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3巻

3-6

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「とにかくだな、オレを師匠と呼んでくれれば、嬢ちゃんに戦槌ウォーハンマーを作ってやるって言ってんだよ! 素直に呼べ!」
「でも……」
「うー……一回、一回だけでいいからな、一回なら良いだろ? そうだ、そっちのチャラチャラしたのにも暗殺者刀アサシンナイフを作ってやる! どうだ?」

 暗殺者刀アサシンナイフの言葉が出た時に、クリストフが動揺したように身を震わせたが、一瞬だったため誰にも気付かれなかった。

「あの、どうして戦槌ウォーハンマー暗殺者刀アサシンナイフなんですか?」

 コルネリアが思わず聞いた。コルネリアたちはまだ誰も武器の依頼をしていないし、どちらかと言えば、コルネリアが欲しいのは剣なのだ。
 アルドンの森での出来事があったため、確かに戦槌ウォーハンマーも欲しいと思っていたが、優先順位は低い。剣がダメならナイフが欲しく、その次くらいに戦槌ウォーハンマーが欲しいと思っていた。

「なんだ? 嬢ちゃんも自分で武器を選びたいのか? わがままだな」
「はい?」

 ブルーノの言っていることの意味が分からない。

「師匠は使う者の身体を見て、作る武器や防具を決めるんです。体格や鍛え方で職業の予想はつきますし、一番効率良く、負担もなく、役に立つ武器が分かりますからね。師匠が指定した武器を使った方が良いですよ。それがお客様方に一番合った武器です」

 ソフィアがブルーノの言葉を補足する。コルネリアはそれで、武器がすでに決められていることに納得した。
 ……納得はしたのだが、受け入れられない。コルネリアは剣の鍛錬をかなり積んでいるのだ。それを全否定された気分になった。戦槌ウォーハンマーも使ったことは当然あるが、予備武器程度で得意武器というわけではない。
 自分で選べないなら、作ってもらわなくても良いかな……。
 彼女はそう思い始める。これはプライドの問題だ。使う武器を鍛冶屋に決められてしまうなど、戦士として許せる話ではない。

「別のものを作ってもらうわけには?」
「嫌だぞ?」

 ブルーノは考える間もなく、きっぱりと言い切った。そしてまたソフィアが補足する。

「師匠のように失礼が全裸で歩いているような男が、他人の意見を聞くわけないでしょう……師匠に意見できる人間は、この国にも数人しかいませんよ。国王ですら無理でしたから。おかげでギルドから追い出されましたけどね」
「はあ……」

 国王に逆らったのが本当なら、よくギルドを追い出されただけで済んだものだ。殺されていないのが不思議なくらいだ。

「まあ、目の前に一人、いますけどね……手紙一つでナイフを作らせた男が」

 ソフィアはため息をつきながら、横目でロアを見た。

「師匠に言うことを聞かせたいなら、何らかの実力を見せることですね。動物みたいなものですから、実力を認めたらあんな風に懐いてくれますよ?」

 ブルーノはすでにコルネリアに興味をなくしたのか、「一回で良いから!」と叫びながらロアとの交渉を再開していた。その姿は確かに、エサ欲しさに必死に主人のご機嫌を取る動物のようだった。

「その実力というのは……」
「何でも良いんですよ。武力でも知能でも度胸どきょうでも美貌びぼうでも。ただ、かなり難しいですよ。お客様でしたら……美貌でチャレンジしてみますか?」

 コルネリアはその言葉に眉を吊り上げ、引き攣った笑みを浮かべた。ここには武器を作ってもらいたくて来ているのだ。それなのに冒険者としての、戦士としての実力ではなく外見で勝負しろと言われているのだから、気分を悪くしない方がおかしい。

「私は冒険者だから!」
「でも、師匠には手も足も出ないと思いますよ。クズですが、無駄に強いですからね。お客様程度ではちょっと……」
「はあ?」
「この国の騎士団長でも、望む武器は作ってもらえませんからね」

