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閑話
閑話 酒乱
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それは冒険者パーティー『望郷』がロアと出会う少し前のある日のこと。
『望郷』のリーダーであるディートリヒは依頼の達成報告をするために、一人で冒険者ギルドに来ていた。
この国……ペルデュ王国は排他的な者が多く、よそ者に厳しい。
しかし現在では、多少は馴染み始めていた。
『望郷』がアマダン伯領に来てからずっと、紳士的な態度で接していたおかげだろう。
彼らの故郷の情報を知りたがる者たちが、積極的に話しかけてくることもあった。
「……これで依頼は終了となります。お疲れ様でした」
受付嬢は優しい笑みをディートリヒに向ける。
明らかな営業スマイルなのだが、ディートリヒは緩み切った表情でそれを見ていた。
どこかモジモジしていて挙動不審だ。
誰がどう見ても受付嬢に告白しようか迷ってるようにしか見えない。
辛うじて体面を保っているようだが、オジさんと言われてもおかしくない年齢の男が思春期の少年のような行動を取っていた。
日に焼けた、鍛え抜いた男のそんな姿など不気味で仕方ないのだが、受付嬢はまるで一切気付いていないかのように無視して営業スマイルを浮かべている。
「それでその、アンブロシーヌさん。時間があればで良いんだが、その、一緒にしょ」
「よう!兄さん!元気か!」
『食事にいかないか?』と、ディートリヒが言いかけた途端、後ろから声がかかった。
受付嬢に集中していた所為で驚いてしまい反射的に後ろを振り向くと、そこには何度か顔を見たことがある中年の冒険者が立っていた。
「お……?」
思わず、言葉にならない声を漏らしてしまう。
「またネレウス王国の話を聞かせてくれよ!
なんなら、どうだ、これから一杯。そこのバーで?」
そんなことを言いながら、中年冒険者は手で杯を持つ仕草をしてそれを顔の前で傾けてみせる。
『酒を飲まないか?』という誘いだった。
「もちろん、情報料代わりに奢らせてもらうぞ!」
ディートリヒの背中をバンバンと叩く。
まだ日は高いが、昼間から酒を飲む冒険者は多い。
だた、昼間からやっている飲み屋はほとんどないため、冒険者ギルド併設のレストランかバーで飲む者がほとんどだ。
冒険者ギルドは荒くれ者たちを管理しやすい場所に集めるために、同じ建物でレストランとバーを経営している。
レストランは駆け出し冒険者にも優しい料金設定で、バーは稼いでいるAランク冒険者でも満足できる高価な質の高い酒と食事を置いていた。
高ランク冒険者は様々な情報を持っている。
高ランク冒険者が集まる酒場であれば、駆け出し冒険者には『金』にも等しい情報が雑談として飛び交っていることも多い。
高ランク冒険者と他の冒険者が集まる場所が同じだと、情報を得るためにランクの高くない冒険者が入り浸ってしまい、高ランク冒険者が入れなくなる矛盾が発生してしまうのだ。
そのため、自然と棲み分けができるように扱うものを分けているのだった。
「スマン。今、ちょっと忙しくて……」
そう言いながらディートリヒが受付嬢の方に振り向き直すと、受付嬢はすでに次の冒険者の対応を始めていた……。
「…………」
ディートリヒは絶望の表情を浮かべるが、その悲しげな視線すら受付嬢はあっさりと無視する。
「どうした?」
「……いや、なんでもない……」
「悪かったな。忙しいならまた今度な」
「……いや、もう、終わった……」
「そうか!」
微妙にディートリヒの言った『終わった』のニュアンスが『用事が終わった』と言う意味と違っていることに、中年冒険者はまったく気が付いていない。
「じゃ、ちょっと飲みながらネレウス王国の事を教えてくれ!」
「ああ……いや、オレは仲間に酒を止められてて、飲めないんだわ……」
ディートリヒは唇をギュッと噛むと、また中年冒険者に振り向き直してから答えた。
「なんだ、酒が飲めないのかよ?」
「……そういう訳じゃないんだが……酒癖があまり良くないらしくてな。止められてる……」
彼の答える声は弱々しい。
「なんだ元気が無いな!?飲めないんじゃないんなら、そういう時は飲むもんだぞ!
