43 / 246
3巻
3-11
しおりを挟む
「ロアはどうして私たちにここまで優しくしてくれるんでしょう……?」
色々な疑問があり過ぎて、考え過ぎた結果、真っ先に口から出てしまったのがこれだった。
それは素朴な疑問だった。それに対して、ブルーノは眉を寄せる。
「身内だからに決まってんだろ?」
彼は何をバカなことを言ってるんだ? とばかりに言い放った。
「みうち?」
「身内だろ? 従魔の下僕の仲間だからな」
「はい?」
身内と言われ、友情などの単語が出てくるかと思っていたので、突然の下僕という言葉にコルネリアは戸惑う。
「従魔の下僕」と言われて、真っ先にグリおじさんの顔が浮かんだ。確かにグリおじさんから訓練を受けているが、下僕になった覚えはない。
ベルンハルトは半分下僕になりかけているが、それでも弟子と師匠くらいの関係だろう。どちらにしても、ブルーノはベルンハルトと会ったことはないし、グリおじさんとの関係について聞いてもいないはずだった。
「あの図体だけのバカ……嬢ちゃんたちのリーダーが双子の下僕だろうが?」
「はいいい!?」
予想外の発言に、コルネリアは思わず叫んだ。そのせいで、直後にブルーノが言った「なんだよ、双子から聞いてないのかよ」という小さな呟きはかき消される。
「あいつの太腿に双子の足跡の焼き印が付いてただろう? ありゃ、魔獣の下僕紋だ。魔法の効果はない、ちょっとした印だけどな。気に食わないやつがいたら付けてやれって、オレが教えた」
「……」
「オレが嬢ちゃんたちに武器を作る気になったのもアレのおかげだぞ? オレの弟子の身内なら、オレの身内でもあるからな。双子に感謝しとけよ」
衝撃の事実に、コルネリアは膝から崩れ落ちた。
ほぼ一週間前の出来事が思い出される。
ブルーノは殴りかかってきたディートリヒを殴り返して気絶させた。そして、ズボンとパンツを脱がせて恥ずかしい格好にしてから叩き出そうとしたのだが、その時に双子が付けた肉球形の火傷痕を発見したのだった。
すると急に大笑いし、直後からやけに対応が優しくなった。
あれはブルーノが『下僕紋』を発見したことで望郷のメンバーをロアの身内と認めて、対応が変わったということなのだろう。
血の気が引いて、目眩がしそうになるのをコルネリアは何とか耐えた。
「弟子の従魔の下僕のパーティーメンバーだから、オレが一番上で、嬢ちゃんたちが最下層だな。ま、よろしく頼むわ!」
追い討ちのように言われて、コルネリアは耐え切れずに床に手をつき、ガックリと項垂れた。あまりの落ち込みっぷりに、近くにいた黒髪ツリ目の幼女が見かねて、思わずコルネリアの頭を優しく撫でたほどだ。
この衝撃の事実のせいで、コルネリアの頭にあったブルーノへの疑問は、全て吹っ飛んでしまったのだった。
第十一話 調査団との旅路
城塞迷宮調査団と合流後、ロアと従魔たちは隊列の一番後ろに付いて行くことになった。
先頭は瑠璃唐草騎士団の騎馬で、続いて騎士団長ことアマダン伯爵令嬢の馬車、その後ろに臨時で組み込まれた騎士たちときて、物資が乗っている馬車と魔術師が数人乗っているだけの数台の馬車、歩兵、最後尾がロアと従魔たちだ。それも歩兵がグリおじさんに対して怯えるため、間を数百メートル空けて付いて行った。
数時間経ち、街から離れた辺りで隊列が組み直される。
全ての歩兵たちが魔術師と共に数台の馬車に乗りこみ、それが先頭となり、騎士に前後左右を守られる形でアマダン伯爵令嬢の馬車が続く。その後ろに物資の馬車。そして、ロアと従魔たちが変わらず最後尾だった。
どうも最初の隊列は、勇敢に戦地へと出かける姿を周囲に見せるためのものだったらしい。アマダン伯爵令嬢が見栄を張ったということなのだろう。
一番危険な先頭に自らの騎士団と馬車を置くことで武勇を示したかったようだが、途中から歩兵を馬車に乗せたり、隊列を組み直したりするくらいなら、最初からやらなければ良いのにと、ロアたちは呆れた。そもそも城塞迷宮調査団のことは街の人間には告知されておらず、住民たちはまた伯爵令嬢が妙なことをやっているくらいにしか思っていなかった。
とにかく、歩兵が馬車に乗り、ロアたち以外に歩いている者がいなくなったことで、一気に進む速度は速くなった。
しかし、そこで問題が起こった……。
「グリおじさん! お願い! 背中に乗せて!」
〈嫌だと言っているであろう! 我を馬のように扱うとは不遜過ぎるぞ!〉
「ケチ!」
〈ケチではない! 我ほど寛容な者などおらぬ!〉
「昔はよく乗せてくれたのに!」
〈昔は昔だ! あれは幼子のように泣きそうになっていた小僧を慰めてやっていただけだ!〉
ロアとグリおじさんが言い争っていた。
発端は、歩兵たちが馬車に乗り込む際に、ロアもその馬車に乗り込むことになったことだ。
ロアも一度馬車に乗ったのだが、中は狭く、座っているのがやっとで、まるで売りに出される前の家畜の輸送のような状況だった。
さらに馬車の中の雰囲気がやたらと暗い。誰一人として口を利かず、項垂れて暗い目で一点を見つめている。中には泣き出しそうになっている者までいた。それは城塞迷宮に行く自分たちの運命を悟ったためだった。
城塞迷宮は言わば死地。そこに行くということは死を覚悟しろということだ。
さらに、率いているのが戦闘では無能な瑠璃唐草騎士団なのだから、全滅確定と言っても良い。グリフォンを従魔にした冒険者に協力させると聞いてわずかな希望を持ったが、来たのがひ弱な少年だったのだから、絶望するのも仕方ないことだろう。
そんな理由で、歩兵たちはこれ以上ないくらい落ち込んでいた。
深海並に暗くて重い馬車内の雰囲気と狭さにロアは耐え切れなくなり、馬車を降りて従魔たちと行動を共にすることにしたのだった。