 つまり、騎士団長ですら、相手にならなかったということだろう。勝つことが条件かどうかは分からないが、少なくとも、認められるレベルではなかったらしい。

「……そんなに強いの……?」
「ええ、ですから、別のことでチャレンジされるのが一番かと。とりあえず、長い黒髪が好きですから、髪を染めてみますか? 男を蹴り飛ばすくらいの荒っぽい性格も好きですから、そちらは問題なさそうですね。ツリ目ならもっと良かったんですが……」

 そこまで話を聞いて、望郷のメンバーたちは嫌なことに気が付く。ここにいる女性たちは、ブルーノの好みに合わせて集められたに違いない。

「……変態」

 コルネリアは思わず呟いた。ソフィアはそれに強く頷く。

「そうなんですよ。自分好みの外見の孤児を拾って来ては、弟子や下働きにしてるんですからね。クズで変態です。でも衣食住問題なく面倒を見てくれていますし、眺めるだけで手は出してこないので安心してください。私が何度誘惑しても……いえ、何でもありません」
「はあ……」

 不純な動機とはいえ、孤児を拾って育てているのなら悪い人ではない、かもしれない。たぶん。
 コルネリアは、自分にそう言い聞かせた。

「だぁああ!! じゃあ、お前にももう一本ナイフを作ってやるよ! それで良いだろ!?」
「ですから、そういう問題ではないでしょ?」

 急に、ブルーノが吠えた。交渉が難航しているらしい。たった一言にこだわるブルーノも変だが、その一言を絶対に言おうとしないロアも頑固だ。
 こちらの方にも、コルネリアは納得できない。戦士が命を預ける武器より、ロアの一言の方が大事という扱いだからだ。

「包丁! 包丁ならどうだ? どんな肉でも切れて、手入れが最低限で済む肉切り包丁を作ってやる。だからな、一回だけ、一回だけで良いから」
「えっ……」

 かたくなだったロアの表情に迷いが見えた。同じ刃物でも包丁などの家庭用の物は、武器を作れるほどの腕がない鍛冶師や、見習いが練習に作る物だと認識されている。一流の人間が作ることなど滅多にない。それが手に入るとなって、ロアの心が揺れた。それを好機と思ったのか、ブルーノが歯を剥きだして笑む。

「嬢ちゃんに戦槌ウォーハンマー、チャラチャラしたやつに暗殺者刀アサシンナイフ、お前に包丁! それで決定だな! 良いよな? な?」
「うーん」
「あのー。私、もういいです」
「オレも、いいかな……」

 話が決まりかけたところに、コルネリアとクリストフが声を上げた。
 素晴らしい技術で自分の武器を作ってもらえるなら、多少バカにされても我慢するつもりだった。これが喧嘩を吹っ掛けられたり、作る代わりに自分自身に何かを要求されたり、腕試しをされるようなことであれば、検討の余地もあっただろう。
 しかし、自分で作る武器を選べない挙句、戦士としての自分を無視され、命を懸ける武器がロアの一言より軽く見られては耐えられたものではない。

「なっ! いまさら何言ってんだ! オレに武器を作ってもらいたかったんだろ?」

 ブルーノが叫ぶ。彼の肩で、まだぶら下がっていた双子の魔狼がぶらりと大きく揺れた。

「さすがに、この扱いは……」
「そうですよね。不快にしてすみません」

 なぜかロアが謝った。ブルーノを止められず、話が完全に妙な方向に流れてしまったことに、責任を感じているらしい。
 これがグリおじさんなら、脅すなりして悪くない方向に話を進められるのだが、ブルーノだと強引な手段に出られない。妙な関係になっているが、ブルーノは同等ではなく敬うべき相手なのだ。

「おいおいおい。勝手に話を終わらせるなよ! 弟子が師匠と呼んでくれるかどうかがかかってるんだぞ? 一回呼ばせて、あとはなし崩しに本当の弟子にするオレの計画が台なしだろ!!」
「……そんなこと考えてたんですか……」

