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棺の中の乙女

閑話 とある少女の恋

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さて、人の抱える想いというものは、人それぞれ、千差万別である。
誰かが苦手に思う人間も、誰かに愛されていたりするものだ。故に、エラが無理だと断じたユーダムを愛する人間だっていたのである。

  ***

 
少女はドキドキする胸を押さえながら、一つの香水瓶を見つめていた。
 この香水は、メイが務めるお屋敷のご子息から頂いた物だ。
少女は平民だった。
しかし、彼女が憧れ、恋をしたのは貴族の青年だった。
 彼の名は、ユーダム・ブレナン。ブレナン子爵家の嫡男で、少女が勤めるお屋敷のお嬢様の婚約者だった。
 到底、かなうはずのない恋だった。
 だから少女は、胸に咲いた恋の花が枯れる日を待っていた。しかし、人生とは分からぬものである。ユーダムの婚約者だったお嬢様が原因不明の病で倒れ、徐々に衰弱して儚くなった。
お嬢様は大層気立ての良いお人で、使用人たちの間でも人気があった。少女もお嬢様には複雑な思いを抱いていたが、決して嫌いでは無かったし、ユーダムのことが無ければ素直に好感を持っていただろう。
そんなお嬢様だったから、少女も、使用人たちも彼女の死を悼んでいた。
 しかし、いつまでも悲しんでいられない。
お嬢様の私物を幾つか処分することになり、少女は使いかけの香水を頂けることになった。お嬢様の使っていたものは全て質が良く、使いかけでも良ければと下賜されたのだ。
 そして、幸運にも少女は香水を頂けることになったのだ。
 彼女は知っていたの。この香水は、彼女の憧れの人――お嬢様の婚約者の青年がプレゼントした物だったことを……
 好いた人が別の女にプレゼントした物。それを貰うのは、とても虚しいことだ。しかし、絶対にかなう筈もない恋なのだ。彼から物を貰うなんて事もありえないため、少女はそれを喜んでいただいた。
少女は、ドキドキしながらその香水を自身にふりかける。甘いバラの香りが辺りに広がり、少女はその香りに酔うように、甘い吐息を零した。
 自身がこの香りを纏ったとて、お嬢様にはなれないし、彼に会うことすらできないのは分かっていた。けれど、一時でも夢を見ていたかった。彼の人に愛されているという証拠を纏い、彼に愛されているという夢を見ていたかったのだ。
 少女は使用人部屋の狭い自室に広がるバラの香りに、うっとりと目を閉じた。

 香水を手に入れてから数日後。少女はある物を買いに町へ出た。
 ありがとうございましたー、と店員の明るい声が少女の背を追い抜き、店の外まで鮮やかに響く。
 少女は貯めた給金で買ったアロマオイルを抱きしめて上機嫌に町を歩いた。
 このアロマオイルはお嬢様が使っていたものと同じものだ。これもまたユーダムがお嬢様に贈り、お嬢様が亡くなる間際までずっと愛用していたものと同じものである。
 少女は、人から見れば虚しい行為に嵌っていた。愛する男が愛した女にプレゼントした物を収集し、それで彼に愛されていると妄想しようとしているのだ。人はきっと少女をさぞ馬鹿な娘だと思うだろう。
「錬金術が使われてる特別製だったからちょっと高かったけど、私の給金で買えるくらいのものでよかった」
 そう呟き、袋から取り出したパッケージを見つめる。パッケージには、穏やかに微笑む土の女神の横顔が印刷されていた。

そうして目的の物を手に入れた、その日。
 偶然だった。それは、決して運命ではない。けれど、確実に少女の今後の人生に大きな影響を与えた出来事の始まりだった。

 少女は夕暮れの道を歩くその背を見つけた。
見間違いであるはずが無い。恋しい、男の背中だった。
「ユーダム様……?」
「え?」
 振り返ったその人は、栗色の豊な髪に、青い瞳を持つハンサムな男性――ユーダム・ブレナン子爵令息だった。
「えっと……?」
 淡く微笑みを浮かべながらも、不思議そうに首を傾げるユーダムに、少女は慌てて頭を下げた。
「あっ、失礼いたしました。私はラングトン伯爵家で勤めさせていただいているメイドで、メイ・パーカーと申します」
 少女――メイ・パーカーは、綺麗な赤毛に、青い瞳を煌めかせ、愛しい男を見つめた。

   ***

 ユーダムは、どこか愛しい人達を彷彿とさせる少女――メイを前に、ああ、と頷く。
「エリーゼのところの……」
 どこか懐かしむように、けれど寂し気に目を細めたその姿に、メイの微笑みが少しばかり力を失う。
 ユーダムはそれに気付かず尋ねた。
「それで、私に何か――」
 そこまで言いかけて、ユーダムはふと何かに気づいたように目を瞬かせた。
「この香りは、エリーゼの……」
「あっ」
 メイは慌てて告げる。
「あの、これは、お嬢様の形見分けで、私は香水を頂いて……!」
 思わず言い訳するかのような態度になり、メイは気まずそうに視線を足元に落とした。
 そんなメイの様子に、ユーダムはとクスリと笑う。
「ふふ、そんなに慌てなくてもいいよ。それはエリーゼのために、特別に制作した香水なんだ。エリーゼも捨てられてしまうより、自分の家の者に使ってもらえたらなら喜ぶんじゃないかな」
 努めて優しい声音でそう言えば、彼女はそれに誘われるようにそろりと視線を上げた。それに優しく微笑みかければ、彼女はホッとした様子で肩から力を抜き、ユーダムは緊張をほぐそうとするかのように、優しく問いかけた。
「今日は屋敷での仕事は休みなのかい?」
「あ、はい。休みだったので、買い物に来て……」
 そして思わぬ所でユーダムを見かけ、思わずその名を口に出してしまったのだそうだ。
 メイは今更ながらに恥ずかしくなったのか、淡く頬を染めた。
ユーダムはそんな彼女の様子に「気にしないでいいよ」と告げ、ふと、彼女の持つ紙袋を見て微笑んだ。
「ああ、うちの商会のロゴだね。何か買ってくれたのかい?」
「はい。アロマオイルを」
 お嬢様がよく使っていた物です、と彼女は言うも、言ってしまってから、しまった、とばかりに顔を強張らせた。メイは亡くした婚約者のことをあまり話題に出すものではないと思ったのだ。
 しかし、ユーダムはその答えに瞳を瞬かせ、淡く微笑んだ。
「もしかして、君はエリーゼを偲んでくれているのかい?」
「えっ? ……あ、はい。そうです」
 メイは少しの躊躇の後、ユーダムの問いを肯定した。
 本当は、ユーダムに愛されていたエリーゼと自分を重ねる為の虚しい行為のためだ。しかし、それは流石に言う訳にもいかない。
 そんなメイの内心を知るはずもなく、ユーダムはエリーゼを偲ぶ人が居る事実に嬉しくなり、微笑んで告げた。
「そうか、ありがとう。エリーゼも喜んでいると思うよ。……その、もしよかったら、お茶でもどうかな? エリーゼのことを話したいんだ」
「えっ!?」
 メイの驚いた様子に、まあ、そうだろうな、と思いつつもユーダムは期待を籠めてメイを見つめる。
 一方、メイの方だが、好きな人に、彼が愛する他の女の話をされるのだ。それは、とんでもない苦行だ。しかし、同時にメイにとっては千載一遇のチャンスだった。だから――
「え、えっと、大丈夫です!」
「ありがとう。ええと、そうだな、そこのカフェなんてどうだろう?」
 メイは夢見るような瞳でユーダムを見上げ、頷いたのだった。


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