降りたのはいいが、ロアの歩く速度では馬車に追いつけるわけがなく、走って行くにしても限界がある。回復薬の飴があるので体力的には何とかなるが、飴も無限ではないので節約したい。それで思いついたのが、グリおじさんの背中に乗せてもらうことだった。
「見栄っ張り! 双子の前で良い格好したいだけの癖に!」
〈な……何を……〉
「双子に見られてるから、恥ずかしいんでしょ?」
〈そっ、そんなわけが〉
「双子が来てから頬ずりとかで甘えてくれなくなったし! だいたい、寝る時に布団代わりにしても平気なくせに、何で背中に乗せるのは嫌なんだよ!」
〈ぬ……あ……あれはだな。その、そうだ! あれは我が小僧たちを湯たんぽにしてるだけだ! 抱き枕だ! 我が小僧を利用しているのだ! 問題ない!〉
「何そのヘリクツ!」
従魔たちと共に馬車を追いかけて走りながら、ロアが叫ぶ。ロアたちの前には物資の馬車しかないため、誰にも言い争っている姿は見られていないが、それでもその声は隊列の中ほどまでに届いていた。
「あの者は一人で何をやっているのだ? 遊びだとでも思っているのか?」
女騎士の一人が口をとがらせて不満げに呟く。
グリおじさんの声が聞こえるのがロアだけな以上、周りの人間にはロアが従魔相手に一人で騒いでいるようにしか聞こえない。疑わしく思うのも当然だろう。
「あのような子供の協力を仰ぐとは、領主様は何を考えておられるのか……」
「まあまあ、ブリジット、そういきり立つな」
馬上で一人怒りの声を上げている女騎士に、不意に声がかかった。ブリジットと呼ばれたその女騎士が声の方を振り向くと、後ろで馬を進めていた別の女騎士が近づいてくるのが見えた。
「クラリッサ、しかしだな、あのような者を同行させていては、我らの質が問われるぞ!」
「私も不満がないわけではないが、領主様の命令だ。同行させるしかないだろう?」
「それはそうなのだが」
そのまま二人の女騎士……ブリジットとクラリッサは馬を並べて進む。
「グリフォンを従えている以上、子供のように見えても優れた従魔師なのだろう。長くなる旅だ、しばらく様子を見ようではないか」
「……だが……」
クラリッサに窘められ、ブリジットは口を歪めた。不満を隠そうとしないブリジットに、クラリッサは苦笑を浮かべる。彼女は素直に感情を表す同僚を、面倒と思いながらも好ましく感じていた。
「団長殿も色々考えておられるようだ。その判断に従おう」
「名誉ある任務をあのような者に汚されるとは……」
歩兵たちや臨時に組み込まれた騎士たちと違い、アマダン伯爵令嬢を始めとする瑠璃唐草騎士団のメンバーは、この任務を名誉だと思っている。行く先が死地であることは理解しているが、自分たちであれば切り抜けられるという根拠のない自信を持っていた。
この無意味な自信を持った原因は、今までの戦いで誰一人欠けずに生き残ってきたことにあるのだが、その陰で多くの冒険者や兵士が死に、彼女たちの生還を支えていたことは理解していない。誰も彼女たちに教えていなかったのだから当然だ。
団長が貴族であり、その直下に置かれている騎士団員に口出しできる者は少なかった。さらに宴席の警護や貴族の護衛として重宝され、持ち上げられ続けていたのだから誤解させるには十分だった。
まさか、団長の父親であり、騎士団を作った張本人である伯爵が、彼女たちを処分したくてこの調査を命じたなど、露ほども考えていなかったのである……。
同じ頃。コルネリア以外の望郷のメンバーたちもまた馬車で移動していた。
アマダン伯領からまっすぐに城塞迷宮を目指しているロアたちと違い、望郷は一旦西を目指している。
彼らの国であるネレウス王国は城塞迷宮に直接面している土地はないが、周辺国ということで、中立地帯になっている城塞迷宮とその周辺地域の管理に力を貸している。
面している土地がないネレウス王国の人間が城塞迷宮に向かう場合、どうしても他国を通らなければいけなくなるため、入るための場所が限定されていた。望郷のメンバーたちはその場所を目指していたのだった。
「ほらよ!」
怒気を孕んだ声と同時に、丸められた布が飛び、ディートリヒの頭にぶつかった。
「……何だよ」
馬車に揺られながら剣の手入れをしていたディートリヒは、布が飛んできた方向を睨みつける。その視線を真っ向から、投げつけたクリストフが受け止めた。
「何だよとは何だよ! 繕ってやったんだから、ありがとうだろ! 一カ月も穴が開いたズボンを放置しやがって! 挙句に自分では縫えないから縫ってくれだ!? ガキかよ!」
クリストフは不機嫌だった。
「城塞迷宮みたいな危険地帯に行くのをその場の勢いで決めやがって。あげくに手続きはオレに全部丸投げで! たった五日で死ぬ気で本国と交渉して書類を全部揃えて、やっと馬車の中でゆっくりできると思ったら、ズボンを繕えだ!? バカじゃねーの? ちょっと権力持ってるからと思って好き勝手してんじゃねーよ! 巻き込まれる人間の苦労も考えろ!!」
彼は吐き捨てるように言う。この五日間、クリストフは寝る間も惜しんで望郷が城塞迷宮に行くための手配をしていた。
ネレウス王国との窓口はクリストフだ。交渉できる手段を持っているのは、クリストフしかいない。許可書申請のための書類の書式も彼しか知らない。
そのため、その手続きはほぼ彼一人に丸投げになっていた。
ほぼと言っても、ディートリヒがしたことと言えば、書類にサインをしたくらいだろうか。実質、完全丸投げと言っても良い。
もちろん、手続き以外の準備は他のメンバーもやっていたが、それでも多くはクリストフの担当となる。