 一回『師匠』と呼んだくらいで、なし崩しとはいえ本当の弟子になるとは思えない。ロア自身が認めていないのだから、無理だろう。しかし、ロアは怖いものを感じた。ブルーノであれば、ロアが想像もつかない手段を用いる可能性がある。

「見苦しいですよ、師匠。まあ、見た目からして見苦しいのですから、相応ふさわしい態度だとも言えますけど。でも、そろそろロアくんに嫌われちゃいますよ?」
「ぐっ……」

 ソフィアは醜態しゅうたいを晒すブルーノを見て、楽しそうに笑みを浮かべた。

「それでも足掻あがくなら、お二人の代わりにそちらのイモムシさんの武器を作ってあげることにしてはどうです?」

 ソフィアは縛られ、猿ぐつわを噛まされているディートリヒを指した。ディートリヒはブルーノとソフィアに怒りの視線を向けていた。目は血走り、縄を解こうと必死になっていたために全身の筋肉は膨らんで紅潮こうちょうしている。
 目の前で大事な仲間がバカにされたのだから、彼が許すわけがない。その姿を見て、ロアは縛っておいて良かったと胸を撫で下ろした。

「バカは嫌いだと言ってるだろ。そいつに作るなら……そうだな、そいつの持ってる気持ちの悪い剣を潰させろ。新しい剣の材料にしてやる」
「ぐーーーーぉおおお!」

 ブルーノが言い放つと、ディートリヒが激しく暴れた。
 ギッと、彼を縛っている縄が悲鳴を上げる。今までも怒っていたものの、新しい武器が欲しいコルネリアとクリストフの気持ちを尊重して多少は我慢していたのだ。
 しかし、武器よりプライドを取るという二人の意思を確認した今では、もう我慢する必要もない。さらに、大事な剣をバカにされて、彼の怒りは頂点に達した。
 ブチッと、乾いた音を立てて縄が千切れる。同時に、ブルーノに向かって殴りかかっていた。
 ……次の瞬間、床に伸びていたのはディートリヒの方だった。


 アマダンの街の冒険者ギルドの一室で、ギルドマスターは頭を抱えていた。ギルドマスターに相応ふさわしい重厚な机に肘をつき、一点を見つめている。その原因は、目の前にある一枚の命令書だ。
 書かれていることは二つ。
 まず、城塞迷宮シタデルダンジョンの調査が、このアマダン伯領主導で行われることになったこと。
 それは仕方がないだろう。この街にグリフォンが飛来したことをきっかけに、グリフォンの巣である城塞迷宮シタデルダンジョンに異常がないか調査することになったのだ。発端ほったんなのだからこの街に押し付けられることは十分に予測できた。冒険者ギルドが何らかの協力を求められることも、当然、予測の範疇はんちゅうだ。
 飛来したグリフォンについては、状況的に元・勇者パーティーの暁の光の従魔だったという結論になっている。しかし確証はなく、城塞迷宮シタデルダンジョンから飛来した可能性も捨て切れない以上は、調査をするしかないだろう。
 だが、もう一つの命令の目的が分からない。

「従魔がグリフォンだからって、単純過ぎるんじゃねぇか?」

 ギルドマスターが唸るように呟く。命令書にあるもう一つの事項は、この街で最近有名になったロアという万能職に、指名依頼をしろというものだった。
 城塞迷宮シタデルダンジョンの調査団への同行。それがその指名依頼の内容だった。依頼主はこの街の領主のアマダン伯爵となっている。

