上 下
145 / 151
棺の中の乙女

第十六話 夜

しおりを挟む
 メイが入院して、五日ほどの時が流れた。
 以前から感じていた不調は段々と良くなっていると感じ、医師からも良くなってきていると聞きけば、入院してよかったとメイは胸をなでおろした。
 そうして不安が和らぎ、混乱が収まれば、今まで気にしなかったことに頭が回り出す。メイは最初、お嬢様の病が感染した可能性かあるとされて小さな隔離病棟へ入院したのだ。しかし、メイはたった数日で快方に向かっている。ならば、これはお嬢様と同じ病ではないのではないだろうか? そう思って医師に聞いてみたものの、医師はまだ検査結果が出ておらず、はっきりとした病名はつけられないと言われてしまった。そのため退院の方もまだ先だと言われてしまい、メイは少しがっかりした。
「ユーダム様……」
 あの日から、当然ユーダムに会っていない。ユーダムの顔を見て、その声を聞きたいが、ここは一般来院者が来ることを認められていない隔離病棟だ。もし彼がお見舞いに来てくれたとしても、ここには入って来れない。
「せめて香水があればな……」
 彼に調香してもらった香水の香りはとうに消え失せ、あの日買ったアロマも、プレゼントされた紅茶も手元には無い。彼と会えない寂しさを紛らわせるものがないのだ。
 溜息をついて窓の外を見た、その時だった。扉の向こうから、看護師たちのうわさ話が聞こえて来たのは……
「ねえ、知ってる? 特別室に第三王子殿下が入院してるんですって」
「ああ、それで兵士がうろついてるのね。何事かと思ったわ」
「過労だった聞いたけど」
「そりゃ、あれだけ手広く商売してれば倒れもするでしょ」
「ただ、入院しても仕事はしてるみたいね。お見舞いの部下の方達が書類でタワーを作ってたわ」
「過労で入院しても仕事はさせられるのね」
「ちょっと気の毒よね」
 看護師たちのそんな噂話を聞き、王子様って大変なんだな、と思った。その噂に関して思ったことは、その時はそれだけだった。しかし後日思い起こせば、それらは全てあの時のための布石だったのだと苦い思いと共に思い出すことになる。
 そんな、それらが苦い記憶として刻まれる事件があったのは、その日の夜のことだった。

 夜。
 ランタナ王国の国立病院の消灯時間は九時である。
 魔導灯やランプの灯が消され、光源はカーテンの隙間から差し込む月明りだけだ。メイは眠ろうとベッドに潜り込み、目を閉じた時だった。
 ――コンコン……
 窓がノックされた。
 何事かと驚き、そちらを見れば、カーテンには月明りに浮かび上がる人影が映っていた。それにまた驚いていると、再び窓をノックされる。恐る恐るカーテンの隙間から覗いてみれば、そこには愛しい人――ユーダム・ブレナンが立っていた。
 メイは慌ててカーテンを開け、窓を開けようとするも、躊躇する。何故なら、メイは謎の病で隔離入院した身だ。ユーダムにこの病を移す可能性がある身なのだ。しかし、ユーダムは窓の鍵を指さし、大丈夫だとでも言うように微笑んで見せた。
 確かに、ユーダムは亡くなったエリーゼの見舞いに何度も訪れたが、病が移った様子もない。医師も感染力は低いと言っていたし、それならば大丈夫かもしれないと、メイは誘惑に負けて窓を開けた。
「メイ」
「ユーダム様」
 そっと二人は手を取り合い、微笑み合う。
「突然入院して驚いたよ。体の方は大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です。だんだん良くなっていますよ」
 それは良かった、とユーダムは少し安堵したように頷き、その手に持っていた物を命に差し出した。
「病院での生活で、少しでも慰めになればと思って持って来たんだ」
「あ、これ……」
 それは、メイが手元にない事を残念に思っていた物だった。
「アロマに紅茶。それに――」
「うん。僕が調香した香水だよ」
 ユーダムが錬金術を用いて手ずから作った本当に特別な、それ。
 メイは心から嬉しく思い、それらを手に取って笑顔で礼を言った。
「ありがとうございます、ユーダム様」
「うん。これを使った時は、僕を思い出してくれたら嬉しいな」
 そう言って、彼はメイの頬を名残惜しそうに撫でながらも、夜遅くにごめんね、とそのまま帰るべく足を一歩後ろに引く。彼の手が頬から離れ、その温もりが離れたことを残念に思っていた、その時だった。
「ユーダム・ブレナン! そのまま両手を上げろ!」
 闇夜を、鋭い男の声が切り裂いた。