ディートリヒたち他の三人も旅の間や戦闘では役に立つが、準備となると大ざっぱで信頼できない。クリストフ以外は物資は全部多目に持っていけば良いだろう、馬や馬車は高いのを借りておけば問題ないだろうという考え方をするのだから、彼としては頭が痛い。
放っておけば余計な物を大量に買いこみ、旅に向かない見た目だけが良い高級馬と高級馬車が準備されることになってしまう。
おかげで、ただでさえ忙しい合間を縫って、旅に必要な物の準備もクリストフがやっていた。
コラルド商会の伝手を使って準備ができたおかげで何とか間に合ったが、そうでなければ準備が終わらないまま出発することになっていただろう。
そしてやっと出発し、馬車の中でゆっくりしようと思った途端、ディートリヒに穴が開いたズボンを繕って欲しいと言われたのである。ブチ切れない方がおかしい。
それでも繕い終わってから文句を言い出すのが、チャラい外見をしながらも変に真面目なクリストフらしい。
「ブルーノさんの所に剣を受け取りに行くのだって、リーダーが行ければ問題なかったんだよ! 考えなしに殴りかかったせいで、それもコルネリア任せじゃねぇか! いくらあいつが強いからって、女の一人旅とかありえねーよ!」
「……それは、剣の仕上がりがどうしても今日になるからって……」
「剣一本作るのにどんだけ時間がかかると思ってんだ? 五日で剣三本とナイフが仕上がるとか、バケモノみたいな早さだぞ! 常識なさ過ぎんだろ! むしろ旅に間に合ったのが奇跡だよ! オレが行ければ良かったが、疲れてるだろうって気を使われたら任せるしかないだろう! マジで疲れてたんだから!」
キレたクリストフに、ディートリヒは困惑する。しかし、彼の言葉通り、急に決まった城塞迷宮行きも、ブルーノの工房にディートリヒが一人で顔を出せないのも、穴の開いたズボンを一カ月も放置して繕わせたのも、間違いなく自分が原因のため言い訳の言葉が見つからない。それに、言い訳してもさらに火に油を注ぐ結果になるだけだろう。
彼は大きく肩を落としながらも、手入れしていた剣を片付け、早くクリストフの気が収まるようにと大人しく説教を受ける姿勢を作った。
「もういいオッサンなんだから、書類仕事も覚えろよ! バカなオレでもできたんだから、覚える気になりゃ覚えられるだろ! いつまでもフラフラしやがって、国を支える準備しろよ! 針仕事も覚えろよ! 何が細かい作業は苦手だよ! 人任せにしてるからいつまでたってもできないだけだろ」
「……確かにその通りなんだが…………何だコレ!?」
クリストフの話を聞きながら適当に相槌を打ちつつ、転がったズボンに何気なく手を伸ばした時だった。繕われたズボンを見て、ディートリヒが叫んだ。
「リーダーにはそれがお似合いだ!」
驚く姿を見て、勝ち誇るようにクリストフが笑う。
クリストフが繕っていたズボンは、ディートリヒの愛用のものだった。
魔獣由来の良い生地が使われ、丈夫で動きやすく通気性も良い。普段着にしている軽い布とは段違いの性能で、戦闘用の、お気に入りの一着だ。先のアルドンの森事件の時にも穿いており、その時に穴が開いた物だった。
その穴というのは、双子の魔狼が魔法を使って太腿に肉球スタンプをし、片方を焼き、片方を凍らせて開けた穴だった。
つまり、肉球形の穴だ。
「てめえ、何考えて……」
ディートリヒがズボンを前に突き出して広げる。
そこには、真っ赤な当て布をされ、穴の形そのままに縫い付けられた肉球模様があった。真っ赤な肉球の足跡が、左右の太腿の部分に三つずつ、キレイに並んでいる。
「へっ、双子といちゃいちゃするのが好きなダメリーダーにはお似合いだよ!」
「……許さねぇ……!」
「嬉しいだろ? かわいいかわいい双子の足跡だもんな? これでいつも一緒だぜ?」
「殺す……」
二人して、凶悪な笑みを浮かべて睨み合う。そして、馬車の中で殴り合いが始まった。
そんな中、ベルンハルトは御者台に座り、一人馬を操っていた。
先ほどまでの叫び声も、今の殴り合いの音も聞こえてはいるが、彼は表情を変えることすらない。真っ直ぐに進行方向を見つている。
「緊張感がないな」
ポツリ、そう呟いただけだった。
結局、ロアは双子の魔狼の背中に交互に乗せてもらうことにした。グリおじさんと違い、双子は頼めばすぐに乗せてくれたのだ。
見た目だけだと、双子の身体はロアを乗せるには小さく見えるが、その小さな身体は馬などよりも遥かに大きな力を秘めている。ロアを乗せても普段とまったく変わらない動きができる。
むしろ、ロアを背に乗せたことではしゃぎ、あちこち走りまくるせいで背に乗るロアが疲れたくらいだった。
はしゃぎまくる双子を抑えようとロアが騒いだために、騎士たちからはまた遊んでいると勘違いされたのだが、ロアは気付いていない。そんなロアと双子に、グリおじさんが仲間外れにされたようなどこか寂しげな視線を向けていたのにも、気付いていない。
そして初日の行軍は問題なく進み、夕刻。
ロアたちと城塞迷宮調査団は最初の野営をすることになる。まだペルデュ王国内で、進んでいる街道の周囲にも村や小都市があり、宿を取ることも簡単だったが、団長であるアマダン伯爵令嬢が冒険に拘ったため、野営をする羽目になってしまったのだった。
事情を知らないロアは、わざわざ体力を消耗する野営をすることに疑問を持ったものの、それでも何か事情があるのだろうと大人しく従う。
調査団の者たちは、街道沿いに整備されている比較的安全な野営場に馬車を停め、簡易的に設えられている馬繋場に馬を繋いで野営の準備を始める。
「あのー」
そこへ、ロアが声をかけた。
「何だ?」