「しかしなぁ……」

 軽く伸びをし、椅子の背に身体を預けると、ギルドマスターは命令書を指で摘まみ上げて眉間に深い皺を作った。しっかりとした作りの椅子が、ギシリと音を立てる。
 城塞迷宮シタデルダンジョンは、元は古代遺跡の城塞だ。それがいつの頃からかグリフォンを中心とした魔獣たちに乗っ取られ、迷宮ダンジョン化していた。
 迷宮主ダンジョンマスターのグリフォンの群れを筆頭に、グリフォン以外にも飛行能力のある魔獣が多数縄張りにしており、そこを中心に広い範囲が人間の住めない状態になっている。
 おかげでその周囲も、魔獣の間引まびきがされておらず、見通しの良い荒野が広がっているだけにもかかわらず、陸上の魔獣たちで溢れていた。おまけに古戦場だったこともあり、遺体や魂が魔獣化した不死者アンデッドまで多数さまよっている始末だ。
 まさに、悪夢のような場所だった。

「グリフォンって言っても、同じ群れじゃなけりゃ、敵対するって話じゃないのか? 結局は死にに行くようなもんだぞ?」

 グリフォンは気性の荒い魔獣だと言われている。同じ群れでなければ仲間の範疇から外れてしまうらしく、グリフォン同士で争う姿もよく見られた。

「調査という名目ですが、本命は厄介者の始末なのでしょうね。調査団も瑠璃唐草ネモフィラ騎士団を軸に編成された部隊になるようです。この機に乗じて領内の厄介者を全て始末しようとしているのではないかと」
「ネモフィラか……領主様もやっと決断されたんだな。あのお嬢様の姫騎士ゴッコには、オレたちも迷惑をかけられっぱなしだったからな」

 目の前に立っていた受付主任であるビビアナの言葉に、ギルドマスターは命令書を見つめたままで答えた。この命令書をギルドの連絡員から受け取り、ギルドマスターの下に持ってきたのがビビアナだった。ギルドマスターが読み終わるまで、立ったままで控えていたのだ。
 調査団と言っても、本当に調査を終わらせて帰って来るとは誰も考えていない。今回の場合は、「調査団を送った」という事実があればいいのだ。あくまで他国に対しての体面の問題だった。

「しかし、万能職に指名依頼かよ。こんなこと許していいのか? いくら本部からの命令で、領主様からの依頼という形になるとしても前例がないだろ?」
「ないですね。しかし、指名依頼のルールとしては、可能でしょう」
「指名依頼なら、どんなランクの冒険者にも依頼できるってやつだな? だがなぁ……」

 指名依頼というのは、その名の通り名指しで依頼をする行為だ。名指しされた冒険者が引き受けさえすれば、どのようなランクの者にでも依頼することができる。
 ただし、それは当然ながら独り立ちした冒険者に対してされるのが通例で、見習い待遇の万能職が対象になることは想定されていなかった。そもそも、万能職は単独では依頼を受けられない立場なのだから、そんな者をわざわざ指名するバカはいない。

「私も意識してルールを読んだことはなかったので曖昧ですが、万能職を除く……という文言はなかったと思います。本部がわざわざ命令書を送ってくるぐらいですから、そういった部分は確認済みでしょう」
「うーん」

 本部からの命令書は極秘文書になるため、公開されることはない。つまり、表面上は依頼主……この場合は領主であるアマダン伯爵が依頼し、アマダンのギルドマスターが承認した形になる。万能職に指名依頼をするという馬鹿げた行為のを、この二人が被ることになるのだ。
 間違いなく自分たちの評価を下げることになるだろう。
 アマダン伯爵の思惑は分からないが、こんなごり押しをしてまで得ようとするものがあるとは思えなかった。納得できず、ギルドマスターの表情はさらに渋いものへと変わっていく。

「商人たちもかなり裏で動いていると思いますよ」
「ん?」

 まるでギルドマスターの心の中を見透かすように、ビビアナが表情を変えずに続けた。

「コラルド商会を襲撃している者たちについてはご存知ですよね?」
「ああ」

 コラルド商会は、この一カ月の間に何度も賊に侵入されていた。その情報は治安に関わるため、当然ながら冒険者ギルドにも回ってきている。ほとんどは盗賊だが、中には暗殺者もいた。

