに没頭して気付かなかった。
 あの少年は、いつの間に牢から逃げ出していた。あの牢はここと違って魔法封じも施された牢だった。そう簡単に逃げ出せたはずがない。

 いったい、どうやって……。
 
 「……その錬金術師の少年とは、どのような少年だ?」
 「やたらチャラチャラした見た目の冒険者と一緒だったな。そうか、あの男が牢破りの技術を持っていたのかも……」

 あの時は逃げ出したという報告は聞いたが、逃げ出した方法までは聞いていなかった。
 詳しく聞いておけば、今ここから逃げ出す手助けになったかもしれないのに。

 逃げ出されたことに激昂して詳しい報告を聞かなかった、あの時の自分をダースは悔いた。

 「そういや、グリフォンが……。いや、その前に逃げていたか……」
 「ぐりふぉん!!?」

 やけに大声でイヴが叫んだのを聞いて、ダースは彼女に目を向ける。
 イヴは叫んでしまった自分の口を押えると、目を向けたダースからサッと目を逸らした。

 「どうかし……」
 「いや!なんでもない!!気にするな!!そうだ!私も知り合いの話を思い出しただけだ!それだけだ!!気にしてくれるな!!」

 どうかしたのかと、尋ねる途中で言葉を被せられ拒絶される。
 よほど慌てたのか、真っ赤になって両手を振って否定する姿が怪しい……と同時に、ダースの目には可愛らしく見えた。

 いつも騎士然として落ち着いた行動をしていたイヴだ。
 慌てている姿は新鮮で、年相応の女性の様に見えた。

 その姿が、ダースはとてつもなく愛おしく感じた。鉄格子が無ければ抱きしめたいほどに。

 ダースは眩しい物を見るように、目を細めた。

 「……とにかく、逃げ出す手段を考えないとな……」

 ダースは誤魔化すように呟きながら背を丸めて、赤くなってくる顔をイヴから隠したのだった。



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