   ***

 レナは、夜の病院に居た。全ては、ヘンリーの策略によるものである。
 目の前ではユーダムがメイの病室の窓の外に驚いた様子で立っており、台所錬金術部の面々に視線を走らせている。
 あの日、メイを入院させたらどうかと提案した時、ヘンリーは自分もまた国立病院へ入院することを決めた。何故そんなことをしたかといえば、ユーダムがメイに害意を持っていれば、隔離入院にも拘らず、彼が何かしらの手段を持って接触すると踏んだからだ。そのため、警備の兵をうろつかせても不自然にならないよう、ヘンリーが入院するという手段をとったのだ。
 そして、更にはメイが入院する際にあてがわれた病室は本棟からかなり離れた静かな場所で、訳ありの入院患者が入れられる小さな特別棟である。多少の荒事が起きても他の患者に被害が出ないよう配慮された棟だと言えばお分かりいただけるだろうか。
 つまり、メイは囮にもされたのだ。
 非情と思われるかもしれないが、これが一番手っ取り早く確実で、何よりも既に体に異常をきたしているメイの安全を早期に確保すべきという判断の元になされたことだった。
「ちょっとゴメンねー」
「あっ」
 メイの後ろから顔を出し、ひょい、とその手にあったユーダムからのプレゼントを取り上げたのは、こっそり病室に侵入したネモだ。
 ネモは紙袋に入ったそれらを確認し、ヘンリーに合図を送る。その間にイザベラがメイの手をとって部屋の奥へ避難を促す。メイは混乱し、それに抵抗したが、冒険者として活動を始めたイザベラには敵わず、部屋の奥へと連れて行かれた。残るは、窓の外に立ち尽くすユーダムと、ヘンリー、レナ、イヴァンだ。
「まさか、こんなに早く動くとは思わなかったぜ」
「巡回の隙もつかれましたしね」
 この短期間でよく巡回の隙なんてものを見つけ出せたものだ。
 苦い顔をするヘンリーに、イヴァンも溜息をつく。
 ヘンリーが異変を知らせるために笛を取り出し、高らかにそれを吹いた。兵士は早々に駆け付けるだろうが、それまでに何事もなく、というのは無理だろう。
 それまでは、冒険者として雇われたレナ達でどうにかするしかない。
「殿下、兵士の方々は?」
「この付近と、病院の本棟にも念のために配置している。ユーダムが何もしていなければすぐ駆け付けられるだろうが、そうしないのが錬金術師だからな」
眠らせる簡単なトラップくらいありそうだ、とそう険しい顔で言ったヘンリーの視線の先で、ユーダムが戸惑いも顕わに首を傾げていた。
「あの、殿下、これはどういう――」
「『合わせ香』」
 ユーダムの声を遮ったのは、ネモだ。
「数百年前のカンラ帝国で出回り、禁止された違法薬物。それが、この国にも出回っているそうよ」
 冷えた声が、闇を打つ。
 そして、それを引き継ぐようにイヴァンが淡々と言う。
「そちらのメイさんの部屋から見つかった品々もまた、『合わせ香』と同じように同時に使うことで、とある効果が出ると分かりました」
 よく通るその声は、病室の奥へと避難したメイにも聞こえていた。彼女は「え」と小さく呟いて、恋人の横顔を見た。
「麻薬のような依存性や、快楽を得るような薬物効果はない。その代わり、魔力循環が悪くなり、それが体に変調をきたす。そこから内臓を痛め、気づけば魔力循環どころではなく、内臓の傷みが重症化して衰弱し、死に至る」
 まるで病のように、と告げて、アイスブルーの目がひたりとユーダムを見つめる。
「これは、毒殺だ」
 静かな糾弾を前に、ユーダムは焦る様子もなく、ただ、困ったなぁ、と言わんばかりの微笑みを浮かべていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

亡国の大聖女 追い出されたので辺境伯領で農業を始めます

夜桜
恋愛
 共和国の大聖女フィセルは、国を安定させる為に魔力を使い続け支えていた。だが、婚約を交わしていたウィリアム将軍が一方的に婚約破棄。しかも大聖女を『大魔女』認定し、両親を目の前で殺された。フィセルだけは国から追い出され、孤独の身となる。そんな絶望の雨天の中――ヒューズ辺境伯が現れ、フィセルを救う。  一週間後、大聖女を失った共和国はモンスターの大規模襲来で甚大な被害を受け……滅びの道を辿っていた。フィセルの力は“本物”だったのだ。戻って下さいと土下座され懇願されるが、もう全てが遅かった。フィセルは辺境伯と共に農業を始めていた。