なに、多少酒癖が悪くて元気が良くなり過ぎたって、ここは冒険者ギルドだぞ?そんなこと気にするような奴はいないって!酔って暴れるやつなんて日常だからな!」
「……そうか……?」
ディートリヒは『望郷』の他のメンバーから飲酒をしないようにキツく言われていた。
本人はまったく覚えてないのだが、あまり酒癖が良くないらしい。
「飲もうかな……」
ディートリヒはポツリ、呟く。
ディートリヒは今日こそ受付嬢を食事に誘おうと思って気合を入れて来ていた。
それがこうもあっさりと失敗してしまい、落ち込んだ気分を何かで誤魔化したかった。
この後は仲間とミーティングをする予定だが、一杯飲むくらいの時間はある。
元々酒は好きなのだ。
落ち込んだ気分の時に酒の誘惑に負けてしまうのは仕方がない。
それにこの男が言う通り、冒険者ギルドの酒場なら多少のことは大丈夫だろう。
そう、自分に言い聞かせた。
完全に、ダメ酒飲みの理論である。
「よし!いくぞ!」
中年冒険者の言葉に促され、ディートリヒはバーへ向かった。
数時間後……。
「もう!リーダーを一人で行かせちゃダメじゃない!」
「いや、子供じゃないんだからさ」
コルネリアとクリストフが路上で言い争っていた。
依頼の達成報告をしに行ったディートリヒが、ミーティングの時間になっても帰ってこないのだ。
「子供より質が悪いわ、どうせ受付嬢にフラれてどこかで落ち込んでるのよ!」
「ありそうだけど……フラれてるの確定かよ……」
クリストフは非難するような発言をしたものの、彼もやはりフラれていると思っていた。
そうでなければディートリヒがミーティングをすっぽかして帰ってこないなんてことはない。
ディートリヒは見た目も性格もそれほど悪くないし、決定的に嫌われるような部分もない。はずだ。たぶん。
しかし、なぜか女性にフラれまくるのである。
クリストフはそれをある種の『呪い』だと思っていた。
「……おい!ヤバいぞ」
「え?」
冒険者ギルドの前に着た途端、クリストフが声を上げた。
「たぶん、リーダーが酔ってる……」
「またぁ!?」
斥候職でもあるクリストフは、ある程度は周囲の状況を探れる。
冒険者ギルドの前に来た時点で、中の状況を感じ取っていた。
普通であれば異変を感じる程度だが、冒険者ギルドの中には慣れ親しんだ男の、慣れたくはなかった嫌な気配があった。
そのおかげで中の状況が手に取るように理解できた。
「この国にいる間は絶対に飲むなって言っておいたのに!バカリーダーは!」
「……お前は裏口から入ってくれ。オレは正面から行って気を引いておく」
「いつも通りね」
「ああ、いつも通りだ」
軽く打ち合わせをすると、コルネリアは裏口に向かうために駆け出して行った。
「……ヨシ!」
クリストフは軽く気合を入れると、冒険者ギルドの扉を開いた。
中は静かだった。
いつもなら騒がしいくらいの冒険者ギルドが静まり返っていた。
避難したのか奥で対応を協議しているのか、受付には誰もいない。
人だかりができていたが、それを掻き分けるようにしてクリストフがバーへと進むと、十人ほど男たちが転がっていた。
手加減はしてあり、みんな軽傷だ。
彼らの仲間らしい冒険者が、気付け薬を嗅がせたり治癒魔法薬を飲ましていた。
ちゃんと手加減できているということは、この場に高ランク冒険者はいなかったのだろう。
『勇者パーティー』になるのは確実と言われている噂の『暁の光』や、元高ランク冒険者のギルドマスターがいたら殺し合いに発展していてもおかしくなかった。
それだけは不幸中の幸いと言って良かった。
……衛兵は呼ばれてないな……。