「証拠がないため訴えることすらできませんが、コラルド商会に恨みのある商人たちが裏にいるようです」
「まあ、そうだろうな。あのハゲは恨みを買い過ぎだ」
「そして、襲撃の狙いは、くだんの万能職の少年のようです。コラルド商会の新商品の開発をしているのが彼という噂がありますので、その秘密を手に入れるか、開発者を殺してこれ以上儲けさせないようにしたいようですね」
「……秘密を狙う者が盗賊を、儲けさせたくない者が暗殺者を送り込んでるってことか」
「はい。たぶん」

 しかし、その襲撃の全ては失敗している。
 ギルドマスターはビビアナの顔を見つめた。ビビアナは意味もなく世間話をするような人間ではない。ならば、彼女はその話が今回の指名依頼と繋がっていると考えているはずだ。
 つまり、何度も襲撃を仕掛けても何の情報も得られず、万能職を殺すこともできない商人たちが痺れを切らし、金の力でアマダン伯爵に働きかけた結果が今回の指名依頼――ビビアナはそう考えたのだろう。
 指名依頼で引きずり出してしまえば、コラルド商会の保護下から出ることになる。城塞迷宮シタデルダンジョンの周囲は国の許可がない人間は入れないことになっている。コラルド商会側の人間の同行は不可能だ。これはむやみにグリフォンを刺激しないように、国家間の協定で決められていた。
 そうすれば拉致らちすることも容易だ。暗殺もできるだろう。失敗しても城塞迷宮シタデルダンジョンの魔獣たちが殺してくれる。そういう計画に違いない。
 そう結論付けて、ギルドマスターは大きなため息をついた。

「オレの一人負けじゃねーか」

 アマダン伯爵は商人たちから金を得るが、ギルドマスターは何も得るものはない。
 しかし、領主であるアマダン伯爵からの依頼で、さらに本部の命令がある以上、これを蹴るわけにはいかない。蹴ればその時点でクビになるだろう。
 前回のアルドンの森とノーファ渓谷の事件での責任を問われて、今のギルドマスターは崖っぷちに立たされている状態だ。少しでも不興ふきょうを買えば即解雇される。

「だが、もし、調査が成功したらどうするんだ?」
「それはないでしょう。いくらグリフォンと言っても同種が多数いれば勝てるわけがありませんし、同行するのが瑠璃唐草ネモフィラ騎士団では、城塞迷宮シタデルダンジョンまでたどり着くことすら不可能でしょう」

 ふう……と、ギルドマスターは諦めのため息を漏らした。ここは割り切るしかない。彼もまた、例の万能職とコラルドにはあまり良い感情を持っていない。
 やつらの不利益になるなら、それだけで少しはさが晴れるかと、無理やり納得することにした。

「万能職のガキを呼び出せ。明日でいい」
「はい」

 また、万能職のロアを中心とした騒動が始まろうとしていた。


 ディートリヒが目を覚ますと、見慣れた天井が見えた。
 身体を起こそうと身をよじると、腕に乾いた草の感触がして、ガサリと、こちらも聞きなれた寝藁の音が聞こえる。ディートリヒはロアの家の従魔たちの寝床で寝かされていた。

「……最近、気絶させられてばっかりだな……」

 そのほとんどが、あの性悪グリフォンの仕業なんだけどな……と、寝癖の付いた頭を掻いて、ぼんやりとそう考えた。

「お! 起きたな」

 クリストフの声が響く。声の方に目を向けると、クリストフとコルネリア、そしてロアの姿があった。従魔たちの寝床のすぐ横にある、調理場のテーブルに着いてお茶を飲んでいる。双子の魔狼はディートリヒには目もくれず、ロアの足元で果物を齧っていた。
 裏切り者……。
 双子が視界に入った途端、ディートリヒは二匹が変態鍛冶屋ブルーノの肩にぶら下がっていたことを思い出し、嫉妬しっとに似た感情を覚える。
 双子がブルーノと仲が良くて、何か問題があるかと問われれば別に何の問題もない……ないのだが、仲の良い友達が目の前で知らない人物にべったりとくっ付き、自分には目もくれないというのは、不穏な感情を覚えるのに十分だった。
 ましてやその人物が自分を気絶させた者だと思うと、苛立つのも仕方ない。