返事をしたのはその場を取り仕切っているらしい、女騎士の一人だ。ロアは知らないが、瑠璃唐草騎士団のドローレスという名の女騎士だった。
「野営の……」
「お前は一人でやれ! 同行を許されたからと甘えるな! 騎士団は冒険者となれ合うつもりはない!」
ロアが口を開いた途端、ドローレスはキツイ口調でハッキリと言い放つ。その言葉にロアは困惑しつつも何か言おうとしたが、結局は「はい……」と小さく言っただけで、トボトボと野営地の外れの方に歩いて行った。
「大方寝床や食事を集ろうとしたのだろう。ずうずうしいやつだ」
ドローレスはロアの背中に唾でも吐くように呟きをぶつけたが、ロアには届かなかった。
もちろん、ロアは寝床や食事を集ろうとしたわけではない。むしろ、野営の準備を手伝おうと思って声をかけたのだった。ロアの目から見ても、調査団の手際は悪かった。
兵士たちはやる気がなさそうに動いているし、ドローレスの指示も悪い。このまま進めても、野営の準備が終わるまでに辺りは暗くなっているだろう。それから食事の準備を始めたのでは、ろくな食事も作れない。見るに見かねて声をかけたのだが、勘違いされてしまったらしい。
仕方がなしに、ロアは一人で野営の準備を始めた。
兵士たちがグリおじさんに怯えるため、調査団のいる場所から離れた野営地の外れでロアは準備を始める。野営場に設置されている竃は調査団が使用するだろうからと、適当な石を拾ってきて簡易の竃を作る。
「わふ!」
「わふ!」
竃ができた頃に双子の魔狼が薪を拾ってきた。ロアは別に指示していないが、いつものことなので自然と役割分担ができている。
〈これを丸焼きにせよ。香草焼きがいい〉
ロアが魔法で火をおこし終わった頃に、グリおじさんがどこからともなく現れて、ロアの前に獲物の山を作る。虹色雉という大型の鳥だ。ロアの上半身ほどの大きさがあり、長い尾羽も入れるとロアより大きい。魔獣ではなく動物で、羽根が美しく、肉が淡白で美味しい鳥だった。
それが五羽もいる。野営地に着くまではロアと一緒に行動していたのだから、このわずかな時間で狩ってきたのだろう。
「今から? 解体に時間がかかるよ? 今日は持ってきた肉を焼こうと思ったんだけど……まあ、いいか。血抜きはしてね」
一瞬ロアは考えたが、どうせ調査団の方も食事の準備が遅れるだろうからと、了承した。
〈血抜きは済ませてきた。内臓は忘れずスープにするのだぞ?〉
「はいはい」
しっかり血抜きも済ませてくるあたり、グリおじさんもロアとの野営に慣れ切っている。早速、ロアは虹色雉の解体を始めた。
ロアは時間がかかると言ったが、それはあくまでロアの感覚での話だ。実際はかなり早い。
解体と言っても、グリおじさんが丸焼きを希望したので羽根を毟って内臓を取るだけだ。素材として使えるように丁寧に羽根を毟り、肛門周辺を切って穴を開け、そこから内臓を傷つけないように引きずり出す。首や足先など、そのまま食べられない部分は切り落とした。
五羽分、全ての解体が終わっても、まだ調査団の方はテントを張り終えておらず、焚火や竃の火すらおこせていない状態だった。
「グリおじさんが二羽で、双子が一羽ずつ、オレはモモ肉だけでいいか……」
ロアはそう呟きながら、丸ごとの虹色雉には内臓を抜いた穴に蒸した芋を潰した物を詰め、大量の香草と、従魔たちでも食べられる程度の少量の塩と香辛料を擦り込んでいった。
芋と香草は街から持ってきたものだ。料理の材料はすぐに使える状態にしてから、魔法の鞄に入れて持ってきている。
そして、簡易の竃に網を乗せて遠火で焼き始めたのだが、その時になってもまだ調査団の野営の準備は終わっていない。
立ち上る煙。鳥の脂の焦げる匂いが辺りに立ちこめ、調査団の方にも広がっていく。
「焼け具合を見ててね」
ロアが双子に言うと、双子は大きく頷いた。グリおじさんはと言うと、すでに適当な木の下で寝そべっている。手伝う気はないらしい。
ロアは今度はスープに取り掛かる。鍋に切り取った首や足先などを入れて出汁をとる。
塩と香辛料で従魔用に薄く味を整えて、肝臓などの内臓を軽く叩いて団子にして入れた。汚物の入っている消化器官などはもちろん入れておらず、人間でも美味しく食べられる部位だけだ。仕上げに色々な香味野菜を大量に入れる。
〈む、野菜はいらぬぞ〉
グリおじさんの声が聞こえるが、無視だ。その頃には周囲一帯に幸せな匂いが広がっていたが、調査団の方はやっとテントなどの野営の準備を終え、火をおこし終わったところだった。
色々な疑問があり過ぎて、考え過ぎた結果、真っ先に口から出てしまったのがこれだった。
それは素朴な疑問だった。それに対して、ブルーノは眉を寄せる。
「身内だからに決まってんだろ?」
彼は何をバカなことを言ってるんだ? とばかりに言い放った。
「みうち?」
「身内だろ? 従魔の下僕の仲間だからな」
「はい?」
身内と言われ、友情などの単語が出てくるかと思っていたので、突然の下僕という言葉にコルネリアは戸惑う。
「従魔の下僕」と言われて、真っ先にグリおじさんの顔が浮かんだ。確かにグリおじさんから訓練を受けているが、下僕になった覚えはない。
ベルンハルトは半分下僕になりかけているが、それでも弟子と師匠くらいの関係だろう。どちらにしても、ブルーノはベルンハルトと会ったことはないし、グリおじさんとの関係について聞いてもいないはずだった。
「あの図体だけのバカ……嬢ちゃんたちのリーダーが双子の下僕だろうが?」
「はいいい!?」
予想外の発言に、コルネリアは思わず叫んだ。そのせいで、直後にブルーノが言った「なんだよ、双子から聞いてないのかよ」という小さな呟きはかき消される。