クリストフは最悪の事態になっていないことに胸を撫で下ろした。
冒険者ギルドは内部の揉め事で衛兵を呼ぶことは滅多にない。力が全ての冒険者にとって、それは恥だからだ。
しかし、冒険者だけで対応できない場合は恥を晒してでも呼ぶこともある。
そうなれば法律に則って対処されるため、誤魔化すことは不可能になる。
周囲に集まっている冒険者たちの視線は一点に集まっていた。
そこには……。
「なんだ、お前か」
……ディートリヒがいた。
バーカウンターの片隅でグラスを傾けていた。
「ディーさん。何やってるんですか?」
「飲んでんだよ」
冷たい視線。
深い海の底のような暗い瞳を向けてくる。
その視線だけで、クリストフは背筋に冷たい物が走るのを感じた。
ディートリヒは酔うと昔の性格に戻ってしまう。
一番荒れていたころの性格だ。
あの頃のディートリヒは『ディー』と呼ばれ、暴力的で、人を見下していて、ゲームの様に犯罪を起こす男だった。
不良少年たちの憧れだったが、平和に暮らしている者たちからは害獣の様に嫌われていた。
傲慢で意味深な態度は不良少女にも好評で、あの頃のディートリヒはモテていた……。
懐かしい気持ちが湧き上がってきたが、それを抑えこんでクリストフはディートリヒに近づいた。
周囲には割れた酒瓶が散らばっており、ブーツの底でパリパリと音を立てる。
「帰りましょうか」
「なんでお前がオレに指図してるんだ?」
クリストフに殺気が向けられる。
重く、暗く、ネットリとした嫌な気配だった。
殺される!と、本能が悲鳴を上げるが、クリストフは経験で理解している。
これはディートリヒが意図的に向けているものであり、挑発に過ぎないのだ。この殺気に慌てて行動すると、見せた隙を狙って殴り飛ばされる。
昔も今もディートリヒは殺人を嫌うが、昔のディートリヒはちょっと不愉快になっただけで人を傷つけるような男だった。
今なら絶対的な味方が欲しかった寂しがりで不器用な子供だっただけだと理解できる。それがひたすらよくない方向に突き進んでいただけだ。
だが、幼馴染のクリストフですら当時は怖かった。
「ディーさん、終わりにしよう」
「はぁ?」
ぱこーん。
やけに軽い音が響いた。
それと同時に、ディートリヒの身体が傾き、そのままの状態で顔から床へと倒れ込んだ。
「死ね!ダメリーダー!!!」
コルネリアの雄叫びだけが冒険者ギルドに響き渡った。
コルネリアはカウンターの内側に立っていた。
手には太い木の棒が握られていた。調理場から拝借した割る前の薪だろう。
裏口から入ってこっそりカウンターの内側から近付き、頭へ薪を振り降ろして一撃でディートリヒの意識を刈り取ったのだ。
ディートリヒは敵の気配には敏感だが、味方の気配は殺意でもない限り気にかけない。その隙を狙った攻撃だった。
今も当時も、根底では味方に甘い。
「死ねって……殺しちゃダメだろ……」
クリストフは床に転がるディートリヒを数回蹴って本当に意識が無いか確認してから、本当に死んでしまわないように腰のポーチから取り出した治癒魔法薬を無理やり飲ませた。
コルネリアはカウンターから飛び出すと、気を失っているディートリヒを肩に担ぐ。
身体強化魔法による怪力だが、大柄なディートリヒを小柄な女性のコルネリアが担いでいる姿はアンバランスで馬鹿げて見える。
そして、担いだままの状態で、状況が良く分からず周りで呆けている冒険者たちに一礼する。
「みなさん、申し訳ありませんでした!コレは回収させていただきます!
壊した物の弁償、治療費などは全て私たちのパーティーで出させていただきます!