「……俺にも、茶をくれるか?」
春黄菊カミーレ薬草茶ハーブティーですが、いいですか?」
「もちろん」

 ロアの言葉に頷いた後で立ち上がって、ディートリヒは気付かれないように横目で性悪グリフォンのことを探したが、姿が見えず胸を撫で下ろす。どうせまた地下で何か悪さをしているのだろう。
 ロアたちの方に歩いていくと、テーブルの上には茶器ティーセット以外に、本が山積みに置かれていた。
 この世界では、本は高価だ。こんなに無造作に山積みにする物ではない。
 印刷技術はあるものの、識字率の低さから買う者が少なく、量産しても売れないため高価になってしまっている。さらに識字率の高い層と言えば、貴族や商人などの金持ちばかりだ。それらの客が好むように表紙に凝った飾りを施すことが当然となっていた。
 おかげで、印刷本の制作費は上がり続け、現在では庶民では手が出ないほどの値段だ。
 大金を出せない者は、筆写師ひっしゃしと呼ばれる本の書き写しを専門にしている職業の者を雇い、写本を作ってもらうのが普通だった。本来、費用を抑えてくれるはずの印刷本が高値なため、旧来の写本の方が安くなるという、奇妙な逆転現象が起こっていた。
 もちろん、写本も一冊分書き写し終わるまで人を拘束するわけで、けっして安い物ではない。庶民が手に入れるには厳しい金額になる。最低でも一冊当たり金貨一枚は必要だろう。中には安い金額で引き受ける者もいたが、そういう者はだいたい見習いで、字が汚かったり、写し間違いが多かった。
 ディートリヒが目を向けると、『錬金術基礎』『魔法薬と薬草の関係』『薬草・薬効大全』などのタイトルが目に入った。簡素な見た目のため、写本だろう。

「この本は?」
「ブルーノさんに借りてきたんですよ」

 ロアは席に着くディートリヒの前にお茶の入ったカップを差し出しながら、笑顔で言葉を続けた。

「ちょっと手持ちのお金に余裕が出てきたので、自分用の写本を作ってもらおうと思って借りてきたんです」

 気楽に言うが、専門書は写本でも印刷本と変わらない金額になる。
 専門書となると、その本の内容を理解できる、最低限の専門知識を持った筆写師に依頼しないといけない。もし内容が理解できないまま書き写すと、写し間違いや誤字が多くなる。そして正確さに欠けば、専門書としては役に立たない物が出来上がってしまうのだ。
 専門書の写本が作れる筆写師に依頼するとなると、とても「ちょっと余裕が出てきた」というレベルの金額ではなかった。
 この一カ月程度で、ロアはいったいいくら儲けたのだろう?
 他人事ながら、急に得た大金で身を持ち崩さないか、ディートリヒは心配になった。

「ロアが昔に勉強した本なんだって。ブルーノさんのお母さんが集めた本らしいよ? つまり、ロアが師匠なしで錬金術を使える秘密ってところかな?」
「へー?」

 コルネリアの言葉に興味を示し、ディートリヒは一冊手に取って開いてみる。頭が痛くなるくらいびっしりと文字が並んでいる。ディートリヒも一応は母国で学校に通い、ほとんどの職業の基礎知識ぐらいは持っているが、それでもまったく理解できない高度な内容だった。文字の塊にしか見えない。
 ただ、気付いたことが一つあった。
 文字の塊にしか見えないからこそ、気付いたのかもしれない。インクの色があまりせていなかった。紙は日に焼けておらず、中年のブルーノの母の物にしては新しい。表紙は古いが、中身が新しい物に見える。
 目利きができるクリストフに目をやると、彼は無言で頷いて返した。

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