「あいつの太腿に双子の足跡の焼き印が付いてただろう? ありゃ、魔獣の下僕紋だ。魔法の効果はない、ちょっとした印だけどな。気に食わないやつがいたら付けてやれって、オレが教えた」
「……」
「オレが嬢ちゃんたちに武器を作る気になったのもアレのおかげだぞ? オレの弟子の身内なら、オレの身内でもあるからな。双子に感謝しとけよ」
衝撃の事実に、コルネリアは膝から崩れ落ちた。
ほぼ一週間前の出来事が思い出される。
ブルーノは殴りかかってきたディートリヒを殴り返して気絶させた。そして、ズボンとパンツを脱がせて恥ずかしい格好にしてから叩き出そうとしたのだが、その時に双子が付けた肉球形の火傷痕を発見したのだった。
すると急に大笑いし、直後からやけに対応が優しくなった。
あれはブルーノが『下僕紋』を発見したことで望郷のメンバーをロアの身内と認めて、対応が変わったということなのだろう。
血の気が引いて、目眩がしそうになるのをコルネリアは何とか耐えた。
「弟子の従魔の下僕のパーティーメンバーだから、オレが一番上で、嬢ちゃんたちが最下層だな。ま、よろしく頼むわ!」
追い討ちのように言われて、コルネリアは耐え切れずに床に手をつき、ガックリと項垂れた。あまりの落ち込みっぷりに、近くにいた黒髪ツリ目の幼女が見かねて、思わずコルネリアの頭を優しく撫でたほどだ。
この衝撃の事実のせいで、コルネリアの頭にあったブルーノへの疑問は、全て吹っ飛んでしまったのだった。
第十一話 調査団との旅路
城塞迷宮調査団と合流後、ロアと従魔たちは隊列の一番後ろに付いて行くことになった。
先頭は瑠璃唐草騎士団の騎馬で、続いて騎士団長ことアマダン伯爵令嬢の馬車、その後ろに臨時で組み込まれた騎士たちときて、物資が乗っている馬車と魔術師が数人乗っているだけの数台の馬車、歩兵、最後尾がロアと従魔たちだ。それも歩兵がグリおじさんに対して怯えるため、間を数百メートル空けて付いて行った。
数時間経ち、街から離れた辺りで隊列が組み直される。
全ての歩兵たちが魔術師と共に数台の馬車に乗りこみ、それが先頭となり、騎士に前後左右を守られる形でアマダン伯爵令嬢の馬車が続く。その後ろに物資の馬車。そして、ロアと従魔たちが変わらず最後尾だった。
どうも最初の隊列は、勇敢に戦地へと出かける姿を周囲に見せるためのものだったらしい。アマダン伯爵令嬢が見栄を張ったということなのだろう。
一番危険な先頭に自らの騎士団と馬車を置くことで武勇を示したかったようだが、途中から歩兵を馬車に乗せたり、隊列を組み直したりするくらいなら、最初からやらなければ良いのにと、ロアたちは呆れた。そもそも城塞迷宮調査団のことは街の人間には告知されておらず、住民たちはまた伯爵令嬢が妙なことをやっているくらいにしか思っていなかった。
とにかく、歩兵が馬車に乗り、ロアたち以外に歩いている者がいなくなったことで、一気に進む速度は速くなった。
しかし、そこで問題が起こった……。
「グリおじさん! お願い! 背中に乗せて!」
〈嫌だと言っているであろう! 我を馬のように扱うとは不遜過ぎるぞ!〉
「ケチ!」
〈ケチではない! 我ほど寛容な者などおらぬ!〉
「昔はよく乗せてくれたのに!」
〈昔は昔だ! あれは幼子のように泣きそうになっていた小僧を慰めてやっていただけだ!〉
ロアとグリおじさんが言い争っていた。
発端は、歩兵たちが馬車に乗り込む際に、ロアもその馬車に乗り込むことになったことだ。
ロアも一度馬車に乗ったのだが、中は狭く、座っているのがやっとで、まるで売りに出される前の家畜の輸送のような状況だった。
さらに馬車の中の雰囲気がやたらと暗い。誰一人として口を利かず、項垂れて暗い目で一点を見つめている。中には泣き出しそうになっている者までいた。それは城塞迷宮に行く自分たちの運命を悟ったためだった。
城塞迷宮は言わば死地。そこに行くということは死を覚悟しろということだ。
さらに、率いているのが戦闘では無能な瑠璃唐草騎士団なのだから、全滅確定と言っても良い。グリフォンを従魔にした冒険者に協力させると聞いてわずかな希望を持ったが、来たのがひ弱な少年だったのだから、絶望するのも仕方ないことだろう。
そんな理由で、歩兵たちはこれ以上ないくらい落ち込んでいた。
深海並に暗くて重い馬車内の雰囲気と狭さにロアは耐え切れなくなり、馬車を降りて従魔たちと行動を共にすることにしたのだった。
降りたのはいいが、ロアの歩く速度では馬車に追いつけるわけがなく、走って行くにしても限界がある。回復薬の飴があるので体力的には何とかなるが、飴も無限ではないので節約したい。それで思いついたのが、グリおじさんの背中に乗せてもらうことだった。
「見栄っ張り! 双子の前で良い格好したいだけの癖に!」
〈な……何を……〉
「双子に見られてるから、恥ずかしいんでしょ?」
〈そっ、そんなわけが〉
「双子が来てから頬ずりとかで甘えてくれなくなったし! だいたい、寝る時に布団代わりにしても平気なくせに、何で背中に乗せるのは嫌なんだよ!」
〈ぬ……あ……あれはだな。その、そうだ! あれは我が小僧たちを湯たんぽにしてるだけだ! 抱き枕だ! 我が小僧を利用しているのだ! 問題ない!〉
「何そのヘリクツ!」
従魔たちと共に馬車を追いかけて走りながら、ロアが叫ぶ。ロアたちの前には物資の馬車しかないため、誰にも言い争っている姿は見られていないが、それでもその声は隊列の中ほどまでに届いていた。
「あの者は一人で何をやっているのだ? 遊びだとでも思っているのか?」
女騎士の一人が口をとがらせて不満げに呟く。
グリおじさんの声が聞こえるのがロアだけな以上、周りの人間にはロアが従魔相手に一人で騒いでいるようにしか聞こえない。疑わしく思うのも当然だろう。