それからお詫びとして、今日一日のみなさんの飲食代は私たちの奢りです!どうかそれで忘れてください!後で払いますからギルドを通じて請求してください!では失礼します!!」
そう一気に叫ぶと、二人はお荷物一人を担いで逃げるように冒険者ギルドを出て行った……。
訴えられなかったものの、この出来事によって『望郷』の立場は今まで以上に悪くなり、今まで特に意識されていなかったギルドマスターからも目障りな存在と認識されることとなった。
さらに弁償と治療費、そしてお詫びの飲食代を払ったことで、かなり余裕があったはずの『望郷』の手持ちの金が底を突いてしまう。
これが『万能職を護衛しながら魔獣の森に入る』という訳ありの依頼を受ける切っ掛けになるのだが、そのことをまだ彼らは知らない……。
『望郷』のリーダーであるディートリヒは依頼の達成報告をするために、一人で冒険者ギルドに来ていた。
この国……ペルデュ王国は排他的な者が多く、よそ者に厳しい。
しかし現在では、多少は馴染み始めていた。
『望郷』がアマダン伯領に来てからずっと、紳士的な態度で接していたおかげだろう。
彼らの故郷の情報を知りたがる者たちが、積極的に話しかけてくることもあった。
「……これで依頼は終了となります。お疲れ様でした」
受付嬢は優しい笑みをディートリヒに向ける。
明らかな営業スマイルなのだが、ディートリヒは緩み切った表情でそれを見ていた。
どこかモジモジしていて挙動不審だ。
誰がどう見ても受付嬢に告白しようか迷ってるようにしか見えない。
辛うじて体面を保っているようだが、オジさんと言われてもおかしくない年齢の男が思春期の少年のような行動を取っていた。
日に焼けた、鍛え抜いた男のそんな姿など不気味で仕方ないのだが、受付嬢はまるで一切気付いていないかのように無視して営業スマイルを浮かべている。
「それでその、アンブロシーヌさん。時間があればで良いんだが、その、一緒にしょ」
「よう!兄さん!元気か!」
『食事にいかないか?』と、ディートリヒが言いかけた途端、後ろから声がかかった。
受付嬢に集中していた所為で驚いてしまい反射的に後ろを振り向くと、そこには何度か顔を見たことがある中年の冒険者が立っていた。
「お……?」
思わず、言葉にならない声を漏らしてしまう。
「またネレウス王国の話を聞かせてくれよ!
なんなら、どうだ、これから一杯。そこのバーで?」
そんなことを言いながら、中年冒険者は手で杯を持つ仕草をしてそれを顔の前で傾けてみせる。
『酒を飲まないか?』という誘いだった。
「もちろん、情報料代わりに奢らせてもらうぞ!」
ディートリヒの背中をバンバンと叩く。
まだ日は高いが、昼間から酒を飲む冒険者は多い。
だた、昼間からやっている飲み屋はほとんどないため、冒険者ギルド併設のレストランかバーで飲む者がほとんどだ。
冒険者ギルドは荒くれ者たちを管理しやすい場所に集めるために、同じ建物でレストランとバーを経営している。
レストランは駆け出し冒険者にも優しい料金設定で、バーは稼いでいるAランク冒険者でも満足できる高価な質の高い酒と食事を置いていた。
高ランク冒険者は様々な情報を持っている。
高ランク冒険者が集まる酒場であれば、駆け出し冒険者には『金』にも等しい情報が雑談として飛び交っていることも多い。
高ランク冒険者と他の冒険者が集まる場所が同じだと、情報を得るためにランクの高くない冒険者が入り浸ってしまい、高ランク冒険者が入れなくなる矛盾が発生してしまうのだ。
そのため、自然と棲み分けができるように扱うものを分けているのだった。
「スマン。今、ちょっと忙しくて……」
そう言いながらディートリヒが受付嬢の方に振り向き直すと、受付嬢はすでに次の冒険者の対応を始めていた……。
「…………」
ディートリヒは絶望の表情を浮かべるが、その悲しげな視線すら受付嬢はあっさりと無視する。
「どうした?」
「……いや、なんでもない……」
「悪かったな。忙しいならまた今度な」
「……いや、もう、終わった……」
「そうか!」
微妙にディートリヒの言った『終わった』のニュアンスが『用事が終わった』と言う意味と違っていることに、中年冒険者はまったく気が付いていない。
「じゃ、ちょっと飲みながらネレウス王国の事を教えてくれ!」
「ああ……いや、オレは仲間に酒を止められてて、飲めないんだわ……」
ディートリヒは唇をギュッと噛むと、また中年冒険者に振り向き直してから答えた。
「なんだ、酒が飲めないのかよ?」
「……そういう訳じゃないんだが……酒癖があまり良くないらしくてな。止められてる……」
彼の答える声は弱々しい。
「なんだ元気が無いな!?飲めないんじゃないんなら、そういう時は飲むもんだぞ!
