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棺の中の乙女

第一話 夏休み目前

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 夏休み目前の水の曜日。じりじりと日差しが厳しくなってくるのを感じていた。
 さぁ、と吹く風に涼を感じ、レナ・サンドフォードは頬を緩める。レナがランタナ王国の国立魔法学園に入学し、二度目の夏休みを迎えようとしていた。
 なるべく木陰の下を歩こうと歩を進めたその時、すっとレナ顔に影がかかった。
「おはよう、レナ」
「イヴァン先輩!」
 影の正体は、ウッド伯爵家の五男坊であるイヴァン・ウッドだった。イヴァンの登場に、レナは嬉しそうに微笑む。
「今日は一限目からなんですか?」
「うん、そうなんだ。けど、明日から夏休みだからね。連絡事項を聞いて終わりだろうな」
「そうなんですか」
 このイヴァンは、レナの恋人である。少し前に想いを告げられ、それを受けたばかりの出来立てほやほやカップルだ。
 隣をただ歩いているだけなのに、なんだか落ち着かない気分になるのはイヴァンを意識しているからだろう。
 ちょっとソワソワしながら目だけでイヴァンをそっとうかがってみると、パチリ、と視線がぶつかってしまった。それに驚いて思わず肩を跳ねさせるが、どうやら驚いたのはレナだけでは無かったようで、イヴァンも「えっと、ええと、ええと」と呟きながら挙動不審になっていた。
(もしかして、イヴァン先輩も私と同じ……?)
 イヴァンが動揺する姿を見て、レナは逆に落ち着きを取り戻し、口角が緩む。
「イヴァン先輩!」
「ひゃい!」
 物憂げなイケメン枠であるはずのイヴァンは、イケメン台無しな上ずった返事をし、心の中でかっこ悪いと泣く。
 そんなイヴァンの心中を知らず、レナはにこにこと微笑んでイヴァンに手を差し出した。
「イヴァン先輩、手を繋いでも良いですか?」
「えっ!?」
 可愛い彼女のお願いにイヴァンは驚き、視線を彷徨わせながら、真っ赤な顔をして「よろしくおねがいします……」と蚊の鳴くような声でそっと手を差し出したのだった。

   ***

 ――はぁ……
 その溜息を聞いたのは、放課後の部活の時間だった。

 イヴァンと仲良く手を繋いで登校した後、やはり夏休み目前であるため、どの授業も軽くおさらいするか、何かしらの連絡事項を言って、授業は早々に終わってしまった。
そして、放課後。レナは部活をすべく台所錬金術部の部室へやって来た。そこには、いつものメンバーが思い思いの活動をしていた。
 そのメンバーの中には、イヴァンもいた。その彼はこちらに気づくと、レナを見て嬉しそうに微笑んだ。
 アイスブルーの瞳が確かな愛を伝えるように優しく緩む様は、レナの頬の熱を上げさせる。
 なんだか無性に恥ずかしくなって、レナはそそくさと実験器具を取り出した。本日の目的は、ピコル草という薬草の成分抽出である。
 イヴァンがチラチラことこちらを気にし、「作業に集中しなさい!」とネモに尻を蹴飛ばされているのには気づかず、ピコル草を刻む。
 そうして作業していると、後ろからため息が聞こえて来たのだ。
 なんとなしに振り返ってみれば、そこにはどこかぼんやりとして焦点のあってない目をしたエラが居た。
「エラ、どうしたの?」
「え?」
 随分疲れたような顔をしていたのでそう尋ねれば、エラはキョトンと目を瞬かせ、あら、と上品に口元を押さえた。
「やだ、ため息、聞こえちゃった?」
「うん。それになんだが随分疲れてるよう見えるわ」
 そう言って作業の手を止めれば、エラは大したことじゃないのよ、と言って微笑んだ。しかし、その笑顔にはいつもの穏やかさがなく、陰りが見える。
 レナはこれは話を聞いた方が良いと判断し、器具の片づけを始めようとするが、それに気づいたエラが慌ててそれを止めた。
「レナ、本当に大したことじゃないのよ。ほら、材料も刻んだんでしょう? それを無駄にしちゃ駄目よ」
「けど……」
 渋るレナに、エラが観念したように微笑んで「作業が終わったら相談させて」と言ったことで片づけの手を止めた。
「本当に?」
「ええ、もちろんよ。……それに、本当は誰かに聞いて欲しかったの」
 エラがそう言いながら、安堵を含んだ力の抜けた微笑みを見せた。それを見たレナは頷き、出来る限りの速さで作業を終えたのだった。