「あのような子供の協力を仰ぐとは、領主様は何を考えておられるのか……」
「まあまあ、ブリジット、そういきり立つな」
馬上で一人怒りの声を上げている女騎士に、不意に声がかかった。ブリジットと呼ばれたその女騎士が声の方を振り向くと、後ろで馬を進めていた別の女騎士が近づいてくるのが見えた。
「クラリッサ、しかしだな、あのような者を同行させていては、我らの質が問われるぞ!」
「私も不満がないわけではないが、領主様の命令だ。同行させるしかないだろう?」
「それはそうなのだが」
そのまま二人の女騎士……ブリジットとクラリッサは馬を並べて進む。
「グリフォンを従えている以上、子供のように見えても優れた従魔師なのだろう。長くなる旅だ、しばらく様子を見ようではないか」
「……だが……」
クラリッサに窘められ、ブリジットは口を歪めた。不満を隠そうとしないブリジットに、クラリッサは苦笑を浮かべる。彼女は素直に感情を表す同僚を、面倒と思いながらも好ましく感じていた。
「団長殿も色々考えておられるようだ。その判断に従おう」
「名誉ある任務をあのような者に汚されるとは……」
歩兵たちや臨時に組み込まれた騎士たちと違い、アマダン伯爵令嬢を始めとする瑠璃唐草騎士団のメンバーは、この任務を名誉だと思っている。行く先が死地であることは理解しているが、自分たちであれば切り抜けられるという根拠のない自信を持っていた。
この無意味な自信を持った原因は、今までの戦いで誰一人欠けずに生き残ってきたことにあるのだが、その陰で多くの冒険者や兵士が死に、彼女たちの生還を支えていたことは理解していない。誰も彼女たちに教えていなかったのだから当然だ。
団長が貴族であり、その直下に置かれている騎士団員に口出しできる者は少なかった。さらに宴席の警護や貴族の護衛として重宝され、持ち上げられ続けていたのだから誤解させるには十分だった。
まさか、団長の父親であり、騎士団を作った張本人である伯爵が、彼女たちを処分したくてこの調査を命じたなど、露ほども考えていなかったのである……。
同じ頃。コルネリア以外の望郷のメンバーたちもまた馬車で移動していた。
アマダン伯領からまっすぐに城塞迷宮を目指しているロアたちと違い、望郷は一旦西を目指している。
彼らの国であるネレウス王国は城塞迷宮に直接面している土地はないが、周辺国ということで、中立地帯になっている城塞迷宮とその周辺地域の管理に力を貸している。
面している土地がないネレウス王国の人間が城塞迷宮に向かう場合、どうしても他国を通らなければいけなくなるため、入るための場所が限定されていた。望郷のメンバーたちはその場所を目指していたのだった。
「ほらよ!」
怒気を孕んだ声と同時に、丸められた布が飛び、ディートリヒの頭にぶつかった。
「……何だよ」
馬車に揺られながら剣の手入れをしていたディートリヒは、布が飛んできた方向を睨みつける。その視線を真っ向から、投げつけたクリストフが受け止めた。
「何だよとは何だよ! 繕ってやったんだから、ありがとうだろ! 一カ月も穴が開いたズボンを放置しやがって! 挙句に自分では縫えないから縫ってくれだ!? ガキかよ!」
クリストフは不機嫌だった。
「城塞迷宮みたいな危険地帯に行くのをその場の勢いで決めやがって。あげくに手続きはオレに全部丸投げで! たった五日で死ぬ気で本国と交渉して書類を全部揃えて、やっと馬車の中でゆっくりできると思ったら、ズボンを繕えだ!? バカじゃねーの? ちょっと権力持ってるからと思って好き勝手してんじゃねーよ! 巻き込まれる人間の苦労も考えろ!!」
彼は吐き捨てるように言う。この五日間、クリストフは寝る間も惜しんで望郷が城塞迷宮に行くための手配をしていた。
ネレウス王国との窓口はクリストフだ。交渉できる手段を持っているのは、クリストフしかいない。許可書申請のための書類の書式も彼しか知らない。
そのため、その手続きはほぼ彼一人に丸投げになっていた。
ほぼと言っても、ディートリヒがしたことと言えば、書類にサインをしたくらいだろうか。実質、完全丸投げと言っても良い。
もちろん、手続き以外の準備は他のメンバーもやっていたが、それでも多くはクリストフの担当となる。
ディートリヒたち他の三人も旅の間や戦闘では役に立つが、準備となると大ざっぱで信頼できない。クリストフ以外は物資は全部多目に持っていけば良いだろう、馬や馬車は高いのを借りておけば問題ないだろうという考え方をするのだから、彼としては頭が痛い。
放っておけば余計な物を大量に買いこみ、旅に向かない見た目だけが良い高級馬と高級馬車が準備されることになってしまう。
おかげで、ただでさえ忙しい合間を縫って、旅に必要な物の準備もクリストフがやっていた。
コラルド商会の伝手を使って準備ができたおかげで何とか間に合ったが、そうでなければ準備が終わらないまま出発することになっていただろう。
そしてやっと出発し、馬車の中でゆっくりしようと思った途端、ディートリヒに穴が開いたズボンを繕って欲しいと言われたのである。ブチ切れない方がおかしい。
それでも繕い終わってから文句を言い出すのが、チャラい外見をしながらも変に真面目なクリストフらしい。
「ブルーノさんの所に剣を受け取りに行くのだって、リーダーが行ければ問題なかったんだよ! 考えなしに殴りかかったせいで、それもコルネリア任せじゃねぇか! いくらあいつが強いからって、女の一人旅とかありえねーよ!」
「……それは、剣の仕上がりがどうしても今日になるからって……」