なに、多少酒癖が悪くて元気が良くなり過ぎたって、ここは冒険者ギルドだぞ?そんなこと気にするような奴はいないって!酔って暴れるやつなんて日常だからな!」
「……そうか……?」
ディートリヒは『望郷』の他のメンバーから飲酒をしないようにキツく言われていた。
本人はまったく覚えてないのだが、あまり酒癖が良くないらしい。
「飲もうかな……」
ディートリヒはポツリ、呟く。
ディートリヒは今日こそ受付嬢を食事に誘おうと思って気合を入れて来ていた。
それがこうもあっさりと失敗してしまい、落ち込んだ気分を何かで誤魔化したかった。
この後は仲間とミーティングをする予定だが、一杯飲むくらいの時間はある。
元々酒は好きなのだ。
落ち込んだ気分の時に酒の誘惑に負けてしまうのは仕方がない。
それにこの男が言う通り、冒険者ギルドの酒場なら多少のことは大丈夫だろう。
そう、自分に言い聞かせた。
完全に、ダメ酒飲みの理論である。
「よし!いくぞ!」
中年冒険者の言葉に促され、ディートリヒはバーへ向かった。
数時間後……。
「もう!リーダーを一人で行かせちゃダメじゃない!」
「いや、子供じゃないんだからさ」
コルネリアとクリストフが路上で言い争っていた。
依頼の達成報告をしに行ったディートリヒが、ミーティングの時間になっても帰ってこないのだ。
「子供より質が悪いわ、どうせ受付嬢にフラれてどこかで落ち込んでるのよ!」
「ありそうだけど……フラれてるの確定かよ……」
クリストフは非難するような発言をしたものの、彼もやはりフラれていると思っていた。
そうでなければディートリヒがミーティングをすっぽかして帰ってこないなんてことはない。
ディートリヒは見た目も性格もそれほど悪くないし、決定的に嫌われるような部分もない。はずだ。たぶん。
しかし、なぜか女性にフラれまくるのである。
クリストフはそれをある種の『呪い』だと思っていた。
「……おい!ヤバいぞ」
「え?」
冒険者ギルドの前に着た途端、クリストフが声を上げた。
「たぶん、リーダーが酔ってる……」
「またぁ!?」
斥候職でもあるクリストフは、ある程度は周囲の状況を探れる。
冒険者ギルドの前に来た時点で、中の状況を感じ取っていた。
普通であれば異変を感じる程度だが、冒険者ギルドの中には慣れ親しんだ男の、慣れたくはなかった嫌な気配があった。
そのおかげで中の状況が手に取るように理解できた。
「この国にいる間は絶対に飲むなって言っておいたのに!バカリーダーは!」
「……お前は裏口から入ってくれ。オレは正面から行って気を引いておく」
「いつも通りね」
「ああ、いつも通りだ」
軽く打ち合わせをすると、コルネリアは裏口に向かうために駆け出して行った。
「……ヨシ!」
クリストフは軽く気合を入れると、冒険者ギルドの扉を開いた。
中は静かだった。
いつもなら騒がしいくらいの冒険者ギルドが静まり返っていた。
避難したのか奥で対応を協議しているのか、受付には誰もいない。
人だかりができていたが、それを掻き分けるようにしてクリストフがバーへと進むと、十人ほど男たちが転がっていた。
手加減はしてあり、みんな軽傷だ。
彼らの仲間らしい冒険者が、気付け薬を嗅がせたり治癒魔法薬を飲ましていた。
ちゃんと手加減できているということは、この場に高ランク冒険者はいなかったのだろう。
『勇者パーティー』になるのは確実と言われている噂の『暁の光』や、元高ランク冒険者のギルドマスターがいたら殺し合いに発展していてもおかしくなかった。
それだけは不幸中の幸いと言って良かった。
……衛兵は呼ばれてないな……。
クリストフは最悪の事態になっていないことに胸を撫で下ろした。
冒険者ギルドは内部の揉め事で衛兵を呼ぶことは滅多にない。力が全ての冒険者にとって、それは恥だからだ。
しかし、冒険者だけで対応できない場合は恥を晒してでも呼ぶこともある。
そうなれば法律に則って対処されるため、誤魔化すことは不可能になる。