   ***

「えっ、婚約の申し込み!?」
 台所錬金術部の部室にレナの素っ頓狂な声が響いた。
「あら、エラちゃんもやるわね」
 ニヤ、と笑ったのは部長のネモフィラ・ペンタスだ。実は不老の秘薬を飲み、この中――むしろ学園の誰よりも年上な自称永遠の十七歳の彼女は、二つ名持ちの錬金術師である。
「まあ、エラの年齢なら売り込みや申し込み合戦の年頃だしな。そりゃ、話も来るだろ」
「俺には無いが?」
「お前はその良すぎるツラを恨め」
 私が美しすぎるばっかりに、としれっとした顔で宣うのは、絶世の美貌を持つカンラ帝国第十八皇子、チアン・カンラだ。その隣で呆れた顔をしているのは、この国――ランタナ王国第三王子のヘンリー・ランタナである。
「それで、どんな方から婚約を申し込まれましたの?」
 ワクワクした顔で瞳を輝かせるのは、レナの一つ下の学年でありバーミンガム伯爵家の令嬢、イザベラ・バーミンガムだ。彼女もまたレナと同じように錬金術師を目指しており、目下勉強中の身である。
「けど、エラはその婚約に乗り気じゃないんだね?」
 イヴァンの言葉に、エラは疲れたように頷いた。
 結局、エラの話はレナだけではなく、いつの間にか部員全員で聞くことになっていた。レナの作業が終わった時間と、それぞれの休憩時間が重なったことが原因だが、後にそれに感謝することになるとは、この時、エラもレナも思っていなかった。
 淹れられたアイスティーで喉を潤しながら、エラは口を開く。
「そうですね……。まず、婚約を申し込んできた方なんですが、実は亡くなった友人の婚約者だった方なんです」
 その言葉に、各々別の反応を見せた。
 ぎょっとして、気まずそうな顔をしたのはレナとイヴァン、イザベラだ。そして、ああ、なるほどね、と納得したような顔をしたのは三人の先輩達である。
「それはちょっと気まずいわね」
 ネモの言葉に、エラはそれもあるのだと頷いた。
 聞けば、その友人とはデビュタントからの付き合いで、かなり仲が良かったのだという。
「して、その申し込んできた男の名は?」
「ユーダム・ブレナン子爵令息です」
「ああ、ブレナン家の嫡男か」
 チアンの質問に答えに、ヘンリーが脳内から情報を引っ張り出した。
「確か、ブレナン家はなかなかの資産家だったな。ユーダムも気性が穏やかで、仕事もできる。見目も良いからご婦人の評判は上々だったはずだ。そういえば、婚約者は最近亡くなったエリーゼ・ラングトン伯爵令嬢だったか」
「はい、そうです」
 そう言って困ったように笑むエラに、イザベラが少し言い辛そうにしつつも、そっと意見を述べた。
「あの、もしそのご友人に遠慮しているのであれば、それはちょっと遠慮し過ぎかと思いますわ。こんな良いお話、滅多にありませんもの」
 それにどう足掻いても婚約者を亡くしたユーダムは、別の女性を妻に迎えなくてはならないのだ。そのユーダムがエラが良いと言うなら、誰も文句は付けられないだろう。
 しかし、それにエラは力なく首を横に振った。
「いえ、それは分かってるの。けど、その……」
 言い辛そうに一瞬口ごもるも、エラは意を決して頭を上げ、言った。
「あの方……、生理的に無理なの!」
 その言い様に、一同はポカンとした顔をした。
「優しくて良い方なのは分かってるんです。エリーゼに紹介してもらって、一緒にお茶を飲んだこともあるんです。その時は朗らかで、本当に良い方だと思いました。エリーゼが羨ましいとも思ったんです。けど……」
 彼女が亡くなってから、偶然町でばったり出会い、お茶をしたことがあるのだという。
「朗らかで、けれどエリーゼを確かに愛していたのだと分かる方でした。カフェでエリーゼの思い出話しを少しして、彼女のいない現実を共に悲しみました」
 その後、何度か偶然出会うことがあり、その度にエリーゼの思い出話をしたそうだ。
「そうして、お互いエリーゼの思い出話をする人、という関係になったんです」
 ただ、回数を重ねるごとに、妙な寒気――むしろ、嫌悪感を感じるようになったらしい。
「それは、変なことを言われて気持ち悪い、と思ったとかではなく?」
「いいえ、ブレナン様は紳士的な方よ。そういったことは口にされたことはないわ」
 レナの質問にエラは首を横に振り、だからこそこの婚約を蹴ることに躊躇いと、罪悪感を感じるのだと言う。
「本当に、なんで嫌悪感を感じているのか分からないの。最初は大丈夫だったのよ? けど、だんだんと、その……気持ちが悪い、と感じる瞬間があって……」
 胸の澱みを吐き出すように告げられたそれに、レナはイヴァンと目を見合わせる。
「本当に勿体ないお話しなの。両親もとても喜んでいて……」
 周りが盛り上がっており、断りにくい状況にもなっているらしい。そして、そんな相手だからこそ、断れば贅沢者と言われそうなほどなのだとか。
 どうやら、エラはどうしてこんなにも良い人に嫌悪感を感じるのか分からず、ストレスを感じているらしい。理性でこの婚約を受けたい。受けるべきだと思うのに、本能的に忌避感が働いて、とうとう体調に影響が出始めたそうだ。
「えっ、それって大丈夫なの!?」
「大丈夫よ。ちょっと胃が痛いだけだから……」
 それならアイスティーより暖かいハーブティーを淹れた方が良いだろうと、イザベラが気を利かせて席を立った。
 その背をぼんやりと見送りながら、エラが再び溜息をついたその時、コツリ、と机を指で小突く音がした。
「それ、断った方が良いわよ」
 その音の主は、ネモだった。
 ネモは眉間に皺をよせ、難しい顔をしながら言う。
「そういう本能的な忌避感って、無意識領域の経験からの結論なのよ。そういうのは避けた方が良いわ。それに体調に影響が出る程なんだもの。どちらにせよそんな状態で将来結婚生活を送るなんて到底無理でしょ」
 そう言われたら、その通りである。
 エラも結局はそうするしかないと思っていたのか、そうします、と素直に頷いていた。 
方針が決まれば気分が上向いたのか、エラは最初より穏やかな顔をし、イザベラの淹れて来たハーブティーを美味しそうに飲んでいた。
 それにレナはホッとし、笑顔を浮かべる。
 しかしその陰で、先輩三人が顔を突き合わせ、難しい顔をして話し込んでいたことには、ついぞ気付かなかったのであった。
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