「剣一本作るのにどんだけ時間がかかると思ってんだ? 五日で剣三本とナイフが仕上がるとか、バケモノみたいな早さだぞ! 常識なさ過ぎんだろ! むしろ旅に間に合ったのが奇跡だよ! オレが行ければ良かったが、疲れてるだろうって気を使われたら任せるしかないだろう! マジで疲れてたんだから!」
キレたクリストフに、ディートリヒは困惑する。しかし、彼の言葉通り、急に決まった城塞迷宮行きも、ブルーノの工房にディートリヒが一人で顔を出せないのも、穴の開いたズボンを一カ月も放置して繕わせたのも、間違いなく自分が原因のため言い訳の言葉が見つからない。それに、言い訳してもさらに火に油を注ぐ結果になるだけだろう。
彼は大きく肩を落としながらも、手入れしていた剣を片付け、早くクリストフの気が収まるようにと大人しく説教を受ける姿勢を作った。
「もういいオッサンなんだから、書類仕事も覚えろよ! バカなオレでもできたんだから、覚える気になりゃ覚えられるだろ! いつまでもフラフラしやがって、国を支える準備しろよ! 針仕事も覚えろよ! 何が細かい作業は苦手だよ! 人任せにしてるからいつまでたってもできないだけだろ」
「……確かにその通りなんだが…………何だコレ!?」
クリストフの話を聞きながら適当に相槌を打ちつつ、転がったズボンに何気なく手を伸ばした時だった。繕われたズボンを見て、ディートリヒが叫んだ。
「リーダーにはそれがお似合いだ!」
驚く姿を見て、勝ち誇るようにクリストフが笑う。
クリストフが繕っていたズボンは、ディートリヒの愛用のものだった。
魔獣由来の良い生地が使われ、丈夫で動きやすく通気性も良い。普段着にしている軽い布とは段違いの性能で、戦闘用の、お気に入りの一着だ。先のアルドンの森事件の時にも穿いており、その時に穴が開いた物だった。
その穴というのは、双子の魔狼が魔法を使って太腿に肉球スタンプをし、片方を焼き、片方を凍らせて開けた穴だった。
つまり、肉球形の穴だ。
「てめえ、何考えて……」
ディートリヒがズボンを前に突き出して広げる。
そこには、真っ赤な当て布をされ、穴の形そのままに縫い付けられた肉球模様があった。真っ赤な肉球の足跡が、左右の太腿の部分に三つずつ、キレイに並んでいる。
「へっ、双子といちゃいちゃするのが好きなダメリーダーにはお似合いだよ!」
「……許さねぇ……!」
「嬉しいだろ? かわいいかわいい双子の足跡だもんな? これでいつも一緒だぜ?」
「殺す……」
二人して、凶悪な笑みを浮かべて睨み合う。そして、馬車の中で殴り合いが始まった。
そんな中、ベルンハルトは御者台に座り、一人馬を操っていた。
先ほどまでの叫び声も、今の殴り合いの音も聞こえてはいるが、彼は表情を変えることすらない。真っ直ぐに進行方向を見つている。
「緊張感がないな」
ポツリ、そう呟いただけだった。
結局、ロアは双子の魔狼の背中に交互に乗せてもらうことにした。グリおじさんと違い、双子は頼めばすぐに乗せてくれたのだ。
見た目だけだと、双子の身体はロアを乗せるには小さく見えるが、その小さな身体は馬などよりも遥かに大きな力を秘めている。ロアを乗せても普段とまったく変わらない動きができる。
むしろ、ロアを背に乗せたことではしゃぎ、あちこち走りまくるせいで背に乗るロアが疲れたくらいだった。
はしゃぎまくる双子を抑えようとロアが騒いだために、騎士たちからはまた遊んでいると勘違いされたのだが、ロアは気付いていない。そんなロアと双子に、グリおじさんが仲間外れにされたようなどこか寂しげな視線を向けていたのにも、気付いていない。
そして初日の行軍は問題なく進み、夕刻。
ロアたちと城塞迷宮調査団は最初の野営をすることになる。まだペルデュ王国内で、進んでいる街道の周囲にも村や小都市があり、宿を取ることも簡単だったが、団長であるアマダン伯爵令嬢が冒険に拘ったため、野営をする羽目になってしまったのだった。
事情を知らないロアは、わざわざ体力を消耗する野営をすることに疑問を持ったものの、それでも何か事情があるのだろうと大人しく従う。
調査団の者たちは、街道沿いに整備されている比較的安全な野営場に馬車を停め、簡易的に設えられている馬繋場に馬を繋いで野営の準備を始める。
「あのー」
そこへ、ロアが声をかけた。
「何だ?」
返事をしたのはその場を取り仕切っているらしい、女騎士の一人だ。ロアは知らないが、瑠璃唐草騎士団のドローレスという名の女騎士だった。
「野営の……」
「お前は一人でやれ! 同行を許されたからと甘えるな! 騎士団は冒険者となれ合うつもりはない!」
ロアが口を開いた途端、ドローレスはキツイ口調でハッキリと言い放つ。その言葉にロアは困惑しつつも何か言おうとしたが、結局は「はい……」と小さく言っただけで、トボトボと野営地の外れの方に歩いて行った。
「大方寝床や食事を集ろうとしたのだろう。ずうずうしいやつだ」
ドローレスはロアの背中に唾でも吐くように呟きをぶつけたが、ロアには届かなかった。
もちろん、ロアは寝床や食事を集ろうとしたわけではない。むしろ、野営の準備を手伝おうと思って声をかけたのだった。ロアの目から見ても、調査団の手際は悪かった。
兵士たちはやる気がなさそうに動いているし、ドローレスの指示も悪い。このまま進めても、野営の準備が終わるまでに辺りは暗くなっているだろう。それから食事の準備を始めたのでは、ろくな食事も作れない。見るに見かねて声をかけたのだが、勘違いされてしまったらしい。
仕方がなしに、ロアは一人で野営の準備を始めた。
兵士たちがグリおじさんに怯えるため、調査団のいる場所から離れた野営地の外れでロアは準備を始める。野営場に設置されている竃は調査団が使用するだろうからと、適当な石を拾ってきて簡易の竃を作る。