周囲に集まっている冒険者たちの視線は一点に集まっていた。
そこには……。
「なんだ、お前か」
……ディートリヒがいた。
バーカウンターの片隅でグラスを傾けていた。
「ディーさん。何やってるんですか?」
「飲んでんだよ」
冷たい視線。
深い海の底のような暗い瞳を向けてくる。
その視線だけで、クリストフは背筋に冷たい物が走るのを感じた。
ディートリヒは酔うと昔の性格に戻ってしまう。
一番荒れていたころの性格だ。
あの頃のディートリヒは『ディー』と呼ばれ、暴力的で、人を見下していて、ゲームの様に犯罪を起こす男だった。
不良少年たちの憧れだったが、平和に暮らしている者たちからは害獣の様に嫌われていた。
傲慢で意味深な態度は不良少女にも好評で、あの頃のディートリヒはモテていた……。
懐かしい気持ちが湧き上がってきたが、それを抑えこんでクリストフはディートリヒに近づいた。
周囲には割れた酒瓶が散らばっており、ブーツの底でパリパリと音を立てる。
「帰りましょうか」
「なんでお前がオレに指図してるんだ?」
クリストフに殺気が向けられる。
重く、暗く、ネットリとした嫌な気配だった。
殺される!と、本能が悲鳴を上げるが、クリストフは経験で理解している。
これはディートリヒが意図的に向けているものであり、挑発に過ぎないのだ。この殺気に慌てて行動すると、見せた隙を狙って殴り飛ばされる。
昔も今もディートリヒは殺人を嫌うが、昔のディートリヒはちょっと不愉快になっただけで人を傷つけるような男だった。
今なら絶対的な味方が欲しかった寂しがりで不器用な子供だっただけだと理解できる。それがひたすらよくない方向に突き進んでいただけだ。
だが、幼馴染のクリストフですら当時は怖かった。
「ディーさん、終わりにしよう」
「はぁ?」
ぱこーん。
やけに軽い音が響いた。
それと同時に、ディートリヒの身体が傾き、そのままの状態で顔から床へと倒れ込んだ。
「死ね!ダメリーダー!!!」
コルネリアの雄叫びだけが冒険者ギルドに響き渡った。
コルネリアはカウンターの内側に立っていた。
手には太い木の棒が握られていた。調理場から拝借した割る前の薪だろう。
裏口から入ってこっそりカウンターの内側から近付き、頭へ薪を振り降ろして一撃でディートリヒの意識を刈り取ったのだ。
ディートリヒは敵の気配には敏感だが、味方の気配は殺意でもない限り気にかけない。その隙を狙った攻撃だった。
今も当時も、根底では味方に甘い。
「死ねって……殺しちゃダメだろ……」
クリストフは床に転がるディートリヒを数回蹴って本当に意識が無いか確認してから、本当に死んでしまわないように腰のポーチから取り出した治癒魔法薬を無理やり飲ませた。
コルネリアはカウンターから飛び出すと、気を失っているディートリヒを肩に担ぐ。
身体強化魔法による怪力だが、大柄なディートリヒを小柄な女性のコルネリアが担いでいる姿はアンバランスで馬鹿げて見える。
そして、担いだままの状態で、状況が良く分からず周りで呆けている冒険者たちに一礼する。
「みなさん、申し訳ありませんでした!コレは回収させていただきます!
壊した物の弁償、治療費などは全て私たちのパーティーで出させていただきます!
それからお詫びとして、今日一日のみなさんの飲食代は私たちの奢りです!どうかそれで忘れてください!後で払いますからギルドを通じて請求してください!では失礼します!!」
そう一気に叫ぶと、二人はお荷物一人を担いで逃げるように冒険者ギルドを出て行った……。
訴えられなかったものの、この出来事によって『望郷』の立場は今まで以上に悪くなり、今まで特に意識されていなかったギルドマスターからも目障りな存在と認識されることとなった。
さらに弁償と治療費、そしてお詫びの飲食代を払ったことで、かなり余裕があったはずの『望郷』の手持ちの金が底を突いてしまう。
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