身代わり王女の受難~死に損なったら、イケメン屋敷のメイドになりました~

茂栖 もす
恋愛
とある世界のとある国……じゃなかった、アスラリア国でお城のメイドとして働いていた私スラリスは、幼少の頃、王女様に少しだけ似ているという理由だけで、身代わりの王女にされてしまった。 しかも、身代わりになったのは、国が滅亡する直前。そして餞別にと手渡されたのは、短剣と毒。……え?これのどちらかで自害しろってことですか!? 誰もいなくなった王城で狼狽する私だったけど、一人の騎士に救い出されたのだ。 あー良かった、これでハッピーエンド……とはいかず、これがこの物語の始まりだった。 身代わりの王女として救い出された私はそれから色々受難が続くことに。それでも、めげずに頑張るのは、それなりの理由がありました。

舞台装置は壊れました。

ひづき
恋愛
公爵令嬢は予定通り婚約者から破棄を言い渡された。 婚約者の隣に平民上がりの聖女がいることも予定通り。 『お前は未来の国王と王妃を舞台に押し上げるための装置に過ぎん。それをゆめゆめ忘れるな』 全てはセイレーンの父と王妃の書いた台本の筋書き通り─── ※一部過激な単語や設定があるため、R15(保険)とさせて頂きます 2020/10/30 お気に入り登録者数50超え、ありがとうございます(((o(*゚▽゚*)o))) 2020/11/08 舞台装置は壊れました。の続編に当たる『不確定要素は壊れました。』を公開したので、そちらも宜しくお願いします。

【完結】お父様の再婚相手は美人様

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 シャルルの父親が子連れと再婚した!  二人は美人親子で、当主であるシャルルをあざ笑う。  でもこの国では、美人だけではどうにもなりませんよ。

【完結】悪役令嬢の私を溺愛した冷徹公爵様が、私と結ばれるため何度もループしてやり直している!?

たかつじ楓
恋愛
「レベッカ。俺は何度も何度も、君と結ばれるために人生をやり直していたんだ」 『冷徹公爵』と呼ばれる銀髪美形のクロードから、年に一度の舞踏会のダンスのパートナーに誘われた。 クロード公爵は悪役令嬢のレベッカに恋をし、彼女が追放令を出されることに納得できず、強い後悔のせいで何度もループしているという。 「クロード様はブルベ冬なので、パステルカラーより濃紺やボルドーの方が絶対に似合います!」 アパレル業界の限界社畜兼美容オタク女子は、学園乙女ゲームの悪役令嬢、レベッカ・エイブラムに転生した。 ヒロインのリリアを廊下で突き飛ばし、みんなから嫌われるというイベントを、リリアに似合う靴をプレゼントすることで回避する。 登場人物たちに似合うパーソナルカラーにあった服を作ってプレゼントし、レベッカの周囲からの好感度はどんどん上がっていく。 五度目の人生に転生をしてきたレベッカと共に、ループから抜け出す方法を探し出し、無事2人は結ばれることができるのか? 不憫・ヤンデレ執着愛な銀髪イケメン公爵に溺愛される、異世界ラブコメディ!

我慢してきた令嬢は、はっちゃける事にしたようです。

和威
恋愛
侯爵令嬢ミリア(15)はギルベルト伯爵(24)と結婚しました。ただ、この伯爵……別館に愛人囲ってて私に構ってる暇は無いそうです。本館で好きに過ごして良いらしいので、はっちゃけようかな?って感じの話です。1話1500~2000字程です。お気に入り登録5000人突破です!有り難うございまーす!2度見しました(笑)

異世界で悪役令嬢として生きる事になったけど、前世の記憶を持ったまま、自分らしく過ごして良いらしい

千晶もーこ
恋愛
あの世に行ったら、番人とうずくまる少女に出会った。少女は辛い人生を歩んできて、魂が疲弊していた。それを知った番人は私に言った。 「あの子が繰り返している人生を、あなたの人生に変えてください。」 「………はぁああああ?辛そうな人生と分かってて生きろと?それも、繰り返すかもしれないのに?」 でも、お願いされたら断れない性分の私…。 異世界で自分が悪役令嬢だと知らずに過ごす私と、それによって変わっていく周りの人達の物語。そして、その物語の後の話。 ※この話は、小説家になろう様へも掲載しています

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。