「わふ!」
「わふ!」
竃ができた頃に双子の魔狼が薪を拾ってきた。ロアは別に指示していないが、いつものことなので自然と役割分担ができている。
〈これを丸焼きにせよ。香草焼きがいい〉
ロアが魔法で火をおこし終わった頃に、グリおじさんがどこからともなく現れて、ロアの前に獲物の山を作る。虹色雉という大型の鳥だ。ロアの上半身ほどの大きさがあり、長い尾羽も入れるとロアより大きい。魔獣ではなく動物で、羽根が美しく、肉が淡白で美味しい鳥だった。
それが五羽もいる。野営地に着くまではロアと一緒に行動していたのだから、このわずかな時間で狩ってきたのだろう。
「今から? 解体に時間がかかるよ? 今日は持ってきた肉を焼こうと思ったんだけど……まあ、いいか。血抜きはしてね」
一瞬ロアは考えたが、どうせ調査団の方も食事の準備が遅れるだろうからと、了承した。
〈血抜きは済ませてきた。内臓は忘れずスープにするのだぞ?〉
「はいはい」
しっかり血抜きも済ませてくるあたり、グリおじさんもロアとの野営に慣れ切っている。早速、ロアは虹色雉の解体を始めた。
ロアは時間がかかると言ったが、それはあくまでロアの感覚での話だ。実際はかなり早い。
解体と言っても、グリおじさんが丸焼きを希望したので羽根を毟って内臓を取るだけだ。素材として使えるように丁寧に羽根を毟り、肛門周辺を切って穴を開け、そこから内臓を傷つけないように引きずり出す。首や足先など、そのまま食べられない部分は切り落とした。
五羽分、全ての解体が終わっても、まだ調査団の方はテントを張り終えておらず、焚火や竃の火すらおこせていない状態だった。
「グリおじさんが二羽で、双子が一羽ずつ、オレはモモ肉だけでいいか……」
ロアはそう呟きながら、丸ごとの虹色雉には内臓を抜いた穴に蒸した芋を潰した物を詰め、大量の香草と、従魔たちでも食べられる程度の少量の塩と香辛料を擦り込んでいった。
芋と香草は街から持ってきたものだ。料理の材料はすぐに使える状態にしてから、魔法の鞄に入れて持ってきている。
そして、簡易の竃に網を乗せて遠火で焼き始めたのだが、その時になってもまだ調査団の野営の準備は終わっていない。
立ち上る煙。鳥の脂の焦げる匂いが辺りに立ちこめ、調査団の方にも広がっていく。
「焼け具合を見ててね」
ロアが双子に言うと、双子は大きく頷いた。グリおじさんはと言うと、すでに適当な木の下で寝そべっている。手伝う気はないらしい。
ロアは今度はスープに取り掛かる。鍋に切り取った首や足先などを入れて出汁をとる。
塩と香辛料で従魔用に薄く味を整えて、肝臓などの内臓を軽く叩いて団子にして入れた。汚物の入っている消化器官などはもちろん入れておらず、人間でも美味しく食べられる部位だけだ。仕上げに色々な香味野菜を大量に入れる。
〈む、野菜はいらぬぞ〉
グリおじさんの声が聞こえるが、無視だ。その頃には周囲一帯に幸せな匂いが広がっていたが、調査団の方はやっとテントなどの野営の準備を終え、火をおこし終わったところだった。
227
お気に入りに追加
31,912
あなたにおすすめの小説
もふもふ相棒と異世界で新生活!! 神の愛し子? そんなことは知りません!!
ありぽん
ファンタジー
[第3回次世代ファンタジーカップエントリー]
特別賞受賞 書籍化決定!!
応援くださった皆様、ありがとうございます!!
望月奏(中学1年生)は、ある日車に撥ねられそうになっていた子犬を庇い、命を落としてしまう。
そして気づけば奏の前には白く輝く玉がふわふわと浮いていて。光り輝く玉は何と神様。
神様によれば、今回奏が死んだのは、神様のせいだったらしく。
そこで奏は神様のお詫びとして、新しい世界で生きることに。
これは自分では規格外ではないと思っている奏が、規格外の力でもふもふ相棒と、
たくさんのもふもふ達と楽しく幸せに暮らす物語。
幼馴染の彼女と妹が寝取られて、死刑になる話
島風
ファンタジー
幼馴染が俺を裏切った。そして、妹も......固い絆で結ばれていた筈の俺はほんの僅かの間に邪魔な存在になったらしい。だから、奴隷として売られた。幸い、命があったが、彼女達と俺では身分が違うらしい。
俺は二人を忘れて生きる事にした。そして細々と新しい生活を始める。だが、二人を寝とった勇者エリアスと裏切り者の幼馴染と妹は俺の前に再び現れた。
冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判
七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。
「では開廷いたします」
家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。
彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。
父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。
わー、凄いテンプレ展開ですね!
ふふふ、私はこの時を待っていた!
いざ行かん、正義の旅へ!
え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。
でも……美味しいは正義、ですよね?
2021/02/19 第一部完結
2021/02/21 第二部連載開始
2021/05/05 第二部完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。